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2012年12月31日 (月)

鰤の塩焼きを食べて

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酒のつまみに鰤の塩焼きを食べて歳をとった。

むかしに比べれば小さな切り身だが、年越しの魚はふるさと習慣に従っていつも鰤。

贅沢に慣れた舌には、むかしのように旨いとは思えないが形だけでもと、、、、、

「大工三年で石の下」と言われた江戸時代とは違うけれど、坑内で岩粉を頭からかぶって立て坑を掘り上げた頃は定年まで命が持つかなと思った。

(大工とは坑内の最先端で鑿を振るって坑道を掘進めた坑夫をいう)

それが昔風に言えば、数え年の七十五にもなった。

先日、十一月に亡くなったと訃報の通知が来たは同期生は、十五人いた仲間の六番目。

幸い鉱山での事故で亡くなったものはいなかったが、それぞれの理由で平均年齢までは生きられなかった。

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仏壇と神棚に久しぶりの酒を上げて、灯明に火をいれ、その下で鰤の身を二人でつつく、、、、、、、

子供の頃、それから自分の子供たちがいて、普段より豪華な料理を賑やかに食べた頃を懐かしみながら、、、、、

空には、まん丸な月が明日の日の出を予約しているかのように輝いている。

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2012年12月30日 (日)

冬の雨

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外は冬の雨やまず  この胸をぬらすように

「氷雨」という歌の文句の一節ではないが、十時頃から降りだした雨は時には激しく振りつのった。

遠くの山は、低い雲に隠れ、見えるのはすぐ傍の低い山々だけ、、、、、それも、降りしきる雨で霞み、墨絵のようにモノトーンの世界を描き、気温をさらに低く感じさせ「出てこなきゃ良かった」と悔やませる。

年末の気忙しさにつられるかのように、傘をさして正月のお年玉用のお金、そのついでに100円ショップに寄ってみたが、ズボンの裾は濡れ、そのうち、靴のどこかが悪くなっていたのか、つま先側が濡れだしてきた。

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2012年12月28日 (金)

天の神に感謝 感謝

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もう蓮根掘りは昨日でかたが着いたと思っていたので、朝早く蓮根畑に行って泥のついた道具を持って帰ってきれいに洗ったところで「なんとか、もう3本1kg以上のものを調えてくれないか」と電話があった。

なんだか相当困っている様子なので、無碍に断ることも出来ず再び畑にとって帰す。

畑は、今朝ほど見たとおり曇り空ながら冷え込んだと見えて薄氷が張り、ホトケノザなどには霜が降りている。

天気予報は、午後から雨が降るというので、いままでのように暖かくなってからと言うわけにも行かず、冷たい土を割って1㍍以上のもの3本とこまかいものを少し掘って、役目を終えた。

頼まれれば嫌とはいえない性格が、手首から先を冷たくさせ両腕に張りを感じさせた。

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昨日帰ってから孫と造ったお鏡四組と伸し餅。

もう正月は今日を入れて四日しか残っていないのだが、蓮根掘りに精を出していたためか、実感が湧かないでいる。

報道関係は、そろって今年の十大ニュースは、なんてやっていたが、時の流れが速くなってしまったためか、「えっ それも今年のことだったの、、、」なんて思ってしまうくらい前半のニュースは霧の彼方に行ってしまっている。

ひるがえって、自分自身が体験した今年の主なことは?となると、これが何にもないような気がする。

まず健康面で、大腸内視鏡とCTスキャンをしてもらったが、問題点はほとんど見つからなかった。

長野で作っているじゃが芋は今年 大豊作だったこと    

後はなんだったかなぁ    そうそう、先日来の蓮根掘り、と、そうたいしたことのないのが続く、、、、

つまり一年を平穏無事に無事に過ごせたことであり、天の神に感謝 感謝

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2012年12月27日 (木)

注文に追われた

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正月を前にして、ここ一週間、蓮根の注文が多くて連日蓮根畑に入って、泥掘りを続けている。

前にも書いたのだが、当地の蓮根は水を切って、手で土を掘り下げて掘り出すというやり方なので、一日あたり四平方メートル、深さ30から60センチほどの土を動かしている。

量としては3トンダンプカーに一杯分は動かしているかもしれない。

田んぼの土は、上のほうは柔らかめであるが、下に行くにしたがって硬くなる。しかし、地面の上からではどこに蓮根があるか分からないので、下手に道具を使って連根に傷をつけては傷みも早く商品価値がなくなるので、全て手で掘るということになり、かなりの重労働である。

手の先をまっすぐにし、体重を掛けて土に手のひらをめり込ませるのだが、2~3時間もすると手首、肘が痛くなってそれ以上続けられなくなる。

しかし、蓮根の一部にあたると、それがどこをどう這っているのか、追いかけてどこまでも追っかけて掘り進む。

一本の蓮根で、2メートル以上追跡したこともあり、鉱山でツルと言われる細い鉱脈を追っかけていくのに似ているなと思いながら、固い粘土をかきあげる。

この仕事は、当初、人に指図されたりノルマが無いことなどから自分に向いた仕事だと思っていたが、いざ正月を間近に控えて注文が殺到してくると、気の向いた日と時間に好きなだけ掘ってと言うわけにいかななくなる。

ときおり、腰を伸ばして空を見上げれば絵に描いたような雲が流れるでもなくゆったりと浮かんでいる。

日本海側では例年になく寒波が強く、雪も降り積もっているそうだが、そんなことが想像できないほどの麻機田んぼ、、、、、今日も上着を一枚脱いで泥遊びに励んだ。

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2012年12月26日 (水)

ごっちゃ混ぜがお好き?

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古来日本は八百万の神が住まう国であった。

山川草木全てに神が宿る国であった。

その国に一番初めにやってきたのが仏教であった。御用学者が作った皇紀でいちにいちに(1,212年)の年に、、、、

それが最初の軋轢であり、その後、平安末期から鎌倉時代に掛けて、浄土宗日蓮宗など仏教が大衆化する際    耶蘇と言われるキリスト教が入ってきた戦国末期から江戸初期に掛けて、そして、江戸時代の神仏混交から廃仏毀釈が行われた明治の初期、、、、。

これが、日本を取り巻く宗教の主な歴史であり、これらの変わり目ではいくらかの摩擦に巻き込まれて犠牲者も出たが鋭い対立が長く続くということは無かった。

これも日本と言う国の国民性というか、周りを海に囲まれた国で過ごしてきた民族性というのだろうか。

宗教というものは、本来心のよりどころとしてどのように生きたら平安でいられるかということに主眼を置いているものと思う。

しかるに、唯一絶対の神を信仰の対称にしている一神教では、他の宗教に対して邪教と見て矛先を緩めない。

あげくは、同じ宗教、神をあがめながら他の宗派に対しても同様の目を向けて、殺し合いにまで発展していく。

そんな情況を新聞やテレビで見るたびに、宗教とはなんぞやといつも思ってしまう。

その一方で、何でも受け入れてごっちゃ混ぜにし、神仏混交を果たしてしまったわが国は、神や仏と言うものに全幅の信頼と言うものなくしてしまい、ただ形式的行事として惰性の中に流していくことに決めたようで、神道や仏教は勿論道教、儒教、そして、キリスト教の行事まで目白押しに暦の中に入れてしまって、年中何かをやっている。

ハロウインのかぼちゃをかぶり、恵比寿講の熊手を飾り、イルミネーションを飾ったあと、正月には神社やお寺で頭を下げる。

しこうして、その実態は な~んにも期待していない。いや出来ないわな

今日からふたたび自民党政権が復活した。

前の民主党は、右から左までを含んだ神仏混交的な党だったが、今回の大臣の肩書きの後にカッコつきで○○派とつけてあるところを見ると、、、、、、

やっぱり ごっちゃまぜ?

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2012年12月24日 (月)

枇杷の花

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通りすがりの道で甘い香りがした。

何の香りかと見渡してみたところ、枇杷の花が咲いている木があったので近寄ってみると、花が慣れたのかそれほどでもなかった。

あたり一帯に芳香を放ちながら近寄れば分からないとは不思議な香りである。

枇杷の花、かなり密集して咲いている割には、一つ一つの花はよくわからない。

つぼみを包む茶色の綿毛の中に、それこそ粗末な五弁の花びらをさかせているのだが、、、、、、、

「桃栗三年柿八年 枇杷は九年で成りかねる」と言われたように、桃栗に比べて実がなるようになるまで遅い木だが、この上を行くのは「梅は酢い酢い十三年なしの大馬鹿十八年」とつづくのから見ると早いのかも、、、

しかし、この世知辛い世の中そんなに待てるはずも無く、接木などで早く実を付けさせるようになった。

そんな技術が出来なかったころは、猿蟹合戦の蟹のように「早くならぬとちょん切るぞ」と脅かすのが一番だったのだろうか。

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一昨日の雨を利用して床屋へ行ってきたのだが、それまでそんなに気にしていなかったのに首筋がうそ寒く、早朝の散歩は出来なくなった。

このまま、年を越すのはあまりにも現実と一致しすぎているようで、、、、、

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2012年12月23日 (日)

山茶花も咲いて

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さざんか さざんか 咲いた道

焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚き

あたろうよ あたろうよ

霜焼けお手手が もうかゆい

こんな歌が実感として感じられたのはもうかなり昔の話になってしまった。

いまどき、落ち葉で焚き火でもしようものなら、すぐに電話で通報されて消防自動車がやってくる。

また、霜焼けで手を真っ赤にしている子供なんて、、、、、、、

ただ、山茶花のみはむかしと変わらず次から次へと咲き続け、降り積もった花びらで地面を赤く染めている、、、、、

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見たことが無いので書くのがはばかられるのだが、「三丁目の夕日」と言う漫画で昭和三十年代を書いた漫画が映画化されて、テレビでも昭和三十年代をノスタルジックに捉えて”あのころは良かった風”と言う視点から、残りされた建物や家具などを訪ねる、と、いった放送がされているのを見た。

考えてみれば、昭和三十年代は、いまから五~六十年も昔の話になってしまったわけだが、自分にとっては十代後半から二十代に掛けて、つまり高校生から結婚前の青春時代であり、懐かしい思い出がいっぱい詰まっている時代でもある。

しかし、いまのようになんでも自動化された時代ではなく、戦後の陰をまだ引きずっていて、食べるものもかなり粗末であり、いつも腹をすかしていた。

何事もそうかもしれないが、振り返ってみれば懐かしいとか、良き時代なんていうが、実際その時代を生きていたころはそんなに楽しいことばかりではなかった。

ただ、今と違うのは、就職すれば定年までまずは保障されており、先行きも明るくなるのではないかと言う見通しがあり、閉塞感に悩まされることがなかったような気がしていた。

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2012年12月22日 (土)

やばい ボケたかな?


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夜来の雨は午前中一杯降りつのった。

まわりの山々は低い雲と霧につつまれて、墨絵のような景色をかもし出している。

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ここ三日連続して蓮根掘りを続けたため、腕と指先に
こわばったような感じが残り、そのほぐしに丁度良い骨休みとばかりごろごろと過ごしていた。

夕食を早めに済まし見るともなしにテレビを見ていたらうとうととするともなしにしていたようで、ふと時計を見るといつもの食事時間を過ぎていた。

「おや、まだ食事が出来た」と言わないな。腹もすいていないからまだ良いけれど、、、、、、なんて思っていたら食器を洗う音が聞こえてくる。

「あれ、とすると食事が済んだのかな?。食べたような気がしないのだが」そう思って、晩御飯は何を食べたのか思いだそうとしたがなかなか頭に上ってこない。

「やばい、ボケてしまった。少し前に食べた食事が思い出せないなんて、、、」

しばらくして、ようやく食事のときの話とおかずを思い出したのだが、いつこれが、しょっちゅうのことになるかもしれない。

いずれ、たどり着く道かもしれないが、こういうことは出来れば願い下げにしたいものである。

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2012年12月21日 (金)

まだまだ暗い日が

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賎機山の藪陰にムラサキシキブがきれいな珠をつけていた。

先日来の霜に打たれてか、木の枝の先端につけた実も水分が失われ皺が目立ち始め、そして、うな垂れているかのようにぶら下がっている。

ムラサキシキブは古来ムラサキシキミと呼ばれていたそうだ。

漢字で書くと”紫重美”と書くそうで、紫の実が沢山ある、と見た感じそのままの名前であったが、いつの時代にか源氏物語の作者の名前に換わってしまった。

丁度将棋で言う雪隠詰めが”センチヅメ”と言われるように、、、、

それにしても、早く鳥に食べてもらいたい様子だが、鳥のほうも何かほかに美味しいご馳走があるようで、なかなか食べてもらえないのかなぁ~

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二十六日に安倍新内閣が発足する運びとなり、閣僚名簿に乗る人の新聞辞令がぽろぽろと出かけている。

その様子を見ると、「昔の名前で出ています」式の名前ばかりが目立つし、そのとおりなら新鮮味の薄い内閣になるのではないだろうか。

また、安倍さんの選挙中からの発言が株式市場では好感をもたれたようで、平均株価も久しぶりに一万円を越えているようだ。

ただ、この中身をみると、日銀に圧力を掛けて市中に通貨を氾濫させて、物価を上げ、円安にもっていけば輸出企業が元気を出す。すると、企業にお金が集まり、社員の給料が上がる。

すると、自由に使えるお金が増えて国が潤うと言うことだそうだ。

「風が吹けば桶屋が儲かる」そんなたとえ話のようなことで、景気が上向くのだろうか。

いままでにも、企業が儲かると社員に廻さず内部留保や海外の安い労働力を求めて資本が逃げていったではないか。

なぜ、二十年も景気が悪かったのか、いや、円安で企業が儲けた時期もあったはずだが国民は潤わなかった。

エコノミストと言われる連中も、テレビのコメントで「アベノミクス」とかを絶賛しているが、先見の明に欠ける人々ばかりと言う気がする。

とにかく、国の借金がさらに増えて、国債が暴落しかねないリスクとともに、いま、ヨーロッパでおきている金融不安が日本でも起きる可能性のほうが大きい、、、、そして、格差社会がさらに大きくなるに違いない。

マスコミにつられて、自民党を大勝させた皆さんはいざ知らず、入れなかった我々にとばっちりが来るのは勘弁して欲しいものだ。

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今日は冬至。一年で一番日が短い日であり、明日からは米一粒づつ日が長くなることから「一陽来復」とも言うが、、、まだまだ暗い日が続きそうな気配を感じる曇り空の一日

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2012年12月19日 (水)

嫌われ者が来た

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典型的な西高東低と言われる気圧配置で日本中寒波が吹きすさんでいると言うことだけれど、ぐるりを山に囲まれている静岡はいたって平穏な日中であった。

苅田の田んぼも先日の霜ですっかり枯れ果ててしまったが、落穂ひろいの雀たちにはかえって条件が良くなったのか群がり降りていた。

そこに、物見高いカラスが加わると、身体の小さい雀たちは逃げ出すしかないが、よそ目には、嫌われ者が近寄るとスーッと逃げ去る人間世界を見ているような気がしないでもない。

身体の大きい方が餌場を占領出来て得なのだろうか、それとも、体力維持のためどんなに嫌われても、沢山の餌を探さなければならないから損なのだろうか、、、、、

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先日、アメリカ東部の小学校に銃を持った若者が侵入し、子供を含む26人が射殺された。

比較的銃の規制が強いこの州でさえこんな事件が起きたのは、アメリカと言う国の異常さを改めて感じてしまう。

なんでも、この国はヨーロッパ系の人種が移住して以来「自分の身は自分で守る」と言うのが基本であり、憲法もそのことを前提にしているとか、、、、、、

若い頃よく見た西部劇そのままの雰囲気をいまだに引きずっていて、今では人口の数倍の銃器が行き渡っているうえ、より強力な機関銃やロケット砲まで保有されていると言う

乱暴な言い方かもしれないが「銃規制ができないなら、西部劇ではないが、全ての国民がガンベルトを腰に巻いて学校に行けば」なんて、山の畑のおじいさん会議で話していたら、、、、、

今日にニュースで子供が学校に持っていって、同級生に突きつけたとか、、、、

この事件を契機に悪名高きアメリカライフル協会もさすがに従来の主張を変える用意があると言ったそうだが、、、、どこまでどうやら

日本人が、腰につけていた武器と言えば刀であるが、豊臣秀吉の刀狩り、そして、明治政府の廃刀令、そして、第二次世界大戦の敗北で、美術品のほかほとんど無くなり、今では小さなナイフまで携行してはいけない国になってしまった。

それでも、毎年何人かは銃の犠牲になっている。

アメリカのように、銃器が氾濫している国にとって、自分がやめれば保護される見通しがたたないという心配から、秀吉並の銃器狩りを行わない限り不可能だし、その前に憲法改正が必要になるのだから、、、「日暮れて道遠し」と言ったところだろうね。

これも少し行き過ぎではないかと思う。論語にいわく「過ぎたるは尚及ばざるが如し」とか

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2012年12月18日 (火)

久しぶりの北斗七星

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中央矢印の先に明けの明星が見える

夜が明けるにはまだ早い時間にトイレに行った。

長野県立科町はもっと冷え込んでいると思っていたが、気温は三度。霜の降りる気配は見えない。

母屋から15mほど離れて建てられている側屋までの間夜空を見上げると、丁度北斗七星のあたりだけ雲が切れていてすっきりとした状態で見ることが出来た。

夕方まで、少し雨もよいの空だっただけに、意外な気もしたが、北斗七星を仰ぎ見たのは何年ぶりだったの、、、、、ここ数年見たことがないような気がする。

そして、家に入ってしばらく床に入ったものの、外気に当たったためか寝付かれず六時過ぎには起きだしてしまった。

家人はまだ床の中、、、、仕方なく5~6kmはなれた明神池という大きな農業用水の周りを早朝散歩しようと出かけてみた。

南東の空は、次第に赤くはなってきていたが、いまが一番日の出が遅い季節、なかなか太陽の昇る気配は無い。

赤く焼けたその空を見下ろすかのようにして、明けの明星が輝いている。

何度見ても、日の出は感慨深いものがあり、夕日の寂しさとは反対に精気を感じるのは、見るもの心にあるのかもしれない。

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021法事に出かけた先での話題は、やはり総選挙だった。

毎回のように雪崩のように政権党が入れ替わる、それもかなりの大差で動く。

そんなに民心が、雪崩を打ったかのように変わるではなく一人が当選すればほかの得票が全て死に票になってしまうところにある。

たとえば、3人が立候補したとして接戦だった場合六割の人の票が捨て去られることになる。

また、静岡一区の場合、八万票で当選した人に対して十四万票の死に票が出ており、二位、三位の人が落選なのに四位の人が比例で議員になると言う変な現象が起きている。

参院議員と違って、比例は誰もその人の名を書いていない、、、、、

たぶん、少し落ち着いたところで、憲法違反と最高裁で指摘されている選挙制度の訴訟が出されることになるのは確実だが、、、、、、、、

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2012年12月16日 (日)

多いという意味か

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024陽だまりに八手の花が咲いている。

小さな花の密集で丸い花集団を作り、さらに、その花集団を無数につけているので、一つ一つの花がどんな構成をしているのか分からないくらいである。

八手の名前から言うと手のひらを広げたような葉っぱの先端は八つに別れているのかと思ったら、ほとんどが九枚、、、、もしくは七枚と奇数のものしかなく、八枚と言うのが見当たらない。

これは、八百万(ヤオヨロズ)と言う意味と一緒で沢山あるという意味なのだろう。

そんな意味だとすると、葉っぱの数なのか花の数なのだろうか。

花の数って言うわけないだろうが、、、、、、、、、、、

日中の気温が十八度にもなり、とにかく暑いという感じの陽だまりには八手の花は当惑しているようだった。

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朝早く、連れ合いの従妹から十八日の午前に法事をするので、来て欲しいと言う要請があった。

「ところ変われば品変わる」では無いが、あまりにも切羽詰っての連絡で驚いてしまった。

幸いと言うか、こちらは時間に融通の効く暇人なので出かけることにしたが、冬の野辺山はあまり通りたくない道である。

今日のように気温が高ければ、心配ないと思うが、峠から向こうの道路は北側斜面で日当たりも悪く、冬になるとすぐ凍りつく難所である。

とにかく、一応の支度をして、明日の日中を掛けて出かけようと思う。

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2012年12月15日 (土)

水晶の花を咲かせたように

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今朝がた早くから、雨が降る気配を床の中で聞いていた。

激しい雨ではなかったが、午前中降り続いた後、薄日が差してきたので退屈していた足に「散歩に行こうよ」とばかりに誘い出された。

いつもの散歩道は、雨上がり直後と言うだけあって水溜りは勿論草木は鈴なりの水玉をつけていた。

写真の草は、ヤクシソウと思われる。

花も終わって、綿毛を飛ばし草としての役目を終え、、、、後は倒れて土に戻るだけの状態になっていたが、綿毛を飛ばしてわずかに額を残しているところに水滴をつけていた。

まるで、水晶の珠かと思われる花をつけたようで面白いものを見たような気がした。

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十三日、弟夫婦が蓮根掘りにやってきた。

先日を来ていたので懲りたかと思ったが、彼らも蓮根掘りに嵌った?のか、前回友達などに分けたのが評判良くて、少し早めながら正月向けに調達したかったのか、、、、

早速畑に入って、掘り出しにかかったが、割合と蓮根が密集しているところに当たったようで、予想より大量に収穫することが出来た。

そして、その晩は久しぶりに静岡の中心街まで出かけ、食事と常葉公園イルミネーションを見てきた。

そして、翌日、午前中は薩捶峠まで富士山を眺め、清水の魚市場で食事をして、今日の午前中に雨の中を帰っていった。

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2012年12月12日 (水)

冬枯れ

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日が落ちかけた東の空に富士山が次第に赤くなっていく、その色が最高潮に達した後、急速に灰色に変わっていくのは、一瞬のドラマのようで飽きず眺めてしまう。

手前の、ススキは川風に吹かれてほとんど綿毛が吹っ飛んでしまい、いかにも冬枯れの景色と言わんばかりの情景をかもし出している。

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「なんとか安倍川でケントリをやってくれないか」というはなしがあったので、昨日今日と、書こう近くの現場に行ってきた。

”ケントリ”というのは多分券取りとでも書くのではないだろうかとおもう。

雨の少ない時期に、安倍川下流に溜まった砂利を建設材料や養浜に使うために最終しているようで、ダンプカーで運び出すのだが、その際、通過するダンプカーから、伝票を受け取り判を押して、一枚を取って残りを戻すという作業であった。

受け取った伝票は、ダンプカーごとに分けて台紙に貼り、まとめて一台毎の搬出回数を分かるようにしておく、、、、、

ダンプカーの数は、三十台ほどのうち十三台が自分の受け持ちである。

どこで降ろしてくるのか分からないが、早く戻ってくるものや回数の少ないものなどさまざま、、、、そのため、波を打つように来なかったり、まとめて来たりなど不規則な運行情況をを記録していく。

長い間、アルバイトもしてこなかった身にはほとんど一日中の立ち仕事、かてて加えて、1メートル四角の小屋に閉じこもってのいつ来るか分からないダンプカーを待つのはかなり辛い仕事であった。

幸い運転手たちとは早々に仲良くなり、軽口のやり取りを挟んで仕事は順調に進んだ。

朝七時には静岡でも気温は0度を指していたが、南向きに設置された小屋には一日中太陽が燦燦とふりそそぎ、暖房なんかは必要の無い二日を過ごすことができたのは、、、、、、、これも幸せのうち

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2012年12月11日 (火)

安倍川の松

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日本人が松に対して抱く感情は、特別なものがあると思う。

それは、山水画に見られるように崖に根を食い込ませて頑張って育ち、杉のようにすくすくと伸びず、横に枝広げ、冬でも葉を落とすことなく雪をかぶっている姿に自分を重ね合わせているのかもしれない。

また、海外のように、海からいきなり砂山、そして、植物の無い岩山がそそり立つ風景を見ると、#松原遠く 見ゆるところ  で歌われる日本の景色はなによりも心がほっとする景色である。

しかし、その松林もそこで住むものと、景色として見る者の間では大きな食い違いが生じている。

写真の、松は安倍川の堤防上に立つ松であるが、その近くの人々から松の落ち葉に悩まされるとか、枝折れ 倒木の心配などから伐採するようにと要望が出た。

しかし、景観を惜しむ市民団体からは伐採反対の声が上がって、河川を管理する役所も困っているようだ。

この市民団体というのが曲者で、正体がはっきりしない。

立場がことなればもの見方も違う。

原子力発電所の直下に断層があり、原子力規制委員会は断定は出来ないが廃炉の方針に傾くようだが、電力業界や雇用と補助金で潤っている地元はなんとか再稼動をしたい意向のようである。

原子力発電は安価であると、宣伝しているが、もし、事故が起きたり、耐用年数が尽きたりして廃炉にするときの費用は計算外なのだが、そのことは言わない。

いま選挙の、焦点のひとつに原発をどうするのかと言うのがあり、東京都民のアンケートでは、ほかに比べて存続がかなり多いように報道されていた。

東京は、周りに火力発電所しかない。電気料金の高さが影響しているのだろが、もし、これが横須賀や、東京の真ん中にあったとしたらこんな結果が出るわけ無いだろう。

決められない政治と言うが、両者の意見の隔たりは容易に埋まらない。

しかし、東北地震の津波で名物となった一本松、防腐処理をして鉄心を入れてまたもとの場所に立てれるそうだが、枯れて茶色くなった木になるのか、ペンキで枝の先端を緑にするのか、、、、、、

なんだか落語に出てくる「らくだの馬さん」を見るような気がする。その下で「かんかんの~」と踊った日にゃ、、、、、、、、      こんなことを考えるのは自分だけだろうか。

さて、どっちにすべきか、地下鉄をどこから入れたかよりは難しい。

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2012年12月10日 (月)

陽だまりに咲く磯菊

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013s葉っぱの白い縁取りが印象的な磯菊の花がいまを盛りと咲いている。

真黄色の細かい花の集団は、一つ一つの花の形がわからない。

冷たい北風をさえぎる陽だまりの一角に咲く、真黄色の花の集団は、一つ一つの花の形が分からないほど密集している。

そんな花をどこで見つけたものかハナアブがやってきて蜜を吸っていた。

この強い風では、匂いを嗅ぎつけたとしても、なかなか風下からはやってくるのが難しかろうとおもわれる。

今日の静岡でも、気温は最高で10度に達しなかった上、この風では体感温度がもっと厳しいはず、、、、、、

野生の生物にとって、生きるということは人間以上にかなり辛いものである。

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毎年、この時期になると思うのは一年の帳尻を合わせるかのように大勢の人が亡くなるような気がする。

勿論、冷たい風が入ってきた季節の変わり目などが大きな影響を与えていることは想像に難くないけれど、冷暖房完備の病院までもがその影響を免れないようだ。

有名人では、先日の中村勘三郎に続いて今日小沢昭一さんの訃報が報道されていた。

小沢昭一さんは、映画やテレビでそれまでも知っていたのだが、一番印象に残っているのは、昭和53年に静岡に来てからラジオで「小沢昭一の昭一的こころ」と言う番組を聴きだしてからである。

毎週何かのテーマで放送するのだがその軽妙洒脱話しぶり、やんわりとした反骨精神は、仕事帰りの車の中で聞くのは気分を和らげ、楽しみであった。

そして、二十数年、仕事をリタイヤーしてからは聞く数がほとんどなくなっていたが、久しぶりに今年の夏に聞く機会があった。

なんだか違和感があったが、、、そのときは聞き流していたのでさして気にもしないでいたが、そのときはすでに体調を崩して休み、過去のものを放送していたそうとは知らなかった。

いつ聞いても、同じように聞こえていたので歳をとらないように感じていたが、やはり月日は誰にでも平等にくるもので、こちらばかりが歳をとるわけではない。

もうあの声を聞くことが出来ないのだと、、、、、、、、

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2012年12月 8日 (土)

届け損なった冬の頼り

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北日本から北陸にかけて吹雪が激しさを増して、西高東低の冬型の気圧配置になり、ふるさとからは一面の雪化粧がもたらされた。

ここ、静岡では、北アルプスと南アルプスで北からの寒気と雪ををふるい落とした風がかなり強く吹いている。

そんななか、ヒサカキの花が咲いている垣根を見つけた。

たしか、この花は春に咲くはずだったと思ったのだが、、、、、、、、

日当たりさえあれば、まだ暖かい静岡ならでの現象かもしれないが、狂い咲きと言うべきか 返り咲きと言うべきか、、、

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午後になって、いつものように蓮根掘りに向かった。

強い風は相変わらずだったが、気温は十五度と高い。

そのため、わずかながらの降る細かい雨を感じることができた。

天気雨というには少し物足りないものだったが、気温が低ければ寒気が運んできた”風花”になるはずだったものかもしれない。

とすると、この細かい雨は、届け損なった冬の便りと言うものだろうね。

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2012年12月 7日 (金)

藪の陰で真っ赤に

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藪陰の地面に冬イチゴが真っ赤な実をつけていた。

なんでも、つる性の低木と言うが、とても木には見えない。蔓を切れば年輪でもあるのだろうか。

今でもときどきつまんで食べてみるが、食べる前から口中に唾が出てくるのは、梅干と同じ理由からであろう。

とにかく酸っぱいのと口の中で硬い種の存在を感じてしまい、やっぱり野生の実であることを思い知らされてしまう。

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早い日も落ちた五時十八分すぎ、テレビの画面の上に「東北の海上で地震が起きた」と言うテロップが入った。

いつもと違って赤い字で書いてあったので、少しいつもより大きいのかな。と思ってまっていたら二十分過ぎゆっくりゆれているのが室内灯のタブで確認でき、それが、次第に激しくなり、昨年三月十一日を思い出させるほどの激しい揺れを感じた。

前の地震と違うところは、ドスンといった感じのP波がなく、ゆらゆらと長い周期地震だったことであろう。

これはかなり大きいのかなと、ちゃんねるをNHKに切り替えると、アナウンサーがいつもになく上ずった声で、「二十分ほどしたら津波が来るので高いところに避難して下さい」そのほかの注意事項をあわせて繰り返していた。

震度を見ると最高で”五弱”だからたいしたものではないのだろうが、日も落ちて暗くなったこの時期、、、、、

東北ではまた寒い夜を経験しなくてはならない人のことを思うと、国ばかりでなく、天までが弱いものを執拗に虐めるような気がしてしまう。

震度五と言うことで安心したのか、民放の方は通常番組を止めることなく、NHKだけが津波情況を繰り返し放送していたが、、、、、、この辺はどうなのかなぁ、、と、思いながらも、コマーシャル時以外は民放を見てしまう自分がいて、、、、、、

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2012年12月 6日 (木)

いい国造ろう

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初冬に咲く皇帝ダリヤ。薄紫の大輪の花を青い空に向けて、、、と、言いたいが先日来の雨に打たれてからうつむきがちのままになっている。

なんだか背ばかりが高く育った最近の子供のように打たれ弱いのかもしれない。

朝のうちに上がった雨のしずくをあちこちに残しながら、澄み切った青空からの日の光を受けて、「立ち直れそうも無い」と小さくつぶやいていた。

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「良い国つくろう鎌倉幕府」で知られる鎌倉幕府の源頼朝が征夷大将軍になったのが、西暦で1,192年のことだった。

長らく続いた天皇を中心とすする貴族政治を、当時”飼い犬”呼ばわりされていた武士団の平家が実質的に政権をとったものの、上手に貴族たちに取り込まれ、瞬くうちに堕落していった。

その平家を、追い払って新しく政権の座に着いたのが源氏の源頼朝である。

平家の有様を見て、京都を見限り遠く離れた鎌倉に本拠地を置いて、以後、南北朝の一時期天皇に権力が写ったときもあったが、徳川幕府が大政奉還するまで武家政治が続いたことになる。

そしていま、戦後六十年余続いた自民党政治から、民主党に政権がゆだねられたが、平家同様官僚組織に良いように取り込まれて一敗地にまみれようとしている様子である。

しかし、新聞報道では次の政権に自民党が返り咲きをする予想が立てられているが、これでは先祖がえりをするだけで、官僚の言いようにされるのは目に見えている。

将来、2,012年をどういう語呂合わせで表現するのか分からないが、安倍自民党総裁の言う「自衛隊を国防軍に」 「日銀の独立性を緩和する」や金持ち大企業を優遇する政策のように、決して庶民には良い国にはならないのは間違いなく、歴史の渦の中では、ノーベル賞受賞以外は忘れ去られていく年になりそうだ。

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2012年12月 5日 (水)

私は食べていません

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ピラカンサの赤い実の付いた枝にツグミがやってきて、美味しそうに実をついばんでいた。

しかし、下からカメラを構えたへんな爺さんがいるのを見ると、「私は何にもしていませんよ」って言わんばかりに余所見をし始めた。

安心して啄ばんでくれれば良いのにと思ったが、60年も前にこの鳥を食べた証拠でもあるのか、警戒を解くことなく爺さんが立ち去るまでこの姿勢を続けていた。

写真だけでは雀に似ているということしか分からないが、全長20センチを越えていて、雀よりかなり大きい鳥であるが、日本国内に入ってからは単独で行動しているようだし、鳴き声もほとんど聞いたこと無いので、すずめのように騒々しい鳥ではない。

一般に肉食を続けていた民族は、牛を見ると「美味そうだな」と思い、魚を食べていた国では水族館で泳ぐ魚を見て舌なめずりをと言われてきた。

ツグミは戦前までの乱獲がたたって、かなり数を減らし、早い時期から狩猟禁止になっていたのだが、戦後しばらく間で焼き鳥と言えばツグミをさす時期もあったほど密猟が行われていた。

そんなことから言うと、自分なんかはつぐみの味を知っているだけに、ツグミを見る目が、いやらしいのかもしれない、、、、、

今でも人への警戒心が強いのは、長年人間に捕食されてきたことが遺伝子の中にあるのかも知れない、、、、、

何しろいじめ問題でも、いじめた側は忘れていても苛められたほうは、一生忘れないと言うのに似ている、、、、、、。

          ええっ 見当違いだって

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2012年12月 4日 (火)

夜明けの雷鳴

明け方 六時少し前のことだが、突然豪快な音で目が覚めた。

朝の雷である。まるで、花火の打ち上げを傍で聞いたような破裂音に近い雷で、光ってから音がするまで、二秒とはかからなかったからごく近くで雷様が太鼓を叩いていたようだ。

今日、衆院選の幕が切って落とされようと言うその時期になる雷は、このあたりで催し物や運動会前に打ち上げ花火を揚げることを承知の上でのことだったろうか。

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残念ながら、山茶花と椿の区別は花びらの落ち方と、冬を前にして咲き出すか、真冬に咲くかの違いくらいでしか判別できない。

当然、品種改良の名の下例外が沢山あるので、間違いも多いことと思う。

花の場合は、「間違えたっていいじゃないか、綺麗でさえあれば」と言い切れるが、政治の場合はそうは行かない。

今日からしばらくは街中は騒がしいことになる。

静岡一区は、五人の争いになるが当選させたくない候補者はいるが、当選させたい人が見当たらない。

自分の一票くらいで決まるのではないのだから、白紙でと言う気持ちもあるが、当選させたくない人を手助けすることになると思うと、釈然としないものがある。

はらはらと花びらを散らすのが良いのか、ばっさりと首を打ち落とすのが良いのか、、、、、

今回は、投票日まで迷うことになりそうだ。

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2012年12月 3日 (月)

目指せ四万円

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「此処まで探ったら今日は止めにしよう。」と思った矢先、手袋を通して指に太い蓮根の感触が伝わってきた。

よほど確認だけにするつもりで探り出したら、止まらなくなって先端に先端にと、、、、

ついに掘り上げたまでは良かったが、つるべ落としの太陽は西のかたに傾き、日脚は長く蓮の枯れて折れた茎の陰を伸ばしていた。

折れた茎はさながら、戦場の矢のようにも見え、戦いすんで日が暮れて、、、、みたいな情況を呈している。

赤い夕日に照らされて、泥の厚く着いた長靴を溝に入れて洗い、自動車に蓮根を積み込んで帰った来た。

蓮根を買い取ってくれるところも出来て、これからは三っ日に明けず蓮根掘りに励むことにしよう。

何とか、春の四人分の旅費の足しになればと思っている。

      目指せ、四万円   どのくらい掘ればよいのかな。

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2012年12月 1日 (土)

白い髭を伸ばして

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仙人草がその名前の由来となった白い髭を光らせて飛び立つ時期をはかっている。

夏の間は、白い花弁の花を密集して咲かせ芳香を振りまいていた。

フェンスや立ち木にからみ付き葉っぱをもうもうと茂らせていたが、冬になって葉を落とし、ただ白く髭を伸ばしている身、、、、、、

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「じいじ、誕生日おめでとう」  「まだ一日早いよ」 昨日になって孫娘がやってきて誕生の祝いの言葉を掛けてくれた。

「じいじ 幾つになるの?」 

「ふ~ん よくそんなにすらすら言えるね。 私なんかいまいくつなのか戸惑うときがあるよ」

女の子は優しい。ほかに男の孫は3人いるが全てなしのつぶて   娘でさえが、電話を掛けてきたのに誕生日の一言も無い。

もっとも、今日の誕生日には、蓮根畑で泥遊びをやっているくらいだから、どうってこと無いんだけど、、、、

子供の時は、こんな歳まで生きるとは思っていなかったのだから、、、此処まで来たら、仙人にでもなって    

霞を食べて生きていけたらよいのだけど     さてと、一番初めは白い髭を伸ばすことから

でも 「ぶっしょったい!」の一言で挫折しそう。

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