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2013年10月10日 (木)

金は天下の回り物

003

久しぶりに静岡南部の大浜海岸に行ってきた。

この海岸近くにある種苗店へブロッコリーの苗を買いに出かけたためである。

海岸に出てみると、昨日の台風の影響もなく青空の下、波静かな波打ち際からは松原越しに富士山が真っ黒な顔を出していた。

静岡に来たばかりのころは、堤防のすぐそばまで海が来ておりそばの海水浴場に来ても急な深みがあるとかで、遊泳禁止になっていたが、沖合いにコンクリートブロックを積むことで、砂浜は100mくらいに戻っていた。

ことし、世界遺産になった三保の海岸では、このコンクリートブロックが景観を壊すとかで、どのようにして景観を戻そうとかと議論しているそうだが、世界遺産より、巨大震災からどのように人命を守るかと言う点で議論してほしいものだと常々思っている。

そんな思いをよそに、海岸では二m四角くらい大きなうなり凧を悠然と上げている人もいて、その凧のうなり声を聞きながら、しばし富士山に向かっていた。

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金は天下の回りもの お天道様と米の飯は

いつでもついて回るという それは昔の作り事

物価値上げと安月給 所得倍増とんでもない

金がざくざく唸っているのは、、、、、、、

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われわれが若いころ、昭和三十年代後半ころ(と思っている)に聞いた歌の歌詞である。

思い出して書いたので、幾分違っているかもしれないが、それから、うん十年。

一部を入れ替えると、今の世相をそのまま現している。

日銀の異次元的金融緩和とやらは、だぶついたお金が株式市場にだけ流れ、企業優遇政策は大企業の内部留保にまわされて、富は偏在してしまった。

以前、国立大学の生徒の家計調査では、高所得の家の子供が多かったそうで、富の偏在は学歴の偏在となり、いいとこの子は将来も安定という、貧富両極端社会になる傾向が出てきそうな気配がする。

子供のころ読んだ偉人小説の中に野口英世は家が貧乏だったが、彼の優秀さに篤志家が金の面倒を見てくれたとある。

美化された偉人伝説なので、どこまでがどうか分からないが、以前はそんな人もいたようで、貧乏人でもチャンスがあるかのように書かれていた。

それに変わって、戦後には奨学金制度ができ、いろんな団体がかかわっているようだが、最近、その奨学金を返済できない若者がふえてもんだいになっているそうだ。

原因のひとつには、若者の気質の変化もあるが、払おうにも払うだけの賃金が得られない人が増加しているのも一因だという。

正社員として雇ってくれる会社も少なくなり、採用されたとしてもいつ解雇されるか分からないと言う企業には都合のよい今の仕組みからは将来の生活が見通せないことにもある。

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コメント

おばさま
奨学金が借りられると言うことはそれなりの成績であったと言うことであり、”箔がつく”と言うのはそれなりの意味がありますが、それは一種のテレからきているのではないでしょうか。
親の財布にあまり迷惑をかけたくないと言う、、、、
わたしも、高校のとき貰いましたが返済不要の奨学金だったので、あとに尾を引くこともなく過ぎてしまいました。

それにしても、アベノミクスは強きを助け弱きを虐げる政治なのだと言うことにまだ気づかない人が多すぎます。

投稿: オラケタル | 2013年10月11日 (金) 17時03分

天下のまわりもの<<
わが家にも回ってくる日があるかな
消費税は上がるし、年金は減るしdown
とかくこの世は住みにくい・・・ですね
愚息も奨学金を借りていました。
その方が箔が付くとか言って。
毎月返済していましたが、少しでも遅れると
すぐに督促がきました。


投稿: おばさん | 2013年10月10日 (木) 22時46分

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