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2013年4月30日 (火)

むかしを今になすもよしかな

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しずやしず しずの苧環繰り返し

      昔をいまになすもよしかな

義経の愛人だった静御前が鎌倉八幡宮の境内で舞ったときの歌の文句だそうだ。

苧環は、昭和二十年代まで自分のおばあさんが自宅の二階で機を織るときに使っていたのを見ていた。

蚕も飼っていたので、屑繭で糸をつむいでいたのか、麻を使っていたのかは、井芽では覚えがないが、転がしたり、積み木代わりにしたりしてよく叱られたものだった。

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いま、庭に咲くオダマキの花は、その頃を思わせる薄紫の優しげな花で、その色合いは、静御前が薄絹をまとっていたらこんな色合いではなかったかと思わせる雰囲気である。

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こどものころである。敗戦のすぐ後はそれまでの軍国主義に変わって、なんでもかんでも民主主義、民主主義とうるさかった。

そんなとき、親に向かって「何であんな戦争をしたのか、、、、軍国主義を止められなかったのか」といったことがある。

それから、68年になろうとしている現在、自民党は憲法96条をいじくり、憲法を別なものにしやすくする法案を出そうとしている。

国会議員の中には、あの悲惨な戦争を体験した事のある人はほとんどいないなか、勇ましい右翼的な言動が歯止めする勢力もないなか加速度的に進行して行くように見えるのは自分だけではないはずである。

今度の、参院選で自民党を大勝させれば、ほぼ、憲法を別なものにするのは確実である。

そのときになって、”昔をいまになすもよしかな”と言っても遅すぎるのだが、、、、

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2013年4月29日 (月)

予想外の収穫

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ほかの土地ではどうなのかは知らないが、自分たちの周り、静岡では孟宗竹のたけのこが不作のようである。

裏年になるためか、冬場の寒気が影響しているのか、、、、、とにかく出ていない。

そんななか、「たけのこを掘ってその場で茹でて、、、それを肴にバーべキューでも、、、」なんて去年のうちに話していた。

そして、長野にじゃが芋植えに行ったときにも誘ってしまった。

長野から帰ってきて、安倍川沿いの知り合いに電話してもらうと、今年は不作の上、先日来”いのしし”が掘り返して採れない。とのことだった。

で、急遽、バーベキューを諦めて、掘るだけでもと池ヶ谷の知り合いに頼んだところ快諾はしてくれたのだが、話し方が下手だったのか、その翌日に掘って届けてくれた。

「掘ったことがないので、掘らせて欲しかった」と、、、、、、、「数少ないたけのこを掘ってしまったかなぁ」「でも、明日になれば、、また出ているかも」ということで弟夫婦を待つ。

二十八日、朝九時に待ち合わせ場所に行き、連れ立って山に入る。

「雨後のたけのこ」とはよく言ったもので、現場について間もなく予想外の収穫にありつけ、ホッ!と安堵のため息。

しかし、畑の持ち主も心配していてくれたようで、近くの甘夏とフキを二の矢として見繕ってくれてたおかげで、弟夫婦は思わぬ収穫  

こちらも面目を施し、  感謝   感謝

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2013年4月25日 (木)

賑やかにヒトリシズカ

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立科町の津金寺境内に咲くヒトリシズカ。

018_2平家物語にでてくる静御前の立ち姿から名づけられたそうだが、名前と違って、ペン立てに沢山の矢印型ペンを差し込んだようにして乱立している。

これでも、先日の冷え込みで一部枯れているのだが、この様子を見ればとても、一人静かに立っているとは見られない。

いまなら、さしづめラインダンスとでも名づけるべきだろうか。

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昨夜は、慣れない農作業と軽井沢のアウトレットを歩き回ったこともあって、疲れが蓄積していたのか十時前にバタンキューとばかりに早寝をしてしまった。

そして、本日は絶好の行楽日和。

プリンスホテルの敷地を朝早くから散策して廻った。

縦間からシジュウカラやウグイスの声が聞こえ露をたたえた司馬がきれいに広がっている。

広大な敷地の手入れはずいぶんと手間がかかっていることを想像させる。

間近に見え隠れする浅間山は。まだかなりの積雪を抱えているようで、山頂近くは露出した岩稜などが見えず、気温以上に寒さがピンと張り詰めている。

今日の予定は、「旧軽井沢の町並みを散策しよう」ということだったので、ゆっくりと部屋で休み、九時半を廻ってから出かけてみたが、真夏のような混雑もなくゆったりと歩き回ることが出来た。

そして、一番上の茶店に入ってコーヒーと団子を食べて通りすがりの人を眺めているとさらに上のほうから下ってきた中年の夫婦らしき人「もっと上の方だって、、、、」といいながら坂を下っていった。

なんだろうと、想像して得た結論は、持っていた地図の上の方という意味だったのかな?。

まったく日本語は難しい。

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2013年4月24日 (水)

寒さに負けて

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二十二日快晴の空を見越して長野に向かう。

途中野辺山あたりから、畑に溶け残った雪が一面を真っ白に染め、まるでこの季節のものとは思われない光景をかもし出していた。

そんな中、一番寒さに弱かったと思われるのが、辛夷の花で樹上の花びらはさくら以上に茶色く干からび、見るからに哀れな感じであった。

着いたその日は、畑の乾燥もままならず、入ることが出来なかったので、準備だけで何も出来なかったが、夜になって星が輝き、寒さが深深と身に染み込むような様相を示している。

二十三日、天気予報は早くも明日には崩れると報じており、今日中にじゃが芋の植え付けを済ませようと、弟夫婦とわれわれ、そして、義弟には耕運機で溝掘りをたのみ、総勢五人で朝八時前から作業にかかった。

休憩を挟みながらの作業だったが、みんなしばらくぶりの作業であり、疲れは次第に蓄積して、足元をふらつかせながらの鍬をふるう。

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それでも、午後には予定していた作業が終了し、テレビをみていると、繰り返し静岡の茶畑が地すべりで崩壊する場面を映している。

どうやら、全国的な話題になっている模様、、、、、、

このあたりは、頁岩が風化した地層である。頁岩とは名前のとおり、岩石が薄く剥がれるように割れる石であり、その隙間は水を通しやすい。

そのことがお茶を作るのに適している反面、水が地下に浸透し、滑りやすい粘土層に早く到達するため、昔から、地滑りの多い地区で、自分も、静岡に来てから何度となく地すべりの調査ボーリングと、防止工事にかかわってきた地区である。

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2013年4月21日 (日)

雨に濡れて咲く

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朝大粒の雨がトタン屋根を叩く音で眼が覚めた。

明日行く長野のほうもこれほどの降りかただと、じゃが芋の植え付けに心配、、、、こちらだけの大雨なら良いが、と思っていたら、佐久市に住む義妹から、写真つきメールで「こちらは、ミゾレになったけれど朝方積雪四センチだよ」って連絡がはいる。

おもわず「アチャッ」   寒気が入って薄寒いようになのにこの言葉。

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十時すぎになってようやく雨も上がったが、空一面の雲は切れない。

テレビの番組を見ても、見たいと思うものはなく、傘を持って外に出れば、濃い藍色をしたアヤメに雨粒が、、、、、、、

ほかの花のように、花びらを閉じたり、下を向いて雨を避けようとする気配もなく、敢然と空を向いている。

その姿に、何だか潔さをを感じてしまった。

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2013年4月20日 (土)

百穀を生化する

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まるで暦を映したかのようにして午後になって雨が降りだした。

今日は”穀雨”  春雨降りて 百穀を生化すればなり。と暦に書いてある。

本当に、しばらくぶりの雨だった。今朝方まで、蓮根畑の水分は枯れ果てたようで大きなかたまりは鍬を逆さまにしなければ割れないくらい硬く日干し煉瓦のようになっていた。

しかし、地中にも春の息吹きが届いていたようで、固い土を打ち破って伸びだした若芽は、この春を仲間にも伝へ、すくすくと伸びだすに違いない。

自分の担当する連根畑も今日で作業が終わり、六月頃に雑草を抜き取れば、後は九月末の収穫まで蓮根任せの休みに入る。

変わって明後日には長野へ、じゃが芋の植え付けに行くことになるのだが、それがすまないと、しばらく休みがちだった散歩にも出かけられず、自然界の移り変わりに乗り遅れ気味だったのも解消する。

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2013年4月19日 (金)

コウゾリナってどんな字

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コウゾリナ。どんな字が当てはまるか、初めて聞いたときには不思議であった。

硬いロゼット状の葉っぱから茎が伸びて、先端にタンポポに良く似た花を咲かせる。

この葉っぱが硬くて細長い形をしているところから、かみそりの刃をあてて、顔剃菜とつけたのだ、と言う説がある。

この名前をはじめて聞いたのは、若い頃上高地で見た花の名前であったが、実際にはこのとき見たのは、高嶺顔剃菜であり、写真の花は安倍川である。

はじめは同じ花だと思っていたので、高山植物かと思っていたが、どうも近い種類の花と知ったのは、大分遅くなってから、、、、、その違いは、葉っぱの形にあり、高嶺顔剃菜はもう少し丸い形の葉っぱをしている。

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昨日は蓮根畑に石灰系の土壌改良剤と鶏糞を撒き、今日は、土起こし。

大型の機械が入らないので、なんでも機械化した最近の農法でなく、まるで人力による畑仕事に、なれない身体は悲鳴を上げている。

小型の耕運機で土を掘り起こすのだが、最近の晴天続きで、表面が団子状に硬くなった土の上で耕運機が跳ね回るのを、引っ張たり押したり、とまるで相撲をとっているような情況で作業した。

おかげで、身体中くたくたになってしまい、眠くて仕様が無い。

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2013年4月17日 (水)

蟷螂の斧でも

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新緑が燃え立つようになって春の土用がやってきた。

街角の小さな公園に白いラッパ水仙に背後から日の光が差し込めば、まるで、紙細工の花のように花びらが透けて見える。

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「喧嘩口論はご法度」といわれたのは何時のころからかは分からないが、徳川の世になってから特に顕著になり、いまでも日本人の精神の根幹の一つになっている。

喧嘩は当然としても、口論を避けたのは為政者など権力者に都合の良い口実である。

欧米では、子供の頃から自己主張の一環として、話し方の訓練をしているようで、「ああ言えば こう言う」と話術を巧みに使う。

その点、日本人は子供の頃から、大勢に従うことを美徳とし、討論下手が外交下手につながって、かなり損をしてきたようにおもう。

今日の新聞に、日本経済再生の方策を日米のIT企業家が話し合った、「新経済サミット」のことが書かれていたが、「成長のためには破壊的イノベーションを起こさなければならない」がそうするには「空気を読まない人が必要」だそうだ。

現在の世界において、「秩序を好む日本人では新しい発想は弱い」「日本の教育制度は子供の創造性を殺している」「個性の強い”変な人”の価値を認める文化が必要」などという言葉を聴いてわが意を得たりという気がした。

しかし、一般社会でこのような発想が認められるようになるのはまだまだ先のことであろう。

夏目漱石の草枕。冒頭に「智に働けば角がたつ 情に掉させば流される とかく人の世は住みにくい」と書いているが、あの時代イギリスにわずかでも留学したことがこの文章を書かせたのであろうか。

そういう自分も、「破壊的イノベーション」とやらは持ち合わせていないが、何度も「変わっているなぁ」などといわれた。

しかし、「蟷螂の斧」ではあるが、主張を消して流れに埋もれていく気はしないでいるどころか、ますます、権力やマスコミの言動には眉に唾をつけて聞くことにしている。

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2013年4月15日 (月)

勢いが衰えて

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静岡市の西北、高山市民の森の水芭蕉を見に行った。

時期的には、満開をすぎて、、、といった感じの状態で、水面に影を映して静かに咲いていた。

この水芭蕉は、もともとこの地にあったものでなく、ふもとの集落の人がどこからか持ってきて植えたものと聞くが、昨年までに比べていくらか勢いが衰えたというか、数を減らしている。

自生していた植物でないだけに、条件が厳しかったのか、先客の声の中から聞こえていた「掘り出して持っていきたい」のように盗掘にあったのか、、、、

自然の植物をむやみに移動させるのもどうかと思うが、十数年この地に根付いていたうえ、大発生することもない草だけに、温かく見守るのも一策と思っている。

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テレビを見ていたら、東京ディズニーが30周年を迎え、その間の観客数が五億六千万余になるそうだ。

日本の人口が一億人だから、人口の五倍の人が行ったことになり、くり返し行く人の多さは、その場所が魅力的なことをうかがわせる。

しかし、自分に限って言えば、まだ行ったことがないので、テレビで垣間見るだけ、面白さは勿論、規模の大きさも想像が付かない。

なにしろ、ここ何年も東京にさえ行ったことがないのだから、、、、。

また、このディズニーはもちろん、東京近辺の名所といわれるところは、横浜、浅草くらいしか知らない。

そのため、テレビを見ていると、昔は「丸ビル何杯分」といったが最近は「東京ドーム 何個分」とか言うが、見たこともないものと比較されても、想像のつけようがない。

そして、人ごみ嫌いの自分は一日の平均入場者4万人以上と聞いてもこれまた、、、、、同様。

おりしも、静岡市内にまたひとつ大型ショッピングセンターが、、、、家から歩いて20分くらいのところに出来たが、この店に行くのはほとぼりが冷めた半年後くらいにしようと思っている。

しかし、この店もリピーターなるものが出来て何時までも込み合うようならさらに遅れるが、「なぁに厭きやすい県民性」は、早まることがあっても遅れrことはないと踏んでいる。

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2013年4月14日 (日)

ブーケのように

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昨年のいまごろ、油井正雪の菩提を弔う菩提樹院という御寺でもらった勿忘草(ワスレナグサ)を撒いておいたところ、最近になってようやく咲き出した。

何でもこの花は、暑さに弱いため、静岡のような土地では、秋に撒くものだと知ったのは、今日、インターネットで検索して初めて知った。

そんなことも知らず、貰ってきてすぐに撒いたものだから、キッと夏の暑さに負けてしまっていたようで、ほとんど立ち上がることもなく、地這えのような格好で花を咲かせている。

よく見れば、小さな青い花をブーケのように周りの葉っぱで包み、「私がここに咲いていることを知って欲しい」とでも言いたげに

勿忘草の名前は、恋人のためこの花を手折ろうとした騎士が足を滑らせて川に転落して流されるときに「私がいたことを忘れないで」と言った言葉が、そのまま翻訳されて名づけられたそうだが、お寺でこの種をもらったときに「亡くなった方を思い出して」と言う言葉が添えられていた。

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父親は、六十四歳で亡くなっており、母親は八十四歳である。

そして、今年七十四歳になる自分は、父親より10年長く母親にはあと10年で到達する。(そこまで生きるかどうかは分からないが、、、)

十代の反抗期は父親が亡くなる二十八歳まで続いていたが、40代後半から、この年の父親は何をしていただろう、何を考えていただろうかなどと、ライバル視し少しでも乗り越えようとしたが、自信を持って越えたと思うものがなく、今日に至っている。

そして、男にとって母親と言うものは、程度の差こそあれマザコンであり、女のこのように友達的存在にはなりえないもがある。

勿忘草は開花時には、青いコバルト色をしているが、次第に紫色に色あせ茶色く枯れていく、、、、、、

思い出も次第に色あせて、、、、あれは何時だったかな、と考えても分からなくなり、思い出は後先になって脈略、つじつまが合わなくなってしまう。

いくら、”フォゲット ミ ノット”といっても、、、、、

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2013年4月13日 (土)

埋もれた過去を

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シャガの花が咲き出した。

白を基調にした涼しげな花びらの中に青と黄色の絵筆を花びらの上で振動を与え、ぽたぽたとしずくをたらしたような模様が入っていて、なんとなくしゃれた感じさえする。

しかし、この花の茎を折ろうとしてもなかなか手折ることが出来ない強靭な繊維を内在していて、花瓶に移すにはハサミが必要。

シャガは古い時代に中国から持ち込まれた草だそうで、いわゆる三倍体とかで実を付けない草であり、球根もないところから、生息範囲御広げるには人の手を借りるしかないクローン植物ということになる。

それにしても、何時のころ日本に来たか分からない。ということになると、弥生人かもっと前の時代にこの花に惚れた人間が鉢にでも入れて枯らさないように船の底辺りに忍ばせていた、と思うと、、、、、改めて、ロマンを感じてしまう。

そして、この花が咲いていれば、どんな場所であっても、以前には人が生活していた可能性が大きいことになる。とすれば、この花がしゃべることが出来たなら、埋もれた過去が聞き出せるのに、、、、と思ってしまった。

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2013年4月12日 (金)

「大変だ」

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昨日今日と朝夕に寒気が入ってきたようで、冷え冷えとした空気を久しぶりに感じている。

テレビは、寒の戻りだといっていたが、寒と言うには少し遅過ぎるのではないだろうか、といって、桜も散ってしまったので花冷えもちょっと、、、、、

しかし日中は、気温も20度を越えているので、まあ良しとしなければなるまい。

そんな、春の陽気に誘われて先日から咲き出していた、君子欄の花に日が当たり、そこだけが燃え立ったように浮かび上がっていた。

この花、三十年近く前に一鉢買ったものだが、その後三株にわけ、霜にあわせないよう、暑い太陽光に会わせないようにと気をつけ、季節によってあちこちに移動する。

そして、3年に一度くらい鉢から取り出して、古根を取り去り脇の株を捨てるの繰り返しで、毎年きれいな花を咲かせてくれている。

今日は、一年に一度の集大成とばかり、華やいだ祭典を開いている。

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蓮根畑で土の天地返しをするついでに蓮根を掘っていると「大変だよ」って言葉が道路から聞こえてきた。

知っている人かと、そちらのほうを見たが、自動車は見覚えがないし、顔も知らない人だったので、こちらも「大変だア~」って答えておいた。

本来なら、「大変ですね」と言うのが本当だけど、こちらではそんな言い方をする。30数年こちらにいれば、そんな方言にも慣れてきたのだが、、、、、

しかし、田んぼの中で泥土を手で掴み、掘っているのは見た目ほど重労働ではないのだが、よそ目にはそんな風に見えるらしい。

たしか、池ヶ谷の同輩の中に前に一度掘ってみたことがあるけれど、「腰が痛くて、、、」といっていたものがいたけれど、自分からすると、掘る量も、時間も決められている訳ではないし、気が向いただけのときにするという、一種の運動とも遊びとも捉えている。

よく子供に、田植えをする体験をさせているが、はじめに泥田にはいるとき以外、嬉々としてやっているのに似ている。

また、蓮根が密集しているとこに出会うと、どれから先に掘り出していこうかとパズル気分でやっているところもあるので、ちっとも大変ではないのである。

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2013年4月11日 (木)

タラの芽

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カメラで写した後、腹に納まったタラの芽


先日、ハゼの木の下で上を見上げている年配の夫婦に出会った。

そして、奥さんの言うことには「この木の芽は食べられるものですか」と聞かれた。

「食べたことはないけれど、もしかしてタラの芽とおもってやしませんか?」「ええ、違うのですか」

「タラの芽がこんなところにあれば、ほかの人が放っておきませんよ」奥さんが振り返って旦那に「だって!」

キノコほどではないが、木の芽が食べられるかどうかの区別は難しい。

しかし、最近山菜の女王などとよばれて、人気のあるタラの芽をまだ知らない人がいるのにも驚いた。

育った環境で、山菜取りをしたことのない人が増えているのだろうな。

今日は、久しぶりに近所の山に足慣らしに向かったところ、丁度手ごろな新芽を見つけ、手のひらに二カ所棘で刺されたものの、タラの芽を摘んできた。

一部は天ぷらにしたものの、自分の一番の食べ方は軽くゆでてきざみ、味噌にあえて食べるのが香りが残っていて好きである。

この食べ方は、独活や山椒など香りの強い山菜には一番合うと思うのは、何でもかんでも味噌に放り込んで焼いて食べる飛騨の朴葉味噌から来たのだろうか。

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2013年4月 9日 (火)

カリンの花

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カリンの花。淡い赤色の花を咲かせている。

桜のように、花を密集して咲かせることもないが、桜より少し大ぶりな花は、遠くからでもよく目立つ、、、

秋に林檎並みの黄色い実をつけ、咳止めの薬などといって使われたたが、最近では、摘む人もなく、せっかくの果実を畑の土手などにむなしく実を落としている。

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今日も朝から穏かな晴天が続き、蓮根畑へ様子を見に行った。

水もかなり引き、掘れない状態ではなかったので、水を掻き出し午前中泥を撥ね退け 跳ね除けして格闘したが、帰ってきてから疲れがでて、、眠気が強く

ふぁ~と生あくびの連続   これで今日はお終いにする。

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2013年4月 7日 (日)

花も嵐も踏み越えて

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昨夜の天気予報に反して雨の降り方は少なめだったようだが、その雨を降らした雲が午前中に去って行くにしたがって風が強くなってきた。

青く澄んだ青空は、霞も雲も吹き飛ばしたようで花にかわって、ケヤキの柔らかな新緑がまぶしく目に映る。

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一方で桜にとっては、この春の別れ風となってしまったようで、枝に残るは花額だけ、、、、

まさに「花も嵐も踏み越えて  行くが男の生きる道、、」といった感じで水溜りの残る野道を風に押されて歩く、、、、

帰り道は向かい風になるとは、覚悟の上で

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2013年4月 6日 (土)

仇花を嘆く

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大荒れの空模様になるのは静岡では午後からと言う予想であったが、朝、それも夜明け前にザーッと降っていたのを、寝床の中で聞いたような気がした。

それでも、起きてからは薄日さえ見られるような天気になったので、外に出てみると、草むらは露で濡れていたし、小藪に絡まっていたアケビの花には涙のような、水滴がぶら下がっていた。

「親の意見と茄子の花は、千にひとつの無駄もない」といわれるが、アケビの花はこの逆で、今頃の野山に行くと鈴なりに咲いているが、秋になってその場所に行ってもめったにアケビが実っているのを見ることが出来ない。

花に蜜がないため、雄花と雌花を仲介する虫が少ないためといわれるが、今日のように、涙をためているのは、仇花になるのを嘆いているのかもしれない。

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北朝鮮が、自らの言動でますます興奮してどうにもとまらない情勢になってきつつあるのをみて、戦前の日本もこんな状態だったのだろうと想像してしまった。

この勢いで、というか、破れかぶれで真珠湾攻撃みたいにミサイルを打ち出すと、日本や韓国が標的にされる可能性が大きい。

北朝鮮の一部では、どう足掻いてみたって蟷螂の斧でしかないと思っている人もいるのだろうが、全体主義体制の流れに飲み込まれて口をつぐんでいる。

一方日本でも、このところのアベノミクスとやらで、日本銀行も政府の意のままになり、国債を買い上げ、紙幣を国中に溢れさせようとしているし、国会は、憲法を変えようとする勢力が声高に「改憲」を叫んでいて、何だか日本の未来が危うく、そして、きな臭くなってきているような予感がする。

どうせ、自分たち高齢者は良い時代を生きてきたし、改憲されても、国防軍に徴兵されることもないのだから、その日その日が何とか安泰に暮らせればよいのだが、、、、

今の若者が、大奮発の国債償還の荷を背負わされ、徴兵におびえ、言いたいことも言えない世の中になる可能性は、戦前の歴史を見るまでもなく分かることである。

円安で、輸出企業以外はさらに苦しくなり、実体のない株で儲けた人意外は、物価高で生活程度を落とし、増税が追い討ちをかける。

いい加減目を覚まして、参院選で改憲勢力を伸張させれると、内外ともに大変なことになる予感がする。

いま、午後10時過ぎ、雷鳴とどろき雨音も激しくなってきた。

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2013年4月 4日 (木)

あっちにこっちにと

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ムラサキケマン。

午前中に登った草原に花咲かせていた。

明るい紫色の花は、てんでばらばらに花を向けており、統一性というのが見られない。

同じ仲間の黄ケマンはきちんと整列しているのに、この統一性のなさはどこに原因なり、理由があるのだろうか。

ともあれ、ケマンとは仏具の鬟曼をいい、日本では本堂の内陣を飾る金属製にひらひらしたものである。

どうも花の、あちこちさまざまに向いているのが似ていると見たのだろうか。

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今日のじいじは良く働いた。というか動き回った。

午前中は、近所の山に出かけてワラビ取りにはげみ、その余勢をかって蕗も一掴み程度採ってきた。

今年初採りの蕨は乾いた斜面にあり、折からの汗ばむほど暑い日の光を受けながら、一本一本摘みながら次のを探して歩くのは、真澄の空とあいまって、気分が爽快になっていく。

そして、午後になって、前から約束していた蓬を摘みに連れ立って出かけた。

人や犬などの小水がかかっていそうな場所は嫌だというので、昨日散歩の折に見つけておいた、幅60センチほどの深い水路の向こうにある蓬を採ることにした。

この年になると、幅が60センチ程度でも、気をつけて跨がないと水路に落ちるのではないかという不安感がよぎり、それこそ慎重に足を踏み出す。

蓬の量は思ったよりあって、30分ほどで15リットルのレジ袋いっぱいになり帰る。

すると、それを待っていたかのように「店に出しておいた蓮根が売切れてしまった」と言う電話が入ったので、急遽、蓮根畑に向かう。

時計は、二時半近くになり、いままでこんな時間に畑に向かうということはないのだが、最近は日脚もかなり長くなってきたので、どれだけでも取れればいいやと言うことで、雨水のまだ残る畑に出かける。

しかし、こんな日に限って、収穫は予想を上回ってホクホク顔でかえる。

と、些細なことで、プチ喧嘩をしていた連れ合いも、仏頂面を解き、、、、、

    まずはめでたしめでたし、今日も終わる。

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2013年4月 3日 (水)

見栄を張って怖さを紛らわす

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姿勢を低くして下手に出る雉

関東方面では激しい雨風となったようだが、当地ではそんなにも激しい雨は降らず、風も微風程度で済んだ。

午後になって、電線に鳩がとまって「デデッポ デデッポ」と啼きだしたの聞いて雨があがったのを悟った。

昨日も今日も、家の中で退屈していたので、鳩の声に誘われたかのようにして外に出てみると、桜の花は予想通り落花盛んだったらしく、小さな葉っぱが目立つようになり、また季節がひとつ転がったのを知った。

あめで、水浸しになった蓮根畑を視察したあと、流通センターのほうに向かうと、雉の鳴き声がした。

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声の主は、去年もこの辺を縄張りにしていた雄の雉か、、、、、それとも、代替わりをしているのだろうか。と近寄ってみると、まだ伸び始めたばかりの草むらで餌をついばんでいる様子。

傍には青鷺もいて、この二羽の取り合わせも良いかなと、カメラを構えて道端の茂み越しに写そうとしたが、敏感な青鷺に悟られ逃げられてしまった。

しかし、雉のほうは自分がカメラを向けてよい位置に出てくるのを待っていると知りながら、そのあたりから逃げようとはしない。

しばらくすると、その近くで何か動くものがあり、目を凝らすと可愛いメスの雉が一羽いた。

どうも、この鳥にアピールするため、動かなかったようだ。

「雉も鳴かずば討たれまいに」と言うことわざは、禁猟区の此処はもとより、鉄砲うちが少なくなった現在、過去のものになったようだが、それでも人間は怖い存在であろう。

人間でもそうだが、女性の前では見栄を張るのは男の特徴。

多分この雄雉もそのうちの一羽に違いない。  ほら、また羽打ちをして”ケンケン”って啼いて見せた。

怖さを振りきるためもあるんだろうな!!!!!

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2013年4月 2日 (火)

ハコベラ

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今日は一日雨が降り、外に出るのがはばかれた。

そこで、花壇の中に咲いていたどこにでもある花ハコベの花を写してみた。

日ごろ、気にもしていない小さな花だが、拡大してみると意外にもきれいな花である。

花びらの亀裂が深く一見十枚の花びらが放射状に広がっているようだが、実際は五枚だとそうだ。

名前の語源は、地面に沿って”はこびる”から来たという説もあり、子供の頃、この草を”はこべら”と呼んでいたことを思い出した。

とにかく、七草粥の材料のひとつで、食用になる草で何時でも新しく蔓を伸ばし、種を飛ばして繁殖する。

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2013年4月 1日 (月)

鴉と雀の間

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カスマグサの花。

001淡い紫の唇形?いや、スミレに似た淡い青の色の花が咲いていた。

花の好きな人でないとなかなか目に付かない花である。

カスマグサ、その名前の由来は、ごく単純で、同じマメ科の小さな花カラスのエンドウより小さくて、スズメノエンドウより大きいことから、カラスとスズメの間、、、、

つまり、「カとスの間の草」という意味からというのがもっぱら、ヘチマが「ヘとチの間」つまり「ト」だというのに似ている。

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今日四月一日は”エイプリールフール”気の利いた噓をつきたいと思うのだが、これが、なかなか難しい。

生真面目と言うわけではないが、生来の性格が災いして頓知の聴いた言葉が頭に浮かばないのだ。

若い頃の知り合いに「これは冗談だけど、、、」と前置きをして話をする男がいたけれど、それと同じように「これは噓だけど」では話をする必要がない。

というわけで、まごまごしている間に今日も更けていく。

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