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2013年8月31日 (土)

秋の七草は

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昨日、女郎花を紹介したのに続き今日は秋の七草のひとつフジバカマで行こう。

これらの花が次々と見られる。と言うのは暑さに関係なく秋がひたひたと忍び寄ってきているのかと思うが、コスモスの花同様、かなり前から見受けられるところを見ると、”秋の七草”という言いかたも少しおかしくなってきているようだ。

この花は女郎花同様に密集した花を茎のうえに咲かせているが、花一つ一つがはっきり分からず、ただもじゃもじゃと茂らせていると言った感じで咲かせている。

もう少しすると、この花の蜜を吸いにアサギマダラがよってくるのだが、今日は、まだ山から降りて来る気配もなく、かわってハナアブがダンディーな着こなしで蜜を吸いに来ていた。(ハナアブの種類が多すぎて判別できない)

このもじゃもじゃっとした花のどこに蜜があるのか分からないが、迷う様子も見せないで動かないのは、人間にはわからない視力なり嗅覚があるのだろう。

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今年の暑さは梅雨明けが早かったためもあって、高温多湿の気候の中、自分の周りの人もかなりへばっていて、食欲がなくて夏痩せをした。といっている。

そんな中、自分だけかもしれないが、体重が増えていく。

夏ばては自分も同様なのだが、暑さの中外に出て行く頻度がかなり減ってきている。とくに、暑さの厳しい午後はほとんど家の中に居てごろごろとしていることが多い。

当然傍に食べるものがあれば、手が出てしまう。

胃腸のほうは幸いなことに、夏ばてを起こしていないので、こちらはすごく順調、

これが、夏太りの原因であることが明快至極。

しかし、分かっていても止められないのが、食欲であろう。

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2013年8月30日 (金)

いまもむかしも

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秋の七草のひとつ、オミナエシの花がすっと伸びた茎の先に、細かい花の集団を黄色く咲かせている。

オミナエシを”女郎花”と書いたのは古く、平安時代のころという。

植物図鑑によると、”おみな”とは女を意味し、”えし”は圧しであり、美女を凌ぐ美しさを意味しているという。

それにしても、遊び女を意味する”女郎”を当てたのはどういう意味なのだろうか、平安の頃の美女はお多福であったと言われているが、遊び女はいまの女優のように憧れの的だったのだろうか。

どうも花の印象からは、ほっそり美女を連想してしまうが、、、、、、見るのは「柳腰の美女」と言うのは今も平安のむかしも一緒だったような気がしてならない。

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昨日までの気温はひとっころの暑さに比べてかなり下がってきていたし、月末あたりから台風の影響を受けて雨が降りだす。と言う予報だったので、しばらく種まきを控えていた畠に暑さに強いと言う品種のほうれん草を蒔いてみた。

ところが、どうも台風は日本海のほうに行きそうで、静岡にはわずかしか降らないと言う予報になってきた。

おまけに、前線に吹き込む熱風で、清水区では日本最高の37度にまで気温が上がり、畠の土が熱を含んで焼け土のようになっている。

これでは、蒔いた種がもたないと思い、一番暑いさなかに日よけの寒冷紗と如雨露をもって、水遣りと日よけを作ってきた。

今年は、この熱風と小雨のため野菜が出来ないそうで、昨日行ったスーパーでも、倉庫から出してきた野菜を奪うようにして、群がっているのを見た。

虫の良い願いだが、「台風が適度な雨と寒気を連れて来てくれ」と祈らずにはいられない。

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2013年8月29日 (木)

朝霧に咲く

昨日、朝霧高原で涼しさを味わった身にとって、今日の暑さはまたひとしお身に染みた。

何もする気がないので、昨日写したハングライダー練習場に咲く花々を公開し、涼しさのよすがとする。

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シシウド

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マツムシソウ

039094_2左、ユウスゲ     右、ワレモコウ


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ツリフネソウ

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2013年8月28日 (水)

孫の初フライト

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きのうになって孫娘から電話があり「じいじたち明日は閑?」

「うん、年がら年中閑だよ」と応えたら、「あした、朝霧高原に一緒に行かない?」と言うお誘い、、、、

事情を聞いたら、ハングライダーの講習を無料でしてくれるという話しがあり、友達と一緒に申し込んでいたら今日になってキャンセルしたという。

それで、一人で行くのは怖いので、一緒に行かないと言う誘いになったそうだ。

断われば、免許取立ての娘が一人で行くことにしている。と言うのを聞けば、爺馬鹿チャンリンとしては放っておくわけには行かない。

そこで、涼みをかねて爺婆が同行することにした。

富士の宮の交通渋滞を考えれば、朝早く行くしかないと、孫娘をせきたて朝七時に出発、予定より二十分早い九時過ぎ、教習場に到着。

115まるっきし初心者で小柄な孫は器具の説明装着から始まり、ハングライダーの入ったバックを背中に背負った格好は、荷物が歩いていると言った風情。

それでも、ものの30分ほどしたらハングライダー練習場の中央に築かれた高さ20mの小山の上に居り、山頂でハングライダーを二~三度広げたかとおもったとき、斜面を下り、わずかではあったが空中に飛び出した。

じいじとしてはこの初フライトに富士山を入れてを映さなければ、と遠くからカメラを構えていたが、まだ飛ばないだろうとおもって油断しているうちに、、、、、

かろうじて、映したものの出来は良くなかった。

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その後、休憩を挟み2時間ほどの間に5~6回飛んだのではなかったろうか、済んでからの感想は気持ちよかったけれど、小山を登るのに草臥れはて死ぬかとおもったと大げさなことを言っていた。

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それにしても、今の若い人たちはいろいろと経験できることがあって「いいなあ」と言うのが、体重が重すぎたじいじの感想。

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2013年8月27日 (火)

青も白い

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落ち葉の下で啼いていたコオロギ

久しぶりにすっきりとした朝を迎えた。

気温は、22度だったが、湿気が少なくてそよ風と言った感じの微風が吹いていたため、体感温度は20度を下回っているような気がした。

新聞を取り込むためドアを開けると、か細いながらリリリリッとこおろぎの鳴き声、秋は涼しい風ともにやってきた。

おもわず、唱歌の「虫の声」を思い出した。

秋の夜長を鳴き通す ああおもしろい虫の声    と

この歌、子供の頃”ああおもしろい”と言う部分を”青も白い”と聴きなして不思議なことを言うものだと思っていた。

童謡「赤とんぼ」の”負われて見たのはいつの日か”の”おわれて”をよく間違えて解釈されると言うのと同様の間違いだが、目で見て覚えた歌詞でなく、耳から入った歌詞にありがちなことである。

そしていま、若い人たちの歌は、テロップ入りでなければ聞きなしでもさっぱり分からない老人になってしまった。

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003青い空を背景に白い百日紅

今日から、消費税の引き上げに関して有識者の聴聞が始まったそうだ。

麻生財務相や甘利経済担当相のにやついた顔がテレビに出ている。

有識者の聴聞という形式を経て増税に踏み切るのだろうが、この有識者と言われる人を選別したのは、これらの主催者と呼ばれる人たちであり、都合の良い人を集めて、都合の良い答申を出させ国民の声だという茶番劇の始まりである。

国のあまりにも大きい借金を前にして、これを減らすには増税しかないと言う発想、取り易いところから取り、企業減税など支持基盤には甘くすると言う自民党的資本主義にしたのは言うまでも無く国民であるが、このあとのTPPなどでさらに大企業を有利にしていく。

いま企業の内部保留が、史上最高といわれる中、これ以上優遇しても国民に還元されること無く、海外への投資でますます資金が海外に逃げるだけとなる。

デフレ脱却が至上のように言われているが、値上げの原因は円安のためガソリンや食品などの輸入品が値上がりしているところが大きい。

収入が減る一方で生活必需品だけが高くなり、消費税と言う弱者に響く税金が増えては生活はますます苦しくなる。

デフレからの脱却とは、”青も白い虫けらの声”と見たが如何。

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2013年8月26日 (月)

ねえ この味どう?

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「ねえ、この花の味どう思う?」

「う~ん いまいちかしら、あなたはどう?」と言っているのかいないのか、、、

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今日は久しぶりに清水の魚河岸に行き、今年新設された食堂街のひとつに入って刺身定食を取った。

そのときの感想が頭にあるのか、近所の百日草にとまったセセリチョウと紋黄蝶を見たときこの会話を思ってしまった。

食事は、そのときの腹の減り具合や気分で大きく左右されるものだが、やはり、美味い不味いは基本的に料理人の資質にあるだろうと思う。

なにせ、作るのは上手ではないが、食べるのは七十有余年鍛えてきているのだから、、、、、、

それにしても、市場内にある古くからの店の行列は異常であると思う。

見ていて思うのは、行列に並んでから食べるまでに一時間以上は待っているのではないだろうか。

どれだけ美味しいのか、並ぶのが嫌な自分としては、まだ入ったことがないので知らないが、そんなにしてまで食べたいのだろうか。

まえに、ほかの事でテレビを見ていたら、東京の人は行列があると、何であるか確かめもしないでその後ろにつながって待つそうだが、自分には考えられないことである。

また、「早や飯 早やぐそ 芸のうち」とばかり、兄弟5人で争って食べた経験から、ゆっくりと落ち着いて食べることが出来ない。

今日の食事でも、入ったときに食事を始めていた隣の席の三人おばさん。

自分たちが食べ終わっても、まだ食べていた。

同じものを注文した、われわれは、、、、なんともせわしない夫婦に見えたことだろう。

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2013年8月25日 (日)

匂いか蜜か

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009ひさしぶりに三十度割れの一日となり、日中散歩に出る気になったのは幾日振りのことだろうか。

帰ってきたときには、さすがに下着は汗まみれにはなったが、額を手ぬぐいで拭うこともなく、吹く風に涼しさを感じてしまった一日であった。

今日の散歩は麻機沼の西側を一周してきたのだが、しばらくぶりの草原はガガイモの花も咲いていて、暑い中でも季節は進んでいることを示している。

この花は、花びら全体に細かい毛が生えており、如何にも暑苦しそうな感じがするが、匂いなのか蜜なのか、はたまた、、、、、  

虫たちには意外と好評なようで、ガガイモ酒場は賑わっている。

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2013年8月24日 (土)

ドンとなった花火だが

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落花生の花がずっと以前から咲いている。

黄色に橙色を足したようなこの色合いはなんと言う名前なのか分からないが、マメ科の植物共有の形をしている。

今年の春、落花生の種を貰って植えたものだが、今まで落花生を植えたことがないので、茂るに任せている。

なんでも、花が受精するとどんどん下に伸びて地下に入り豆になるそうだが、地表にその実がないだけに何時が採りごろかわからない。

まあそのうちのお楽しみにとっておこう。

一日花、と言うことだがこれだけ長い間咲いているとしたら、落花生の実が成熟するのも最初と最後ではかなりの差ができることになる。

落花生、子供の頃は南京豆と言ったが、どこかでピーナッツになったのはこの豆が国産でないことの証であろう。

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最近では毎週土曜日の夜になると、市内のあちこちで花火が打ちあがる。

今日も、頭を押さえつけるような重圧感のある音がドンと鳴っているのは流通センターでの花火であろう。

安倍川花火のように派手なところはなく、一時間ほどで済んでしまうのだが、暑さに参っている身としては、出かける気がしない。

人間、生まれたところの環境で汗の吹き出る孔の大きさが違い、寒いところは細く、暑いところで育った人は汗腺がおおきくなってその地に適した構造になると聞いたことがある。

その伝で行くと、自分なんかは寒いところ育ち、夏でも30度には滅多にならない土地育ちなので、「暑さに弱いのは当然のこと」と自分に言い聞かせて家から出ようとしないでいる。

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2013年8月23日 (金)

草が憎けりゃ

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スベリヒユ。畠に生える雑草の中では最も嫌われる草のひとつである。

物みな枯れる暑い灼熱の太陽の下、一番元気に茎を地面に這い回らせ、取っても取っても次から次へと伸びて花を咲かせ、種をまく。

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花をよく見ると、小さいながら五弁の花びらの中央に同じ色の雄しべと雌しべを持っている可愛い花といった感じであろう。

園芸品種では、松葉牡丹やポーチュラカなどであるが、草が憎いためか花まで、、、、、

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今日は、午後になって雨が降るという予報が出ていたので、朝のうちに畠に行き苦土石灰を撒き、畠の土を細かく砕いてきた。

この雨の後、野菜の種をまこうとも思っているが、暑さにやられてかなかなか苗が育たないので困っている。

まぁ、自分たちのは遊びでやっているので仕様がないで済むが、本百姓は困っているのだろうな。

今日は処暑と言って秋の気配を感じ取れるころと言うが、まだまだ三十度越えのひがしばらく続きそうだと言う予報もあり、、見切り発車のように咲き出した花も苦労しているに違いない。

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2013年8月22日 (木)

雨が降ったが

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昨日に続いて今日も午後になってから雷さまが騒いでいた。

空一面黒い雲に覆われて、今にも降りそうな気配だったが、なかなか降らず、気配だけで終わってしまうのかとおもっていたところ、夕方になって少し降って格好をつけたという感じの降りかたで終わった。

しかし、この雨によって涼しさが幾分でも入るかと期待したが、、蒸し暑さは相変わらずで、クーラーの使用を止めることが出来なかった。

ゲリラ豪雨のように土砂降りは御免だが、涼しさをつれてくる雨が待ち遠しい。

思うようにならないのは人の世の中ばかりでなく、天気のほうもそう都合よくないかないものである。

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昨日登った竜爪山は、1,050mの薬師岳と1,040mの文殊岳の二つの頂上をもつ双耳峰であるが、穂積神社側から上ると薬師岳のほうを先に登ることになる。

その山頂近くですれ違ったご同輩が、文殊岳の山頂に山百合が咲いている。と言って見せてくれた花が、どう見ても真っ赤だったので、「今まで何回も来ているがユリの花を見たことがないし、この色だと車百合ではないだろうか?」と言った。

しかし、最近では他所から種などを持ち込む人もいるので、園芸品種かも?と半信半疑で文殊岳に向かう。

なるほど咲いていた。以前に崩壊したガレ場に草が生い茂り、その中に二株の百合が咲いている。

どうも車百合のようだ。それにしてもどう言う経路で、ここに咲き出したのだろう。

この近片では車百合の花を見たことがないだけに、人為的でなかったとしたら改めて植物の不思議さを感じてしまった。

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2013年8月21日 (水)

一年ぶりの竜爪山(1,050m)

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秋を告げる山路のホトトギス

久しぶりに山に登ってみようと思って、靴を引っ張り出してみると、靴と底の部分が口を開けていた。

接着剤が老化してしまったんだと分かったが、新しいのを買いに行くのもなんだと重い、家にあった接着剤を靴のはがれた部分につぎ込んで様子を見ると、何とか間に合いそうだったので、スニーかーを予備にして行くことにした。

時間も九時近くになっていたので、一番近い竜爪山を目指すことにした。

この山は、自分の中では一番登っている山でこれまで三十回は登頂していると思うが、ここしばらく山登りをしていなかったので、前に登ったのが丁度一年前のことになる。

おまけに、一番最近の山登りは五月であることから、慣れた山とはいえ足に対しての自身は一寸首をかしげる、、、、、、

そんなこんなだったので、いつでも引き返すつもりで登りだしたのだが、案の定途中から足が重くなり、穂積神社から一時間余もかかってしまった。

ただ、お盆の頃までは人で一杯で、文字通り黒山の人だかりだったと思う山も今日は、山頂につくまで誰にも会わなかったため無様な姿を見られることはなかった。

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道筋には、はや秋の気配が漂い、チャボホトトギス(写真 上)を初め小さな花が咲き出しており、その写真を写しながらの、帰りは、もしかしたら富士見峠のキツネノカミソリが見られるのではないかと尾根筋を北上する。

048_2左、キツネノカミソリ、名残りの花がほんの少しだけ咲いていた

しかし、これは見事に失敗、昨年はまだ一面を明るい橙色に染めていたキツネノカミソリも、ほとんど済んで、花茎を棒のように立てているだけ、そして、途中に咲く、イワタバコもすでに花の時期を終えていた。

どうも梅雨明け、気温の高さがこれらの進行を早めてしまったのか、、、、、

花を見られなくてがっかりしたのも加わったのと、汗でずくずくになったのもあって、最後はへとへとになって帰ってきた。

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2013年8月19日 (月)

雨量計でも

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朝から湿気が多く、部屋の中にいて腕をさするとねっちゃっとした感触がして、汗ばんでいるのが分かるほど湿気が強かった。

その陽気も午後になって日差しがかげったと思ったら、パラパラと屋根を打つ音が聞こえたので、「おや 久しぶりの雨になったか、、、」と喜んでいたら、すぐに上がってしまった。

雨量計でも計れるほどには降らなかったことと思う。

夕方のテレビでは、安倍川の一部では”瀬切れ”起きていて、川原に水が全然ない場所も出来たそうな。

この雨で、生き返ったような表情をしていた日日草の真っ赤な花びらも、三十分とはしないうちに、全ての露を蒸発させたのか、またもとのけだるい感じの花に戻っていったのは、こちらがそう思ってみていたためか。

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2013年8月18日 (日)

蝶の恋の物語

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庭の片隅に咲く百日草、特に綺麗とは思わないが花が少ない時期に長い間咲いているので、いわば繋ぎの花といったところか。

そして、数少ない花をカフェ代わりにして、一匹のモンシロチョウが休んでいたところ、「お嬢さん相席させてもらってよいでしょうか」と少々年を経た雄が近寄ってきた。

お嬢さんは初め求婚にきたと思って尻を上げていたが、近寄ってきた雄にはその気がなかったのか、それともいきなり求婚してははしたないと思ったのか、同じテーブルついたものの、蜜を吸うばかりで顔さえ見ようとしない。

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と、その様子を遠くで見ていた若い雄が雌を誘い出し連れ立って飛び去ってしまった。

残された老雄は一人寂しく蜜を吸い続ける。

その様子を見ている老いた人間は、老雄ならでのずうずうしさやテクニックがなかったのかとも思ったが、ひたむきに蜜を吸う様子から自分に似た哀れさを感じてしまった。

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2013年8月16日 (金)

わがまま放題の食事

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クサギの花が当たり一面に芳香を漂わせている。

009一つ一つはそんなに匂わないのだが

若葉の頃のはの臭いは悪臭の一言で、子供の頃は触っただけでこの臭いが肌や服に染み付くので、見かけると避けて通った木であり、このことが名前の由来である。

この臭いは、子供ばかりでなく無視も嫌だったらしく、あまり食害を受けた葉っぱは見当たらなかった。

しかし、花は違う。この花の匂いはちょっとした香水の香りに似ているが、集団で咲くため、エレベーター内の外国製香水に似て、、、、、、、、、

何事も過ぎたるは、、、、、、状態である。

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今日は、息子が昼を奢ってくれるというので、清水の榊屋に行ってきた。

ただ久しぶりのことなので嬉しくて早出したため、開店前に到着し、時間つぶしをかねて、興津の坐漁荘に行くことにした。

坐漁荘は明治、大正、昭和の元老として名高い西園寺公望の別荘だった建物で、大正以後の政治に大きな影響を与えた場所であった。

入ってみて、柱や壁が新しすぎるので不審に思って聞いてみたところ、本来の建物は犬山の明治村に移築し、これは復元家屋であるとのことだった。

そういえば、明治村で一度見かけたことがある。とそのときになって初めて気が付いた。

明治村では、概観を見ただけだったが、此処は隅々まで見て歩くことが出来、案内の人の説明も聞けたが、これだけ大きい建物が別荘だとはさすが、、、、

ただ、一番興味を持ったのは、彼の十七歳のときといわれる写真で、乱れたちょんまげを結った肖像は、次男坊とはいえとても公家の息子には見えず、いまどきの若者にもこんな風貌のものがいる。

それが、四十代くらいにはかなり変貌し、この別荘に住んでいたころには、如何にも実力者と言わんばかりの体格と表情をしており、若い頃とは似てもに似つかぬようになっている。

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約三十分、そろそろ開店時間になったので食事に向かったのだが、われわれ夫婦はいつもどおり刺身定食を注文し、息子は海鮮どんぶり。

奢ってもらうといいながら、店も食事もこちらが勝手に決めて注文し、支払いは「おまえさん」というわがまま放題の幸せな食事は、いつも以上に美味しく感じたものであった。

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2013年8月15日 (木)

あの日も暑かった

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右手前の家でラジオを聴いた。当時は子供の姿を見かけたものだが


六十八年前のあの日もすごく暑かった。

飛騨は高原川筋の山あいにある茂住という小さな集落で午前中はプールに入っていた。

P5150047昭和二十年八月十五日に入っていたプール。当時は草は勿論フエンスもなかった。

プールと言っても付き添いもなしに、子供たちだけで入れる小さな防火用水の水槽だったが、当時は大きく感じたものだった。

昼近くになると、大人たちがぞろぞろとラジオのある家に集まり、雑音の多い音を聞いていた。

放送が終わってから、しばらく黙っていたが、誰かが「どうも戦争に負けたようだ」と言ったのを覚えている。

その半月ほど前に、B-29が夜間編隊を汲んで富山に空襲に行き、夜空を真っ赤に焦がした時には、日本の飛行機が妨害するわけでもなく、富山の上空で高射砲が打ち上げられる様子もなかったことから、子供心に負けたと感じていた。

早速家に帰って「母ちゃん、戦争に負けたとよ、、」と言ったところ、暗い台所にいた母親が「そうか」と驚いた風もなく、子供心にもほっとしていたのが感じられた。

後で聞いたところによると、昭和二十年に入って二度目の徴兵が多くなり、自分の父親も四十歳になっていたが、再度の赤紙が来るのでないかと心配していたそうだ。

自分の親類では、何人も兵役に出ていたが、父親の弟と母親の甥っ子、つまり従兄の二人が戦死をしている。

場所ははっきり覚えていないが、輸送船が撃沈されて文字通り「海ゆかば 水ずく屍 山ゆかば 草むす屍、、、」になったようである。

のちほど、「日本の一番長い日」とかいう映画で、天皇がポツダム宣言受諾を受け入れた録音盤を軍部が放送させないように走り回った様子が映されていたが、もしそれが本当だとしたら、当時の軍部は競走馬の目隠しのように一方向しか見ていない愚か者集団で、その狂気で死ななくても良い人は無数に作った責任は重い。

そして、今の政治家は、戦争の悲惨さ、おろかさを知らない人々ばかりになり、憲法を変えて、戦争のしやすい国に変えていこうとしている。

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2013年8月14日 (水)

ひさしぶりに日本蜜蜂


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013_2頭隠して尻隠さずの状態で、アザミの花に顔を突っ込んでいるのは日本ミツバチ。

西洋ミツバチに押されて、近頃とんと見かけなくなったこのミツバチは、その周りに仲間もいなくてたった一匹で何度も何度もアザミのボンボンにダイビングしていた。

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2013年8月13日 (火)

地上の星

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「いうまいと 思えど 今日の暑さかな」という詠み人知らず歌があるが、こう連日暑いと”今日の”などと暢気なことを言ってはおられない。

そのあおりを食って、昨夜咲いた月下美人は、誰も見る人がいなくて今朝ほど一夜花の勤めをおえてすぼん(萎む)でいた。

まさに、「地上の星」という歌の中の言葉のように「誰(に)も見守られることなく」である。

そういえば、自分の同級生も五月にまた一人欠け、毎年のように逝く年ごろになってしまった。

鉱山町と言う全国から稼ぎに集まっていた町の特徴として、定年を過ぎればそれぞれが、各地に玉となって砕け散るように去っていく。

鉱山でともに働いていた頃は、それぞれが自分の能力を発揮し、暗い地下の仕事に、組合活動にときらきらと輝き、時にはライバルとしてぶつかり合った星屑同士だったのだが、、、、、

地上の星は「砂の中の銀河、、、、」ではじまり「みんなどこに行ったのか、、」ともいう。

連絡の取れる人でもその消息は、年末まで分からないのがほとんど、、、、

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019今日は、旧暦の七夕祭り。

安倍川筋ではまだこの日を祝う地区もあり、七夕の笹飾りを出している家もあった。

この飾りは、平野にある道の駅「真富士の里」に飾ってあったものだが、そこはかとなくゆかしい雰囲気があり、この時期の七夕のほうが晴れる率が高く、年に一回しかできない、織姫と彦星のランデブー(古い言葉だね)に良いのではないだろうか。

おまけに、ベルセウス座流星群が現れて、ランデブーに花を添える。

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流れ星に、願いをかけるとかなうそうだが、彦星たちならさしづめ毎日のように会いたいと願い、自分の場合はピンピンコロリを、、、、、、、、

あまりあっけないのもなんだけど、、、、、自分も小さな星屑だったと自負して逝きたい。

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2013年8月12日 (月)

涼しさを求めて

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卵のようなまあるいつぼみの口を開いて、紫の花をのぞかせているのはタマアジサイである。

安倍川の上流、有東木の集落を通り越してさらに高みに上がった、標高800m付近に咲くこの場所は、我が家より大分涼しい風が吹いている。

014涼しげな薄紫の可憐な花は、日ごろ見かけるアジサイに比べて開花の時期がこれからであり、ぐっと涼しげに見えるのは、周りの山の冷気を吸っているからであろうか。

すぐ傍を流れる谷川のいわばしる音を聞いていると、目蓋が重くなり、魂が無窮の彼方に飛んでいく気がして、、

路傍の苔むした岩に腰掛けてほんの少しまどろんでみたが至上の極楽気分であった。

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2013年8月11日 (日)

サインに似てて

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畠で摘んできたキュウリにサインがしてあった。

何語なのかは、葉もぐり蛾か葉もぐり蝿の幼虫が書いたものだが、どこを探しても犯人の姿は見えない。

キュウリが花をつけてから、一週間と経たない間に卵から成長して羽化したものらしいが、そのスピードには驚くとともに生命力の強さを感じてしまう。

足跡を見れば何度もくるくると廻りながら書いたものだが、なんとなく人間が書いたサインと言っても通用しそうな食べあとである。

この食べ後を見ていたら、むかし、ペルーの地元採用の労働者に給料を払ったときの受け取りサインによく似てて懐かしい思いをした。

そう、クレメンテ  clement のサイン。    な~んてね

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山梨の甲府盆地が今煮えたぎっているようで、二日続けて四十度越えを記録しているそうだが、この暑さは当分おさまる見込みのないところから、また、変な記録を作ることにならねば良いが、、、、、と思っている。

この暑さは当然こちらにも及んでいるが、山梨に比べれば公式には六度以上低いことになり、このくらいの暑さで参っているようじゃ申し訳ない。

そんなことを思いながら、早朝の畑に出向いてみたが日の出から一時間ほどしか経っていないのに、気温は三十度近くまで上がっており、寒暖計が壊れているのではないかと疑ってしまった。

一日おきに出かける畠のほうは、いま、キュウリの収量が落ちてきているが、代わって長茄子が最盛期を迎え、前のキュウリ同様食べ切れなくて処理に困っている。

出来すぎたとはいえ、売るには数が足りないのだから、こういうのを「帯に短し襷に長し」と言うのだろう。

自家用にするなら、二本もあれば充分なのだが、種を買ってきて育成ポットで育てるのに種二粒ということも出来ず、勢い十粒くらい上育ててしまう。

「親の意見となすびの花は、千にひとつの無駄もない」とは昔からの言い伝え。

自分の植えた、茄子もこの教訓を守ってここしばらく無駄のない仕事をして、育ての親を困らしている。

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2013年8月 9日 (金)

経験したことのない

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安倍川の土手に釣鐘人参の花が咲き出した。

一本の茎の周りをぐるりと取り巻くように、小さな釣鐘状の青い花が取り囲むさまは、さながらカリヨンと言ったところか。

もっともこちらのほうは何時まで立っても音の立てない鐘であるが、花の中央に一本突き出た蘂が可愛い。

形からして、釣鐘の意味はわかるが、次の人参は普通の人参でなく高麗人参のような髭もじゃの根っこから付けられたとのことだが、残念ながら掘ってみたことがないので分からない。

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朝から暑い暑い一日は、まるで風呂に浸かっているような感じがしてたまらず、これまで日中に入れることのなかったエアコンをかけてしまった。

それというのも、歳よりは部屋の中にいても熱中症になる人がいる。と報道されたこともあるなかで、自分もその一員になりかねないと感じてしまったからである。

天気情報では、静岡の気温は三十四度といっていたが、体感温度としてはそれ以上であり、体温を超えていたことは間違いない。

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その一方で、今年から気象庁の天気注意報の出し方が変わって、「今まで経験したことのない大雨が降りますので、、、」と言う注意の仕方が付け加えられることになった。

「経験したことのない、、、、」と言うのは、少なくとも百年に一度と言ってもよいのかもしれないが、この文句が最近になって何度も聴く言葉になってしまい、今日も秋田県と岩手県の豪雨に対してだされていた。。

どうもゲリラ豪雨で、一部地域に対して集中的に一時間に100mm以上の雨が降ることが多いようだ。

静岡も、自分が静岡に移住する前、40年位前に”七夕豪雨”と言うのがあって、我が家をふくめて1,5mくらいの床上浸水があったと聞く、、、、、、

とねれば、また同じような豪雨に見舞われないでもないのだが、この場合はこれ以上の降りかたでないと「」経験したことのない、、、」と言う文句が入らないのだろうか。

いずれにしろ、こんな言葉の情報が頻発するのことが、異常なのだが、、、、、今日の暑さも、自分にとっては「経験したことがあったのかな????」、

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2013年8月 8日 (木)

たおやかな花とは別に

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丸葉露草の花が涼しげに咲いていた。

普通のツユクサに比べると、名前の由来になった葉っぱが丸くて大きいことが特徴だが、花の大きさも少し小さくて少ない。

そして何よりもその花の色が、水色っぽい明るい青紫色であるのがより涼しげに見せている。

しかし、雑草退治のほうから見ると、この草は地中に閉鎖花といって、根の周りに別な花を持っていて、これが自家受粉するため、地上部を刈り取っても、除草剤を撒いても根絶やしにするのが厄介な草なのだそうだ。

第二次世界大戦のレジスタンスではないが、地下活動で敵を悩ませる図式のようで、表向きの優しさ、たおやかさとは別な顔を持っているようだ。

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夕方になって携帯電話がメールを着信した音を立てた。

電話会社の、”お知らせメール”かと思ってそのままにして置いたが、連れ合いの携帯に「地震が来ます」という文字があったという。

そうすると、先ほどの自分の携帯にも同じメールが来たのだろうか、、、、、、それにしても発生場所が遠いので感じなかったのだなと思ってその場は済んだ。

しかし、六時過ぎのテレビの報道で誤報だったことが分かった。

これをどう見るか。

人によっては、いろいろな取りようや批判もあるかもしれないが、今回は良かったのではないかと思っている。

ただ、誤報があまり繰り返されると狼少年のようになってしまうし、着信音も一工夫があれば良かったのではないだろうか。

ほかの人の携帯はどうなっているのか知らないが、自分の一番簡単な携帯はドコモのお知らせメールの一緒の音だったので、気にもしていなかったし見ることもなかった。

これでは結局のところ、意味のない連絡になってしまったのは残念だった。

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2013年8月 7日 (水)

残暑お見舞い 申し上げます

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残暑 お見舞い申し上げます

   暑さもまだ半ば 身体をいつくしんで

             お過ごしください 

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今日は立秋。 

秋立ちぬであるが秋の気配はまだどこにもなく、”小さい秋”を見つけようとして出かけたものの、麻機沼の風景は今日も暑くなることを予感させる風景ばかりである。

天気予報も、これからしばらくが今年最高の暑さが来ることを報じており、夏ばてに陥るかどうかの瀬戸際に立たされているような気分すらする。

とにかく、身体をためらってお過ごしください。

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2013年8月 6日 (火)

棘で武装しても

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麻機沼の一角、絶滅危惧種とも言われている鬼蓮の花が、紫色の花を咲かせている。

水蓮の仲間だけあって、蓮のように茎をもたげて咲くのではなく、水面すれすれに咲かせているが、これ以上花を開かせることがなく、半開きのまま終える。

鬼蓮の由来は、見ても分かるように葉や茎は言うに及ばず、蕾みや実にまで鋭い棘を生やしていることから付けられた名前である。

これだけ武装しているのに絶滅危惧種になったのは、葉や実が美味しかったためでなく、人間が環境を変え、生息場所をなくしていったことによるという。

この花を見ていると、1979年コッポラー監督の「地獄の黙示録」を思い出してしまった。

暗い水面から、武器を携えてぬーっと間を出す兵士。

ベトナム戦争が終わったもののアメリカ全体に厭戦気分が漂っている時期に発表された映画で、「ワルキューレの騎行」音楽とともに印象的な映画だった。

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今日は、広島に原爆が投下されて六十八年目。

戦後まで、ひた隠しにされ、自分たちが知ったのは、かなりあとになってのことだった。

この後、九日には長崎、そして、ビキニの水爆実験による第五福竜丸と被災し、福島の原発被害と日本は世界で一番原子力による被害を受けているはずなのだが、、、、、、、、、

そして、昨日は沖縄でヘリコプターが墜落炎上したものの、現場には日本の警察も、消防隊も入れなかった、

          日本国内の外国

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2013年8月 5日 (月)

角出せ やり出せ

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でんでんむしむし かたつむり

お前の目玉は 何処にある

角出せ やり出せ 目玉出せ

おなじみの童謡であるが、でんでんむしは”虫”ではない。

それが何より証拠には、 手もない 足もない 羽根もな~

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散歩道の途中で見かけた大きなカタツムリ。どこへ行こうとしていたのか、蔓草の上を一生懸命這っていた。

傍には、その四分の一にも満たない小さなカタツムリが、全てを殻の中にしまいこんでこの暑さをやり過ごすように動かないでいるのに、、、、

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敗戦記念日を前にして、テレビは先の大戦を振り返る番組を放送しはじめた。

昨日、アッツ島の守備隊員二千数百名が上陸してきた一万一千名のアメリカ軍によって玉砕した情況を放送していたが、その最後は哀れとしか言いようのない戦況だったようだ。

迫り来るアメリカ軍を迎え撃つため、兵器や食料、人員の増員を要請したが、大本営は無理と判断して、全ての兵士が死ぬ”玉砕”を要請した。

島の守備隊は、抵抗したものの兵員はもとより装備も劣る中次第に追い詰められ、最後の突撃で全てが戦死したそうだ。(気を失っていた間に捕虜になった人が僅かながらいたそうだが、、、)

この後の、大本営発表では、司令官の「山崎大佐は兵も装備も要求することなく、、、」と、噓の発表をしているが、これがその後沖縄に至るまでの”玉砕”始まりになったとのことだった。

「生きて虜囚の辱めをうけず」と言う戦陣訓は後に首相になった東条英機が作ったという話もあるが。

アッツ島に情報将校として上陸したドナルドキーン氏によると、すべてがアメリカ兵の銃弾で死んだのではなく、中には自殺した兵もいたという。

これは沖縄でも良く聞く話であり、先に書いた戦陣訓が大きく影響していることであろう。

また、ドナルドキーン氏によると「日本には古来捕虜になることを恥じとする風習がなかった」ともいう。

そういえば、戦国時代では将棋の駒のように負けた後寝返りのように元の味方に向かって行った話しや、いま大河ドラマでやっている「八重の桜」などでも、最後は城を明け渡して司令官の松平容保まで生き延びている。

敗戦の後、大本営を初めとしてお偉方は虜囚の辱めを受けておきながら、しもじもの兵士にはそれは禁じていた。

今の責任を取らないお偉方は、それをいまだに伝統として守っている。

靖国神社に祭られた兵士は、お国のために戦った人々で、それを敬うのは当たり前、と今の政府はいうが、海外の軍隊のように精一杯戦った後降伏し、その後の対策も教えておけば、こんなに無駄死にする人を出さなくても良かったはずである。

また、戦災で倒れた無辜の民をあわせて祭る施設がなぜ出来ないか。

終戦と言う言葉で誤魔化すのではなく、はっきり敗戦となぜいえないのか、”臥薪嘗胆”とは、古い中国の言葉だけではないはず。

一宗教法人をた助けるためだけの施設でなく、国民みんなが犠牲者にわだかまりなく参拝できる公営の施設がなぜ出来ないか、、、、

これから、八月十五日に向かって考えなければ        とは思っては見るが今の右傾化した情況では      ”なーんちゃって”  なんだろうな

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2013年8月 3日 (土)

自棄のやんぱち

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暑いというより「蒸しますね」と言うのが挨拶になってしまった。

長野でかかった熱中症も眩暈がしただけで、その後安静が良かったのか、重症になることもなく回復したように思っていた。

しかし、暑さを脱却しようとして飲んだビールが逆効果で、、、、、

結局帰ってきてから、昨日一日グウタラで過ごす羽目になってしまった。

そんななか、庭の片隅に去年の種から育った、猩々草の葉っぱが赤く色づき、その赤さにつられてか、ヤマトシジミが頻繁に訪れてくる。

猩々草の花は、よく見ると丸い珠の上に雄しべと雌しべが突き出しただけのごく単純な構造で花びらがない。

そこで、葉っぱのほうがこれじゃいけないとばかり、花びらを真似て赤く染まったようだが、草の労力としてはどっちが楽なのだろうか、、、、

そのうち、もう一(頭)匹のシジミチョウが同じ花によってきて蜜を吸い始めたが、どっちが雄か、こっちが雌かわからない。

案外雄同士なんてことことはないか。とにかく相手を追い払うと言うこともなくしばしデートを楽しんでいるようにも見えた。

写真ではでなかったが、羽根を広げたときの色は金属光沢に近い感じの色合いを見せることもあり、その色合いが出なかったことが残念である。

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009そして、別れは突然訪れた。

何の予告もなく、一匹が空高く舞い上がり消え去った。

デートは失敗の模様。多分お茶しながらの会話がはずまなかったのだろう。逃げられて孤独になったシジミチョウは、”自棄のやんぱち 茶のはかま”とばかりに、もくもくと蜜を吸い続けている。

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