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2013年8月 5日 (月)

角出せ やり出せ

006

でんでんむしむし かたつむり

お前の目玉は 何処にある

角出せ やり出せ 目玉出せ

おなじみの童謡であるが、でんでんむしは”虫”ではない。

それが何より証拠には、 手もない 足もない 羽根もな~

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散歩道の途中で見かけた大きなカタツムリ。どこへ行こうとしていたのか、蔓草の上を一生懸命這っていた。

傍には、その四分の一にも満たない小さなカタツムリが、全てを殻の中にしまいこんでこの暑さをやり過ごすように動かないでいるのに、、、、

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敗戦記念日を前にして、テレビは先の大戦を振り返る番組を放送しはじめた。

昨日、アッツ島の守備隊員二千数百名が上陸してきた一万一千名のアメリカ軍によって玉砕した情況を放送していたが、その最後は哀れとしか言いようのない戦況だったようだ。

迫り来るアメリカ軍を迎え撃つため、兵器や食料、人員の増員を要請したが、大本営は無理と判断して、全ての兵士が死ぬ”玉砕”を要請した。

島の守備隊は、抵抗したものの兵員はもとより装備も劣る中次第に追い詰められ、最後の突撃で全てが戦死したそうだ。(気を失っていた間に捕虜になった人が僅かながらいたそうだが、、、)

この後の、大本営発表では、司令官の「山崎大佐は兵も装備も要求することなく、、、」と、噓の発表をしているが、これがその後沖縄に至るまでの”玉砕”始まりになったとのことだった。

「生きて虜囚の辱めをうけず」と言う戦陣訓は後に首相になった東条英機が作ったという話もあるが。

アッツ島に情報将校として上陸したドナルドキーン氏によると、すべてがアメリカ兵の銃弾で死んだのではなく、中には自殺した兵もいたという。

これは沖縄でも良く聞く話であり、先に書いた戦陣訓が大きく影響していることであろう。

また、ドナルドキーン氏によると「日本には古来捕虜になることを恥じとする風習がなかった」ともいう。

そういえば、戦国時代では将棋の駒のように負けた後寝返りのように元の味方に向かって行った話しや、いま大河ドラマでやっている「八重の桜」などでも、最後は城を明け渡して司令官の松平容保まで生き延びている。

敗戦の後、大本営を初めとしてお偉方は虜囚の辱めを受けておきながら、しもじもの兵士にはそれは禁じていた。

今の責任を取らないお偉方は、それをいまだに伝統として守っている。

靖国神社に祭られた兵士は、お国のために戦った人々で、それを敬うのは当たり前、と今の政府はいうが、海外の軍隊のように精一杯戦った後降伏し、その後の対策も教えておけば、こんなに無駄死にする人を出さなくても良かったはずである。

また、戦災で倒れた無辜の民をあわせて祭る施設がなぜ出来ないか。

終戦と言う言葉で誤魔化すのではなく、はっきり敗戦となぜいえないのか、”臥薪嘗胆”とは、古い中国の言葉だけではないはず。

一宗教法人をた助けるためだけの施設でなく、国民みんなが犠牲者にわだかまりなく参拝できる公営の施設がなぜ出来ないか、、、、

これから、八月十五日に向かって考えなければ        とは思っては見るが今の右傾化した情況では      ”なーんちゃって”  なんだろうな

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