黄金色に輝いて
「実るほど頭をたれる稲穂かな」と古来言われてきた言葉であるが、田んぼの稲穂も温かい秋に日差しを受けて、黄金色に輝いているさまは、自分に何の関係もないのだが、本当にきれいな眺めで心豊かになっていく感じがする。
今年は、自分の周りでは台風の被害もなく、稲がなぎ倒されている田んぼは少ないが、実った実が重いらしく穂先を下げている。
刈り取られた稲も、穏やかな晴天続きで乾燥が速く、アキアカネも休息する場所を探すのに忙しいみたいだ。
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あれほど世間を騒がしてきた、高校体育部の暴力問題も当の監督たちにとって教訓にはならなかったと見えて、今日も浜松のある高校監督が諭旨免職になったとテレビで報じられていた。
自分は、体育会系というか、暴力で言うことを聞かせようとする体育がもともと大嫌いだった。
1,960年から1,970年にかけての一連の安保闘争を含む学生運動でも、学校の手先となって妨害してきたのが体育会系であったことにもある。
つまり、学校に授業料免除をはじめさまざまな恩恵を与えられ、学校経営者の犬的存在だった。
けっして、運動嫌いから言うのではない。
球技は下手だったが、一応走る、飛ぶ、投げるは人並みより少し上と思っていたし、剣道柔道も生齧りながらしてきた。
しかし、学校がいずれも一学年三十人以下の小さな学校だったので、しごき的暴力もなく、当然のことながら殴られたこともない。
そして、昭和三十二年から気の荒いことで有名だった、鉱山に勤め、坑内で働いたが、こんな社会でも言葉で注意されたことはあるが、厳しくしかられたり、殴られるなどの暴力事故は一度もなかった。
ひとつの失敗が自分はおろか他人の命にかかわる仕事なのに、、、、
自分に言わせれば、たかがスポーツであり、運動である。(自分の失敗で他人が死ぬか?)
元巨人の桑田真澄選手は「叩かれて愛情を感じたことがない」というし、元中日の落合監督らも、指導者は考えてほしいと体罰を否定しているが、どうも体育会系では少数派であるらしい。
子供を虐待する親は、子供のころ虐待を受けてきた経験がある人が多い。と言う話もあるが、暴力を振るう監督は選手だったころ理不尽の暴力を受けてきたのではないかと思うのだが
そうすると、身体能力だけが取り柄で、ほかのことに興味のない運動バカの監督やコーチがいなくなるのはこれから先何十年もかかりそうと思うが如何。
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