
昼少し前に音もなく南西の空から南東に向かって飛んでいく葉巻型の飛行船があった。
かなり大型の飛行船で、横には大きく会社名が書いてあったので、たぶん宣伝用に飛ばしているのだろうが、遠目にはゆったり のんびりと飛んでいる。
おもわず、あの飛行船に乗って、高みからの見物をしてみたいものと思ってしまう。
ただ、風に流されてふらふらすることなく安定して飛んでいると言うことは、飛行士が動力を管理して操縦しているからに違いない。
と、すると、船内はかなり騒々しいものになっており、ヘリコプターや飛行機と変わらないことになっているのだろうかと、乗ったことのない自分は想像している。
それから小半日、日も暮れて、今頃どこまで飛んでいったことやら、、、、、
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先日、横浜の踏み切りで倒れている74歳の男性を助けようとして、40歳の主婦が飛び込んで男性は助かったものの、女性が亡くなったという。
この事故を聞いて、助けられた老人と同じ年頃の自分としては複雑な気持ちである。
まず、助けられた74歳の人にしてみれば、「嬉しい」というまえに、自分のためにまだこれから先の長かったはずの若い人が亡くなったという自責の念がこれからずっと付きまとうのではないだろうか。(噂ではいろいろといわれているが、、、)
政府は、「勇気ある行動として表彰する」と言うが、亡くなってからどう言われようと救いがない上、これらの行動を美化しようとしている。
人が人のためになる行動を批判しているわけではない。
自分が思うに、電車が通過する際には人がそこに立ち入ることができないような施設がなぜ作れないのだろうか。
労働災害などでは、「人間は間違える動物である」を前提にし、間違っても事故にならないように二重三重の施策を講じることになっている。
それさえあれば、今回のような事故はなかったはずである。
最近では、ホームからの転落事故を防ぐため、壁を作っている駅もあるが、まだ普及は十分ではない。
毎年、ホームからの転落事故、踏切内での事故でどれだけの人が亡くなり怪我をしているのか、、、、、一市民としては知るすべもないが、「人命は地球より重い」などとたわごとを言う前に、事故を起こさせないようにする工夫を図るのが本当だろう。
ただ一通の表彰状を伝達する前に、急に止まれない電車と人を隔離する高架やはいり込み防止の設備が必要である。
のんびりしていた明治ころからの竹製の遮断機から、ぜんぜん進歩しない設備をおかしいと気づかないことのほうが問題である。
ちなみに、自分が線路内で倒れていたら、けっして救おうなどとは思わないでほったらかしに願いたい。
今まで何回も災難を避けてきたのは、「運命」がそうさせてきたと思っている「運命論者」自分は、それに逆らわないで生きて行こうと思っている。
もう、ここまでくれば、あと数年、、、、、、どっちみちなのだから、、、、、、、、、、
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