絆
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近くの高校の生垣に使われているヒイラギの花が満開を迎え、枝先を小さな白い花でこんもりと盛り上げるように咲いている。
ヒイラギは、金木犀の仲間といわれるだけあって、その香りは金木犀ほど強くは無いが、ほんのりと甘い香りを一帯に漂わせ、鼻をくすぐる。
この木を生垣に使うのは、常緑樹と言うこともあるが、硬い葉先の棘が強力なのでこれを利用して使われているのが主眼であろう。
この棘の鋭さは、鬼も避けるようで節分の際にはこの木の先端にいわしの頭をつけて門の上に飾るのは木の葉の棘といわしの臭いで鬼が入るのを防ぐと言う意味があるそうだ。
ただ、これほど鋭い棘を持ってあちこち見境も無く刺した棘を持つヒイラギも、次第に棘がなくなり年老いた木には棘がなくなり、丸くなるのは人間以上であろう。
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総選挙を間近に控えて、「日本未来の党」と言うのがまた出来た。
原発をなくするのを主なスローガンとして「この指とまれ」と滋賀県知事が声を掛けたところ、七十数人の国会議員が集まったと言うのが表向きの構図である。
これに対して、民主、自民、公明の三党をはじめ、ほかの既成政党も、「小沢一郎が後ろで操っている」とか「原発だけで集まって何が出来るか」などと、いっせいに反発する声を上げたたが、裏を返せば、脅威を感じ取ったのかもしれない。
どの党も似たかよったかの公約をあげている中で、原発をどうするのかと言う項目では、電力会社の思惑を気にして廃止と言い切れないところをうまく突いたスローガンではあろう。
民主党の体たらくは勿論ではあるが、安部自民党や維新の会の右翼的言動には危うさと拒否反応を示す国民は多いものと思う。
そんな点から見ると、案外大化けしかねないような気もしないではないのだが、いままでの、どの党もそうであったように当選した途端、公約はすっぽりと脱ぎ捨てて、角のないまぁ~くなったヒイラギの葉っぱのようになってしまう可能性も、また大なり、、、、、、、
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百匁柿というのは、それほどの重さのある柿ということで、メートル法で言えば375グラムだが、直径10センチ前後、盾にして13センチほどの大ぶりの柿で山梨付近が主産地と聞く。
この柿は干し柿と言うより、このままおいて、熟柿にして食べるほうが良いのではないかと思ったが、ごく近所に住む人なので、その人の言うとおり皮を剥いて干している。
今日も、暖かい日差しを浴びて、柿の水分が抜け表面は一回り小さくなって、しなやかになっていく。
大きな柿だけに、いつになったら食べごろになるのだろうか。
干し柿と言えば、幼いころ祖父が竹串に串刺しにし、何段ものすだれのように作り上げたものを、外に干しておいて、正月になると神棚に上げた残りをくれたのを思い出す。
固いコチコチになった干し柿だが、串から抜いて噛み締めると甘過ぎるくらい甘い果肉が出てきて、それはそれはうまいものだった。
そして、最後には竹串との接触部が少しアオカビが付いていたりして酸っぱい味がしたのだが、これも懐かしく思い出す。
多分、いまの子供たちなら、、、、いや、その親たちは腐っているの、ばい菌がいるのでそんなところは食べさせないと思うのだが、、、、、
そんなことを思い出せる、吊るし柿が少しの風に敏感に反応してゆっくりと小さく動いていた。
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月に一回、高血圧の薬をもらいがてら、個人医院にでかけた。
そこで、先月の五日に県立総合病院で念のためと言われて、まな板ならぬCTスキャンで撮影したフイルムを見せてもらった。
縦方向に 横方向にと何十枚もの画像が並んだわが身の写真を見せてもらった。あれこれといろいろと内臓の位置や状況の説明を受けたが、結果的には何の障害もないとのことだった。
これでしばらくは安心して過ごせるようだ。
ただ、皮下脂肪と内臓の脂肪が多めである。これの解消を聞いてみたが、「なかなか減らないものなんだよね」と、こちらは、いとも簡単に、、、、、、
「減らす薬みたいなものは無いんですか」「薬で減らすというのは身体に害するものしかありません」とにべも無い。
となると、テレビで宣伝している脂肪を減らす薬というのはどうなんですか?」
、、、、、、、、、、、、、、
で、ご機嫌よくご帰還。 診断結果は気にしていないようでも、していたことを自覚した。
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台風一過のような空模様が、夜が明けてからも続いていて、真っ青な空の下、これまた真っ白な富士山の輪郭がすっきり くっきりと線を引いたように見える一日だった。
そんな陽気に誘われて、池ヶ谷の山の畑に行く途中警察官に呼び止められた。
はじめは、パトカーが何か呼んでいたがまさか自分のこととは思わず、のんびりと自転車をこいで曲がりくねった狭い歩道を入っていったら、後ろからパトカーを降りたらしく、走って追いかけてきたので振り返ると、「すみません 静岡中央署の何とかですが、一寸お聞きしていいですか?」とのこと、、、
こちらは自転車にまたがったまま、「なんです?」と聞くと「自転車の登録番号を見せてもらいたい」と言うことを回りくどい言い方で聞く。
結局最後に名前と登録番号と所有者の名前が合致したところでチョンだったが、最後の一言が「この自転車が盗まれても、すぐに戻ってきます。」
そして、「どうもお手数さまでした」と引き返していった。
そのときは、それで済んだが、そのあと山の上の仲間のところに行ったときから、次第に腹が立ってきた。
あれが不審尋問というやつだったのだろうか。少しからかってやればよかったのに善良な市民で 怪しまれたのを気付かないなんて、、、、と。
そこで、「今日はこれこれで警察に追いかけられたが、どこが不審者に見えたのだろうか」 「着ているものがわるかったの?」 「自転車と釣り合いが取れなかったのだろうか?」って聞いたら
「顔が悪いんじゃないの」という、 が、「それを言っちゃおしまいよ」ってんだ。
「人間四十を過ぎたら顔に責任を持て」といわれるなか、古希を過ぎて怪しいと思われたとしたら、情けないことこの上なし、、、、。
しかし、そんなことで落ち込むような面の皮はとっくの昔に脱げてしまっている。
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天気予報は雨が降るものの南からの風が吹いて気温は21度と暖かくなると言うものだった。
しかし、温度計は15度までしか上がらない上、何よりも日差しのないことが外の景色を暗くし、午後の三時過ぎには電灯を暗くしなければならないほどになり、体感温度は一桁台の気温に感じてしまう。
そこで思わず石油ストーブの準備をしてしまった。
北風と太陽ではないが、太陽の暖かさ、ありがたみをしみじみと感じてしまう一日になった。
その雨も、日が暮れてから急速に上がり、洗われた空の中天には十三夜の名月が煌々と輝いている。
七時のニュースで今年の紅白出場歌手が発表された。
紅白、25組ずつ、、、、知った歌い手は一部しかいない。
もちろん、新しい名前の歌手がどんな歌を歌ったか知らない。そして、古くて知った顔ぶれも今年はどんな歌を歌ったのか知らない。
古い話になるが、昭和30年代の紅白出場歌手とその持ち歌は、老いも若きも口ずさめた歌がほとんどだったような気がし、今でもそのときの歌を聞くと、その頃に絡んだ思い出が甦ってくる。
歌の流行も一年二年と続くものがかなりあり、「歌は世につれ 世は歌につれ」なんて言われたのは、、、、あれから40年位かな?
.今では、歌のテンポが速くなって、どんな歌詞なのかもテロップが流れなければ分からない歌がほとんど、歌手の交代も早いようであっという間に消え去っていく、、、、、年寄りには目まぐるしくていけないやね
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道端の雑草、オオニシキソウも赤い小さな実をつけて、目立つようになってきた。
オオニシキソウといっても、草丈は30センチがいいとこで、ほかの雑草に比べれば高い草とは言いがたいが、同じ仲間のコニシキソウに比べて付けられた名前であろう。
そのコニシキソウも同じように道端を赤く染めているが、こちらは幹を立てることなく地べたを張っている。
少し前、大相撲に小錦八十吉という巨漢大関がいて土俵を盛り上げていたが、現在”コニシキ”とカタカナに名前を変えてタレントをしている。
日本には、もともと 錦草というものがあったのだが、コニシキソウ、オオニシキソウのいずれもが、海外からの帰化植物という。
タレントのコニシキも外来の元お相撲さん、というのも共通しているところがなんとも面白い取り合わせと思っているのはこちらだけなのだが、、、、、
(もっとも初代小錦は日本人であった。)
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「小雪」も済んで冬も本格的となったのか、雪虫が二~三日前から目立ちだした。
石川靖の小説 ”しろばんば”の冒頭に出てくる”しろばんば”がこの虫であるが、自分たちは子供の頃からこの虫が飛び出すと、雪が降ると聞いていたものである。
名探偵 多羅尾伴内風に言うと、「しこうして、その正体はトドノネオオワタムシである」とくる。つまり、夏場には草の葉裏などにびっしりと付いているアブラムシの一部が交尾するため羽化しているものという。
トドノネオオワタムシ、漢字で書くと”椴松の根大綿虫”となるのだが”椴”とはトドマツのことを言う。なぜこの字をトドマツというのか、椴松とはどんなところから来たのかの説明はどこを見ても分からない。
つまり、なんとも訳のわからない名前を持つ虫である。
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雪虫は、ごくごく小さな虫なので、飛んでいてもその正体は定かでは無いが、羽根の後ろに綿毛が生えていて、その白さが目立つため気が付く。
身体の小ささとともに、その綿毛が邪魔をするのか、飛んでいると言うより風にあおられて高く低くまい飛ぶさまは、雪が風にあおられて地上になかなか降りられないのとよく似た動きをする。
風の吹きようであちこち飛ばされていては、選ばれて羽化したのに、肝心の恋人探しもままならないでは困る。そのため、見かけるのは夕凪時が多くいくつも同時に飛ぶと、蛍に似ていて幻想的でさえある。
この虫は、この時期にしか飛ぶことが無いようだが、静岡に来てから平地では滅多に見ることが無かった。
しかし、今年は我が家の小さな庭にいても何匹も見かけるし、北海道では大発生といいくらいの虫が飛んだそうだから、この冬の気候はいつもと違うのかもしれない。
ちなみに、名前が雪虫と言うだけあって、暑さにはごく弱く、飛んでいるときにそっと手で包み込んでいてもすぐに弱ってしまい、手から飛び出せないでいる。
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国会が解散してからと言うもの、風に吹かれて、あちらに引っ付きこちらに彷徨う。 出たかと思ったら元に戻る。
そこにはプライドも、意地も、何をしようとするかさえも定かでなく、ただ自分の保身しか考えていない政治(?)屋が目に余る季節になった。
そのほとんどは、前の選挙で風に乗って肩書きをつけた人であるが、雪虫同様その望みは正月前には、、、、、、、、
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聞けば、最近鳥がりんごを突いて台無しにしてしまう被害が大きくて、その被害防止に、鳥がいじめられて悲鳴を上げている声をスピーカで流しているそうだ。
その声は、どうもヒヨドリの声と見た、、、、、
静岡でも、みかん畑に来て大量に騒ぎたてているところを見ると、近いうちにこちらのみかん畑でも同様な方法がとられるかもしれない。
ヒヨドリ、雀と鳩の間に位置する大きさの鳥で、全体に灰色がかった羽毛に覆われている。
飛ぶときは何回か羽ばたいて上昇しまた下がるを繰り返し、ちょうど波のように上下しながら飛ぶさまを、富山県の民謡”こきりこ節”は#向かいのお山で啼くヒヨドリは 啼いてはあがり 啼いてはさがる と、歌っている。
そのヒヨドリが一羽、近所の塀の上に止まって人間で言えばストレッチ体操をしていた。
飛びすぎて疲れたのか、はたまた食べ過ぎて退屈しのぎにやっているのか分からないが、この動作をしばらく続けていた。
こうしている分には可愛いのだが、冬になってメジロの餌にみかんなどを出しておくと、集まってきたメジロを追っ払って食べるさまがあまりにも強引なので、、、
我が家ではカラスと同じくらい嫌われている。
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新聞に、遠州一ノ宮小国神社の紅葉が盛んだと報じていたので、明日からの連休には人出で大変だろうし、天気の予想もよくないとのこと、、、、、
そうなれば、暇人は今日出かけるしかない。
行ってみると、駐車場は八分どおりが埋まっていたものの、こんなものだろうと高をくくって参道から入ってみた。
杉木立の暗い参道のあちこちには真っ赤に染まった紅葉がところどころにあり、杉の葉の濃いみどりと対象がよい。
本殿を参った後、脇にそれ、紅葉の多い川沿いの道を上流に向かって登れば、木の種類によるのか、光の当たり具合によるのか、同じ紅葉ながら、赤 黄色 みどりとさまざまな色合いの紅葉が渾然と交じり合い、細くて浅い川には赤と茶色の葉っぱが、流れ沈んでいる。
その中を無作法にも長靴を履いて川原を歩き回っているトリテツならぬ、トリモミジ。
どうして、カメラを構えると、前後の見境も付かなくなるのだろうか。振り返って自分は、、、、なんて思ってしまった。
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鳩山元首相が次の選挙に出馬することを断念したそうだ。
彼はいわゆる、いいとこのお坊ちゃんの典型で、その行動はあだ名の”宇宙人”そのままに世間を見ようともせず、前後を省みず、思いつきで発言し、行動して党内にいられなくなった。、、、つまり、すき放題にして仲間はずれにされた子供のように見えて仕方が無い。
母親からもらった、潤沢な資金を基にして、民主党を作り首相にまでなったが、自分の行動を批判され、百戦錬磨の同僚議員にいいようにおもちゃにされ、最後は結成当時下っ端だった野田総理の方針に従えなかったとして、追い出されるように辞める。
これら一連の流れを、物語にし、誇張を膨らませれば、壮大な物語の脚本が書けるかもしれない。
野田総理は、自分の方針に従えないものは党を去ってもらい、誓約書に署名したものだけで党内を固めようとしているようだが、一方では、なんだか大同につくとか言って、てんでばらばらな主張を封じ込めて選挙に向かおうとしている党もある。
今度の選挙には、どんな基準で選べばよいのかまよってしまう。
前回は、自民党の体たらくを見て、人物より党を見て選んでしまったが、今回は良い人がいないとして白紙投票と言う手も考えた。
しかし、それでは、選びたくない人を利するだけとなる可能性もあるだろう。したがって、埋没してしまうかもしれないが、党より人で選ぶしかないような気がするが、、、
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部屋の中は暖房でぬくぬくとしていたが、カーテンを開けたら外が白っぽかった。
「おやまぁ 雪でも、、」と、思って目を凝らすと一面霜だった。
気温はマイナス二度。防寒着を着込んでロッジから200mほど離れた温泉の朝風呂に向かう。
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今日は知人のりんご狩り。あととい、自分の兄弟が採った隣の木に案内して、今度は手伝いをするだけ、、、、、、
りんご狩りが初めての人たちだけに、りんごの採り方、脚立の建て方などを指導して、今回は見物のみ、、、、、、のはずだったが、高い所に昇れる人が少なくて、結局はお手伝いもやむなし、となった。
しかし、七十台前後になって初めての経験と、彼らが予想していた以上の量になったのに次第に興奮したようでわいわいがやがやと大騒ぎの収穫作業。
これが仕事なら、そうは行かないのだがとも言いあいながら、、、、
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此処からでは見えない千曲川の対岸 小諸の向こうには真っ白に化粧をした浅間の山が姿を現した。
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午後になって、三台の車を連ねて帰るには困難や気遣いがあるだろうとのことから、食事を済ませた後、浅科の道の駅で解散し、それぞれのペースで帰ることにした。
途中、休憩も含めて家には五時過ぎに到着。
その後の連絡で、全て無事故だ帰宅したとのこと、これが何よりだった。
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昨日激しく降った雨は、未明に上がったものの最後まで枝にしがみついていた公孫樹の葉っぱもふるい落とし、境内の砂利の上を絨毯のように黄色に染めている。
雨の名残りは其処此処に残っていて、葉を落とした木々の先には朝日の光を受けて小さな宝石をちりばめたように光っている。
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今日は、静岡からやってくる知り合いの一行と佐久市で落ち合うため、義弟の家に泊まった。
よほど朝早く出発したらしく、10時前に佐久の総合事務所で落ち合って、別所の北向き観音をへ案内する。
別所に着いたのは十一時少し廻っていたので、お参りする前に腹ごしらえとばかり、毎年のように行っている蕎麦どころ”三田村”に案内する。
開店下ばかりの店はお客も少なく、主人も今日は機嫌が良くて、我々の席に来ては冗談を飛ばす、それに答える知り合いとも相性が良かったらしく、大笑いの連続、、、、。
蕎麦は、おしぼり蕎麦というやつを注文。その日打った新の笊蕎麦に塩と味噌、そして、つけ汁が盆に載せれて出てくる。
まずは、笊からすくってそのまま味わい、塩をつけて味わい、からみ大根の入ったつけ汁で食べ、辛すぎたら味噌を入れて食べる、、、、、そして最後は醤油ベースのたれで食べると言うのが見せのルールだそうで、、、、、、
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腹もくちくなって、北向き観音に参拝する。
熱心な仏教徒でもない自分が、案内とはいえ昨日は布引観音、今日は北向き観音と連日訪問すれば、きっと、観音様の覚えもめでたくご利益があるのではないかと期待すること大!。
その後、土産にするものを買ったり、連れ合いの従姉妹の家の柿を取ったりのあと宿に向かう。
宿は、自分の兄弟たちと泊まった同じバンガローで、やはりカラオケをで騒いで眠る。
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信州は千曲川のほとりに信仰心の無いおばあさんが洗濯物を干していると、牛がその洗濯物を角に引っ掛けて歩き出したそうな。
その洗濯物取り返そうと、牛を追いかけていったところ善光寺に着いてしまい、おばあさんは思いがけず善光寺参りをした。
このことから、「牛に引かれて善光寺参り」と言う言葉が出来たそうな。
そして、その話の発端となった場所に布引観音が出来たそうで、今でも山肌に白い布のあとが残っている。
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十七日の天気予報は雨だった。
それで、我々夫婦以外はそのまま雨の振り出す前に帰ろうと言う案も出たが、姉夫婦は名残惜しいようでどこか一緒に行くところはないかという。
近場を考えた末、布引観音を案内することにした。
上からは、自動車の入る道もあるようだが、地元の人でもなかなか分かりにくいところだし、下から鬱蒼とした木立と凝灰岩の崖の間を抜けて上がるのがいかにも有難みがありそうなので下の駐車場に入れる。
足弱な姉だったが、「ここまで来たら昇ってみたい」というので、ゆっくりと騙し騙し昇りだす。
空は暗く、雨が降る予報だったが、昇りだすときは傘を持っていながら、思い出すことも無く落ち葉と段差のきつい山道を登った。
観音堂まで、およそ30分以上かかったか、途中で追い越されたカップルが折り返し降りてくるのに励まされどうにか到着。
崖造りの観音堂に来て、「来て見て良かった、なんだかんだと話をしながらだったのでつらくは無かった」というのでこちらもほっとして「そうかい、牛でなく、自分に引かれて観音参りだね」と応えておいた。
降ってきて、自動車を走らせ始めたときから、雨が降りだした。「これも観音様のおかげかしら?」なんて言葉が聞こえる。
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”行きはよいよい 帰りは怖い”って歌があったが、今回は逆であった。
まず、新東名に上がって清水インターに向かっていたのだが、新東名本線上にきれいな富士山が出てきて、連れ合いがそれを写真に写そうと、カメラを構えていたので、あれこれ指図していたら、インターを通り越してしまった。
ここで Uターンをしたら新聞種になってしまうので、富士インターまで足を伸ばし、其処から朝霧、精進湖を経由して甲府南インターに入ろうとしたところ、通勤時間とぶつかったらしく、富士宮で大渋滞に巻き込まれ、やっと抜けてやれやれと思ったら、本栖湖近くで、交通事故があったとかで通行止め、やむなく鳴沢に抜ける迂回路に入ったが、ほかの車も廻されたようでここでも渋滞、、、、、、、
中央道に入ってからは順調に走れたので、ほかの兄弟たちに先駆けて集合場所に到着することが出来た。いつもより早出をした功をそうした。
明日(17日)は雨降りとの予想だったので、到着早々にりんご狩りに入り。
三台の車それぞれにりんごを満載してたあと、贈り物用、頼まれてきたりんごはいつものりんご農家に行き分けてもらい、そうそうに宿に向かう。
宿は、昨年同様、カラオケつきのコテージーを一棟借りて温泉と食事の後、四方山話とうるさい歌を聞き拍手を強いられながら長い夜を過ごす予定だった、、、が、、、、
しかし、一晩中歌うといっていた者も運転疲れか温泉疲れかで、10時前にはダウン。 寄る年波と言うか
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宿備え付けのテレビを見ていたら、野田首相が今度は約束の先延ばしをしないで、解散を宣言。
その後のバンザイ!バンザイ!って言うのは恒例だが、あれはどんな意味があるのだろうか。
次の選挙で、当選する見込みの無い人の”やけくそ万歳!”につられているような気がしてならないのだが、、、。
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気圧の谷と寒気が通過中とかで、山陰 北陸と日本海側がかなり荒れ初雪に見舞われたところもあるようだ。
その一方で、こちら静岡は少し風があるものの小春日和そのもので穏やかに晴れ上がっている。
近所の庭の皇帝ダリヤも背丈を伸ばし、青空に溶け込もうと花びらをひらめかせているかのように見えるが、なにせ、色が薄紫ではいまひとつ受け入れてもらえないようだ。
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.掘ったドー!
あしたは、自分の兄弟夫婦が毎年恒例にしている長野へりんご狩りに出かける日。
そのため、長野に住む義兄弟や親戚に持っていく土産を今年は蓮根にしようと、掘りに出かけた。
蓮根畑は、時折降る雨のため水浸しなので、まず掘りにかかる場所に堤防を作り周りから水が入らないようにして掘りはじめた。
泥と格闘すること二時間半。長さ1,7mクラスの長いものを含めて八本ばかり掘り出す。
まさに 「掘った ドー!」 と言わんばかりの充実感。
”仕事”というもの傍から見るより大変なものであるが、それを大変そうに見せないのがプロと言うもの、、と聞いたことがある。
静岡の蓮根掘りは、道具をほとんど使わず手で泥を30から40センチほど掘り起こして地中に埋まっている根を探り当てて掘り出すので、一寸見には畑の土を全て移動させることにもなり、見ている分には大変な仕事に見えるもの、、、。
しかし、案外泥遊びが性あっているのか、どれだけ掘らなければならないと言う決まりも無く面白半分でやっているためか、、、、、、、、
苦にならないでいる。
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暖かい静岡では、まだ、氷点下に気温が下がらないため、草も成長をし夜分に吸い上げた水を、水玉にして葉の先に滴らせているのだろう。
日の出から三時間。太陽も空気を暖め切れていないため蒸発するのはまだ先のことのようだ。
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夕方のニュースで首相が十六日に解散すると言い切ったことが放送された。
なんでも党首討論の際に出た言葉のようであるが、どういう心境でそう言ってしまったのだろうか。それとも狸顔の首相には何か化かしてやろうと言う秘策があってのことだろうか。
まさか、野党の追及に思わず発した言葉ではないと思うのだが、、、、これで、十一月末から十二月にかけて文字通り騒々しい師走になる気配である。
もっとも、国会議員を先生(師)と呼ぶのは、お互いか、秘書くらいなものであり、世間の人は師とは思っていないから宣伝カーに乗って走り回っても「このクソ忙しいときに、、はた迷惑なことを、、、」と、騒ぎ立てる本人たちの熱気と裏腹な冷えた目で迎えるに違いない。
なんでも後二日で、議員定数を削減した上でのことと言うが、そんなに簡単に出来るのなら、もっと早く出来たのに党利党略の材料にして何にもしないで過ごしてきた税金泥棒だった証明である。
それにしても、年の瀬を前にして、元民主党議員からはいっぺんに普通の人になってしまう議員が沢山出るようで、、、、、、、沈みゆく泥舟から逃げ出しても救われない人たち、、、、本当になんといっていいやら、、、、、
落選して、はじめて冬の風の冷たさを知ることになるのだろう。
でも、会社勤めがリストラで放り出されるよりよっぽどましのだが、世間ずれしたこれらの人たちにはなかなか分からないだろうな。
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立冬も過ぎたのだから今は初冬とも言うべき季節に入ったことになる。
それを証明するかのように、今日は西風が強く吹き、麻機の散歩道にはススキや葦の穂から飛び立った綿毛が舞い散って、羽虫か雪のように舞っていた。
その下では、アカザの葉が真っ赤に染まって同じく赤い実を包んでいる。
アカザと同じ仲間にシロザというものがある。
葉の形や大きさは同じであるが、夏の間アカザの葉の中心部が濃い紫色をしているだけで名前が違うようだ。
そして、そのころは葉っぱの上に白い粉のようなものが付着していて、触るとすべすべしている様子は、まるでおしろいを塗ったような感じがする。
これらは、そのどちらも食用として古い昔、日本に入ってきたということであり、ほんの少し生を口にしたことがあるが、無味無臭であり、料理すれば案外とうまいものかもしれない。
それにしても、近くで見ればきれいな紅葉である。
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アカザ。漢字で書くと”藜”となる、この漢字を知る前は赤座とばかり思っていたのだが、赤座のほうは苗字として使われており、藜とは関係が無いらしい。
それでは、赤座とは何ぞや、、、、ドジョウに良く似た魚の名前があるが、そんなところからとったのだろうか。
それとも、金座、銀座のように何かの職業集団もしくは組合?だったのかもしれないが、、、、、 だとするとどんな仕事?
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麻機の一角。九月に草刈りをした場所では、30センチばかりに育ったセイタカアワダチソウが一面黄色い花を咲かせている。
本来なら、名前のとおり一メートル以上にも草丈を伸ばして花をつけるのだが、その生長途中に刈り取られた身にとって、今花を咲かせねば子孫を残す機会がなくなってしまう。
そのために、成長をやめてでも花を咲かせたのだろうが、その根性たるや恐るべし、さすがに外国からの出稼ぎ(?) ファイテイングスピリットとでも言うべきか。
なんだか、同じ高さに育った草と黄色い花の調和が取れて、大きな絨毯を見る思いである。
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日本国内では、外来種といえば天敵もいなくて繁殖力旺盛な動植物。
セイタカアワダチソウはもちろん、アメリカセンダングサ、ブラックバス、銭亀の親ミミアカガメなどをいい、その対策に腐心している様子が新聞などに見られるが、全国に蔓延してしまった現在お手上げであり、受け入れるしかない状態になっている。
その一方で、日本などから外国に渡って猛威を振るっているのが、葛でありイタドリや上海蟹などが揚げられている。
スポーツの世界でなら、国威発揚でありよくやったと褒められもするが、雑草では、、、、、、、「ご迷惑をおかけします。引き取りましょう」と言うわけにはいかない。
おりしも、アメリカ西海岸に東北地震で流失し、ゴミとなった漂流物が到着しかけている様子。その量は膨大なものになるらしいが、到着したアメリカ、カナダに大きな迷惑を掛けることになる。
いずれも、自分から好んで行ったものではないが、その影響は一国だけのものではおさまらない状況になってきている。
いまにサンクチュアリを設けても、地球全体が混沌としてくる時期が近いのではないろうか。
例になるかどうかは別にして、日本中の繁華街が”まるまる銀座”になったように、どこへ行っても同じ景色が広がってしまうことだろう。
今日も脱線!
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午前中、雲を通して太陽のありかが分かるほどの空模様も、午後にはついに持ちきれず雨を降らしだした。
その雨を見越して、昇った池ヶ谷の山に、スズメウリが風にあおられて揺れていた。
未熟なうちは青い実だが次第に白くなる。
名前の由来は、カラスウリよりぐっと小さいところからと言うのが一般的だが、カラスウリの真っ赤な色に対して白いと言うのも面白いし、熟した実はカラスウリと違って、ジューシー感じで食欲を誘っているが、、、、、、食べられるとも聞いたことが無いのでやめた。 君子危うきに近寄らず
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午後になって降りだした雨は、寒気を伴ってか底冷えさえ感じさせるもので、こんな雨を城ヶ島に降る”利休鼠の雨”とでも言うのだろうか。
三時過ぎには、部屋の電気をつけなければならないくらい暗くなってしまった。
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小鳥の中で一番好きな鳥はといわれると、迷わずにヤマガラと言う。
春から夏のかけて、ツツピーン ツツピーンと啼きながら枝から枝へと渡り歩く、そして、この時期は縄張り意識が強く、その性質を利用しておとりを籠に入れて、寄ってきたところを捕まえたのは、もう60年もむかしの中学生のころだった。
いまでは、野鳥の捕獲は厳しく制限されているが、当時はまだツグミが焼き鳥の主流だった頃で、山の稜線に霞網を仕掛けて大量に採っている人もいたぐらいで、ヤマガラを一匹ぐらい捕獲しても罪の意識は無かった。
ヤマガラの一番の特色は色合いのきれいさもあるが、神経が図太いと言うか野生のヤマガラでも籠に風呂敷をかぶせて、二日ほど静かにしておくと人の手に乗って餌をついばむほど人馴れが早いことに有り、むかしの縁日ではヤマガラにおみくじを引かせる香具師が必ずいたことを覚えている人も多いだろう。
そんなヤマガラも、夏の頃までの縄張り意識は秋風とともに無くなったようで、おなじヤマガラ同士ばかりでなく、シジュウカラやコガラなどと集団を作って梢を渡り歩く季節になってきた。
その鳴き声もジュッジュッと地味な地啼きを時々発するだけで、、、、、
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アメリカの大統領選挙の結果が午後になって出たようで、テレビはその話で持ちっきり、さすがに、世界に最も影響力がある指導者選びであると感心している。
アメリカの大統領選挙は、なんだかややこしくて、選挙民の総意でなく、各州の選挙人を選ぶ選挙であり、その選挙人をどれだけ多く獲得するかにあるそうだ。
夕刊によると、獲得した州別に色分けされていたが、これって南北戦争の名残ではないかと思うよな色分けになっているのに驚いた。
多分、工業を主体としている州と、農業を主体としている州。
銃器の規制、人種問題など民度の違いなどからこのような現象がいまだに続いているのだろうが、それでも、ひとつの国として纏まっていけるのは良いことである。
一方で、近く指導層が入れ替えるとされる中国。
人民共和国、と言いながら、一党独裁でいまだに選挙が行われたことがなく、人民の出番がまったく無い。
人はその国に生まれ育った以上、なかなかその地を離れることが出来ない。つまり、その国の法制に従うしかないのだが、一部の人の意向だけで国の運営がきめられ、その他多数の人民がいやおう無く従わされて社会に生まれなくてつくづく良かったと思うこのごろである。
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直径10センチ、縦に20センチ近くまで実が実った。
しかし、熱帯地方の植物だけに、露地栽培では黄色く熟れるまで天候は持ってくれない。
いずれ、霜が降りる頃には、ぽっしゃってしまうだろう。
原産地では年がら年中実をつけているので、寒さに向かっても花を次から次へと咲かす準備をしている。
黄色い花は、たおやかに咲いている。
この実のをはじめてみたのはペルーのペンションのパテオ(中庭)でだったが、黄色く熟れた実は、花梨にも似てずっしりと重く、皮を剥いて食べたのだが、マンゴに比べると甘味は薄かった。
しかし、当時濃厚なマンゴの匂いに慣れていなかったのでこちらのほうが美味かった。
ただ、一般に、バナナやパパイヤは青い実のうちに料理して食べるのが主流で、なかなか黄色くなるまでおいてもらえなかったように覚えている。
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お騒がせ好きの田中文部大臣が、審議会で可決した大学の開校許可を取り消したことで開設の準備をしてきた大学側が憤っている。
野次馬としては、この国に600とも言われる大学が必要なのだろうかといつも思っていた。
大学の一覧を見ていると、聞いたこともない大学が随分とあるこあること
頭に神戸と付く大学がざっと17、東京と付く大学が23ほど、いずれも正確に数えたわけでないのだが、国の補助がなければどのくらいがやっていけるのだろうか。
自分の中学の同級生22人中大学に行ったのはたった一人だった。
そのころは、大学でというのはそれなりの学識があった。
そして、先ほどの放送で、大学出の就職状況の中で、就職しているのは3分の2であり、残りはアルバイトなど定職付かないか全然仕事しないそうだ。
募集は、卒業生の数を上回っているのだが、エリート意識を満足させてくれる大企業に偏重しているためで、小さな会社には見向きもしない結果だと言う。
最近の調査では、50%を超える子供が大学に行くようになって、学力の低下が指摘されているなかで、エリートもクソもないはずなのだが、、、、、。
そんな子供たちを名も無き大学に行かせ、就職もしないというのは脛がやせ細っている親ばかは自業自得としても、このご時世に税金をつぎ込んでまで学生を養っている我々はいい面の皮である。
思わずでてくる声は、 パパ イヤ!
今回の騒動で憤っている姿を見ていると、うわさに聞く、楽して金儲けに走っている学校法人のひとつではないかと考えてしまう。
定員の何倍もの受験生がいるというが、結局のところ滑り止めの子供ばかり、、、、試験結果を無視してかき集めても新学期から定員割れの学校があるそうだが、、、、、、、果たして、それでも大学は必要なのか
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ゴキヅル、一見ゴキブリとよく似た名前であり、この実にどうしてそんな名前が?と思われるが、検索してみると漢字では”合器蔓”と書き、青い実が割れて種を落とすとき、上下に割れるというユニークな形をとることに寄るらしい。
しかし、自分としては江戸時代までゴキブリのことを”御器齧(ゴキカブリ)”と言われていたように、ゴキヅルも”御器蔓”と書いたに違いないと思っている。
御器とは、昔は木で作ったお椀の丁寧語であり、土で作った茶碗とは呼び方が違ったのを、明治になったばかりの頃生まれた自分のおばあさんが使っていたのを覚えている。
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医者とはよくよく患者を病気にさせたいものと見受けられる。
発端は、3年前に立ちくらみをして転んだことから始まったのだが、連れ合いや娘が何が何でも医者に見てもらえということだった。
開業医に行って見ると、血圧が145~80だったが、「様子を見ましょうね」ともいわず直ちに血圧の薬を支給された。
のちになって、病院での血圧は「白衣なんとか」で高目にでるそうだ。ときいたが、娘たちは継続してかかることを勧めた。
そして、今年になって、少し下痢便が続いたのでそれを言うと、「大腸透視鏡で調べましょうね」といって、ポリープが二個半あったと切除。
そのとき、C型肝炎のウイルスが検出されたので治療しましょう。という。
いつ感染したのか知らないが、輸血したのは23歳のときだから、約50年。その間何の異常もないからと拒否。
すると、C型肝炎から肝硬変、肝がんへと進行するが多いから、その辺を確かめるため、超音波で肝臓の検査をしましょう。ということになり、それで異常はなかったが、詳しいことを知りたいからと、県立総合病院で「CT検査をしましょうよ」という。
噂では聞いていたがCTスキャンとは、どんなことをするのか自分も興味があったので、応じて、今日の午前中におなかを寸断してもらった。
まず、県立総合病院には、娘も看護師としているし、母親を初めとして、孫や連れ合いの付き添いなど何度も行ったことがあるが、自分自身が見てもらったことがないので、初診受付から始まった。
大きな病院は手続きがなんだか難しくこちらのほうで手間取ったが、CT検査そのものは、ベットに仰向けに寝て、丸い輪の中を二度三度、ヨード造影剤を静脈注射されてまた二度三度、動いただけ、、、、、
所要時間、20分。造影剤注射のあと、少し顔がほてったこと以外、痛くもかゆくもないうちに終了。
月末に、かかりつけの医者に行ったときどんな写真が出来ているか楽しみである。
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折から、テレビのコマーシャルは男は八の倍数、女は七の倍数の年齢のとき身体に変化が出てくるといっていた。
あと一ヶ月足らずで、七十二歳を卒業する今年がその歳である。
ポリープを切り、CT検査をした。来年は医者を変えようか、、、、、、
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まあ良くこれだけの人が集まったものだ。と言うのが第一印象。
昨年まで、大道芸の期間中に何度も出かけていたのに、今年は全然行かないのも不自然だと思ってので、最終日の今日出かけてみたのだが、会場についての感想がまず人の多さだった。
昨年までのように、自転車で出かけては見たが、駿府公園の中には入れないので、中央公民館の駐輪場に行ってくれとのこと、、、、ようやく止めて公園に入ったものの、所々に立っている警備の係員が「立ち止まらないでください」と書いた紙を掲げている。
結局、ウ”アイウ”ンシルコという、四人組の芸を見ただけで帰ってきてしまった。
小さな脚立をもってはいったのだが、とても十重二十重と取り巻いた観衆の後ろからでは、最近では小柄なおじいさんになってしまった自分には見ることが出来ないのと、あまりの人出の多さに当たってしまったようだ。
なにしろ、薄曇りながら小春日和というか、暑さを感じるような天候の上、ここしばらくの乾燥で砂埃が舞い散っている。
そんな中で、唯一スペイン人のパフォマンスは幸いと脚立に腰掛けて見られる位置がとれた。
そして、この芸は、40分のいうかなり長い時間の演技だったので、空中に放り上げられる小柄な男性が、斜めになりかけた日差しの中に飛び込んでいくのがなんとも面白く感じられた。
中に入っている人は、多分竹馬のように足に木をくくりつけての演技だと思うのだが、良くあれだけの細かい動作が出来るのと、方法を考え付いたものと感心してしまった。
ともあれ、一応今年も格好だけはつけたという感じの、”大道芸”
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山椒の皮が割れ黒い実が艶々とひかり、完熟したことを示している。
日本中のあちこちに自生し、植えられているこの木は、若芽のとき摘んできて味噌和えにし、花のとき、青い実のとき、そして、完熟してからも、種と皮に分けてそれぞれ多様な食べ方をする、日本人好みの木である。
しかし、そのいずれもが、香りを楽しみ、その薬効を期待して古くから人家の周りに植えられてきた。
しかし、最近では食生活と言うか、好みが変わって、この気に興味を示す人も少なくなって、このまま落下してしまうのが多くなり、写真の実にもくもの巣が縦横無尽に絡みついたまま、、、、、、、、、
「山椒の実は、小粒でもひりりと辛い」 小さなものが、大きなものに対して言う言葉だが、、、、、、”ぴりり”と辛いといっても通用しない言葉になりつつある。
そして、自分は「ぴりりでなく”ひりり”でしょう」なんていってもカマキリの斧同様、なんの答えもなく無視されている。
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ああ、そういえば今日は「文化の日」ほかの祝日と同様忘れ去られた日であり、文化勲章や何とか褒章をもらう日と言うことでかろうじて認識されているが、それも政府や官公庁に都合の良い団体に属していないともらえないもの。としか認識されていない。
当然、あらゆる勲章や褒章に関係のない”名もなき戦士”は負け惜しみに「おれも、ひりりと辛いぞ」と言ってみたって蟷螂の斧の降ろしどころか、鼻で笑われるのが落ち、、、、。
したがって、何の興味もない日である。
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アキノタムラソウ。紫の唇形の花を段々重ねて池ヶ谷の山辺に咲いていた。
高い山で咲けば高山植物として人気のある花だが、同じ花でも平地で咲けば只の雑草で片付けられてしまう。
漢字で書くと”秋の田村草”と表示されているが、田村というのはどういう意味なのか見たところ”田紫”から来ているそうだ。
田紫、そういえば花の印象と合致する点が多いが、なぜこんな風に変な名前になってしまったのだろうか。
花言葉のひとつに、「自然のままのあなたが好き」なんて、一度くらい聞きたかった言葉がのっていた。
しかし、本当にそんなこと言われたら、面恥ずかしくて、、、、、、、青春時代だけの言葉なのだろうな。
今では自然のままでなく、「良い歳をして」と矯正されるばかり、、、、、、
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いま、静岡の街中は大道芸でおおにぎわいであろう。
昨年までは、期間中に三度四度と足を運んだものだが、今年はまだ行っていない。
それまで興味を持っていたことに無関心になるのは”認知症の始まり”であると物の本に書いてあったのだが、、、、、、
いま興味を持って夢中になっているのは、畑仕事と蓮根掘り。
今日も、午前中は畑に行って昨日移植したインゲンの水遣りと草むしり、そして午後になって蓮根掘りをした。
静岡でも、麻機の蓮根は味が良いという評判が高い。(ほとんど食べないのでわからないが、、、)
その一角で、地主が高齢になったこともあって掘り尽せなくなったことから、「掘る気があったらやってみな」と言われてこれまで四回ほど行っている。
蓮根掘りは、三年ほど前に少し手伝ったことがあったが、今年は全然違う場所での作業である。
静岡での蓮根掘りは手で泥をよけ、地中30から40センチの深さまで掘り下げて収穫するため、畑の土を全て移動させることになり傍目では大変な仕事見える。
しかし、自分が食べない蓮根掘りにこれだけ夢中になるのは、一種のパズルに似たところがあって、一ヶ所で何本も絡み合って出たときなどは、どの蓮根から取り出せば、うまく傷をつけないで掘り出せるか、、、、、掘り出したときの達成感、これが面白くて、泥と格闘している。
本日の収穫は、大小あわせて二時間で七本。
あげる人の喜ぶ声を想像しながら暮れかけた、農道をたどる。
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気温は十一度、やっと先日まで半袖半ズボンで歩き回っていたのが噓みたいな夜明けだった。
太陽の出る方角もかなり南方向によって日本平の山頂近くまで移動している。
そんななか、十七夜の立ち待ちの月は、勤めを終えて山の端によっていたが、思ったより太陽が上がってきたのを見て、それまでなかった雲をかき集めてその陰に隠れてしまった。
その後厚くなった雲は太陽も隠し、終日全天にかかっていたのは月の怒りだったのか、、、、、、、
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タデ科のつる草で、湿地と化してしまった麻機沼の一角埋め尽くしている。
イシミカワ、石見皮とか石見川など漢字で書くと何種類もあるが、どれもはっきりしないし、どう見ても石と関係があるようには見えない。
サクラタデやミゾソバなど、同じタデ科の草が薄桃色のきれいな花をいまを盛りに咲き競っている中で、夏の間に薄緑の目立たない花を咲かせていたのだが、”花より団子”ではないが実のほうが目立つ植物である。
その実の付け方も、よく見ると、幹の周りを葉っぱがぐるりと取り囲み、その上に月見団子を積み重ねたように積み上げている。
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