どんど焼き
夜も明けやらぬうちから花火が上がった。
近所で準備をしていた「ドンど焼き」を始める合図だろうと想像した。
九時になって再度上がったのが火をつけた合図だったらしく、現場に行ったときには昨日立てていた柱は燃え落ちて、下の枯れ草などが勢いよく燃えている最中だった。
麻機のバイパスのそばの「どんど焼き」はこのあたりでは規模も大きいようで、獅子舞いや木遣り、太鼓なども参加して賑々しくやっている。
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火が収まるころ、火の中に放り込んであった橙の焼け焦げた物を引っ張り出し、篠竹に突き刺して持って帰る。
ところ変われば品変わる。 どんないわれか知らないが魔よけになるそうだ。
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こどもころ、飛騨では「どんど焼き」とは言わずに「佐儀長」といった。
そのころ、青年団に所属する若い衆が、雪の山に登って高さ3mほどの杉の木を切り倒して、広場の真ん中に立て、その周りを枯れ木などで取り囲み準備していた。
我々子供たちは、書初めをと餅を持って出かけ、夜暗くなってから燃え上がる書初めが高く飛び上がるのを眺め、杉の葉っぱがぱちぱちとはじけるような音不思議な気持ちで見たものだった。
杉の木が倒れた後、持参した餅を火の中に入れて、表面が焼け焦げて真っ黒になっているのに、中はまだ硬い餅を食べるのが嬉しかった。
何しろ、戦後の食糧難の頃、親がどう工面してあつらえたのか餅と言うものは、普段の雑炊や薯類などの常食に比べ格段の味がした。
#正月ぁ好い あっぽ食って好い、、、の時代はまだそのころの常識だった。
現在は、その頃にくらべれば飽食に時代。普段からすき放題に育った子供たちにとって、「どんど焼き」はどんな意義があるのだろうか。
飛騨の佐儀長といった頃は、小正月の行事として、決まった日に毎年行われるものだったが、最近では全ての行事が土日に振り替えられる。
書初めの風習もなくなった。いま、意義か分からなくなった、これらの行事もいつまで続くやら
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