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2013年11月29日 (金)

カワセミ

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今日もテレビはこの冬一番の寒さになった、と報じていて、静岡市北部の井川では最低気温が氷点下を記録したそうだ。

朝方の澄み切った空には、逆三日月形の27日の月が西にやや傾いて夜明けを待っていた。

小学校唱歌に「凍れる月影空に冴えて 真冬の荒波 よする小島 、、、、」と言う一節があったが、まだ初冬とはいえ今朝方の冷え込んだ空は、そんな歌を思い出させるのに十分だった。

日中になっても、風が強く気温はそんなに上がらなかったが、陽だまりはそれなりに小春日和をつくりだし、最近まで藪影にいて姿を見ることが少なかったカワセミのダイビングを見ることが出来た。

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2013年11月27日 (水)

はじもみじ

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最近の冷え込みで、櫨の木も葉っぱを赤く染めてきた。

櫨の葉っぱの紅葉は”はじもみじ”と言って季節を示す季語にもなっている。

木の種類としては、漆の仲間で弱いながら敏感な人はかぶれることもあるそうだが、本物の漆にもかぶれない鈍感な自分には通用しない。

写真に見る櫨は、古来から日本にあったものでなく、歌の季語に使われている”はじもみじ”は同じ仲間でも少し種類が違うそうだ。

自分なりには、区別がつかないがこれだけ沢山実をつける櫨は、江戸時代に中国~琉球をへて日本に来たもので、これから抽出した蝋で蝋燭などを作り、藩の財政を潤していたことから、競って栽培を奨励したため、暖かい土地では、ほとんどこの櫨に取って代わられた。

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2013年11月26日 (火)

赤い実が色づいて

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サネカズラの赤い実があちこちで目立つようになってきた。

赤くて丸い卵形の実の外に小さな珠を散りばめた実は瑞々しくて一見食べられそうな気もするが、食べられるとは聞いていないし、春先まで小鳥が食べたような痕もないところあまり美味くない実かもしれない。

サネカズラは漢字で実蔓と書き、その実が目立つところから名づけられた野はいうまでも無いだろう。

花は、オス花とメス花があり、小さな黄色い花であるがあまり目立たない。

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将来治安維持法になりかねない「特定秘密法案」が衆院議院を通過した。

昨日福島で行われた公聴会では、すべての参考人が反対したが、歯牙にもかけずただ形式的な形で終わってしまった。

将来に大きな影響を与えそうな重大な法案であり、弁護士会や、新聞社をはじめ、かなりの人が慎重な審議を希望しているにもかかわらず、国民を説得させるような審議さえしないで、成立を急ぐ政府の魂胆はどの辺にあるのだろうか。

とにかく、安倍首相自身は戦前の体制を知らない人であると思うのだが、その右翼的な考えは、どこから来ているのだろうか。

後ろで糸引く人がいるような気が仕様が無いのだが、、、、、、

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2013年11月24日 (日)

働けることに感謝

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安倍川筋の中ほどにある市の施設と道路の間に皇帝ダリアが数十本並べて植えられていて、いまその花が満開を迎えている。

花の形は、ダリアそのものだが草丈の高さは三メートル以上であり、根元に太さはその草丈を支えるため直径4センチ以上はありそうだ。

しかし、普通のダリアは色とりどり、花の形もさまざまなのに対して、この花は、どこに咲いているのを見ても、同じ薄紫の色しかないようである。

それもそのはず、栽培方法は球根だけで増えるのではなく、茎を切って挿し木で増やしているなどと聞いたが、そうなるとこの花はすべて、クローンだと言うことになる。

いずれにしろ、寒さに弱く霜に会うとだめになるそうだが、そんな花がなぜ今の時期に花を咲かせるのだろうか。

なんだか難しい花のようである。

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今日は「勤労感謝の日」むかし、一年の穀物の収穫を感謝して行われた、宮中行事の新嘗祭から来ているそうだが、いまは、「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう日」と言うことになり、祝日に指定されている。

しかし、日本のほかの祝日同様、ただの休日もしくは連休あり、この日はこういう趣旨であるという意義はまったく無視されている。

そういう自分も、この晴天続きを利用して蓮根掘りに励んでいるのだが、自分の場合、この歳になっても働けることにたいして感謝する日だと思っている。

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2013年11月22日 (金)

太陽の日を浴びて

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弱くはなった日差しであるが、連日の晴天と夜風で干し柿が急速に小さくなり、吊るしたときの半分近くまで小さくなってしまった。

つまんだ感じでまだ中がぶよぶよして水分が抜けきってはいないようだが、食べても渋くは無いと判断して、ひとつおろして食べてみた。

おろし方が早すぎたのか、柿の種類にもよるのかいまひとつ甘みが足りない。

そういえば、子供のころ、おじいさんが作ってくれた串柿は、大人でないと手の届かないところにあって、子供たちはいつおろしてくれるのかと、下から恨めしげに見上げていたものだった。

正月になると、小さくて、硬くてコチンコチンになった干し柿から、串を抜いて2~3個づつ手渡してくれるのだが、甘い中にも串が通っていた部分にカビが生えていて、少々酸っぱい味が混ざっていたものだった。

いまなら、とても食用にしないだろうが、そのころは別に腹を痛くすることも無く、つぎはいつ分けてくれるのかと待ちに待ったものだった。

軒下の干し柿。今では誰も欲しがるものは無く、今日もまぶしい日の光を受けて熟成していく。

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今日11月22日は小雪。昨年まではズボン下をはくことも無かったが、今年は何年も前長野の冬の葬儀に使ったものを引っ張り出してはいてみた。

これも身体が衰えて新陳代謝が衰えると言う、歳の所為だろうか。まあやせ我慢はしないで置くことにした。

そして、この日をもじって「いい夫婦の日」の日だそうだ。

よくテレビでは、仲のよい夫婦を”おしどり夫婦”と言いタレントの何とか夫婦は、、、、なんて話をしているが、近年離婚率の多さから、おしどり夫婦と言われた人たちも突然離婚の記者会見など報道陣に囲まれている光景を目にする。

これも、仮面夫婦を演じていたが、どうにも我慢できなくなる時期が来るんだろうな。

個性豊かなタレント同士では、うまくいくほうがまれであろうが。名も無きわれわれの間でもそれぞれお互いがが{辛抱}と言う字を抱きかかえて行かなければ、ただ「楽しい」だの「しあわせ」だけでは長続きはしない。

我が家では、今でもしょっちゅう喧嘩の明け暮れで過ごしている。

人生なかなか達人になれないし、悟りもひらけない。そして、無くてもよいプライドがあって素直に謝れない。

ただ、このごろは、「ありがとう」と「今日の食事はこのおかずの味がよかった」くらいはなんのてらいも無く言えるようになったのが、自分なりの進歩だと思っている。

ここまでくれば、どちらかがボケたり、病気になったときには介護しなければならないとすると、愛情と言うより、、、、、、う~んと、何かよい言葉が浮かんでこないが、ここまでくれば、生涯連れそって行くしかないだろう、、、、

とにかく、よく日に当てた干し柿のように少々の甘さと酸っぱいところのある生活が続けばよいかなと思っている。

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2013年11月21日 (木)

くっきりすっきりと

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日本海側で湿気を落とした風が流れ込んでいるようで空気が乾燥しているのが、喉の奥で分かる。

お茶を飲んだり、りんごやみかんを食べたりしているが、夏の暑いときに取る水分のような役目は無いようで、喉の変調はなおらない。

ただ、空気の澄み切っていて、白い雪をかぶった富士山は、青一色を背景にして東の空に聳えている。

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今日も今日とて、スーパーへ連れ合いのお供をして買い物に出かけた。

こちらは、特にほしいものも無く、スパーの中を連れ合いと別行動で陳列品を覗いて歩く。

そして、シャンプーや整髪料などが置いてあるコーナーの一角で眺めていたとき、後ろのほうからいきなり商品を満載したワゴン車を押した店員が「いらっしゃいませ」としり上がりの声をかけてきた。

なんだかその声を聴いたとき「どけどけ!」といっているような気がしてしようが無かった。

いままでも、この声かけは何度も聴いているが、狭い通路を通すためには、余所目にはただボーっとたっているだけのお客は邪魔くさい存在なのだろうな。

それにしても、このマニュアルは誰が考え出したのだろうか。

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2013年11月19日 (火)

風花舞い散る

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細かく舞い散る風花

はじめはススキなどの種が飛び散っているのかと宿の食堂の窓から見ていたが、その量が尋常でなく見え始めたときから、風花だと気づいた。

気温はそんなに低くなく、空は晴れていたので風花がまい散ると思っていなかった。

昨日は義弟が用意してくれたりんごの木を一本三家族で丸ごと収穫し、それを各自の自動車の積み込んでいたため、傾斜が急で曲がりくねった宿からの山道を下るのが危ぶまれていたのに、追い討ちをかけるように風花が、、、、、、、、        雪に変わっては困る。と思っていたが、北の方角浅間の山あたりから吹き飛んできたと思われる風花は小一時間思わせぶりに雪を舞い散らせたあと消滅してしまった。

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例年、兄弟会をりんご採りにかこつけて、長野の立科町に集まっているが、今年もよい天気に恵まれて、楽しく一泊旅行をすることが出来た。

静岡、愛知、岐阜、三重とそれぞればらばらに飛び散った兄弟姉妹だが、一堂に顔を合わせるのは最近ではこのときだけになってしまった。

この日も、お互いの健康を確かめるやら、近況報告みたいことからはじまり、世間話に移るが、一番下でも67歳になればすべてが年金生活者であり心配なのはこの先の老いと健康である。

そんななか、どうしても出てくるのが最近の右より度を強める安倍政権批判、、、と、いうのも、消費税引き上げ、年金引き下げなど「強きを助け、弱きをくじく政策」に加え、秘密保護法などを次々と打ち出す今の自民党政治に国民の支持率が新聞によれば50%を超えている不思議さ、、、、

昭和30年代からの「安保反対!」を体験してきた世代の兄弟姉妹には、戦前の「治安維持法」につながる政策を打ち出す安倍政権にみんなが反対であり、異議を唱えるものはいなかった。

ここでの安倍政権支持は0%である。

われわれは、国民とは乖離しているのだろうか。それとも支持率の取り方が出鱈目なのだろうか。

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2013年11月17日 (日)

二度めの死

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澄み切った空を背景に雪をかぶった富士山が綿帽子をかぶってぼったっている。

手前には、摘み取り時期を迎えた温州みかんが黄金色に色づき取り入れをまっているが、地主の老齢化で摘み取りが遅れている。

今年は生り年とかでどの木もたわわに実っている中で、手入れの少ない木は売れ口も無いそうだ。

もったいないことと思いつつも、「じゃあ 自分が、、、」とも言えず、、、、、

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「人は二度死ぬ」と言う言葉がある。

一度目は、心臓もとまり生物から物体に変わったときであり、その次は、誰もその人を覚えていないときであるそうな。

誰がこの言葉を言ったのか、分からないそうだが、自分の場合、父母はさておき、その前の世代となるとおぼろげのしか覚えていない。

何しろやっとこの間まで人生50年と言われ、55歳で会社を定年退職した人のほとんどは、腰も曲がり始め、仕事が出来ないような体つきの人がほとんどだった、

そんななか、祖父母が満足に生きている人はあまりいなかったのではないだろうか。

そのため、お祖父さんについては、父方も母方も見たことが無かったので、どんなことをした人か聴くこともなく、名前しか知らない。

したがってこれらの人たちから先の先祖は早くから二度目の死を迎えていたことになる。

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一方歴史の中に登場した人たちはどうなるのだろう、魏志倭人伝に出てくる卑弥呼をはじめ、西行や平清盛などはなかなか二度目の死を迎えられずにいて、いまだに亡霊によって彷徨っていることになるのだろうか。

また、最近実在していなかったと言われる聖徳太子は、仏像にまでなって人々から拝まれているが、、、、こういう人たちは一度目の死さえなかったことになるのだが、、、、、、、、

そういう面から行くと、自分自身では波乱万丈な障害と思っているが、歴史的には「沈香も炊かず 屁もひらず」的な人生を送ったことになる自分は、一度目より先に二度目の死を迎えそうな気がしてならない。

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2013年11月15日 (金)

日中に点灯

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午後になって時折激しく雨を降らせる黒い雲は自動点灯の街灯にスイッチを入れさせるようで、そこだけが明るくなっているもの、地上は雨が邪魔をするのか、明るさは伝わってはいない。

雨が降らなければ、近々長野へりんご狩りと新米を貰うため出かけることにしているので自動車のタイヤ交換をするつもりだったが、あきらめ、代わりに蓮根を袋詰めにし、出荷のため安倍川は”真富士の里”に行ってきた。

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人間歳を取れば誰しも自分の死を考えるようになる。

自分は、父親の死後、ふるさとに建てた自分の墓に入りたいと望んでいるが、連れ合いは、海に撒いてほしいという。

幼いときに故郷を離れた子供たちは、よく知らないところまでもって行きたくないし、「本人がどういおうと残ったものがすることだ」という。

自分はそこに埋めてくれさえすれば、後は来なくてもよいから、、、、というが。死んでからのことは自分の力ではどうしようもない。

今日の新聞によると、いまの天皇夫婦は長年続いた土葬をやめ、陵墓も小さなものにしたいという希望を持っていて、その希望がかなうようになるとのことであった。

秦の始皇帝稜をはじめ古代の権力者は、生きているときから自分の墓に異常な関心を持っていて、巨大な墓を建設したのは、死後の世界やよみがえりを信じたためである。

同様に、日本にも巨大な墓がいくつもあり、古墳時代などという時代さえある。

しかし、近年になって死後の世界や、よみがえりも信じる人はほとんどいなくなったためか墓も仰々しいものは武蔵野稜墓地などを除けば数少なくなってきた。

自分は天皇制そのものには無ければならないなどと思ってはいないが、いまの天皇の言葉の端々に歳も近いせいか好感を持って聞いている。

国民のための気遣いと言う点では最高の人だ、と思うのは、子供のころに敗戦を迎え、アメリカ人家庭教師をはじめ、その後にいろんな人の意見を聴かれたことにあると思う。

その後、「菊のカーテン」などといわれるベールの囲われ、一部の人の意見しか聞かれない状態で育った前の天皇や次世代とはかなり違った考えの持ち主であり、後世名は残らなくても名君であると思っている。

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2013年11月13日 (水)

今日も「この冬一番」

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午前中、西から張り出した高気圧のため、空は真澄に晴れ渡り、風も無く穏やかな小春日和のになった。

その高気圧が運んできた冷たい空気と雲のない空で、放射冷却がおこり、「今日もこの冬一番」の寒さだとテレビは言っていた。

蓮根を積んで安倍川をさかのぼれば、静岡でも気温は6度にまで下がる。

最上流の梅が島あたりだとひょっとして0度に近いのかななんて思うほどの寒気が入っているようだ。

近所の蓮根畑からは山頂を真っ白にした富士山が久しぶりに顔を出している。

このくらいの気温のほうが、汗をかかなくて済むから蓮根掘りには最適の季節だと自分は思っている。

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昨日、笑ってしまったことのひとつに、”楽天優勝セール”に表示価格が、セール前と変わっていなかったことが分かったと言う話である。

もともとこういうセールは、正札の張替え品であることは常識だと思っていた。

何とかセールのたびに、売り値を下げていたらやっていけない。

それが出来るのは、売れ残りの処分(これも実際は分からないが、、、)か、納入業者をいじめての値下げであり、大手小売業者は損をしないどころか儲けてさえいるはずである。

正月などで行なう、福袋なども同様の手口で行っているのを見れば、行列までして買う人の気が知れない。

買う人にとって見れば、買ったものの全部が必要でなかったとしたら、逆に高い買い物をさせられたことになる。

強いて言うなら、ストレス開放ぐらいの効果しかない。

まさに、ピーヒャラピーヒャラと踊るポンポコリンにされている。

それにしても、三木谷社長の謝りかたは、近来まれに見る傲慢な謝りかたであったが、これが、最近一連の食品偽装などで頭を下げている連中の本音であろう。

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2013年11月12日 (火)

電気カーペットにする

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夕日を受けてさらに赤さを増した大錦草

一気に寒くなったため、寒さ慣れしていない身体は、気温より寒さを強く感じてしまい、居間の敷物を畳表から電気カーペットに敷き換え、スイッチを入れてみたが、これがなんとも心地よくて、離れられない気持ちになってしまった。

おもえば、やっと一ヶ月前まで三十度近い気温があった。

それが、十五度ほど下がっただけでこのありさま、人間とはなんと意気地のない動物かと思い知らされた。

昨年までは、こんなに感じなかったような気がするが、これも歳のせいだろうか。ふるさとからは初雪の知らせも届いてきたが、あちらにいればどんな思いがするだろうか。

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伊東から帰ってきて疲れが出ているわけではないと思っているが、ブログを書く気がしなくて休んでいた。

島倉千代子さんが亡くなったこと、ジュビロ磐田のJ 1からの降格など、書いてみたいことは多々あった、、、、

島倉千代子さんについては、同世代でありデビュー当時から知っていた。

「歌は世につれ 世は歌につれ」ではないが、彼女の歌のいくつかを聴くと、この歌の時はあんなこと、あの歌のときはこんなことがあったという思い出の、ランドマークみたいなものもある。

実際に会ったことなどなく、テレビの画面でしか知らない人だが、華やかさと裏腹に傲慢さがあった、石原裕次郎や美空ひばりに比べて地味な存在であったが、ただそれだけでは芸能界でこれだけ長く歌を歌ってこれるはずはない。

芯の強い人だったろう。と思われるのは、苦労の数も並みたいてのもので無かったがそれを乗り切ってこれたことでも分かる。

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これでまた、同年代の歌い手が亡くなった。

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2013年11月 9日 (土)

”山幸彦”激しい揺れを体験

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前に何度か来た城ヶ崎海岸。

そこに架かる門脇つり橋などから見た、観光船に一度は乗ってみたいと思っていたので今回は朝一番の出発に間に合わせるようにして、富戸港の乗船場に向かった。

途中から見た海は、風も強く白波が点々と見える状況だったので、「今日は駄目だろうな」と思いながら切符売り場に行くと出航します。とのこと、早速切符を買って港の端っこに停泊していた船に向かって階段を降り、港を半周した。

乗船場では、港内にもかかわらず船はかなり上下に揺れており、船員に「今日の波の高さはどのくらい?」って聞くと「2mはないんじゃないかね。このくらいはなんともないよ」とのこと、、、、、

時間になり、船は沖に向かって進みだしたがすぐに激しく揺れる。

バンバンッと船をたたく音がするたびに波しぶきが船窓の上まで跳ね上がる。

ただ、操船が上手なのか上下に大きく揺れるものの、左右にはあまり揺れないので、酔っ払うことはなさそうであるが、こんな揺れる場所での仕事は”山幸彦”の自分には向いていないとつくづく感じた。

むかし、沖合いのぼらを見張っていた”ぼら小屋”を見たあと、城ヶ崎の溶岩台地とその先にある門脇の白い灯台を、そして、つり橋を眺められる位置にまで船は進む、、、。

057手前の岬には波が激しくぶつかり岩棚で釣りをしている人の高さまで波しぶきを上げているのだが、つり橋の下の入り江は波静か、、、、風の向きだけではないような気がするのだが。

そのうち、船のスピードがさらに増したようで、波しぶきはもちろん、頬を打つ風も激しさを増す。

城ヶ崎の溶岩台地が終わるころ、船は大きくUターンをして帰途につく。

下船して港の一番奥まったところには100人以上と見られる人たちがダイビングの支度をしていて混雑のきわみ、それを横目に見ながら駐車場に戻る。

少し時間的には早かったが、いとしのはずれにあるマリンで食事を取り、一休みのあと亀石峠、箱根スカイラインを通り、国道一号を使って降る。

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2013年11月 8日 (金)

宿を探してあちこちと

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十月桜ごしに大室山

冷川峠越しに伊東へ入るのは何年ぶりになるのだろうか。

新東名の沼津インターを初めて出たところから、道がずいぶんと違っている。

カーナビのない車をあちこちと走り回わらせながら新しい道路と昔の記憶にある場所の接続地点を探り出して目的地に向かう。

三島、函南とこのあたりは急速に道路が変わりつつあるように思うが、こんなに道路ばかり作って、、、、、、と言う感じがしないでもない。

ようやく伊東の伊豆高原に入り、火口湖で有名な一碧湖の湖岸に入る。

むかしは、伊豆高原の目玉のように言われ、観光客でにぎわっていたが、今ではひっそりと静まり返りひと気がない。

自然に帰ったのならこれもまた風情があるのだが、寂れた建物が放棄されていてはなんだかむかしちやほやされていた人が落ちぶれ果てた姿を見るようでうら悲しい。

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ひっそりと静まり返った一碧湖

少し色づき始めた湖岸を眺めるまもなく、大室山にむかい、リフトで山頂に上ってみるが、先日台風の被害でマスコミをにぎわせた伊豆大島は山頂を雲で隠し、すそのほうだけが見えていたが、灰色の雲と海の中に溶け込んでぼんやりと見えるだけ、なんだかまだ喪に服しているように見えたのは、こちらの気持ちがそう見えさせたのだろうか。

山頂をぐるっと一周し、下ってきてから予約しておいた宿探しを始める。

出発前に、パソコンで印刷しておいた地図と予約用紙を忘れ、電話帳で電話番号を探してみたがわからず、地図を見てこの辺と予想しておいた付近の人に聞いてみたが分からず、、、、、、、、、はて、さて、と、、、

それでも、と飛び込んだ美術館の地図でようやく見つけることが出来るまで、かなり時間を費やした。

宿は、プチホテルと名乗っているように客室が六室しかなく、普通の民家の倍くらいにしか見えない建物で、本通りから300mほど入った行き止まりにあった。

一碧湖からの通り道の電柱に巻いた案内板が目印になったものの、目立たない看板で分からないのも無理はない。

しかし、宿の主人夫婦の人懐っこい笑顔と応対で初対面であることを忘れさせ、少し狭い客室ながら、お茶を飲んで一息をつく。

さて、待ちに待った夕食になる。今日はウイークディのためか、相客は3組6名。

食事は3組の客に3人のスタッフ、中華料理ながら、ホテル形式のためか、料理が一品づつ運ばれ、一皿を食べ終わるタイミングをみて、次のものが手際よく運ばれてくる。

そして、ふたこと三言の会話が、楽しくて笑顔が自然に出てくる。

022目当てのふかひれは、予想と少し違っていたが、それはこちらの先入観が強かったせいでもあるかも知れず、これはこれでまた美味しく食べることが出来た。

宿の周りは生い茂った高木があり、空だけが広がっている場所なので、温泉街のように外に出ることもなく、貸し切り風呂でゆったりと星空を見上げて疲れを取る。

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2013年11月 7日 (木)

はちすから飛び出して

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映画「男はつらいよ」の主題歌の一節に

どぶに落ちても 根のあるやつは

いつか蓮(はちす)の花と咲く   という部分がある。

蓮根畑も枯れ果てて、水気のなくなった土には蓮の種が漏れて転がっている。

種の抜け殻は、足長蜂の巣に似てまぁ~るい穴をいくつもむなしく開けている。

華やかだった淡いピンクの花も結実しいまから、次世代にバトンタッチする準備を始めている。

先日まで、暖かく包まれていた苞をを脱ぎ捨て、掘り返された土の中で眠るのだが、このうちのどれが根を張って、はちすの花を咲かせるようになるのはいつのことだろうか。

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先日来掘り始めた蓮根の売り上げが三万円になったので、このお金を基にして気晴らしに出かけることにした。

なんでも、伊東にふかひれを食べさしてくれる中華料理の宿があるとのことで、そこに申し込んでいる。

新婚旅行ならぬ蓮根旅行である。この旅行は、五月にも一度出かけているので、蓮根通帳はまたしても底をついてしまった。

しかし、こんな風に出かけられるのもいつまでだろうか。

本格的なふかひれを食べたことのないわれわれはいまから楽しみにしている。

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2013年11月 6日 (水)

朝の露

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寒気も入って冷たい朝はまさに”立冬”と言う言葉をそのままあらわしている。

草の先端についた露は、風もなく放射冷却という自然現象をそのままに、ま~ぁるい珠となって朝の光を受けている。

儚いもののたとえである朝の露は、小春日和を予想させる太陽の下、あとわずかで消えていく。

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高級レストランやホテルの食材偽装に続いて、高島屋や伊勢丹などという日本屈指のデパートでも食材の偽装が続いている。

まるで、この際我も我もといって置いたほうが目立たなくて済むと言わんばかりの盛況?である。

そして、「悪気があってのことではない、誤表示である」というのは、どこも同じであるが、これは偽装だというと食品衛生法に引っかかるからのことだそうだが、これら一連の事件は偽装!以外のなにものでもない。

材料を半値以下の別材料を使うと言うことは、利益を上げようとすることでしかないだろう。

「材料が安いので値段もそのようにさせていただきます」とは口が裂けても言わない、今まで何年も隠してきたのに、、、、、、、、。

おりから、日本料理を世界遺産にという運動もあるが、食材の偽装して、安いものを上手の料理するのが日本料理だということにならなければよいが、、、

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2013年11月 5日 (火)

ハナワラビ

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ハナワラビ、羊歯の仲間の草には花は咲かない。

しかし、この草の先端には小さなぽつぽつとした袋が出来るところから、これを花に見立てて付けられた名前である。

子供のころ、区の草の名前をイッポンワラビと覚えていた。

普通の蕨のように沢山生えているわけでないのでつけられた地方の名前なのだったが、何でも腎臓の病に効くとかで、これを見つけると、根っこごと堀り上げて父親のところへ持っていったものだった。

いま、ハナワラビで検索してみても、腎臓はおろか、薬草として扱っている様子はない。

そうすると、”気は心”や”いわしの頭も信心から”的なとところがあって、効くといわれれば病気によかったのだろうか、、、、

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2013年11月 4日 (月)

コミカンソウが色づいて

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小蜜柑草も色づき始め、細くて小さな枝の下には小さな珠のような赤い実が鈴なりになっている。

実の形から名づけられたと言うのはわかるが、実に柄がなく直接枝にくっついているのが変わっていると見た。

ただ、家の庭でこのように赤い実をつけるのは、滅多にない。

なぜならば、見つけ次第引っこ抜いている雑草のうちに入っているので、なかなか大きくなれず、赤い実をつけているのは、自分の監視の目をかいくぐってようやくこの日を迎えた草だけだからだ。

この草をはじめて見たのは静岡に来てからで、最初は関心を持って見ていたが、次第にその旺盛な繁殖振りにあきれて抜いては捨てていたがなかなか絶えることはない、生命力の強い草である。

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今日で、静岡の大道芸は済んだ。

昨年までは、必ず小さな脚立を自転車に積んで、駿府城公園に出向いてあちこちと見て回ったものだが、今年はなんとなく行く気になれずそのままになってしまった。

近年益々つのって来た人ごみ嫌いもあるが、昨日午後になって明日の午後までに蓮根がほしいという人がいて、今朝方までの雨が降り止むのを待って出かけたのが行きそびれた原因でもあった。

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2013年11月 3日 (日)

にこやかに

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004今日は真富士の里のお祭りで、安倍川筋のいろんなところから農業者が集まってきてテント村を作っていた。

それにあわせて、蓮根を持ってくるように要請されていたので、急遽昨日掘った蓮根を持参したのだが、瞬く間に売れて行ったようで、一時間余見物のあと帰りがけに見たら、後三本しか残っていなかった。

ただ、九時からが開会のようで、品物を届けてまもなく、壇上からいつものように関係者らしき人たちが並んで挨拶をしていたが、今年の紹介では市会で有力な議員と紹介された二人だけで、衆院選前の年には「TPPには絶対反対します」と叫んでいた自民党の国会議員はおろか県会議員も来ていなかった。

議会が多忙な折もあるのだろうけれど、安定多数を誇る与党の議員は”金帰火来”も必要ないようでである。

そして、いまの安倍内閣では「TPP反対」など口が腐ってもいえない状況なので、以前この場所で言ったこととの整合性を、、、、いや、公約違反を追及されたくない一心だといわれても仕様がないからであろう。

おりしも、広場の中央では周りの雑音にも頓着なく、手もみ茶の実演に励んでいるお爺さんとおばあさんががにこやかに言葉を交わしながら揉んでいた。

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2013年11月 2日 (土)

楓蔦黄ばむ

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立冬を間近に控えたこのごろを七十二項では”楓蔦黄”と書いて楓や蔦が黄ばむころといい、中国では”蟄虫威附”といって、虫が地中に隠れるころとしている。

朝、蓮根を袋詰めにして、いくぶん赤みを帯びて着物のすそ模様にでもしたいような紅葉を見ながら安倍川沿いの道をさかのぼる。

八時少し回って開店早々の”真富士の里”に持っていったところ、最近、入荷がなくて、昨日も「蓮根がないのか」と言う客があったとのこと、、、、

そして、明日は農業際があるので、もっと出荷してほしいと言うので、家に帰り、今日も蓮根掘りを行う。

蓮根の大きなものは地中深くにあるのが多く、下に行くほど硬くなる土を手先だけで掘り進むのは難儀であるが、掘り上げた時は思わずにんまりしてしまう。

食べるのはどちらかと言うとあまり好きではないが、この堀り上げたときの感触が好きなのと、わずかでも収入になるので、このごろは連日畑に行っている。

ただ、足腰に負担のかかる仕事なので、よくやって三時間が限度、それ以上はしない。

今日もこの蓮根堀りの作業中に、何匹もの生き物に迷惑をかけた。

この畑は、農薬を一切使っていないので、土中にはミミズ オケラをはじめザリガニやドジョウが潜んでいて、土をどけていると、「いま寝についたばっかりなのに何するのさ」と言わんばかり、さも迷惑そうな顔をしてでてくる。

いずれも、夏真っ盛りの俊敏な動きはなくのろのろと這い回る。

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2013年11月 1日 (金)

石蕗の黄色い花は

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あっという間に今年もカレンダーは後二枚になり、あれほど暑かった陽気も陰をひそめてしまった、

庭には、初頭の花”つわぶき”が椿の木陰で黄色い花を咲かせ始め、遅れていた季節感を一刻も早く取り戻そうと、、、、、

つわぶきは感じで石蕗と書くが、厚手の葉っぱが蕗に似ているところから艶のある葉っぱの蕗という意味でつけられたとある。

しかし、花はふきのとうとはぜんぜん違う。

当然、科も違いキク科である。

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