連日の霜に耐え
温かい日和に、虫もじっとしていられなかったのか、はたまた腹が空きすぎて我慢が出来なかったのは、名残りの菊の花に掴まっていた。
おもわず、学校で習った「庭の千草」を思い出した。
連日の霜にやられて、葉っぱを強葉化させ赤く紅葉させて霜に耐えながら、懸命に白い花を咲かせている。
その二番に
霜にたわむや 菊の花
霜におごるや 菊の花
ああ あわれ あわれ
、、、、、、、
人のみさおも かくてこそ
この歌の元は、アイルランド民謡だったそうだが、日本では、すっかりこの歌詞で定着してしまった。
ただこの時代の編曲ならぬ編詩は文語体であるため、小学生ではなかなか理解しにくい面があり、歌いながらも意味不明の部分があったが、ほかの科目同様に丸暗記風に覚えたものである。
当時の作詞者は、大人になってからじっくりと考えさせるつもりだったのだろうか。
ともあれ、戦後の昭和はノスタルジーを書き立てるのなら、明治は歴史のなかであり、その頃の言葉は、我々が思っていた百人一首の世界なのであろう。
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コメント
tomokoさま
音楽の時間は、オルガンにあわせてただ歌うだけ、言葉の意味の説明も無かったと思っています。
そのため、間違えて解釈したりいていましたが、、、、、
ただ、これらの歌が後世に残るものでしょうか。
落語などでも、生活実態が全然違ってきたことから、一番肝心な”落ち”が、なぜおかしいのか分からない人が多いそうで、どうすれば分かるのか苦労していると言った人がいました。
囲炉裏が無くなり、鉄瓶や煙管や子守りなど昭和30年代からこっち急速に消滅し便利一本やりの生活に、のんびりとした当時の歌が、、、、、
どんなに良い歌でも、、、、、残念なことですが
投稿: オラケタル | 2013年2月 1日 (金) 21時53分
子供の頃耳で聞きおぼえた歌は、意味を考えるでもなく唯歌っていましたが、この歳になってその詩の素晴らしさに気付かされ改めて良い歌だなあ~ なんてことが、よくあります。
日本語の素晴らしさが後世に残ってほしいものだと思います。
投稿: tomoko | 2013年2月 1日 (金) 19時26分