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2013年1月31日 (木)

連日の霜に耐え

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温かい日和に、虫もじっとしていられなかったのか、はたまた腹が空きすぎて我慢が出来なかったのは、名残りの菊の花に掴まっていた。

おもわず、学校で習った「庭の千草」を思い出した。

連日の霜にやられて、葉っぱを強葉化させ赤く紅葉させて霜に耐えながら、懸命に白い花を咲かせている。

その二番に

霜にたわむや 菊の花

霜におごるや 菊の花

ああ あわれ あわれ

、、、、、、、

人のみさおも かくてこそ

この歌の元は、アイルランド民謡だったそうだが、日本では、すっかりこの歌詞で定着してしまった。

ただこの時代の編曲ならぬ編詩は文語体であるため、小学生ではなかなか理解しにくい面があり、歌いながらも意味不明の部分があったが、ほかの科目同様に丸暗記風に覚えたものである。

当時の作詞者は、大人になってからじっくりと考えさせるつもりだったのだろうか。

ともあれ、戦後の昭和はノスタルジーを書き立てるのなら、明治は歴史のなかであり、その頃の言葉は、我々が思っていた百人一首の世界なのであろう。

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2013年1月30日 (水)

腹ふくれれば

Img_0145

002十一月に長野から持ってきた林檎の痛みが激しくなってきたので、傷物を切って軒先にぶら下げておいたところ、毎日何回もメジロ訪れて、傷の部分からつついて行く。

前は庭木に挿しておいたところ、ヒヨドリが追い掛け回していたが、針金にしたところ、用心深いヒヨドリが全然来なくなった。

そのためか、食べ放題に食べたメジロは、「腹がふくれれば目蓋が下がる」ようで、傍のゆすら梅の枝に掴まって仲良く眠っていく。

人間を用心棒代わりにして、、、、、、、、、

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いまスポーツ界は、監督 コーチ陣の暴行で大揺れに揺れている。

大阪桜ノ宮高校で、自殺者を出してしまった暴力事件がきっかけになって、愛知県が調査した結果かなりの数で行われていたことがわかった。

そして、この事件の前にオリンピック女子柔道でも同じようなことが行われていたことが発覚した。

調べれば、全国でこのような事案は数え切れないほどあるだろう。

桜ノ宮高校で、体育科の生徒募集を止めると大阪市長が提案し(実際には圧力をかけ)教育委員が今年の生徒募集を中止したことで、マスコミは生徒には責任が無いなどといっていた。

しかし、大阪市長の言動には賛成しかねる部分(教育にくちばしを入れて要求を通すなど)もあるが、いまのスポーツ界にはこのくらいの喝が必要であると思う。

生徒たちは、自分のことしか頭に無いようだが、その言い分どおりにすれば、亡くなった生徒の命に対して何の反省も無く、隠滅してしまうと言う論理に賛成する。

自分としては、高校までの学校生活でやったスポーツと言えば、陸上競技と柔道剣道くらいであったが、悪いことをすればすぐ叩かれる時代だったにもかかわらず、スポーツで叩かれたことは一度も無かった。

しかるに、静岡に来て子供のボール競技を見ていたら、あまりにも汚い言葉で叱責するので、監督に「いい加減いしないか」と食って掛かったことがある。

大抵の競技の冒頭に「宣誓! 我々選手一同はスポーツマン精神に乗っ取り、正々堂々と闘うことを誓います。」なんていったいるが、これらの選手を指導する監督やコーチにはスポーツマン精神とは何か、聞いてみたいものである。

元巨人軍のピッチャーだった桑田真澄が言っていた言葉が新鮮に聞こえたのは、、、、、、、、、、

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2013年1月28日 (月)

日陰の氷

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池に張った氷。池の形に添って等高線のような模様が出来ていた。

どんな理由からだろうか、一気に張れなくて、中休みでもしながらできあがったのかな?

とすると、何が原因で中休みなのか、、、、、、、、

池に住んでいた 泥鰌っこだの鮒っこだのが 天井っこ張ったと思うべな、

春を間近に控えて最後の大寒 小さむと言ったところか。

それにしても、風もなく陽だまりはぽかぽかと春を思わせる陽気の一日だったが、昨夜来の放射冷却で氷の厚さが厚かったのか、太陽の輻射熱が伝わらなかったのか午後になっても、天井っこはそのまま残っていた。

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今朝の新聞を見て驚いた。

安倍内閣の支持率が66%だと書いてあった。選挙直後より高くなっている。

まだこれと言ったことはしていない、ただリップサービスだけで、株価は上がり円安になっていく。

経済再生のため、日銀に国債をどんどん買わせ、ダブらせたお金で円安に誘導し、物価を2%上げる。

すると企業が儲かって、従業員の給料が上がり、購買欲が出てきて生産力が上がり日本が再生すると言う図式を説明していた。

みんなこんなことを本気で信用しているのだろうか。

失われた20年というが、実はこの中で企業が儲かっていた時期があったのだが、全て内部留保に周り、海外に工場を作るなどで従業員は逆に賃金が下がった時期があったのは、知られていない。

今回も同様なことになるのは予想できないで、安倍内閣を支持しているとしたら、衆寓もいいところ、、、

政府の言うとおりなら、近いうちに給料は勿論、年金や生活保護で生活している人は、物価が上がるだけで何の恩恵も無いので、ますます生活を切り詰めるしかない。

つまり、日陰の氷みたいなもので、いつまでも冷え切っている。

まずここで、政府の計画は頓挫し、国の借金が増えただけで終わってしまうのだ。

その辺のところがなぜ分からないのだろうか。

今日から始まった国会、大政翼賛会みたいに、自民党に擦り寄っていくようなら、お先真っ暗!!!!

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2013年1月27日 (日)

有東木のケズリバナ

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澄み切った青空の下、家に閉じこもっていても仕様が無いとばかり、安倍川をさかのぼり有東木へいつものようにそばを食べに行ってきた。

家を出るときから放射冷却もあって気温は低く有東木についたころは0度を示しており、「うつろぎ」横の水道は、いつ破裂したのか、水をほとばしらせていた。

着いた時間が、お昼にはまだ少し早かったので、散歩をかねて集落をゆっくりと一回り、、、、、と、途中で玄関先に白い花を見かけたので近寄ってみると、木で細工した花が飾ってあった。

写真を写していると、同年輩の人が近寄ってきて「ケズリバナ」って言うんだよ。と説明してくれた。

なんでも、正月を前にしてどこの家でも主人が山へ行ってこの木を探してきて、木を削るのが習慣らしく、正月に飾った後、小正月(ここでは2月1日)にお宮さんに持ち寄るとのことであった。

羽鳥の「洞慶院」では同じように木を削ったお飾りを「オカンジャケ」と言うけれど、、、っていったら、、このあたりではいろいろあるようで、井川のものはもっと花の長さが長いみたい、とのこと。

ところ変われば名前も品も変わる、が、我々も子供の頃は花餅を作る木を探して、正月前になると雪をかき分け、良い木を探し回ったのと同じだなと感じてしまった。

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019久しぶりに大相撲千秋楽にチャンネルが合った。

まだ時間が早かったので、ほかに切り替えようとしたら十両に陥落した高見盛の取り組みが始まったところだったので、そのまま見ていた。

今場所は4勝9敗と大きく負け越し、来場所は幕下に陥落する地位であり、前から負け越せば引退すると言っていたことを聞いていた。

そのためか、土俵に上がったときから少し涙目に見えないでもなかったが、最後の土俵は勝った。

解説者は、「このくらいの力があればまだ相撲が取れる」といっていた。

しかし、勝ち残りの間、天井を見上げて過ぎ越し方を思い出しているような表情から、引退の決意は固いものと見受けられた。

そして、六時のニュースは高見盛の引退を報じていた。

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2013年1月26日 (土)

あわあわと

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アワアワと消えていく雪は撮影が難しい、シャッターの照準を合わせる間も舞ってくれない。


今日の日中は”風花
かざはな)がずっと舞い続けていた。

北風に舞い上がった雪が、静岡に流れ込んだらしく小さく白いものが風に煽られて上下左右に舞い飛ぶさまは、まるでススキの穂が飛ぶのとよく似ている。

しばらく舞ったあと、地上に着地するのだが、太陽の光を受けた地上は、温度が高いらしくたちまちにしてあわあわと消えていき、水滴にもならぬ、、

”風花” 読み方はフウカではなく、「カザハナ」とよび、晴天の日吹き飛ばされて舞い散る雪で、静岡や群馬のあたりでしか見られない現象だそうだ。

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夏の土用と言えば、うなぎを食べることで有名だが、いまが丁度冬の土用に当たる時期である。

土用と言うのは、五行による雑節のひとつで、立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間をいい、この時期は土の気が盛んになるので、土を動かす作業や殺生をしないようにといわれている。

しかし、どこにでも抜け道はあるようで、それ以前から行われていた土を動かす作業はかまわないそうで、この時期に初めて畑や田に鍬を入れたり、土木工事をしてはいけないそうだ。

以前に、パチンコ屋で井戸を掘る仕事を請けたことがあったが、施主はこの日までに「機械をセットして、少しでいいから掘ってくれ、機械の都合がつかないなら、そのまま引き上げて行ってくれていいから」と言われたことがあり、変な人だなと思ったが、後になって土用だったことに気が付いた。

そして、今日は退屈紛れと家に蓮根が無くなったので、静岡にしては寒い気候の中蓮根掘りに向かった。

五日前にも入っているので、土用のさわりは無いと思ったが、、、、神様はこの所作をどう見ているだろうか。

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2013年1月25日 (金)

梅は咲いたか

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朝から冷たい北風が激しく吹いていたかと思ったら、十時すぎになって急に空が曇ってきて、雨が激しく降りだした。

一過性の雨だったようで、小一時間降った後空は再び掃除した後のようにすっきりとした青空が広がった。

梅は咲いたか さくらはまだかいな

例年だとこんな感じのするころなんだが、今年は少し季節の進み具合が遅いような気がする。

いままで撮りためた写真を比べてみると、例年咲いているはずの花が撮れていない。

今年は、散歩に出かける場所が限られているためもあるかもしれないが、、、

とにかく今日になって、ようやく梅が咲き出してきたのを見つけた。

膨らんだとはいえ、蕾ばかりの木が多い中でこの木だけが咲いている。

早咲き、遅咲きと言う種類もあるかもしれないが、、、、場所もよかったのか、肥料が効いていたのか、、、、、、

一本だけとはいえ、梅の花を見るのは気分的にも暖かい気がする。

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朝のテレビは、アルジェリアからの政府特別機が羽田に到着する飛行機を映し出していた。

そのあと、機外に出された遺体に対して、10数人の黒い服を着た人々が、黙祷と花を捧げている映像がどのテレビ局に切り替えても繰り返し繰り返し写していた。

これだけ繰り返し放送されるとまた例の虫が頭をもたげてくる。

特別機で、遺体を搬送してきたことまではよいとして、映像効果を狙ってか政府関係者までが出迎える必要があったのかと、、、

たしかに、非業の最期を遂げられたということはたしかである。

しかし、政府の仕事で行っていた人たちでは無かったはずで、政府に第一義的責任は無いと思うがどうなんだろう。

同じ非業の最期を遂げたという点では、やっと先日中央道の笹子トンネルで天井崩壊で亡くなった人たちもそうであろうが、政府関係者が出かけたと言う記事は見たことが無い。

アメリカの同時多発テロのときはどうだったのか、20数人といわれているが、、、、、、、、、、そのほか、個人でテロの被害にあった人には、、、

何だかこの辺にすっきりとしないものを感じてしまうところが、偏屈物のいわれかもしれない。

それにしても、自分が海外に仕事にいっていた時代は、今から考えるとよい時代だったのだろうか。

毎年のように、カナダ、ぺルー、ボリビア、イラン、シンガポールなどに何人かづつ出かけていたが、そんな危険な話は聞いたことが無かった。

しかし、1980年代にはいり、静岡に来てからのことだが、もとの会社の仲間が、ペルーの大使館占拠事件に巻き込まれたり、中央アジアのキルギスで誘拐されたりしたことから、急速に世界情勢が悪化したようだ。

このようにして、誘拐、テロなどが頻発し始めた原因がどこにあるのだろうか。

天然ガスの生産国でありながら、国民は半分以上が仕事がないという欧米に収奪された国であり、軍部が政権を握っていると言っても過言ない国で貧富の佐賀激しいなど、国民の不満は溜まっているようだ。

政府の対策も自国民のことばかりでなく、この辺を解明して、国際社会に提言しないといけないのだが、、、、発言力の無い日本では、まぁ 無理なんだろうね。

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2013年1月24日 (木)

金のなる木

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ひとっころ園芸業者が葉っぱの幼いうちに5円玉を通して、「金のなる木」と言う名前で売り出していた。

さすがに趣味が悪いと思ってか、最近は見かけなくなったような気がするけれど、、、、

この木は何種類かあるようだが、自分の家にあるのはフチベニベンケイだと思う。

午後の日差しを浴びて、透き通ったような葉の縁が赤く染まってきれいだ。

何年か前、道端に落ちていた葉っぱを挿すでもなく植木鉢に載せておいたら今高さ25センチくらいの高さまで伸びている。

もちろん、お金を通すことも無いのでそのままに育っているが、花が咲くまであと何年かかることやら、、、、.

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東北地方をおそった地震の際、アメリカ軍が「ともだち作戦」と称して、腕にワッペンをつけて被災に入ってくれた。

当然そのときは、ありがたい行動だと思っていたが、昨年あたりから、「あれ!」って思うようになってきた。

アメリカ軍は、この作戦について68億円の予算を求めてきたというのだ、それも、最近日本の財政状況から減額してきた「思いやり予算1880億円」を5年間据え置きにする案にプラスして、、、、

なんだかどさくさにまぎれて、「取るだけとってやれ」というかのように、、

”ともだち”って何なんだろう。ほかの国の災害に便乗してお金を取るというのは、国際感覚からして、どうなんだろうか。

もし万一同様な災害が起きても、無償かどうか聞いてから受け入れないと、あとで一泡吹かせられることになる。

そんなことを思っていたら、今度は乗組員がのうち八人が1億1千万ドルの損害賠償請求を起こしていると聞いて、これもなぜ?って思ってしまった。

もしこの請求が認められたら、空母ロナルドレーガンの乗組員が次から次へと同様な請求作戦を実行するに違いなく、その費用は東電最大の株主である日本政府、ひいては国民の税金でまかなわれることになる。

さらに、当然のことながら、この請求はアメリカ軍の命令で向かったものなら軍に請求を要求するのが第一義ではなかろうか。

なんだか、”ともだち”に名を借りたたかりではないか。

彼らから見れば、日本はお人よしの「金のなる木」にしか見えないと思うのだが、、、、、、、

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植木等の歌に、こんな一節があったけ

金のなる木が あるじゃなし

質屋通いも序の口で

退職金まで前借し

、、、、、、、 

はいそれまでョ   って

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2013年1月22日 (火)

晴耕雨読ではないが

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晴耕雨読と言うわけではないが、雨の日は何か文化に触れてと、先日来行ってみようと思っていた静岡県立美術館に向かった。

10時の開館から10分ほど過ぎた時間に駐車場に着いたのだが、すでに上の駐車場が満杯の上、第2、第3の駐車場もかなり埋まってしまっていた。

車を止めて、場内整理の係員に「今日はなにかあるの?」って聞いたら、「いつもこんな調子」とつっけんどんな受け答え、さらに「昨日なんか三時間待ちで、来館者とときどき喧嘩をしているよ。なかなか言うことを聞いてくれないからね」という。

つっけんどんの理由が分かった。

駐車場から、並木のあるだらだら坂を200mほど上る間にも何人かに抜かれてしまう。

雨ふるなか、しっとりと濡れそぼった周りの景色を眺めるゆとりもないような急ぎ足で、黙々と登る人たちを見ていると「狭い日本そんなに急いでどこ行くの?」と言う交通評語を思い出してしまった。

傘をたたんで館内に入ると入場料の受付前に長い行列が続いている。

そして、受付を通って会場に入ると、人、人、人だらけ、、、、、むっとする暑さを感じる。

なんだか懐かしい空気、と思ったら半年前の夏の盛りを思わせたのだ。

各人それぞれに説明書を立ち止まって読んでいるものだから、動かない。

人垣の後から、チラチラッと覗き見しながら通り過ぎるしか手がない。

そして、来て見て分かったのだがマチュピチに限定している展示だったので、自分が勝手に想像していたものと様相が違い展示物もなんだかちゃちな感じがしてしまった。

確かに、看板は「マチュピチ発見百年 インカ帝国展」とあったのだから、こちらの期待が勘違いであったことには間違いない。

四十年くらい前にペルーで仕事をしたときに、マチュピチまで行ってはいない。

その当時、一般に知られていないわけではなかったが、遠すぎたこともあり、行ってみようと言う気はなかった。

そのかわり、リマ郊外のパチャカマ遺跡や天野芳太郎と言う人が開設していた、アマノ博物館と言うところに行き、プレインカの出土品を見たが、こちらは小さな博物館ながら展示品の数はかなり豊富だった。

0071,968年には現在の天皇も皇太子時代に行っていることから、単に日本人が造った博物館の域を超えていたと思う。

そのことから、勝手にそれに近いものの展示があると思っていた。

なかば、がっかりして駐車場に戻る道すがら、横の車道には車が渋滞の列を作っていた、、、、この調子では、今日も何時間か待ちになると思うが、、、、、、、、、、、、。

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2013年1月21日 (月)

羅漢果がみのった

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近所の庭にぶら下がっているまぁるい実、一目で羅漢果だと分かった。

大きさは、直径7センチくらい、野球のボールより一回り小さな実であるが、この時期に結実するとは知らなかった。

なにしろ、生の実を見たのは初めて、そして、木でなくつる性の植物であることも知らなかった。

名前の由来は、丸い珠を羅漢さんの頭に見立てたものか、、、薬効からきたものなのか、いずれにしろどの実も同じような大きさと形であることから、「揃ったそろった 羅漢さんが揃った、、、」を思い出させる。

もう何年位前になるのか定かではないが、「砂糖より何倍も甘味が強くて、身体によい実だ」といって、乾燥してごく軽い、黒い丸いものを見せられたのは、天竜川の川岸で仕事をしているときだった。

試しにといって、それを砕いたものに、熱湯をかけ、少ししてから飲ませてくれたたが、量が少なかったのかそれほど甘くはなく、なんだかサッカリンを思わせる味だったので、買うのをやめた。

なんでも当時は、日本では育たない果実だという説明だったが、品種改良なのか栽培技術なのか、、、、、、多分前者だと思う。   露天で何もしていないところにあったから、、、

いつ花が咲くのか知らないので、今年は注目の植物のひとつである。

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柴田さん なに考えているの

へルパーさんに聞かれて

困ってしまいました

いまの世の中 間違っている

正さなければ そう思っていたからです

でも結句 ためいきをついて

 笑うだけでした

今日、訃報が報じられた柴田とよさんの”96歳の私”という詩である。

生まれが、明治44年と言うから自分の亡くなった母親より一歳年上と言うことになる。

この人が、詩を書き始めたのは、90歳過ぎてからと言うから驚きである。と同時にこの詩のように「いまの世の中 間違っている」と断言した信念がある。

このくらいの年になると、世の中の流れには興味がないのかと思っていた自分が恥ずかしいと思った。

幾つになっても自分の周りに関心を持ち、興味を持って驚くというのがボケ防止になると聞いていたが、それを実践した生涯だったのであろう。

しかし、それを表に出さず”ため息をついて 笑うだけでした”と言うあたりがさすが、と思ってしまった。

思っていることを口に出すと、噓っぽくなってしまう。長い人生経験から、そんな気持ちがあったのかもしれない

今日、池ヶ谷の畑で海外の経験を聞かれて、つい調子に乗ってしゃべりまくった自分が恥ずかしい。

まだまだ、羅漢さんの足元に及ぶべくもない

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2013年1月20日 (日)

あんたと一緒にしないで

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日中は暖かくなって十二度を越えたが、日の出時の気温は一度だった。

麻機の沼も一部が結氷し、さすがの青鷺たちも水の中は冷たかったと見えてそれぞれに水面から盛り上がった小さな島にあがり、二度寝をしていた。

多分、夜中に沼の面を吹き渡る風によってしんしんと冷え込むここいらでは寝ることもままならなかったようで、朝の光を受け、つい眠気が戻ってきたに違いない。

二度寝は、目を覚ましたとき疲労感が強く、さわやかな寝覚めとは行かないものだが、それを承知の上でのことだろうか。

きっと「あんたと一緒にしないで」と、言うのかもしれないが、、、、そんなこと思うのは、あまりにも擬人化しすぎた想像だろうか。

それにしても、青鷺だけの朝寝も珍しいと思って写してみた。

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往年の大横綱大鵬幸喜が亡くなった。

21歳で横綱になり72歳で亡くなったそうだから、自分より一~二歳若かったということになる。

優勝回数も32回と史上最多の記録をもっているほか、同じときに昇進した柏戸と熱戦を繰り返し、柏鵬時代時代と言う相撲全盛期を作り上げたものだった。

当時「巨人 大鵬 卵焼き」なんて言葉が出来たのは、子供たちに愛されていたことを示しているが、大鵬自身はこの言葉が好きでなかったらしく、「巨人と一緒にされても困る。自分は16歳でこの世界に入り裸一貫で横綱に上り詰めたが、巨人は完成された人間を金で集めたのだから、強くて当たり前なんだ」というのを聞いた。

その大鵬に、巨人の長島茂雄氏がコメントを寄せたというが、大鵬にしてみれば「あんたとは違う」といいたいのではないだろうか。

それにしても、樺太からの引揚者の子供が、「腹いっぱい飯を食べさせる」と言う言葉に誘われて相撲界に飛び込んだのは、同じ世代の自分にはよくわかる。

昭和三十年に入ったばかりの頃は、幾分よくなったとはいえ、それまでずっと腹をすかしていて、秤にかけて貰う寮のご飯では足らず、毎日、10円ほどのコッペパンを買い食いしなければ腹が持たなかった。

月々、手取り千七百円ほどしかない給料のうち、300円がパン代であり、卵なんて月にいくつ食べられたことだったか、、、、、、

そんな時代の腹いっぱいはとても魅力があったことだろう。

ひるがえって、いまの子供たちを相撲取りにするには、どんなくどき文句があるのだろうか。

食事はおろか、欲しいものは全て手に入る時代に、、、、兄弟子は「無理偏にゲンコツ」とは行かないまでも、ハングリー精神がなくなり、身体の痛い職業は日本にはもう育たない競技ではないだろうか。

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2013年1月19日 (土)

見つけてくださってありがとう

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落ち葉に囲まれた下草に艶々した青くて丸い実を見つけた。

まるで草の間に落とした宝石が散らばっているように、あっちで光り、こっちでぴかり、、、、、と

まだ子供の頃、この実を”蛇の髭”と習った。

「蛇に髭なんてあるかな?」というのがそのときの感想だったが、後に、別名を”龍の髭”と聞くに及んで「龍には髭があるもんな」と納得した。が、どこが龍の髭?とまた疑問に思った。

どうも花や実ではなく、細い葉っぱを見立てて名づけたようだが、この草は、花も下向きに咲かせ、実も熟れるまで緑色の珠を草の下に隠して見つけにくい状態にしている。

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「生きているうちに見つけてくださってありがとうございます」

今年の芥川賞を受賞した黒田夏子さんの言葉であった。

なんでも、新人の書き手に与えられる芥川賞では、最高齢の75歳だそうだ。

まさに生きているうちに、、、が実感として分かる年頃の自分は73歳。

かなり長い間執筆活動をされてきたようだが、自分としてはこの人の本は読んだ覚えがない。

もちろん、今回受賞になった本も知らない。

興味があるので一度読んで見たいとは思っているが、ミーハーと思われても嫌なので(古臭い言葉)ブームが去ってからにしよう。

なにしろ、流行り廃りの激しい世の中、案外早く古本屋でお目にかかれることと思う。

新聞の解説など見ると、横書きでひらがなの多い文章で書いてあるそうだ。

難しい文字が高尚と思っているわけではないが、そういう意味からいうと、小むつかしい漢字を使用したがる自分なんか恥ずかしい限りである。

「で、小説なんか書いたことがあるか?」だって、とてもとてもそんな文才や構想があるわけがない。

前に書いたことと、まるで逆のことを平気で書く自分だから。。。。

つまり、そのときそのときの気分で書くブログが精一杯、だからうらやましいともなんとも

いけないいけない書けば書くほど

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2013年1月18日 (金)

素心蠟梅

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先日来咲き出していた蠟梅も花の数を増やして、いよいよ真っ盛りになったようで、ほのかなかな香りを撒き散らすようになった。

葉っぱに先駆けて咲き出す花は、快晴の青空。さえぎるもののない太陽の下、蠟細工のように半透明の花びらは陽の光を透き通して、今にも溶けそうな感じがする。

この花には、梅と言う字が後についているが、梅の仲間ではなく、ただ花が梅に似ているというだけで付けられたようだし、正確には”素心蠟梅”とまるでお坊さんのような名前がついている。

ただの蠟梅といった場合、花びらの中央が少し赤みがかっているものを言うのだが、自分の目から見た感じでは、全てが黄色一色のほうが、本当の蠟梅といった感じがしてならない。

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「軌を一にする」というのは、今ではやりかたを同じにするという意味で使われるが、語源としては中国の秦の始皇帝が国を統一したときの宣言文にまで遡るという。

それまでは、各国それぞれに違った車幅の馬車を使っていたのを、同じ幅にすることで轍の幅が同じになり走りやすくなった。

始皇帝が、わざわざこんな宣言を出すくらいだから、それまでは、幾種類もの馬車が通るたびに前者のわだちに嵌って難行としていたに違いない。

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三十数年前までいた飛騨。冬になるといまのように除雪作業も行き届いていなかった頃のことだが、ドカ雪が降るとと大型トラックに踏み固められた雪道は、トラックの轍で氷の溝が出来た。

その後を乗用車で走るには、片側を轍に入れなければならず、そうすると片側のタイヤは轍の間に高く盛り上がった部分を走らせることになり、かたがったままの不安定な走り方を強いられた。

特に狭い道でのすれ違いには、轍からはみ出してすれ違うのだが、これがなかなか出られず、往生をこいたものだった。

静岡に来て以来、冬になるとスタッドレスタイヤに履き替えてはいるが、雪道の運転はほとんどしていないので、凍った道でスリップでも始めようものなら、素心蠟梅ならぬ周章狼狽してしまうことだろう。

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2013年1月16日 (水)

三つ巴の戦争中

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ん、どっちがうまい?


狭い我が家の庭でいま三つ巴の戦争が続いている。

原因は、例年のように庭の木の枝に突き刺している蜜柑と林檎なのだが、自分としては、メジロの餌にしたいと思って用意をしたものである。

ところが、メジロのほかに腹をすかせたヒヨドリがここに餌のあるのを知って、連日のように押しかけてくる。

ヒヨドリは、メジロに比べれば何倍も大きな身体を持っているためもあって、その食欲にはかなりはなはだしいものがあり、餌を食い散らかして、人の姿を見れば、けたたましい声をあげて、非難するように飛び去る。

その声と食べ方に辟易して、庭に来ると手を叩いて追っ払ってしまうことにしている。

ところが、これを感じ取ったのか、最近ではメジロが餌をついばんでいると、それを追っ払うかのように、ヒヨドリが目の届かなくなるところまで追尾していく。

つまり、ヒヨドリが来ればにんげんが追い払い、メジロが来ればけたたましい声とともにヒヨドリがやってくる。

日の出から日没まで、、、、、、狭い庭には鳥の鳴き声とかしわ手の音が響き続けている。

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スポーツの国際大会で日本人選手が活躍すると、テレビの放映が多くなり、衰退するとしなくなるのは世の常であるが、最近は女子のジャンプがあると、ほかの何をさておいても見てしまう。

高木沙羅選手。天性のものがあるのだろうが、あの小さい身体でよくあれだけのジャンプが出来るものと思ってしまう。

一回目で首位を取れば、もう勝ったも同様の気分で見てしまうところもあるが、一回目にたとえ三位くらいに沈んでも、安心してみていられるから不思議である。

よく日本人選手はプレッシャーに弱いといわれ、ここ一番のときにはガチガチになってしまった結果、、、、、というのが多かったが彼女にはそれがないのだろうか。

日の丸飛行隊といわれた札幌オリンピックいらい、日本男子のジャンプ陣は低迷しているが、その理由として、背丈が低いのでスキーも短くされたため、と、言い訳していた。

しかし、「それなら彼女はどうなんだ」と言いたいし、いまだに長野オリンピック当時の選手が上位陣に入っているということがうまく選手を育てられなかったことを如実に示している。

大阪の高校でバスケット選手が自殺して、体育界の旧態依然としている指導方法がジャンプ陣の中にあるとは思えないが、、、、いや、思いたくないが、選手が育たないのはなにか欠点があるに違いない。

時代も変われば、人間の気質も違う。

言葉汚くののしられ、叩かれたことに発奮して育つということは今ではありえない。

いまの人は、  ほめられて 伸びるタイプです なんだから、さ、、。

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2013年1月15日 (火)

初冠雪

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富士山の場合「初冠雪」というのは、実際に降った日ではなく、麓から見て山が白くなった日を言うそうだ。

その伝で行くと、静岡市のシンボル的山「龍爪山」はこの冬の初冠雪ということになる。

006wしかし、どこから見ても真っ白と言うわけでなく、よく見ないと分からない程度だからあまり威張れないのだが、、、、

昨日、関東地方が5cmほどの積雪で大騒ぎをしていたが、ひょっとして、静岡も周りの山がいくらかでも白くなっていないかと、日の出早々に出かけてみた。

龍爪山は、その標高を1,048mと決して低い山とはいえないが、飛騨山脈(北アルプス)、赤石山脈(南アルプス)など3,000m級の山を屏風代わりにし、北風をさえぎっているためなかなか北西からの雪雲が近づけない位置にある。

しかし、「この山に三度雪が降ると春になる」言い伝えがあるため、後二回は白くなる可能性がある。    でなきゃ季節が進まない!。

とりあえず、春に一歩近づいたということ、、、、、、、、、、、、、

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今日は、郵便局にクレームを付けに行った。

というのは、一月十日になって普段は遅れずに来ていた中学の同級生からの年賀状が届いた。

宛名の場所に、紙をセロテープで張り、そこにこちらの住所が書いてあり、新年の挨拶の次に、「あて先不明で戻ってきたけれど住所が変わりましたか」と言う言葉が書き添えてあった。

早速、上に張った紙をはがしてみると、郵便番号は間違いなし、宛書に葵区が抜けていたことと、一番最後、番地の後ろにつく五号というのが抜けているだけだった。

そして、翌日墓がある飛騨のお寺から来た手紙はもっと簡単で二の十七(仮番地)だけで届いている。それも名前の字が間違っていたのに、、、、

なぜそうなったのか、電話で問い合わせたが郵便局に落ち度はないの一点張り、、、、こちらとしては、「郵便局の謝罪と再送付の50円切手を差出人に送って欲しい」ということだったが、頑なに拒否の姿勢を崩さなかった。

多分、担当者としては組織の落ち度を認めたくなくて、頑張ったものと思うが、結果的には社会的信用をなくしたことに気が付かないことと思う。

テレビのドラマなどでも、警察の権威を守るためと幹部が捜査に圧力を掛ける場面が出てくるが、あれは、丸っきりの作り事とは思えないし、学校のいじめなどでも、学校長や教育委員会が事を荒立てないようにと隠蔽してしまうのも同じことであろう。

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2013年1月14日 (月)

野生の真価

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久しぶりに朝からの雨降り。いつまでも外は暗い。

そんな中やってきた一羽のメジロ。

背中に雨粒を付けたまま、一昨日から木の枝に刺しておいたみかんを食べに来ていた。

刺して以来メジロやヒヨドリに食い荒らされて、残り少ない蜜柑だが食いだめの聞かない鳥にとってはこんな雨の中でもじっと耐え忍ぶわけには行かないようで、夢中になって食べている。

窓のガラス越しにだが、フラッシュを焚かなければ映せないので、何度かフラッシュを光らせたが、物怖じもせずに蜜柑に取り付いたまま、、、、、、、

そこには、普段見ている可憐とかヒヨドリに追い回される弱弱しさのかけらもなく、こちらを睨み据えているふてぶてしさえ見受けられる。

野生の生き物とは、こういうときに真価を発揮するものなのだ。

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静岡では昨日うのうちにほとんどの市町で成人式が済んだようだが、正式には、今日が成人の日というそうだ。

久しぶりの荒れ模様は、東京のほうでも雪になったとかで晴れ着の心配も増えているに違いない。

そんななか、天気予報でも言っていたが、静岡以外の東海各県は平野部でも最高気温が5度に満たないそうで、氷雨に近い情況のようだ。

その放送を聴いて家の寒暖計を見たら9度を指していたので、「やっぱり、静岡は人間ばかりでなく気温も   ぬくといわい!」と

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2013年1月13日 (日)

どんど焼き

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上の写真は三年前のもの、右の炎は今日の到着時

夜も明けやらぬうちから花火が上がった。

近所で準備をしていた「ドンど焼き」を始める合図だろうと想像した。

九時になって再度上がったのが火をつけた合図だったらしく、現場に行ったときには昨日立てていた柱は燃え落ちて、下の枯れ草などが勢いよく燃えている最中だった。

麻機のバイパスのそばの「どんど焼き」はこのあたりでは規模も大きいようで、獅子舞いや木遣り、太鼓なども参加して賑々しくやっている。

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028火が収まるころ、火の中に放り込んであった橙の焼け焦げた物を引っ張り出し、篠竹に突き刺して持って帰る。

ところ変われば品変わる。   どんないわれか知らないが魔よけになるそうだ。

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こどもころ、飛騨では「どんど焼き」とは言わずに「佐儀長」といった。

そのころ、青年団に所属する若い衆が、雪の山に登って高さ3mほどの杉の木を切り倒して、広場の真ん中に立て、その周りを枯れ木などで取り囲み準備していた。

我々子供たちは、書初めをと餅を持って出かけ、夜暗くなってから燃え上がる書初めが高く飛び上がるのを眺め、杉の葉っぱがぱちぱちとはじけるような音不思議な気持ちで見たものだった。

杉の木が倒れた後、持参した餅を火の中に入れて、表面が焼け焦げて真っ黒になっているのに、中はまだ硬い餅を食べるのが嬉しかった。

何しろ、戦後の食糧難の頃、親がどう工面してあつらえたのか餅と言うものは、普段の雑炊や薯類などの常食に比べ格段の味がした。

#正月ぁ好い あっぽ食って好い、、、の時代はまだそのころの常識だった。

現在は、その頃にくらべれば飽食に時代。普段からすき放題に育った子供たちにとって、「どんど焼き」はどんな意義があるのだろうか。

飛騨の佐儀長といった頃は、小正月の行事として、決まった日に毎年行われるものだったが、最近では全ての行事が土日に振り替えられる。

書初めの風習もなくなった。いま、意義か分からなくなった、これらの行事もいつまで続くやら

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2013年1月11日 (金)

うたかたの日本

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#北風吹きぬく 寒い朝も

   心ひとつで  暖かくなる

そんな歌があった、、、当時のアイドル吉永小百合が歌ってヒットした曲だった。

久しぶりに出かけた静岡市門野の安倍川河川敷。

年末に、安倍川河口近くの砂利採取場でダンプカーの運び出し量を記録する券取りという仕事をしたのだが、同じ仕事を新東名静岡インター傍でやっているので、一日で良いからやってくれと言う話し、、、

断りきれなくて、朝七時過ぎに現場に行く。

007風はそんなに強くはないが、さすがに河川敷だけあって寒さが深深と身に染み、なかなか「こころひとつ」では暖かくならない。

「静岡の寒さなんか屁とも思っていなかったが、俺も弱くなったな」と思いながら傍らの砂の山を見ると、でこぼこした斜面の出っ張りの部分が白く輝いていた。

まるで砂糖菓子みたい。なんて見ていたが、、、、それから三十分朝日を受ける間もなくどこかに消え去ってしまった。

うたかたの白い 縁取り

色不異空 空不異色 

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アベノミクスとやらで発足した政府の緊急経済対策とやらで20兆2千億円を投入しGDPを2%押し上げ、景気を回復させるため公共事業を主に行うというむかしの自民党路線に戻った政策を勧めると決めた。

デフレ脱却のために日銀に圧力を掛け、市中に札束を氾濫させようとしている。

本当にこんなことで景気が上向くのだろうか。またむかしのように一部の人だけが潤って、一般市民は給料が上がらないのに物価だけが上がるという往復びんたの経済になりかねない。

「前民主党政権はばらまきに終始した」と批判し、返す刀で公共事業のために大幅な借金をして、ヨーロッパの二の舞を踏みかねない国際の格下げなどを起こしては、安倍総理自ら「美しい日本」に泥を塗ることになるのだが、誰かこれを諌めるものがいないのだろうか、、、、。

泡沫(うたかた)の日本     色即是空 空即是色 というほど達観していない身には疑心暗鬼ばかりが色濃く残る

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2013年1月10日 (木)

鼻の奥がつーん

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先日まで苔むして立っていた桜の木。「風格が出てきたな」と思っていたら、いつの間にか切り倒されており。その切り株を見ると、中の部分がボケてしまっていた。

これを見ていたら、人間も同様なのかなと思ってしまい、哀れを感じてしまった。

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005いつの世でもそうだが、若い世代に権限を譲ると言うことができない老人がいる。

政界に、球団に、、、、と言えば、すぐに思い当たる人が何人かいる。

彼らにしてみれば、「五十代六十代の若造に任しておられるか!」と言うのが感想だろうけれど、傍目から見れば、老害も良いところ、と言った感じでしかない。

長い人生経験に裏打ちされた言葉は、いかにも風格があり、子供どころか孫のような新聞記者を相手に威圧的態度で「もっと勉強してから質問せよ」なんてほざいている。

しかし、事実は桜の木のように中が腐っており、固定観念から人の意見を吸い込む余裕もなく、表面はごまかせてもいつ倒れる分からない状態である。

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そんな自分もその年齢に一歩一歩と近づいているが、何の権力もないため影響がないどころか、鼻にも引っ掛けてくれない。

それでも、正月には娘婿が孫たちに「じいじがいるからこうして集まれるんだよ」なんて土砂を掛けられて、、、、、、、

酒を飲みすぎて感情が高ぶっていたばかりではなく、  じいじ 思わず鼻の奥がつーん

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2013年1月 9日 (水)

食べてもらいたくて

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種を包んでいた苞まで赤く染めた蔓梅もどきが落果の時期を迎えたようで、地面には点々と赤い実がこぼれている。

”蔓梅もどき”とは、梅もどきという木の実に似た実を付けることから名づけられたと言うが、色といい形と言いあまり似ているとは思えないし、植物の科も違う。

そして、梅もどきも本物の梅とはまったく違うものにしか見えないことから、蔓梅もどきは本家「梅」とは似ても似つかない物になっている。

きれいに染まった梅もどきの役目は、鳥に食べてもらって種を遠くに散らばせようとする目的だったようだが、こんなに地面にこぼれるようでは、その目的も空振りになってしまったのかもしれない。

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最近インターネットの動画見ていると、古来犬猿の仲といわれた犬と猫が争うことなくじゃれあうのは当たり前すぎて写す価値もないようだが、インコが猫にまつわりついたり、ネズミに懐かれて逃げ惑う猫などが映し出されている。

これは、動物の本能から言ったらとんでもないことなのだが、人間からもらう餌で飽食の胃袋と言うより、脳の構造がおかしくなってきているのではないだろうか。

その影響が野生の動物にまで影響しているのではないかと思われるのは、蔓梅もどきのように、食べ物がないこの時期に実が地面に落ちるまで放っておかれるのはほかに何か食べ物があってのことか、はたまた、食料にする小鳥の数が減ってしまってのことだろうか。

そういえば、先日の新聞にも雀を見かけることが少なくなったと言う記事があった。

どんな生物にも栄枯盛衰はあるのだろうけど、、、、、増えたのはカラスとムクドリと土鳩ばかりとか、、、、、その鳥たちに今日も、安東川沿いの野道でパン屑を撒いているさびしそうな人を見かけた

こちらとしては、もっと色彩豊かな小鳥が増えて欲しいのだが、、、、

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2013年1月 8日 (火)

脂気がなくなって

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全国の競輪 競馬 競艇場などの出入り口に面した主要道路を「おけら街道」という。

ギャンブル好きな人はこのレースで当てて一儲けをと願っているうちに、有り金全てをつぎ込んで、レースが終わったときにはすってんてん     。

肩を落としうつむき、後悔しながら歩いて帰ることから名づけられたそうだ

上の写真が本家本元のおけら、漢字では螻蛄と書く。

しかし、有り金全てを取られた人が、この虫のどこが似ているのだろうか、一説には正面から見ると前足を広げているところ、すなわち、お手上げ状態を言うとあるが、定かではないそうで、、、、、、、、

この虫はなんでもこおろぎの仲間だと言うが、色と羽根はともかく頭でっかちで足が短かくてこおろぎに似ているようないないような。

昨日の蓮根掘りの最中に地面から掘り出されたものであるが、土の中にいても身体には泥が全然ついていない。

なにか、体表に脂みたいなものがあって身体に着かないように出来ているみたいだ。

今の時期、土の中のほうが温度が高いのでいきなり寒い地表につまみ出されてふてくされているような感じであったが、そのうち、水の上を滑るように逃げさってしまった。

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風呂から上がって、少しすると踵がざらついているのを感じる。

見ると、白くひび割れたようになっているので、クリームを塗って靴下を履く。

六十代まではこんなことなかったのに、此処二~三年次第に程度が悪くなってきているようだ。

やはり歳をとると、こんなところから老化が目に付くようになってくるのだろう。

水気がなくなったのか、いや、脂気が無くなって潤いがなくなったのだろうか。

おなか周りには、たくさんの脂肪が巻きついているので、脂気がなくなったとは思えないのだが、、、、、、、、

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2013年1月 7日 (月)

タネツケバナが咲き出して

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今日は七日正月。そろそろ酒の気も失せて、仕事も本格的に気合を入れて取り掛かるころである。

恒例の七草粥も大根とカブ、そして、昨日摘んでおいた芹を少し入れただけの省略粥で格好をつけておく、、、、、、なんでも省略

正月寒波も去り、気温も幾分高くなったとはいえ朝夕は厳しいものがあり、今日掘ってきた蓮根にシートをかけて霜よけをしておいた。

田んぼの縁には、早くもタネツケバナが白い花をつけて、フライイング気味の春をスタートさせている。

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先日の新聞報道によると、福島原発の放射性物質を除染する作業がかなりいい加減だったことがわかったそうだ。

国が決めたように落ち葉や除染に使った水の処理をせずそのまま川に流してしまうなど、かなり手抜きをしていたそうだ。

それも、作業員が面倒くさがったのではなく、監督の指示がそうだったようだ。

原発関連の工事は、いままでもかなりいい加減で仕事を請け負ったゼネコンから実際に現場で働く作業員までの間に下請け会社が六社も入っていて、そこを通るたびに少しづつピンハネがなされ、作業者には半分ほどの賃金しか払われていないなどと言われてきた。

多分除染作業もそんなところがあるのではないだろうか。

国のほうも、新聞に報道されてからあわてて調べるのではなく、もっと現場に入って、実際に仕事をしない会社に仕事を受注させないだけの監視が必要だったはず、、、、、、、、

日本はあまりにも性善説をとりすぎる嫌いがあるが、これも、お役所が失敗しても責任を追及されないことにあるのではなかろうか。

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2013年1月 6日 (日)

さながら夫唱婦随

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先年来行われてきた、麻機沼のダイオキシン除去作業も一応終わったようで、沼の中に生えていた草なんかもなくなり、すっきりとした水面が広がっている。

しかし、すっきりしすぎて広くなったように見えるためか、隠れる葦などの草が少ないためか、冬鳥の数がまばらにしか見えない。

テレビで見るほかの沼では、氷の上を滑ってよちよち歩きをしている鴨や雪の降る池で餌に群がっている鳥たちが映し出されているが、それより暖かいと思われる麻機までやってくる鳥が少ないのは、生まれ故郷から少しのことのように思われるが遠すぎるのだろうか。

そんななか、久しぶりにマガモの集団を見た。

普段は水面を遊弋している彼らも少し寒さを感じたのか、人が近づきにくい草の上で日向ぼっこをしている。

しばらく遠目で見ていると、そのうちつがいが一組水面に滑り降りてきてデートを始めた模様、、、、、

さすがに手はつながなかったが、夫唱婦随と言うか色鮮やかな雄の後を三歩さがった感じの雌がついていく。

そして、、、、、振り返って見つめ合う。

出掛けに、些細なことで口喧嘩をしてきた我が身にとって、、、、、、、

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2013年1月 5日 (土)

小寒

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小寒の今日も強い寒気が残ってこの冬一番の寒さとか言っていたが、気温はそんなにさがっていなかったようで、麻機沼の全面結氷とまでは行かなかった。

009霜柱も、湿気の多いところでは5センチくらい伸びており、これだけ伸びるのは長時間寒かったのかもしれない。

ただ、例年だと、この時期から紫色のホトケノザやコバルトブルーのオオイヌフグリの花が地面にこぼしたようにして咲き出しているのだが、、、、、、少し咲きようが少ないような気がする。

また、静岡近辺では蜜柑が裏年に当たるとかで量も少ないようだが、かてて加えて、熟しようも遅く、昨日いつも分けてもらっている農家に電話したところ、取り入れはしたものの自信を持って出せるようなものが少ないので月半ばまで待ってもらえないかとのことだった。

これも去年の気象が関係しているのかもしれないが、、、、、、、

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そういえば、今日のテレビでマグロ一匹に一億五千万円ほどの値がついたという。

マグロではブランドになる大間のマグロだそうだが、史上最高といわれた昨年の3倍だと言うのを聞くと、少々馬鹿げているのではないかと思う。

せりという以上、この値段に対抗して値段をつり上げた相手がいることと思うが、此処まで来るとマグロそのものより意地だけで競り落としたに違いない。

いずれにしろ、明日食べるものがなくひもじい生活を送っている世界の人々から見ると、無駄食いもいいところではないだろうか。

人間界の将来になんとなく怪しい予感がするのは    いやいや

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2013年1月 4日 (金)

こいつぁ 春から縁起が好いわい

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今日は官公庁の仕事始め。

それに倣ったわけではないが、家の中に閉じこもっていても退屈していたので、蓮根掘りに行ってきた。

此処しばらくの寒さで蓮田には、うっすらと氷が張っていたようで、あちこちの水溜りには氷が残って浮かんでいた。

年末、田の神様にと、松の枝に幣をつけてお礼の意を表してきたが、今日は地の神様に手を着ける許しを願った後蓮田に入る。

しかし、今日は風もなく、体感温度は十度を超えているといった感じ、用心に少し厚着をしていったのがわずらわしくなるほどだった。

成果は上々、、、、「こいつぁ 春から縁起が好いわい」とでも言っておこうか。

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今日は、株式市場の大発会とかで年末にダウ平均一万円を越えていたのをさらに更新して賑わったようだ。

株式と言うものは、むかし、親が持っていたものを友達に売りさばいてもらっただけで、縁のない商品であるが、安倍首相が選挙中に発した言葉だけで上昇を初めた。

実際には首相に就任してからも、リップサービスだけで何の手も打っていないのに、期待感だけで値上がりすると言うのは、素人の自分には分かりかねることである。

さらに、今日の値上がりもアメリカが富裕層に少し増税すると言うだけのもので、本質は先送りしているそうだから、、、、まるで、ぬか喜びしているだけではないかと言う気がする。

多分この値上がりにつられて買って、また、泣きの涙を見る人が沢山出ることだろう。

まぁ、これは自己責任でやることだから宝くじや競馬と同じことだけれど、、、、

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2013年1月 3日 (木)

いかざぁ なるまい

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麻機田んぼの上空で、強い風に向かって凧のようにとんびが空中を漂っている。

ほとんど羽ばたくこともなく、右に左にと揺れていたが、そのうち、大きく旋回してたちまち芥子粒のようになって視界から消えていった。

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夕方になって、富山県に住む友人から電話がかかってきた。

年賀状に、こちらの携帯の番号を書いて送っていたので、その確かめもあったのだが、年賀葉書では書ききれない部分の近況報告もあってつい長電話になってしまった。

彼は、小さな集落の道を挟んで向かい側の家に同じ年に生まれ、小学校まで良く遊んだ、それこそ本当の幼友達である。

たびたび、仕事の関係やもろもろのことで、関係も途絶することがあったが、自分としては決して切れない絆として、返事がたとえ来なくても年賀葉書だけは絶やさないようにしてきた。

そして、今日もとにかく富山まで会いに来いという。電話さえくれれば出てくるからと、、、、、、、

「互いにこの年になるとね、人恋しくなるというか」なんて言葉を聴いていると涙が出そうな感じになる。

小原庄助さんではないが何とか機会を作って、、、、「いかざぁなるまい えぇ~顔見せに」

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2013年1月 2日 (水)

年の初めの

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年の初めの試しとて   ではなかったが、浅間神社に初詣に行ったついでの運試しならぬ体力試しに挑戦した。

いつものようにいくつかのお宮さん参りの後、麓山神社に登る百段階段を一気に昇れるか、一分以内に上がりきれるかであった。

百段階段、傾斜は約30度だが、見た感じはもっと急であり、実際には105段である。

携帯電話のストップウウォッチ機能を利用して人の少ない時間を見計らって昇れば48秒で登りきることができた。

まずは合格  年寄りが自己満足のため人に気付かれないようにやっていることなので顔には出せないが、、、、、内心にんまりと

その勢いを持って、慰霊碑のある山頂を目指したが、後から上る若い二人連れの足の速いこと      次第に距離が縮まるのが話し声で分かる。

駅伝などのとき、後の声援で距離が縮まってくるのが分かるように、、、、、

これもまた、抜かせればよいものを、百段階段を予定通り昇った意地から、”年寄りの冷や水的”に足早になり頂上に着いたときは幾分息切れしてしまった。

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夕方になって、孫たちが集まってきた。

一番上は二十一歳となり、ほかの孫たちにお年玉を配れるくらい成長した。

やはり、お兄ちゃんとしての威力を示したいらしいが、本人も少しチャラチャラしているのを気にしている様子、しかし、今日はほかの親が煽てるものだから気分をよくしている様子。

その弟は、定時制に通っていたが今年四年間の学業を終え、就職も決まったとのこと、、、、仕事をしながらよく四年間頑張ったものと褒める。

「よく頑張ったね、この調子で仕事にも頑張れば、どんな仕事でもやりがいが出てくるから、よほどのことがない限り転職なんて考えないでね」と説教調になったのもかまわず、じいじはくどく言う。

一番下は今年中学3年生。かなり無口になって人の話を聞いているばかり、ほかの孫たちに圧倒されているのか、、、、

中で紅一点の娘はこまごまと手伝いに、、、、

みんな良く育ったものだとじいじの笑顔にひさしぶりの大きな笑い声が出る。

こんなことがいつまでも続くことを期待して、思わず写真を写しまくる。

賑やかな夜はすこし近所迷惑だったかもしれない。

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2013年1月 1日 (火)

初日の出が遅れた分

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日の出時の空


日の出時になったが日本平の向こうには低い雲がかかってなかなか確認できない。

それどころか手前の雲が下にさがってそれまで隙間のように見えていたところまで下がってきた。

「まるで鍋蓋みたいに、太陽を押さえつけてしまったよ」と言う声が聞こえてくる。

今年も、例年のように池ヶ谷の上の小山に登ってきたのは八人ほど、、

普段から顔を合わせている人たちばかりだから、特にこれといってかしこまった挨拶は抜きの人ばかりのご来光待ち。

それぞれに好きな酒と肴を持ち寄り、初日の出を待つのがここ数年の自分の習慣になってしまった。

遅れに遅れて、雲の上に太陽が顔出した頃には、自分が持っていったホットウイスキーは空になり、さもしくも最年長の御仁が持ってきた4合ビンにまで口をつける始末で、すっかりと出来上がってしまった。

よろける足元に注意しながら降ったのは、日の出から大分たって八時過ぎになっている。

帰り着けば、早々に届いている年賀状。故里からは、今年は雪の量が多くて、、、と、年賀状のはしばしに書いてあるのをよそ目に風もなく穏かな新年の幕開けとなった。         。

どうか今年も昨年同様   平穏無事で過ごせれば申し分ないけれど

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