« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »

2013年5月30日 (木)

さて さて さて と

016

朝から雨が音もなく降り続いている。

練習もしなかったのに、これぞ典型的な”梅雨”といった感じ、、、

018午後になって、雨が上がり薄日らしい気配も出てきたので、先日来気になっていた県立総合病院のユリノキを見に行った。

木の根元には、花びらが散乱しており、「少し遅かったかな」と思わせる光景がひろがり、それでもと思って上を見上げたがまばらに見えるだけ、、、、

諦めて帰ろうとしたとき、自転車の駐輪場の上に黄色いものを見つけた。

近寄ってみると、手の届く高さにふたつみっつ、お猪口のような花が咲いていた。

こことユリノキは、高さにして15mくらいあり、いつもは下から見上げているものしか目に入らないので、こんなに間近に見たことがない。

枝の先端をつかみ、目の高さまで引き寄せて映したのが上の写真。

花の中身がこんな風になっているのを始めて確認した。

この木の名前はは、外国ではチューリップリリーと言うそうだから、直訳すれば”チューリップの花の木”なのだが、さる高貴なお方が百合に似ているとして名づけたのが日本名になったとのこと。

027もっとも、冬枯れの枝の先端に種のようなものが残っているが、このものの印象は、西洋の百合の花の紋章に似ているところから名づけたとしたら、こんなに当てはまる名前もないと思うのだが、、、、

さてどっちを見たかまで書いてなかった。    さて さて さて と、、、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月28日 (火)

もう梅雨入り?

018

曇り空ながら気温が高く少し畑仕事をしただけで汗ばむ季節になった。

天気予報は、雨が降らないものの下り坂に入っているという。

傍の田んぼでは、虫が水面近くにいるようで、植えたばかりの早苗田を低くツバメが行き交っている。

,

「えっ 梅雨入りしたの?」ってのが正直な感想だった。

昨日、九州 四国 中国地方が梅雨入りしたと新聞に出ていたので、もうすぐだろうなとは思っていたが、五月のうちに梅雨入りするとは、、、、、、

なんでも、例年より11日早いそうだ。

しかし、過去にも梅雨入り宣言が撤回された例もあるから、そちらに期待するか、梅雨の中休みと言うのがあるから、、、、、

じめじめと降る梅雨も陰気くさくて嫌だが、これからの季節晴れれば晴れたで、日差しが強く身の置き場がなくなる。

これからが、北の山国育ちには辛い季節になる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月27日 (月)

八重のドクダミ

006


梅雨入りが間近になって、例年のようにドクダミの白い花が咲き出した。

このドクダミは、万病に効くということで、ゲンノショウコとともに小さいころから摘むのを手伝わされたものだが、ゲンノショウコはまだしも、ドクダミの一種独特の臭いには閉口したものだった。

しかし、この臭いがいつの間にか匂いに変わり、今では好きな匂いのひとつにさえなっていて、道端の葉っぱをつまんで指で揉んでいることさえある。

多分、近くを通りかかる子供たちには、へんな臭いの爺さんくらいに見られているのかもしれない。

じつは、ドクダミの花びらと思っていた部分が実は花びらでなく、総苞片というものであり、花は、中央の蘂のように盛り上がった部分で、花びらはない、ということを知ったのは、ごく最近である。

つまり、花びらを包み込むカバーと言ったところか。そういわれてみると、写真のように蘂の間から花びらが突き出している理由が分かる。

.

今年もNHKの大河ドラマを見ていないのだが、題名はは「八重のさくら」といい、明治維新の際の会津藩を中心にして書かれているとのことであるが、このドラマの中で長州藩が憎まれ役になり、山口県からNHKに抗議が入ったそうだ。

先年、ツアーでバスに揺られ鶴ヶ城に行った折にもガイドから繰り返し会津の人たちは山口県人を毛嫌いしているということを聞かされた。

明治維新から、数えて150年近くになるのにいまだにこのように言われるのは、言い伝えが憎しみを継続させているのだろうか。

となると、韓国や中国が日本にいだく感情は、この先百年以上は納まることがないだろう。

たまの同級会でも「あの人に虐められたので嫌いだ」と言う言葉が卒業して50年くらいたっても出ることがあるように、いじめたほうはとっくに忘れてしまったことでも、被害を受けたと思っている人からは消え去ることがない。

そのことを念頭において発言するのが政治家というものであり、それが制御できない人は、さっさと一市民に戻らなくてはいけないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月26日 (日)

富士周遊

026

久しぶりに、富士市から朝霧高原を廻り根場の里を廻ってきた。

あさ、昨日移植したばかりのきゅうりと落花生に水遣りをするため畑に行ってきた後、富士市の広野公園のバラが見ごろだと聞いていたので八時半頃家を出て、国道一号経由で向かった。

日曜の朝ということもあって、道路を走る車も少なく普段よりかなり早く到着することが出来た。

つつじの花が真っ赤になって迎えてくれた駐車場に車を止めて、石段を登りきった高台のプロムナードの中央に、バラの花壇があり、微かではあるが芳香をあたりに撒き散らしていた。

案内図には、ここが本来のバラ園でなくさらに奥にあるとのことなので、広い公園の西半分を散策し、バラ園といわれるところにむかった。

しかし、此処は少し期待外れだった。バラの種類と開花できるバラの数が少なく、せっかく咲いているバラの花が咲き終わって茶色くなった花の間にという感じさえする情況で、人手不足もあるのだろうが手入れのほうが、、、、、

.

.

そのご、バイパスを遡り、上井出インターからミルクランドを経て、鳴沢村、根の里に向かった

鳴沢村に入り、富士五湖沿いの道路に入った頃から道路はかなり混雑、渋滞の様相を見せ、日ごろ日曜日を避けて行楽地に行っているものにとって、わずらわしい情況になった。

またその混に輪をかけているのが、一見若い人と見まがうおじさんライダーの集団。駐車場でヘルメットをはずせば、白髪交じりや、髪の毛の薄さが目に付く人が、どこの駐車場もブルルンブルルンとエンジンをふかしている。

根場の里では、「腹が減っては戦が出来ぬ」とばかり、到着早々に昼食を取ることにした。

ここでの食事は、以前にも来て、味をしめている蕎麦屋さんに入り、天ぷら盛り蕎麦を食べたのだが、腹にたまらないという蕎麦が意外とたまり、満腹感からおもわず昼寝タイムに入ってしまった。

連れ合いたちは、あちこちを散策と買い物している間で丁度良かった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年5月25日 (土)

たいしたことではない

009

昼咲き月見草が風にゆられて右に左にと首を振っている。

010_2麻機沼の堤防工事の際に、側面緑化材として、種がまかれたようで、一時は一面ピンク色に染められた感があったが、ここ二~三年ほかの草に負けたらしく、草の間にまぎれるようになってきた。

しかし、これはこれでまた景色がいいようだ。

ただ、この草も外来種であり、麻機沼を昔に戻そうとする人たちにとっては、邪魔な植物かもしれない。

一般に月見草と呼ばれる待宵草(マツヨイグサ)とは、同じアカバナ科に属するのだが、黄色い花びらの待宵草とはずいぶん印象が違い、この花の色合いは桃色と言うより、ピンクといったほうが似合っていると思う。

.

.

傍目には危険な動作に見えても、長年その仕事をしているものは感覚が麻痺して、平気になったり、そんなことが起こるとは予想もせず、いざ起きたときには「想定外」とあわてふためくものである。

今回茨城県で起きた、原子力機構の研究員が被爆し、放射能が施設外に放出された事故もそのひとつかもしれない。

今日のテレビを見ていたら、この事故の報告がかなり遅れていた上、会見に臨んだ施設の責任者は何だか他人事のように”しら~”とした口調で経過を述べるだけだった。

つまり、この人たちからみれば、「何も騒ぎ立てるほどの事故ではなかった」と言いたいのではなかっただろうか。

放射能は、目に見えない上大変危険なものだとの認識は、どうも原子力村といわれる業界の中で認識が薄いのではないだろうか。

いまから13年前にも放射性物質をバケツで移動させるというあきれた裏マニュアルの手段で限界事故を起こし四人が死亡する事故が起きている。

また、最近では、指摘された検査をしないで済まそうとした敦賀原発など、福島の原発事故から教訓を得ようとしない振る舞いが多いのは、なんだかんだと言っても安倍自民党政権が原発再始動に協力してくれるとタカをくくっていると見てよいのではないだろうか。

.

折から、全柔連の理事がセクハラで辞任をするそうだが、何とか村といった狭い世間を作っている団体は何かと独りよがりの思い込みでことを小さくしてしまう傾向がある。

これらが風通しよくなるのは、、、、、百年俟河清  といった所なのだろうが、こんな人たちに危険なものを扱わせるのはここらでやめにする必要がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月23日 (木)

素朴な感じが好き

011

ちかごろ散歩に出かけるのがめっきり減ってきた。

かわって、二カ所の畑と蓮根畑に行くのが増えているのだが、その畑の脇にある空き地にゼニアオイが咲きだし、梅雨がもうすぐのところに来ているのを知らせてくれているような気がする。

園芸品種になっている、タチアオイにくらべると、花の色も赤紫のこの色しかないようだし、花の名前の元になっている銭(一文銭)よりは大きいが、花のさしわたしが5センチ程度と小さい。

しかし、なんだか素朴な感じが好きで、空き地から駆除することが出来ないでいる。

.

.

今年80歳になった三浦雄一郎氏が世界最高峰のエベレストに登頂したというニュースが繰り返し放送されている。

80歳と言う高齢でこの山の頂上に行こうという気力と執念には感心する。

しかし、このニュースが連日、リアルタイムに届くというのはどういうことなのだろうか。以前なら、四~五日はかかっていたのだが、衛星通信などを使ってのことなのだろうかと想像してしまった。

それにしても、「登頂を前にして寿司を食べた」などと言う記事を見ると、どんな登り方をしているのだろうかと考えさせられてしまう。

まえに、富士山に100歳で登頂した人の記事を見たことがあるが、二十人以上の人が付き添い半ば抱きかかえるようにして頂上に運び上げたそうだ。

どうも今回も、映像のはしばしに多数の人間が取り巻いているように見える。

エベレストにかぎらず、世界的高山に登るには、物資の運搬などでかなり高額の出費がかさむそうだが、今回のは並大抵の額ではなかろう。

億単位のお金を使って、、、いやもっと上かもしれない。自分たちは周りがお膳立てしてくれて神輿に乗って物事達成する人を大名芸と言うが、それに近いのかもしれない。

それらを隠して、「快挙 快挙」と叫ぶのはいささか腑に落ちない。

おりから、「ユニセフからアフリカなどの貧困対策に月々三千円ほど寄付していただきたい」と言う趣旨の手紙が来た。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年5月22日 (水)

グミが色づいて

008

グミの実が赤く熟れていたので、片手でもぎ取れるだけ摘んで食べた。

春先に、黄緑色をした筒状の目立たない花を下向きに咲かせていたと思っていたのだが、早いものである。

グミの木は、高木にはならず、高くても2~3 mほどにしかならないため、子供でもらくらく採れたことから、子供同士の競争が激しく、橙色の段階で手を出さないとありつけなかった。

当然、半熟の木の実では灰汁(あく)が強く、口中に唾と反応するのかザラザラとした固形物が残り、あまり食べ過ぎるといまの言葉で言う便秘になる、、、、、当時は、糞詰まりになるといわれ、おっかなびっくりで食べたものだった。

いまの子供にグミとは、と聞けば、百人が百人、赤だの紫の小さな菓子をいうと思うのは、この実が食べられるということを知らないからだろう。

”グミ”とは、ドイツ語でゴムのことをいうそうで、この木の実とは全然関係がないそうだ。

ちなみに、この実を漢字で書けば「茱萸」となり、赤い実から来た名前かとも想像してみたが、、、、、、、、、、

ただグミは何種類もあるらしく、秋になって川原で食べた、いわゆるアキグミが一番美味しかったように記憶している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月21日 (火)

展覧会の絵に似て

007

晴れ上がった空のわりには湿気が強かったようで、太陽の日差しそのものより蒸し暑さが身に染みた一日だった。

三月に入ってから植えたじゃが芋も花を咲かせ始めた。

今まであまり気にしたこともない花だったが、よく見ると白い花びらの中ににじませたような青紫色が点々とある。

遠目には全体が薄紫とばかり思っていたのだが、展覧会の絵同様、離れてみるのと間近で見るのでは違うものなのだ。

いままでは、見るともなしに見ていたので分からなかったが、やはり、じゃが芋の種類で花が違うのだろうな。

あと、一ヶ月もすれば地表部が枯れて食べごろになるのだろうが、静岡のじゃが芋はそれまで待てない。

田植え前には、掘りあげてしまわないと、、、、これが、二毛作の難しいところ。

.

.

今日は、孫娘が来た。

少し前に、じいじん家のさくらんぼが熟れてきたのと、池ヶ谷のビワが食べごろになったと言ってあったので、それに応えてやってきたのだ。

この子は、昨年高校を卒業した娘なのだが、小さな頃から果物が大好きで、閑を見つけてやってきた。

人間の味覚と言うものは、育って来る環境の中で味を覚えるというのが、自分の持論であり、生まれて初めての離乳食は大抵の赤ん坊が顔をしかめて身震いするように、初めての味は受け付けにくいものがある。

しかし、周りの大人が、旨そうに食べたり勧めることによって、この味が旨いのだと脳みそに教え込むことで、食べ物の好き嫌いが出来てくる。

したがって、歳をとってから新しい味にはなかなかなじみにくいものがあり、その典型は、納豆であり沢庵で、外人がこの味になじみにくいのはそのためである。

同じ孫でも、少しはなれて育ち、我が家に来ることの少なかった孫は、果物より菓子のほうが好きなのは、味覚は遺伝ではない証拠だと思っている。

ともあれ、小さな木で粒も小さかったが、手入れもしていないビワの味は格別である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月20日 (月)

雨中に桑の実を

011

お昼まで細かい雨が断続的に降っていて、まるで梅雨に入ったような感じの天気だった。

昨日まで、畑のたまねぎやニンニクの採り入れと苦土石灰を撒いて、鍬で耕すなど、百姓仕事もこの雨で二日は駄目だろうとおもい、傘をさしての散歩は、蓮根畑の視察だけで今日は一日グウタラと過ごしてしまった。

その途中、雨に濡れた山桑の木に立ち寄り、少しぐらい摘まめるものはないかと、下から覗いてみたが、道脇にあるためかほんの少ししか収穫はなかった。

それでも、久しぶりに懐かしい味に出会えて、子供の頃を思い出し、、、、、

013まだ熟れていない桑の実は、、、

最近、このあたりでは蚕を飼う家もなく、桑の木畑は見ることもないが、あの葉っぱの大きな桑の実は旨くない。

葉っぱを食べる蚕は、どうなんだろうと思ってしまう。

明治初期に生まれたおばあさんの家で飼っていた当時の蚕は、子供心にもあんな大きなものでなく、露が付いていては蚕が死んでしまうといって、雨の日の桑の葉摘みは大変だった。

子供の自分たちは、桑の葉よりあの実を食べるのに夢中で、木によじ登って実が密集している場所行こうとしてよく叱られた。

その日の桑の葉がつみ終わる頃には、口も手も紫色に染めて、機嫌よく木から降りてきたものだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月17日 (金)

いま飛び立つとき

021

春も中盤、真っ盛りのこのごろは野山の新緑も色濃くなって、柔らかな色からふてぶてしいといった感じになってきた。

春一番に咲き出したタンポポも、いよいよ旅立ちの季節。

強い風に煽られ、ひとつひとつと情緒のある飛びかたでなく、むかしの集団就職のように群れになって、飛び立っていく。

落下傘をつけたこの種もどこに落ち着くことやら、、、

うまく芽を出すのはこのうちいくつやら、、、、、、

そういえば、昭和30年代に就職列車に乗り込んで、都会に出て行った若者も、今では70歳近辺、、、、、、その地で根付いたもの、挫折して、、、、歳だけは皆平等にとってはいるのだが、、、、、、、

同級会ではいいことばかり並べ立てていたが、、、、、、、

「でも、同級会に出てこられるものは、いいんだよ」って言い合っていた。

.

.

今日は静岡市の胸部健康診断の日で、近くの小学校の校庭にレントゲン車がやってくる。

九時半から始まるのだが、いつもは閑な老人が早くから終結して、長蛇の列を作るので、行列嫌いの自分としては昼休みの少し前を狙っていくことにしている。

しかし、そのまえに歯を固定していたワイヤーに先日来舌が触れて気になっていたので、歯医者に予約を兼ねてと出向いたところ「すぐにやりましょう」とのことで診察室に入れられた。

「とりあえず、舌が触るところを補修しましょう」と起きたり寝たりする椅子に坐らせられたが、触診の結果、かなりあちこちにダメージがあるということで、レントゲン写真も撮ることになった。

「今日は胸部のレントゲン写真の撮影があるんだけど、、、」

鉛入りの服を着せられて、頭の周りを機械が一回転で終わる。

最近のは、直ちにパソコンに取り入れられて画像で見せられる。「ここがこうなって、あそこがこう、、、と」「先生、胸部検診は11時半で午前の部が終了です」

結局、レントゲン車のところについたのは締め切り三分前。

レントゲン車の傍には誰もいなくて待ち時間はゼロで二度目のレントゲンを浴びた。

今日の被爆量はどれだけなんだろうか。痛くもかゆくもないだけにかえって不気味なものがある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月15日 (水)

花を見る余裕もなかったか

029

標高1,414mの地蔵峠の近くに可憐なミヤマカタバミが群生していた。

056この花は、夜になると花びらを閉じてしまうため、登りの時にはまだ閉じていた。

それで、この花の写真は帰り際に写そうと思ってそのまま登っていったのだが、その場所に戻ってきたとき、これから山頂を目指す山ガール一行とすれ違った。

みんな半ズボンに長い靴下みたいなスタイルで決めている。(こんな表現でいいのかな?)

自分が駐車した場所より下のほうから歩いてきたと見え、五人パーティーの三番めと四番めがかなりばて気味の感じで周囲に目を配る余裕もないように見えた。

そのうえ、パーティ全体も周りの景色に無関心の様子で、小さなミヤマカタバミなどに目をくれるものもいない。

自分が花を写そうと立ち止まっているのを、道をあけてくれたと勘違いした様子で挨拶をしながら登っていった。

.

.

橋下大阪府知事の発言が、中国や韓国はおろか日本でも非常識と非難されている。

そして、思想的に親子のような石原慎太郎もこれを擁護し、関係者は困惑しているとマスコミは報じている。

しかし、自分的には「もっとやれ もっとやれ」と思っている。これは、彼らの意見に賛同しているのではなく、日本維新の会というものはこの程度のものだと世間が認識してくれるいい材料だと思っているからである。

同じような、思想の持ち主である安倍首相は、靖国神社に代わって国立の戦没者異例の場所を設置することに反対だそうだ。

理由としては、靖国神社に行くと身が引き締まる思いをするからだという。

その考えの中には、軍人のみが国のために死んだという考えが強固にあるからだろうが、東京を始め主だった都市が昭和20年に入って空襲を受け甚大な死者と被害を出したことに対する国の責任をいまだに糾明する気がないためである。

福島の原発事故もそうであるが、原因の究明と反省をしないで次のステップに進もうとする日本固有の考え方をいい加減修正するには、これらの人を国の代表にするのは止めなければならないのだが、、、、、、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月14日 (火)

黒文字

013

044黒文字の花。
小さくて黄緑の色をした花は、背景の若葉とあいまって本当に目立たない存在で写真にはしにくい花である。

平地ではまず見られないこの木は、名前の由来になった黒っぽい樹皮の下に芳香を放つ油分があり、むかしから爪楊枝などに利用されてきた。

時代劇で、浪人の内職といえば傘張りと爪楊枝つくりであったが、この爪楊枝の正式の作り方といえば、手元になる部分に少し樹皮を残し、ほのかな香りを楽しむように作るものだと聞いたことがある。

そして、今では「クロモジはいかが?」なんて声かけられるのは、よほど値段の高いバーであり、和菓子の脇に添えられていれば、それだけで「高そうな」と言う先入観がついてしまうほど、高級なものになってしまった。

また、爪楊枝に利用された原因のひとつとして、削った先がしなやかに折れにくいことであったが、その性質を利用して、雪国では”輪かんじき”材料としてつかわれ、自分たちの子供の頃は、どの家にもいくつかあり、山歩きや屋根雪降ろしの際にはこれをはいて雪の上に立ったものだった。

輪かんじきといえば、自分も親父に作ってもらったのを持っていたが、これをつけて歩くときは、足を左右に広げて歩かないと、片側の足の輪を踏みつけてしまい、倒れることがある。

それに注意しながら、雪山でウサギ狩りをし貴重な蛋白源として食べたことは今で懐かしい思い出であるが、雪のない静岡では不用品であり、こちらに出てくるときに友人に譲ってきたが、、、、、、、、いまでは、使うこともないだろうな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年5月13日 (月)

八潮躑躅が見られなかった代償

027

五月に入ってすぐくらいのこと、新聞に大井川左岸の大札山のアカヤシオの花が咲きだしたと報じていた。

お茶摘みの暑い日だったのと、今年のお茶は例年より伸びが早いということも聞いていたので、アカヤシオの花が咲き出したとしても不思議ないと思っていた。

それから十日あまり、そろそろ、シロヤシオが咲き出していたとしても不思議ないな。と思って、今日は久しぶりに山に登ってみようと決めた。

去年の八月に龍爪山に登って以来放りっぱなしで硬くなっていた靴を引っ張り出して見た。

さてどこの山に行ってみようか。思案の末決めたのが、大札山と高さが同じくらいの岩岳(1,652m)に決めて自動車を走らせた。

有東木を過ぎ、正木峠の駐車場に着いたのが七時半。そこから、地蔵峠まで40分の道のり、、、、、

途中で、気がついたのは、意外と山の緑が少ないことだった。

063いつもなら、群生しているはずのイワカガミもところどころにしか咲いておらず、木の芽吹きも遅い。

どうやら今年は当てが外れたと思ったのは、地蔵峠のすぐ先のアカヤシオに一輪の花もないことが分かったときだった。

ここから道は、南北に尾根筋をたどる道があり、南は仏谷山から青笹山に、北は岩岳に向かうのだが、今回は「自棄のやんぱち」で予定通り岩岳に向かう。

ウグイスやアオバトの声に励まされてようやく芽吹き始めた道を登り、山頂に着いたのが九時半。

シロヤシオが一番綺麗に咲いた2,005年、岩岳山頂の標識は白く飾られていたが、今回は芽吹きの兆しが見られる程度。

かわって、刈り払われた笹の先から見えた富士山は白い雲海の先にあり、途中の山々は全て雲の下。と言う光景がみえ、この写真を写した数分後には岩岳山頂に霧が襲い掛かり全ては白濁した雲に包まれたのは、地蔵峠の地蔵様が、八潮躑躅(ヤシオツツジ)が見られなかった代償に見せてくれた光景と信じたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月12日 (日)

鴨と雉の区別

010

山法師の花が咲き出した。

白い大きな花びらの中心にイガクリ頭のような丸いぼっちをつけて咲いている。

名前のいわれは、言うまでもなく、むかし比叡山などにいた僧兵を摸したものである。

046完熟した山法師の実

この木の名前は、子供の頃は「イツキ」と呼んでいたが、どうも、”水木”の読み間違いではなかったかと思う。

何せ子供のこととて、どんな漢字が当てはまるのか考えたこともなかったが、八月の夏休みに入る頃になると、この実が大きくなって赤く熟れてくるとしょっちゅうこの木に登ってサッカーボールのような形をした実を採って食べたものだった。

中身は、黄色くなってマンゴーのような感じがする味である。

当然のことながら、ほかの子供に教えて分け前を減らすような偶はせず、いつも山に一人で入って独り占めに貪り食ったものである。

いまの子供は、この実は勿論アケビやマタタビ、サルナシなど山の幸を採る。と、いうことをしないので、これらの実を山で見つけると、いまだに年甲斐もなく木に登ってしまう。

.

.

先日のことだが、お茶摘みのときによく聞いた雉の鳴き声は、下のほうの家に飼われていたものだった。

同じところから良く聞こえていたので、縄張りにするのによほど条件の良いところかなと思っていたのだけれど、囲いの中にいたのでは動きようがない。

それを知ったのは、その傍の茶畑に入ってからのことだった。

例によって、女性陣の雑談にもそのことが入っていて、「あの鳴き声は何だろう?」「雉の声だよ」

そこまではよかったが、「雉って口ばしが平べったいのかね」からおかしく話が曲がっていった。

雉といえば、日本の国鳥で、教科書や写真、切手などによく出ている鳥なので誰もが知っていると思っていたら、、、、、、、、、、

教えてやろうと思ったが、あまりにも話が横にそれていくので、どこまで行くのかと、聞きほれてしまった。

帰るときになってようやく気が付いたのは、道路の脇にある金網の中に、鴨の仲間、カルガモが二羽入っていたことであった。

雉の入っている金網は、道路から見えないようにブルーシートで覆われていたのであった。

檻と檻の間隔は5mと離れていなかったための間違いだろうが。   それにしても、、、、、、、ねぇ~

.

.

安倍総理は、九十六代の総理大臣だから、憲法96条を変えたいなどと、さも重大な問題でないような口ぶりで、洒落にもならないことを言っていた。

目的は、憲法九条をはじめ、戦前の憲法に変えたいところにあるのだが、その前に変えやすい憲法に変えておき、国会議員の半数が賛成すれば、と言う狙いらしく、その先が見え見えである。

右翼といわれる「維新の会」の連中もまったく同じことを言っている中、憲法はいま”風前のともし火”のように揺らいでいる。

もし、この改定がきまれば、時の内閣によって憲法は政権党が変わるたびにしょっちゅう変更されることになり、猫の目憲法になりかねない。

基本である憲法が、このような事態になればそれに従う法律も同様であり、昨日はああだったが明日はこうだになってしまう。

なんとか、あんな「お坊っちゃん首相」辞めさせる手立てはないものだろうか。

いま経済学者やマスコミはかもと雉を間違えているとしか見えないのだが

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月11日 (土)

遊びに行きたし

010


雨が降ります  雨が降る

遊びに行きたし 傘はなし、、、、

ではないが、終日雨が降っていた。

おかげで一日家の中

軒下で、ナスやきゅうりの種をポットに入れて、発芽させる用意をしたぐらいでほかにすることもなし、、、、。

こんな日は、なんとなく身体がだるく、どうでも良いテレビを見ているうちにうつらうつらとまぶたが下がる。

さはあらじと縁側から外を眺めれば、日が当たりにくい場所を占拠している、ユキノシタに白い花が見受けられる。

下側二枚の花弁が八の字に開き、一見「大」と言う字に見えるその先端にも水滴が付いているが、その大きさは雨粒よりかなり小さい。

どうして、こんなに小粒になったのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月10日 (金)

海岸にばらまかれた

003


002野菜の苗などを買いに行ったついでに大浜海岸に出て浜昼顔を見てきた。

行って見ると結構海岸の砂浜が広がっているのに驚いた。

子供たちが、まだ学校に通っていた当時、夏休みになるとここのプールに連れて来たものだったが、当時は、堤防のすぐ外にまで海が迫っていたのものだが、今回は、100m近く砂浜が出来ており、低い草に混じってあちこちにピンクの花が固まって咲いていた。

ちいさな心臓型の葉っぱも地面にくっつけたまま咲いているさまは、砂浜にピンクと緑をばら撒いたように見えぬでもない。

この砂浜が出来たのは、海岸付近に設置したコンクリートブロックのためだろうが、良くここまで広げることが出来たものである。

しかし、このコンクリートブロックが影響して、三保の松原が世界遺産から除外されたと聞くと痛し痒しといったところであるが、昔のように大きな砂浜が復活させるには良い工法だったと思っている。

.

.

昨日、自動車の納税通知が来た。

その説明書によると、エコ対策車は税金が安くなると書いてあったが、自分のように10年以上使っている車には満額、それ以上前の車はさらに加算税が付くともあった。

何だかこれを見ていると、国を挙げて自動車メーカーに援助しているような気がしてならない。

いまの自動車は、年数こそたっているが、、、、いや、経っているからこそ実に慣れ親しんで運転しやすいし、故障も、車検のときにした軽微な補修で過ぎてきた。

いまさら、税金の軽減で買い換える気持ちもないのだが、この説明を見ると「早く買い換えなさい」といわんばかりである。

むかしは当然のことながら、物を大切に使うことの大切さをどう考えているのだろうか。

また、今日の報道では、1ドル=100円を乗り越えてしまったそうで、安倍総理の目論見通りになってきた。

この先どうなるか分からないが、あまりにも急激な円安は自動車などの輸出メーカーには好都合かもかもしれないが、輸入品の高騰はわれわれの生活に多大な負担を押し付けている。

ものみな2%の物価上昇でも困るのに、80円のものが100円になったのでは、どうしても買わなけれならないものしか手が出なくなりアベノミクスは崩壊してしまうのは火を見るより明らかであろう。

先日も、長野に行った折聞いた話では、灯油の値上がりに対処するため、薪ストーブに変更する家が増えたとある。

この調子で行けば、庶民はふたたび煙がもうもうと上がる生活に戻るかもしれない。

これって”エコ”

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 9日 (木)

駿河路や

026_2

駿河路や 花橘も 茶の匂い

芭蕉がうたった句として今に伝わっている。

静岡にいれば、かんきつ類の花も珍しいものではなく、いまが盛りとあちこちで花咲かせている。

今日は久しぶりに池ヶ谷の山へ知り合いをたずねて向かった。

あまりの上天気だったので、途中でビールとつまみを買い花見としゃれ込むことにした。

ここには、毎年のように分けてもらう甘夏の木があり、その木の下で街中を見下ろしながら昼酒を楽しむのだが、丁度満開の花は、如何にも柑橘類といった香りをあたりに振りまいている。

樹下の三賢人ではないが、他愛もない話と冷たいビールは幸せ感で満たされる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 8日 (水)

棘で武装しても

008

安倍川の土手に咲くアザミの花。

005日当たりの良い土地を好むこの花にはもってこいの土地柄なのであちこちに群れをなして咲いている。

小さな管状の花を密集させて、ひとつの花のように見せかけている様子は、高校野球などで女子高生が応援に使うボンボンのように見えて面白い。

この草は、自分も食べたことがあるが、野菜のように柔らかく、癖もなくて美味しいので、おひたしや味噌汁の具になった。

アザミ自身もそれを知っているのか、全身に棘を突き出して自己防衛に専念しているが、人間は勿論、牛や山羊なんかもこの棘を物ともしないで、むしゃむしゃと食べ散らかしている。

何だか、自国防衛のため軍備を充実させても「意味ないよ」と言っているようで、、、、、

.

.

昨日までの、お茶摘みから開放されて、今日一日何もする気がなく、ボーっと一日を過ごしてしまった。

暖かな日和の中、少々もったいない天気と思いながらも身体が動かない。

それでも、午後になって連れ合いが年間5千円で借りた近所の農園の畝つくりを手伝ったあと、帰り、また横になってテレビの監視で一日が過ぎた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年5月 7日 (火)

これってエコ?

012


011静岡も安倍川沿いを遡って行くと額空木の花が白い飾り花をひらひらさせて目立っている。

花は、この白い額の陰に隠れるようにして、小さな花びらを持った直径2~3mmの花を密集させている。

額で目立たさなければ、虫たちにアッピールできないのだろうか、それとも、大きな花を咲かせて、木に負担を掛けない、エコノミー商法なのだろうか。

.

.

お茶摘みがようやく今日で終了した。

これ以上、手積みを続けていると葉が硬葉化してしまうため、明日から機械刈りに帰るそうだ。

「年年歳歳花相似たり 歳々年々人同じからず」とか、昨年暮れから蓮根掘りに続き、今度はお茶摘みと今までやったことのない仕事をして見てまた違った春を見ることが出来た。

いままでは、人ごみは嫌なので五月の連休はどこへ行こうかと考えていたものだったが、とにかくそんなことを考えなくて済む一週間であった。

明るい太陽の下、鳥の声を聞き、会ったこともなかった人々に混じって雑談に加わり、遠くの話に耳を傾けたりしながら手を動かし、夕方には心地よくくたびれ果てている。

そうしたなか、一昨年の病気治療以来すぐ疲れ、二日も持てばよいかなと思っていた連れ合いも、ずっと続けられたのが一番の収穫であった。

”毎年毎年同じようにおとづれる季節だが、人の心の持ちようで景色が変わる”と聞いたが、本当にそのとおりであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 6日 (月)

かなり草臥れ果ている

016

斜面を削って造った駐車場の脇でほかの草に埋もれるようにしてハンショウヅルが紫の小さな花をぶら下げていた。

花の直径は開いたところで1センチはないだろう。そして長さは2センチくらいか、、、むかし、火の見やぐらの天辺にぶら下がっていた半鐘に似ていると名付けられたそうだ。

一昔前までは、市街地でもあちこちに火の見やぐらがた立ち、いざ事が起きれば「カンカンカン」と連打して火事を皆に知らせていた。

しかし、周りにそれ以上の建物が立つと、視界も利かずかなり数を減らして、今では記念物的存在になってきた。

そんなことを思っていると、十時ころになって、茶畑の下の県道を、消防自動車や救急車が何台もサイレンを鳴らして通り過ぎ、ヘリコプターまで空を舞っていた。

かなり大きな事故かと思ったが、夕刊は休みの上、テレビも関連の放送はなし、そしてインターネットにも、、、、、、

.

.

かなりくたびれ果てている。

ここしばらく、八時から五時という長時間の立ち仕事をしていなかったためである。

お茶摘みは一日の中休みを挟んで今日で五日目、当初は初めての経験でもあり、話しの種として二日ほどでおわらせる予定だったのだが、、、、、、

どうも、今週いっぱいやってほしいような雰囲気になってきた。

明日からは、ゴールデンウイークも終わり、いままでのお茶摘み手伝いも半減するそうで、、、、、、「まあ 猫の手代わりなら」と引き受けてきたのだが、連日あちらの畑こちらの畑と移動しながらの茶摘みで、親指と人差し指を中心に手のひらが分厚くなってきたような気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 3日 (金)

モデルになる

002

「晴れた五月の青空に、、、」と鼻歌が出そうなよい天気。しかし、茶畑について農場主から「今日はここです」と言われ、全体を見渡すした途端げんなりとしてしまった。

いままでは、こんな茶畑を見ると、「綺麗だね」「気分が爽快になる」などと言ってきたものだが、立場が変わると感じ方もまるっきり反対になってしまう。

これを摘み取るのに何日かかるのか、、、、今日はどこまで行くのやら、、と

摘みだしてから二時間、、、、急にあたりがにぎわしくなってきた。

それまで聞こえていた、ウグイスの鳴き声に変わって幼い子供を交えた団体が隣の茶畑に入ってきた。

総勢60人とか、、、、なんでも、お茶摘み体験に参加した人たちだそうだ。

下の道路にはテントが張られ、昼にはこの冬このあたりを荒らしまわっていたイノシシを捕まえていたので、それを猪鍋にして振舞われるとか、、、、子供たちの声と走り回る様子にびっくりしたのかウグイスもどこかへ消え去り、昨日までの静けさが一転   。

そのうち、カメラを持ったおじさんおばさんが「写させて貰っていいですか?」とこちらの畑に入ってくる。

その畑に入っていた五人の摘み手は、遠くから近くからレンズを向けられ一躍モデルに変身する。

そして、手摘み経験一日半の自分ら夫婦もベテラン扱いを受ける。

いままで、他人を写して来たが今回は写される番、、、、なんとも格好が付かない。

そんな連中も昼過ぎには、駐車場のほうに帰っていったが、上の畑でデモンストレーションで機械摘みしていた、農場主たちとその子供たち、それに親戚の人が加わって、総勢十三人で手摘みが始まった。

途端にスピードが倍化し速い速い、、、、、、、、

こちらも煽られて、オーバーワーク気味、山の端に日が落ちて五時の有線放送が鳴り響く頃は疲れ果ててしまった。

この調子では身体が持ちそうもないと判断し、明日は休ませてもらうことにした。

ただ、疲れたとは言いたくないので、、、、、、、、来客があるのでとごまかしたが、どうも見え見えだったようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 2日 (木)

八十八夜新茶 初めて摘み手になる

002

昨日は午後からの雨に中断されたものの、今日は朝からお茶摘みに狩り出されている。

今日は、立春から数えて八十八日目。文字通り”八十八夜新茶”である。

空は、すっきりと晴れ上がっていないが、萌黄色の新芽が出揃った茶の木、そばの木にはウグイスが来て啼き出すし、下のほうでは雉の鳴き声が響く、こんな環境の良い仕事はほかにあろうか。というのが第一印象である。

ところは、安倍川中流域の平野。静岡では、「本山茶」と言うブランド名で知られているところであるが、自分らからすると、この歳になって初めてのお茶摘みであり、気力体力をはじめまともに出来るのか心配でもある。

昨日は、摘みかたを教えてもらうことから始まって試運転と言ったところ。そして今日は朝から、しばらくぶりの八時間労働に、最後はかなりばててしまった。

摘み手は、農園主と自分以外は女性、、、、と言ってもおばあさんばかりだが、作業を始めて分かったことのひとつに、やはり女性陣は根気が良いということであろう。

自分の性格もあるが、すぐ飽きてしまうこと。これが摘みかたのも現れて積み残しが出来てしまう。

したがって、一度摘んだところに戻って再度摘みなおすことがたびたびあった。

それでも、向かい合ったり、両端からぶつかったりとか好き勝手に畝の間を動き回ったが、七人のマンパワー面白いように仕事がはかどっていくのは、少し離れた場所で二人の摘み手が働いているところに比べると、、、、よく分かる。

ただ下手な、われわれ夫婦には農園主も口には出さないが我慢していることだろうと想像がつき、「何だかすまないね」と言う気持ちが先にたってしまう。

ともあれ、この手摘みは七日まで行なうということで、「明日もお願いします」といわれると、いいのかなと複雑な気持ち、、、

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年5月 1日 (水)

絶好の地を見つけた”喜び”

019

023マツバウンラン。この花を始めてみたときは、ひょろひょろとした茎の先に小さな青い花であり、風にゆられて右左と傾くさまは如何にも可憐に見えた。

ところがどっこい。最近になって麻機の山の斜面の至るところに咲き出して斜面を絨毯のように覚め始めると何だか最近不気味見え始めた。

なんでも、北アメリカが原産で日当たりの良いところを好むという性質から、肥料の効いた蜜柑山や茶畑が絶好の場所だったらしい。

花として持ち込まれた物が逃げ出したのか、輸入品の中に紛れ込んでいたのか分からないが、その繁殖力はには強い生命力というより、これから何かおきるのか心配になる。

花言葉は「喜び、輝き」だとあるが、これは、絶好の地を見つけた花自身の感想ではないだろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »