結いの先に蓼科山
まだ空に星の残る五時に目覚めると、部屋の窓からは真っ黒な浅間山とその下に広がる電灯の明かりが着物裾模様のように広がっている。
その浅間山の右手、碓氷峠付近と見られる鞍部は早くも暗い紫色に染まり、太陽はここから昇るということを暗示していた。
外に出てみると、一面の霜が草に降り、自動車のフロントグラスを覆っており、早々に宿に引き返して朝風呂に入ることに予定を変更した。
露天風呂からは、眼下の八重原集落をながめ、立ち昇る朝日を見るつもりだったが、これも長風呂でガ我慢しきれず部屋に戻り、、、、、結局は朝日が昇ってから外に出る。
宿の土手を登れば、明治末期に作られたと言う農業用灌漑池”明神池”があり、その土手に当たるところに地元出身の芸術家が設計したと言う”結いの高欄道”という変わった名の欄干があり、部屋からは見えなかった蓼科山がその向こうに見えた。
想像するに、結いの高欄道の意味は、水の少ないこの地方で米を増産するため、集落の結束機構、結いを使ってみんなが協力したことを意味し、「紐を結ぶ」で表現したのではないかと思う。
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坪庭のピークから
昨日のうちにするべき用事は済ませておいたので、今日は帰るだけの状態だったので、支度は充分ではないものの”ピラタス蓼科のロープウェイ”に乗ってみようと言うことになった。
シーズンオフと月曜日、と言うこともあってか、ロープウェイに乗る人はまばら、それでも、二十分間隔で運行していたので、すぐに乗ることが出来た。
山頂駅の標高は2,200m余でここはまだ冬の世界だった。
外に出ると、さすがに風も冷たく、雪もしっかりと落ち着いており、どこにでも歩ける状態だったが、靴のほうが山歩きと言うわけでないので、坪庭と言われるあたりを少し歩いて帰る。
帰りのゴンドラで聞いたのだが、少し前は黄砂で空が曇っていたそうだが、今日の雲ひとつない空は、スカイブルーを通り越してマリンブルーといった感じの暗くさえ感じてしまう空であった。
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