山法師の花が咲き出した。
白い大きな花びらの中心にイガクリ頭のような丸いぼっちをつけて咲いている。
名前のいわれは、言うまでもなく、むかし比叡山などにいた僧兵を摸したものである。
完熟した山法師の実
この木の名前は、子供の頃は「イツキ」と呼んでいたが、どうも、”水木”の読み間違いではなかったかと思う。
何せ子供のこととて、どんな漢字が当てはまるのか考えたこともなかったが、八月の夏休みに入る頃になると、この実が大きくなって赤く熟れてくるとしょっちゅうこの木に登ってサッカーボールのような形をした実を採って食べたものだった。
中身は、黄色くなってマンゴーのような感じがする味である。
当然のことながら、ほかの子供に教えて分け前を減らすような偶はせず、いつも山に一人で入って独り占めに貪り食ったものである。
いまの子供は、この実は勿論アケビやマタタビ、サルナシなど山の幸を採る。と、いうことをしないので、これらの実を山で見つけると、いまだに年甲斐もなく木に登ってしまう。
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先日のことだが、お茶摘みのときによく聞いた雉の鳴き声は、下のほうの家に飼われていたものだった。
同じところから良く聞こえていたので、縄張りにするのによほど条件の良いところかなと思っていたのだけれど、囲いの中にいたのでは動きようがない。
それを知ったのは、その傍の茶畑に入ってからのことだった。
例によって、女性陣の雑談にもそのことが入っていて、「あの鳴き声は何だろう?」「雉の声だよ」
そこまではよかったが、「雉って口ばしが平べったいのかね」からおかしく話が曲がっていった。
雉といえば、日本の国鳥で、教科書や写真、切手などによく出ている鳥なので誰もが知っていると思っていたら、、、、、、、、、、
教えてやろうと思ったが、あまりにも話が横にそれていくので、どこまで行くのかと、聞きほれてしまった。
帰るときになってようやく気が付いたのは、道路の脇にある金網の中に、鴨の仲間、カルガモが二羽入っていたことであった。
雉の入っている金網は、道路から見えないようにブルーシートで覆われていたのであった。
檻と檻の間隔は5mと離れていなかったための間違いだろうが。 それにしても、、、、、、、ねぇ~
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安倍総理は、九十六代の総理大臣だから、憲法96条を変えたいなどと、さも重大な問題でないような口ぶりで、洒落にもならないことを言っていた。
目的は、憲法九条をはじめ、戦前の憲法に変えたいところにあるのだが、その前に変えやすい憲法に変えておき、国会議員の半数が賛成すれば、と言う狙いらしく、その先が見え見えである。
右翼といわれる「維新の会」の連中もまったく同じことを言っている中、憲法はいま”風前のともし火”のように揺らいでいる。
もし、この改定がきまれば、時の内閣によって憲法は政権党が変わるたびにしょっちゅう変更されることになり、猫の目憲法になりかねない。
基本である憲法が、このような事態になればそれに従う法律も同様であり、昨日はああだったが明日はこうだになってしまう。
なんとか、あんな「お坊っちゃん首相」辞めさせる手立てはないものだろうか。
いま経済学者やマスコミはかもと雉を間違えているとしか見えないのだが
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