茶の匂い
芭蕉が、大井川の川止めにあって何日間か逗留した際に作った句だという。
静岡で茶が栽培されたのは何時のころからか分からないが、あちこちの野山のいたるところを開墾して茶が植えられている。
芭蕉の句にもあるように、当時も広範囲に植えられていたのだろうが、橘の花と茶の花は咲く時期が違うので、花の香り同士が打ち消すわけでなく、匂いは花でなく茶を蒸すときの匂いが町中を漂っているさまうたったものであろう。
いま、冬を控えて茶の花が咲き出した。花の直径は2センチほど、椿の仲間だけあってよく似た花を開いている。
ただ、写真にしようと思うとなかなかよい花が見つからず、、、(へたなんだけど)
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昨日までテレビは、ノーベル文学賞は村上春樹で決まったも同然のように囃し立てていた。
なんにでも賭け事の対称にするイギリスでも、村上春樹が断トツのハンディーを付けて本命視されているなんて持ち上げていた。
一夜明けてみれば、こはいかに、、、、、中国の作家が受賞し、ワイドショーは囃し立てたことを棚に上げてピタッと口を閉ざしてしまった。
なんだか、胴上げの途中でいっせいに手を引いた感じがしてならない。
こんな例は選挙のときも目にした覚えがある。
小さな町の町会議員選挙で、とうせん確実と見られていた候補者の事務所に開票前から集まっていた人々が、惜しくも次点になった途端潮をひくようにして去ったが、、、、、、行く先はしょんぼりと自宅に戻るのではなく当選した人の事務所であった。
つまり、あの人は当選確実だから、自分の票はほかの知り合いに廻そうとかなりの人が考え、投票した結果で、集まったのは只酒を飲みたかったからだけで、その人が落選すれば、、、、、、
当然、投票した人のところに行って飲んでも後ろめたくないと言う心理だったようだが、候補者にとって見れば「人の心は度し難い、、」と人間不信に陥ったことと思う。
そしていま、日本のマスコミは、小さな町の40年以上前のことと同じようなことを繰り返していたんだろうな。
本人を残して、一人去り二人去りして、、、、、最後に席をはずす機会を失ったのはどこの誰だ~、、、、、、、、、
自分は、村上春樹の小説をまだ一冊も読んだことがない。
一度、本屋で「ノルウエイーの森」だったか、手にとって見たが二~三行読んだだけでやめてしまったので、ノーベル賞に値する作家かどうか、、、、。
ただ、中国の思想家、文学者たちのように、命がけでやっていないことだけは確かである。
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