羅漢果がみのった
近所の庭にぶら下がっているまぁるい実、一目で羅漢果だと分かった。
大きさは、直径7センチくらい、野球のボールより一回り小さな実であるが、この時期に結実するとは知らなかった。
なにしろ、生の実を見たのは初めて、そして、木でなくつる性の植物であることも知らなかった。
名前の由来は、丸い珠を羅漢さんの頭に見立てたものか、、、薬効からきたものなのか、いずれにしろどの実も同じような大きさと形であることから、「揃ったそろった 羅漢さんが揃った、、、」を思い出させる。
もう何年位前になるのか定かではないが、「砂糖より何倍も甘味が強くて、身体によい実だ」といって、乾燥してごく軽い、黒い丸いものを見せられたのは、天竜川の川岸で仕事をしているときだった。
試しにといって、それを砕いたものに、熱湯をかけ、少ししてから飲ませてくれたたが、量が少なかったのかそれほど甘くはなく、なんだかサッカリンを思わせる味だったので、買うのをやめた。
なんでも当時は、日本では育たない果実だという説明だったが、品種改良なのか栽培技術なのか、、、、、、多分前者だと思う。 露天で何もしていないところにあったから、、、
いつ花が咲くのか知らないので、今年は注目の植物のひとつである。
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柴田さん なに考えているの
へルパーさんに聞かれて
困ってしまいました
いまの世の中 間違っている
正さなければ そう思っていたからです
でも結句 ためいきをついて
笑うだけでした
今日、訃報が報じられた柴田とよさんの”96歳の私”という詩である。
生まれが、明治44年と言うから自分の亡くなった母親より一歳年上と言うことになる。
この人が、詩を書き始めたのは、90歳過ぎてからと言うから驚きである。と同時にこの詩のように「いまの世の中 間違っている」と断言した信念がある。
このくらいの年になると、世の中の流れには興味がないのかと思っていた自分が恥ずかしいと思った。
幾つになっても自分の周りに関心を持ち、興味を持って驚くというのがボケ防止になると聞いていたが、それを実践した生涯だったのであろう。
しかし、それを表に出さず”ため息をついて 笑うだけでした”と言うあたりがさすが、と思ってしまった。
思っていることを口に出すと、噓っぽくなってしまう。長い人生経験から、そんな気持ちがあったのかもしれない
今日、池ヶ谷の畑で海外の経験を聞かれて、つい調子に乗ってしゃべりまくった自分が恥ずかしい。
まだまだ、羅漢さんの足元に及ぶべくもない
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