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2013年11月15日 (金)

日中に点灯

019

午後になって時折激しく雨を降らせる黒い雲は自動点灯の街灯にスイッチを入れさせるようで、そこだけが明るくなっているもの、地上は雨が邪魔をするのか、明るさは伝わってはいない。

雨が降らなければ、近々長野へりんご狩りと新米を貰うため出かけることにしているので自動車のタイヤ交換をするつもりだったが、あきらめ、代わりに蓮根を袋詰めにし、出荷のため安倍川は”真富士の里”に行ってきた。

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人間歳を取れば誰しも自分の死を考えるようになる。

自分は、父親の死後、ふるさとに建てた自分の墓に入りたいと望んでいるが、連れ合いは、海に撒いてほしいという。

幼いときに故郷を離れた子供たちは、よく知らないところまでもって行きたくないし、「本人がどういおうと残ったものがすることだ」という。

自分はそこに埋めてくれさえすれば、後は来なくてもよいから、、、、というが。死んでからのことは自分の力ではどうしようもない。

今日の新聞によると、いまの天皇夫婦は長年続いた土葬をやめ、陵墓も小さなものにしたいという希望を持っていて、その希望がかなうようになるとのことであった。

秦の始皇帝稜をはじめ古代の権力者は、生きているときから自分の墓に異常な関心を持っていて、巨大な墓を建設したのは、死後の世界やよみがえりを信じたためである。

同様に、日本にも巨大な墓がいくつもあり、古墳時代などという時代さえある。

しかし、近年になって死後の世界や、よみがえりも信じる人はほとんどいなくなったためか墓も仰々しいものは武蔵野稜墓地などを除けば数少なくなってきた。

自分は天皇制そのものには無ければならないなどと思ってはいないが、いまの天皇の言葉の端々に歳も近いせいか好感を持って聞いている。

国民のための気遣いと言う点では最高の人だ、と思うのは、子供のころに敗戦を迎え、アメリカ人家庭教師をはじめ、その後にいろんな人の意見を聴かれたことにあると思う。

その後、「菊のカーテン」などといわれるベールの囲われ、一部の人の意見しか聞かれない状態で育った前の天皇や次世代とはかなり違った考えの持ち主であり、後世名は残らなくても名君であると思っている。

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