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2013年11月17日 (日)

二度めの死

006

澄み切った空を背景に雪をかぶった富士山が綿帽子をかぶってぼったっている。

手前には、摘み取り時期を迎えた温州みかんが黄金色に色づき取り入れをまっているが、地主の老齢化で摘み取りが遅れている。

今年は生り年とかでどの木もたわわに実っている中で、手入れの少ない木は売れ口も無いそうだ。

もったいないことと思いつつも、「じゃあ 自分が、、、」とも言えず、、、、、

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「人は二度死ぬ」と言う言葉がある。

一度目は、心臓もとまり生物から物体に変わったときであり、その次は、誰もその人を覚えていないときであるそうな。

誰がこの言葉を言ったのか、分からないそうだが、自分の場合、父母はさておき、その前の世代となるとおぼろげのしか覚えていない。

何しろやっとこの間まで人生50年と言われ、55歳で会社を定年退職した人のほとんどは、腰も曲がり始め、仕事が出来ないような体つきの人がほとんどだった、

そんななか、祖父母が満足に生きている人はあまりいなかったのではないだろうか。

そのため、お祖父さんについては、父方も母方も見たことが無かったので、どんなことをした人か聴くこともなく、名前しか知らない。

したがってこれらの人たちから先の先祖は早くから二度目の死を迎えていたことになる。

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一方歴史の中に登場した人たちはどうなるのだろう、魏志倭人伝に出てくる卑弥呼をはじめ、西行や平清盛などはなかなか二度目の死を迎えられずにいて、いまだに亡霊によって彷徨っていることになるのだろうか。

また、最近実在していなかったと言われる聖徳太子は、仏像にまでなって人々から拝まれているが、、、、こういう人たちは一度目の死さえなかったことになるのだが、、、、、、、、

そういう面から行くと、自分自身では波乱万丈な障害と思っているが、歴史的には「沈香も炊かず 屁もひらず」的な人生を送ったことになる自分は、一度目より先に二度目の死を迎えそうな気がしてならない。

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