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2013年1月18日 (金)

素心蠟梅

013

先日来咲き出していた蠟梅も花の数を増やして、いよいよ真っ盛りになったようで、ほのかなかな香りを撒き散らすようになった。

葉っぱに先駆けて咲き出す花は、快晴の青空。さえぎるもののない太陽の下、蠟細工のように半透明の花びらは陽の光を透き通して、今にも溶けそうな感じがする。

この花には、梅と言う字が後についているが、梅の仲間ではなく、ただ花が梅に似ているというだけで付けられたようだし、正確には”素心蠟梅”とまるでお坊さんのような名前がついている。

ただの蠟梅といった場合、花びらの中央が少し赤みがかっているものを言うのだが、自分の目から見た感じでは、全てが黄色一色のほうが、本当の蠟梅といった感じがしてならない。

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「軌を一にする」というのは、今ではやりかたを同じにするという意味で使われるが、語源としては中国の秦の始皇帝が国を統一したときの宣言文にまで遡るという。

それまでは、各国それぞれに違った車幅の馬車を使っていたのを、同じ幅にすることで轍の幅が同じになり走りやすくなった。

始皇帝が、わざわざこんな宣言を出すくらいだから、それまでは、幾種類もの馬車が通るたびに前者のわだちに嵌って難行としていたに違いない。

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三十数年前までいた飛騨。冬になるといまのように除雪作業も行き届いていなかった頃のことだが、ドカ雪が降るとと大型トラックに踏み固められた雪道は、トラックの轍で氷の溝が出来た。

その後を乗用車で走るには、片側を轍に入れなければならず、そうすると片側のタイヤは轍の間に高く盛り上がった部分を走らせることになり、かたがったままの不安定な走り方を強いられた。

特に狭い道でのすれ違いには、轍からはみ出してすれ違うのだが、これがなかなか出られず、往生をこいたものだった。

静岡に来て以来、冬になるとスタッドレスタイヤに履き替えてはいるが、雪道の運転はほとんどしていないので、凍った道でスリップでも始めようものなら、素心蠟梅ならぬ周章狼狽してしまうことだろう。

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