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2013年2月11日 (月)

夕陽に向かって

002

天気は良いものの、風が強く西風、北風、南風と変幻極まりない吹き方をし、冬枯れの枯れススキが風に抑えられでもするように、右に左にとなびき伏していた。

それでも夕刻には風も収まり、雲のない空は夕焼けも起きず日は西の山に沈む。

その夕日を見送るかのように、ムクドリが身動きもしないでいる。

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「雲にそびゆる高千穂の 高嶺降ろしに草も木も

 靡き伏しけん大御世の、、、、」

なんて歌がこどものころあった。

いまこの歌を歌える人は、我々の歳以上の人だと思うが、、、、、

そして「紀元は二千六百年」なんて歌もあった。

いずれも紀元節の式典が、片田舎の小さな小学校でおこなわれ、紅白饅頭欲しさにでかけたものだが、その際に歌われた。

まだ小学校にはいる前の柔らかい脳みそのどこかに沈殿していて、まだ空で歌える。

この紀元節なるもの、明治の御用学者が作ったもので、西暦に660年足しただけの数字だった。と聞いたのは、敗戦の後、 小学生だった。

そんな馬鹿げたことだったのか。と言うのはその後ずっと感じていたのだが、1,967年になって今度は、「建国を記念する日」と言う名目で復活した。

つまり、建国記念日ではなく、真ん中に「を」と言う字を一字入れるだけでイメージを和らげようと言う姑息な手段を使った日である。

ただ、いま基準になっている西暦も10世紀になってようやく検討された年であり、キリスト教国で定着したのは15世紀に入ってからだと言うらしいから、これもいささか眉唾物の年号であり、ほかの宗教を信じているものには違和感のある数字でもある。

ただ、何百年かは連続した数字であり、日本のようにしょっちゅう元号が変わってくると、計算が難しくなる。

たとえば、明治は45年、大正は15年、昭和は64年だが最後の年と最初の年が重なり合うため、明治の出来事がいまから何年前だったかとなると、紙に数字を書かなければ計算できないことになる。

いずれにしろ、アメリカのように独立した年月日が特定できる国はべつとして、神話の世界に求めるのは、いろいろ意見もあって悩ましい問題であろう。

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