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2013年12月31日 (火)

いずこも同じ年の暮れ

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神棚の掃除以外今日は自分の仕事が無い。

傍で連れ合いが不機嫌そうに立ち働いている。

こんなときは、どこかへ逃げていくのが一番なので、最近ご無沙汰している流通センター北側の麻機沼周辺まで足を伸ばしてみた。

このあたりを一周してくれば大体二時間くらいであるが、さらにゆっくりと、あちこちを眺めて歩く、、、、

このところの寒さの所為か、柳やケヤキなど落葉樹の多いこのあたりはすっかりと葉を落とし、ムクドリや鳩が隠れるところがないとばかりに、あちこちの木の枝を渡り歩いている。

歳も押し詰まった今日はさすがに人出でもなくすれ違う人もまばら、そのためか、日ごろ用心深いチュウサギも枯れた葦の間でのんびりと日向ぼっこを楽しんでいた。

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午後になって、早風呂に入り灯明とお神酒をあげれば、年越しの晩である。

むかし、親父から「日本人は大晦日の夜一斉に歳を取るので誕生日なんて祝わないもんだ」と言われ、年越しの夜の夕食は、正月以上に豪勢だった。

そのなかで、年越しの魚と言うものがあって鰤の切り身を焼いたものが必ず付いていた。

戦後の貧しい時期にも大きい小さいはあったが付いており、その習慣をいまだに続けている。

明日からは、戸籍上は七十四歳でも、数え年は七十六歳になり昔流に言えば「老翁」       自覚も貫禄も無いけれど

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2013年12月30日 (月)

一日中ぐだぐだと

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何年も前に山から持ってきた藪蘭が今年も真っ黒でつやつやとした実をつけている。

周りに立っている椿や一位の木のしたで、日当たりも良くない場所だが、こんな環境に負けないでと言うかこんな環境が良かったのかは知らないが、そんなに生息範囲を広げることなく、しかし、律儀に花を咲かせ実をつけている・

与えられた環境をに逆らうことなく、その場所でじっと生息していく。

人間もそんな風になれれば良いのだが、いつまでも生まれ故郷を引きずって、なかなか、静岡人になれない自分がそこにいる。

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昨日まで連日のように蓮畑に入っての蓮根掘りは意外と身体にきつかったようで、蓮根掘りから開放された今日は上半身がだるく、畑に行って正月用の大根掘りとサトイモを少し掘っただけで後はぐたぐたと過ごしてしまった。

年賀状も二十日にはだしたし、あとの正月の準備は明日中に何とかしよう。

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2013年12月28日 (土)

まだやめられない

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飛騨風の花餅は正月飾り

002昨日で予約を受けてた蓮根の配布先も決め、今年の蓮根掘りを収め、今日は餅つきでのんびりしようと思っていたが、どこにも無いからなんとかしてくれという注文が三件はいった。

餅つきといっても、杵と臼で”ペッたんこぺったんこ”は、ふるさと飛騨を出て以来搗いたことが無く、もっぱら機械でグルルルルと回転させるだけになったのだが、、、

それでも、今日が餅つきだと知らせていたため、娘夫婦や孫たちも来てくれて、昼ごはんがわりに、搗き立てのもちを大根おろしにからめ、ビールの乾杯で出来上がってた身にとって、「もう今日は行けないよ」とことわったが、頼まれれば仕方ない。

それこそ、鳥取の民謡貝殻節ではないが、#何の因果で 貝殻こぎ ならぬ、蓮根掘りなろうた  かわいやな~ かわいやな~、、、、みたいなところがある。

しかし、掘った蓮根を渡したとき、人が喜ぶ顔を見ればこんな幸せがないという感じもこの歳になってえらるのは数少ない。

あしたは、もうひと踏ん張りがんばってみよう。

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2013年12月26日 (木)

はは のんきだね

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長野の望月町の馬事公苑で朝霜を踏んで、早朝の足慣らしをしている馬がいた。

馬場に面した通りには、「馬は神経質な小さな動物なので、大きな音を立てないでください」と看板がたっている。

ひと気の無い馬事公苑。乗っているのは、この公園の世話係なので、馬のほうも安心して乗せているのが遠目ながら良く分かる。

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子供のころこんな歌があった。

のんきな父さん お馬のお稽古

お馬が走り出して とまらない

子どもが面白がって 父さんどこ行くの

わしは知らない お馬に聞いとくれ

はは のんきだね

少々違っているかもしれないが、こんな調子だった。

後になって、この歌は大正の末にできた歌で、自分らが知ったのは学校に上がる前、物心が付いてまもなくからのことと思うので、戦争末期のことではなかっただろうか。

良くこんな歌が歌えたものと、今になって気がついた。

つまり、軍部が台頭し大政翼賛会になって国会が国会の役目を果たせなくなり、新聞など治安維持法のもと体制批判するどころか、戦争への道をあおりたてて、戦争に邁進していく時代は、庶民がどう思おうとひたすら体制と言う馬が国民を乗せて突っ走しって、どうしようもないころだったはずである。

その時代にいまひたすらに近づけようと、秘密保護法を作り、憲法解釈を閣議だけで変更しようとしている。

あと三年、この政治の流れが変わりようの無いと思われるが、国民はのんきに内閣支持率を50%ほど与えている。

いつも言うように、自分たちの余命はあと僅かであるが、支持する人の大半は、、、、、、、

来年の干支は午歳である。午がなぜ馬と読まれるのか分からないが、来年の馬はどこに向かって走っていくのか、後年「あの時は、、」はという年になるかもしれない。

とにかく、気が小さくて、困ると腹痛を起こす、馬が暴走始めたら、どうにも止まらないものである。

おっと、こんなことを書いていたら、危うい事態になりかねないのかな?

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2013年12月25日 (水)

親離れができない

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一本だけ雪をかぶったように白くなった木を見つけ、近寄ってみたら仙人草の白い種が沢山付いた木であった。

仙人草はクレマチス科のつる性の植物であるから、仙人草の木ではなく、木に覆いかぶさった蔓なのである。

六月ころ白い十文字の花弁と、無数のおしべを持った花を咲かせていたが、中心に六個ほどの種を付け、その種の先端に白い羽根のような髭が、仙人の髭を思わせるとして名づけられた草である。

たぶん、この蔓から種が飛び散るとき、くるくると回転しながら風に飛ばされるのだろうけれど、なかなか蔓から離れようとはせず、いつまでもしがみついている。

まるで、最近のニートのように居心地が良いので親離れができない若者のようだと思ってしまった。

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2013年12月24日 (火)

受難?の日

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すっかり葉の落ちた藪の中に真っ赤な茨の実が見えている。

五月、一面真っ白な花を咲かせていた茨も、その後まわりの草に覆われてその所在も定かでなかったが、草木も葉を落としていまは、「さあ自分の出番」とばかり、その赤さを見せびらかしている。

しかし、その実は色こそ赤いものの、自分にはなんだか硬くて美味そうには見えない。

これは、木や草の実が好物の鳥たちにもそう見えるらしく、いつまでも赤いまま茨の先端からなくならないでいる。

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ジンゴベー ジンゴベー ジンゴオーザ エー

このほうが学校で習った英語で歌うジングルベル ジングルベル ジング オール ザ ウエイ と言う歌い方より外人に通用するそうだ。

今日は、クリスマスイブ。キリストが生まれた日の前夜祭である。

熱心では無いが、曹洞宗のお寺を檀那寺にもつ自分には関係の無い日である。

しかし、午後になって近所の親しくしている家から、七面鳥ならぬ鶏の焼いたものがそっくり一羽分と届いた。

三十数年前、ペルーで朝昼晩と鶏を食べさせられて以来、すっかり鶏嫌いになり、最近ようやく、から揚げなら少しは食べてみようか、ぐらいまで回復していた自分にとって、大きな皿に丸裸にされ、首から先の無い鶏は見るだけで食欲がわかない。

それでもせっかくのものを、もったいないと手をつけ、焼酎のお湯割りのお供にと手をつけたが、腿肉一本が精一杯、、、、、、、

連れ合いもほとんど食べないくせに「綺麗に食べてしまうまで、何度でも出しますよ」という。頷いたものの、また鶏嫌いが再発しないかと、、、、、、、

キリストは、ゴルゴダの丘で十字架の架けられたとき、棘がいっぱいの茨の冠をしていたと言うが、自分にとって、鶏の丸焼きは一種の受難である。

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あれほど、嫌いになったと思っていた鶏肉だったが、これが意外と美味かった。

となると、気持ちだけのアレルギー    食わず嫌いだったと言うことになる。

これを機に、また、、、、お礼を言わずばなるまい

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2013年12月22日 (日)

冬至南瓜に柚子の風呂

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穏やかな日を受けて光り輝く南天の紅葉

今日は冬至。一年で一番日照時間が短い日だと言うが、穏やかな日和は冬至を忘れさせるかのようにぽかぽかと暖かく、午後になって入った蓮根畑では、ウインドーヤッケを脱がざるをえないほど気温が上がった。

冬至の行事はかぼちゃにゆず湯。

どういういわれは、気にも留めず美味しく食べて、薫り高いゆずを身体にこすり付けて厄除けを願った。

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2013年12月21日 (土)

冬の木

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すぐ傍の高校の外縁にヒイラギの垣根があり、その中に小さな白い花が咲いている。

ヒイラギは漢字で書くと柊。つまり冬の木である。

小さいながらもこの花を見てつけたのだろう。金木犀の仲間と言い、香りが強いというが、この垣根では数が少ないためか匂いは感じられない。

柊はその鋭い棘で泥棒などの侵入を防ぐため植えられているが、その効用から、古くは鬼払い、邪気を防ぐと言われてきた。

しかし、この木も古くなると葉っぱから棘がなくなるそうで、人間も歳を取ったらいつまでも角張っていないで円くなるたとえに使われてきたそうだ。

しかし、自分が考えるに歳を取ったからと言って性格が円くなるとは思えないでいる。

ただ、口角泡を立てて言いつのっても、思うようにならないことを知って「わしの寿命もあとわずかどうでも良いわい」と投げやりになっただけのことと思っている。

したがって、自分の場合、まだまだ不平不満を口にするのはこの先まだまだ、、と思っているためなのだろうか。

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2013年12月20日 (金)

行き所を失った

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明けの空はすっきりと晴れ上がり、雲ひとつない青空の下、
立待ちの月が行き所の無いようにして輝いていた。

今日も底冷えのする日であり、長野は佐久に住む義妹から「道が凍ってツンツルテンだよ」と言う電話が来た。

その余波なのか、安倍川沿いを遡り出荷する蓮根を積んだ自動車の社債温度計は三℃まで下がっており、それに加えて強烈な川風が体感温度をさらに低く感じさせている。

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猪瀬東京都知事がついに辞めざるをえない事態になった。

当然と言えば当然過ぎることであったが、その辞職表明の言葉の中で、オヤッと思う言葉が出てきた。

それは、自らの態度が”傲慢であった”と言う箇所である。

これは、誰かに言われたのでなく自分自身でそう思っていったのなら、常日頃よほど傲慢だったのか、振り返ってみての反省だったのかということになるが、なかなかいえることではないような気がする。

とはいえ、都議会の追及がこれで終わり、後はうやむやにしてしまうことのないようにしてほしいものである。

政界は左側次期都知事選びに入っているようだが、新聞によると安倍総理は「勝てる候補を」と言っているそうだが、勝てさえすれば良いわけではないはず、、、

そんな人だから、今回のような不祥事が起きたのだから、、、また、それに乗っかる都民や日本人にも責任があるのだが、、、

同音異義語になるのだが、430万票をとっても、今日の月のようにどこにも隠れるところが無く”たちまち”辞めるような人を選んではいけないよ。

東京都民でない者の言うことではないかもしれないのだけんど。

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2013年12月18日 (水)

首筋がスースー

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まるで梅雨時の雨のように終日しとしとした雨が降っていた。

底冷えのする雨の中、蓮根掘りも今日は休み、ゆっくりと静養するつもりでいたが、根っからの貧乏性なようでほかにすることも無いと退屈してしまう。

しばらくテレビを見ながら考えたあと、「正月頭にしよう」と、床屋へ行ったが、黙って椅子に腰掛けていたら、いつもどおりに短く刈り上げたため、床屋談義の中にあった猪瀬東京都知事ほどではないが、首筋がスースーとしてうそ寒さがつのるばかり、、、、、

「いやぁ~ 参った まいった~ 過ぎたるはなお及ばざるが如しってのはこのことだよな」「いまさら、首筋の毛を戻すわけには行かないし」、、、、と内心つぶやいて外に出た。

帰り途中から見たまわりの山々から湯気のように霧が立ち上っている。

たぶん、地表の温度より上空の寒気が下回っていることを、証明しているんだろうな。

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例によって床屋談義は、ちょうどテレビで報じていた猪瀬東京都知事の話になり、今年は彼と”みのもんた”にとってとんだ厄年になってしまったなあ、と言うことが中心になった。

どちらも今年、風船ガムのように膨らむだけ膨らみ、はじけたように消し飛んでいく運命、、、いわゆるバブルの年だったのではなかっただろうか。ということ、、

それにしても、絶頂期の後、突然はじけ飛んでしまうのは、バブルのときの株価同様であるが、人間一瞬先は分からないものと言うことの典型であろう。

その原因は彼らにとって”アゲマン”だった妻に先立たれたことにあるんではないだろうか。と言うことで一致した。

となると、自分たちの連れ合いはどうなんだろう?

決して、バブルに乗っているとは言い難いが、ひょっとして今が自分たちの絶頂期だったとすると、猪瀬氏や御法川氏のように大金を持っているわけ無いのだから、ここから転落すると暗くて暗くて底の見えない谷に落ちていくような状態になりかねない。

それこそ、母ちゃんを大事にして「クワバラクワバラ」と呪文を唱えておくか、先にあの世へ行くしかないのだろうかと、、、、、、、、、、、

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「クワバラクワバラ」は地震除けでなかった?って、茶々を入れる順番待ちの客の声あり、、

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2013年12月17日 (火)

早起きは生活習慣病?

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真夏の暑い時期にでも撒いたらしい野菜が陽だまりで花を咲かせていた。

たぶん、正月に菜の花を見せようと細工したものらしく、周りには何本もの菜の花がちらほらと花を咲かせていた。

暖国とはいえ、朝夕はかなり冷え込み、薄氷さえ見られるこの季節だが、その寒さに屈することなく黄色い花を咲かせている。

それをどこで見たのか、ここしばらく冬ごもりをしていたはずのモンシロチョウが蜜を吸いに飛んできた。

そこだけを切り取ると、一瞬春を思わせるが、季節は冬。

冬来たりなば 春遠からじ  とか、さもあらん。

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遅ればせながら我が家では昨日からサマータイムならぬウインタータイムに入ることにした。

年寄りの何とかではないが、近年朝五時に目を覚まし、六時に朝食を取っているのだが、日の出時間も遅くなって早起きしても外が真っ暗なのと、何も用事が無いのに早起きすればそれだけ暖房費がかかるからと言うのがその理由。

身体のほうは、朝五時になれば目覚めるので、さらにもう一時間床に入っているのは、かなり苦痛である。

このことは、普通の人はもちろん、朝寝坊の人にとっては理解の範囲を超えていることと思うが、長年の習慣で身体に染み付いていることのような気がする。

六十年ほど前に就職した鉱山は、始業が朝七時だった。

抗口のすぐ傍にある独身寮に入っていたが、それでも、朝の食事は六時半には済ませていたし、10kmほど離れた自宅から通勤するようになってからは通勤バスの停車場には六時十五分には行かなければならなかった。

そして、静岡に来て自営を始めてからは、交通渋滞を避けるため、朝七時にはトラックに乗っていた。

そんなこんなで、結局早起きは生活習慣病といった感じで今に続いている。

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2013年12月16日 (月)

ピラカンサスの赤い実

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ピラカンサスの赤い実が目立ってきた。

その木に、すずめが群がっていたのは、近くの田んぼで落穂ひろいに飽きてきたものらしく、赤い実に埋もれるようにして留まっている割には実をつついている気配が見えない。

この実が食べられるのは、年を越して真冬の餌のない時期にムクドリなどが群がって瞬く間に食べてしまうのだが、それまでどの鳥もあまり食べようとはしないところを見ると、あまり美味くない実なのかもしれない、と思ってしまう。

とにかく名前から行っても外来種なので、日本の鳥のお口には合わないようだ。

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自民党は、どうしても原子力発電所の再開を始めたいようだ。

さすがに、ほかの発電所から出る電気に対して安いとは言えないし、安全とは言えないはずなのだが、安定供給、コスト削減、温暖化対策から新規発電所の建設までも含めた政策に変えようとしている。

福島原発の事故後、各地で行われた調査では原発ゼロを支持する国民が多かったのだが、それを無視するような政策を行おうとしている。

秘密保護法を強引に通したのと同じように、ろくな説明もしないで数の力に物を言わせ、問答無用で突っ走ろうとしている。

おりしも先の選挙を違憲状態とする判決が各地の高裁でだされているなか、彼らは議員や首相の資格が無い人々である。

その連中に、怒ろうともしない国民は、、、、、、、、何をか言わんや

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2013年12月15日 (日)

ボーナスサンデー

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一昨日まで真っ白だった富士山が、化粧がはげたように黒い部分が多くなっている。

多分強烈な風が、積もった雪を吹き飛ばしてしまったに違いない。北海道東方に台風並みに発達した低気圧が、大陸からの寒気を呼び込んでいるのだろう。

この寒さが本格的なのか、歳の所為かかなりこの冬の寒さは身にしみる。

昨年まで念のためにと持っていた半ズボン下と長袖の肌シャツを引っ張り出して、着用することにした。

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ボーナスサンデーとかで、新聞の広告はかなり厚みを増しており、新聞受けに引っかかって取り出しにくいような状態になっていた。

アベノ増税を前にして、”買え 買え”と言っている。

我が家では、ボーナスと言うものからは、ここ20年余見放されており、どんなに広告を出されても臨時収入というものは無い。

こんなとき、デパートなどに出かけても、華やかな社会から置き去りにされているようで行く気がせず、市街地外周をうろつき中に入れないでいる。

広告を見れば、欲しいものはもとより、必要なものもさえ肝心のものがないので完全に壊れるまで待って、少々高くてもそのとき買うしかない。

国民は、富める者と貧しい者に二極分化されていくそうだが、この調子では雪崩を打って貧しいほうに転げ落ちていくような気がしてならない。

いやすでに貧しいほうに入っているのを、認めたくないだけなんだろうか。

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2013年12月13日 (金)

初霜

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今日もこの冬一番の寒さだといい、暖国静岡でも初霜と初氷を見た。

草の葉縁に白いとげとげした小さな氷を突き出し、冬の寒さを演出している。

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2013年12月11日 (水)

遠方より来る また楽しからずや

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柔らかな冬の日差しを受けて韮の種が飛び出そうかどうかと迷っている。

ためしに、枯れた茎をそうっとゆすってみるが、黒い種は離れがたいようで、額にしっかりと掴まっていて、飛び出す様子も無い。

多分、ここで種を落とせばこのあたり一帯で兄弟げんかのように、成長する際骨肉の争いになるのを知っていてしがみついているのだろうか。

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昨日溝を切って排水に勤めた蓮根畑はかなり水が引いて、何とか作業ができる状態になった。

そこで、畑に出かけ窪みに残った水をバケツでかき出し手掘りをはじめた。

朝型の気温は、かなり低かったようでうっすらと霜が降りていたが、十時近くのこの時間にはかなり気温も上がったようで、土に当たる手の感触はやや冷たいものの、震え上がるようなことは無い。

手ぶらでは返せないので、前々から一応蓮根が込み合っている場所をお膳立てして置いたので、順調に蓮根をゲットできる。

それでも慣れない作業なので二時間弱の作業で切り上げる。

午後は、池ヶ谷で山で蜜柑採り、、、、一応静岡を満喫してもらって今夜は寄せ鍋。

兄弟、遠方より来る また楽しからずや    と酒を飲む。

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2013年12月10日 (火)

珠のしずくをつけて

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明け方になって激しく降り出した雨も、九時過ぎにはからっと晴れ上がった。

庭の南天もこの雨を受けて珠のしずくつけてゆれている。

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今日は、弟夫婦が蓮根掘りにくるというので、畑に行ってみると一面水浸し、、、

とても掘れる状態ではなかったため、何箇所かに水路を切って排水に勤めた。

しかし、あまりにも水が多くて、目に見えて水位は下がらない。

結局は、明日まで様子を見ようと言うことになり、午後になって到着したものの、することも無く、、、酒酌み交わして

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2013年12月 8日 (日)

オモテナシ  裏ばっかり

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山茶花さざんか咲いた道

焚き火だ焚き火だ 落ち葉焚き

あたろうかあたろうよ

霜焼けおててがもう痒い

今日は知人の山に行って蜜柑採りをしてきた。

曇り空で冷たい空気がよどんでいる中、知人は山にいなかったが、前々から「鳥に食べられる前に積んでいけ」と言われていて、木の枝には蜜柑摘み様のはさみまで吊るしてあったので、大き目のレジ袋に詰められるだけ摘んで帰ってきた。

その行き来する道ばたに咲いていた紅白の山茶花。

下には、同じように植えられている、木の落ち葉が堆積しているが、いまの世の中では”落ち葉焚き”は厳禁。

住宅街で煙を出そうものなら、通報を受けた消防車がすっ飛んでくるのは間違いない。

それにしても世知辛い世の中になったものだ。

むかしなら、天才バカボンの”レレレのおじさん”みたいな人が箒を持ってかき集めた落ち葉に火をつけて、、、、なんて風景はざらに見えたものだったが。

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今年の流行語大賞は、四っもあったそうで流行語の豊作年と言ったところかもしれない。

そのひとつに、オリンピック承知の会場で「お、も、て、な、し、 おもてなし」と、日本人の気遣いを表現した言葉が入っていた。

しかし、皮肉屋の自分から見れば、この言葉は聴きようによっては「表無し」つまり、「裏ばっかり」と取れないことは無い。

それかあらぬか、猪瀬東京都知事のイメージが表とずいぶん違っていたことが暴露されているし、昨日、参院を強行突破した秘密保護法案もあいまいな表現のオンパレードで後からどうにでも解釈できる字句だらけである。

これからまだ三年間は安倍政権が続くと言うが、この先どこまで暴走していくのだろうか。

違憲判決まで出ている選挙を潜り抜けてきた議員たちにはその資格が無いはずだが、、、、、、、、、、、

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2013年12月 6日 (金)

秋もいぬめり

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百人一首にこんな歌があった「契りおきし させもが露を命ににて あはれ今年の秋もいぬめり」

約束を期待していたのに、何の音沙汰も無く今年の秋も済んでしまった。と言う意味の歌だと思っているが、歌の前半はともあれ現実世界でも秋は次第に終わりを告げていく。

太陽の光を受けてきらきらと黄金色に染まっていた銀杏の葉っぱを一気に地面に落とし足元に黄色い絨毯を広げている。

しかし、黄金の絨毯も地上に降り敷けば、一気に輝きを失いただの黄色に変わり朽ち果てていく、、、、、、、

現世での栄耀栄華も、一度地に落ちればただの塵、、、、、、

いま、世間を騒がしている徳州会の選挙違反事件報道もその典型を見ているようで儚い秋を感じさせてしまう。

その発端となった徳田虎雄氏も一代で全国展開の大病院を作ったまでは偉かったと思うが次第に権力志向に走り、金の力で国会議員までになり、病に倒れると息子にその跡を継がせた。

しかい、いま難病の身を病院のベットに横たえて何を思っているのだろうか。

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2013年12月 4日 (水)

とのかく困っている

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道端に咲く黄色い花。
その名は、ハルノノゲシという。

よく似た花に、アキノノゲシというのがあるが、こちらは花の時期も終えて花の付け根の額だけになっている。

ハルノと付くのになぜ今頃か、、、、、返り咲きそれとも狂い咲き。

いや、この花はほとんど一年中咲いている時無しみたいなところがる。

じゃ、なぜ、ハルノなんて付けたのだろうか、、、、、、、、

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いま困っているのは、我が家に果物が沢山ありすぎることである。

贅沢な悩みではあるが、りんごがおよそ60kg、富有柿が20kg、干し柿、熟柿にキウイ、そして、蜜柑も静岡の特産である以上、当然のようにしてある。

そこへ持ってきて、連れ合いが果物を食べないとなると、自分が始末しなければならないのだが、、、、、、、、

ちとやそっとでは減らない。

いずれジャムやワイン煮などにして保存も考えなきゃならならないが、なかなかやろうという気が今のところ出てこない。

ひとっころ”りんごダイエット”と言うのがあったが、りんごも有りすぎると食べる気がしないのでできないし、糖のとりすぎはダイエットに逆行すると聞くと、、、、、

とにかくもったいない話である。

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2013年12月 2日 (月)

安倍川で券取り

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012久しぶりに桜葉の紅葉を見た。

子供のころは、落葉した桜の葉っぱを拾い集めて、どの葉っぱが美しいか持ち寄って自慢しあうほど綺麗な葉っぱがあったものだ、、、、、

ところが、いつの間にか桜の葉っぱが気候の関係か、毛虫の被害からか紅葉する前に落葉してしまい丸裸の枝しか見られない状態になっていた。

ここは、安倍川の河川敷きに作られたスポーツ公園の一角。

どうしてこんなに綺麗なさくら紅葉が出来たのだろうか、、、、、、

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昨夜遅くなって安倍川の「券取り」に出てもらえないかと言う電話がはいった。

予定の人が、風邪を引いたらしく高熱で寝込んでしまい、とても出られそうも無いからと言うことで、出たくは無かったが粘り負けしてしぶしぶ引き受けた。

「券取り」というのは、昨年のちょうど今頃やったことがあるが、安倍川に堆積した砂利を海岸に入れる「養浜工事」や「骨材会社」に持っていくため、ダンプカーの搬出回数をまとめ、記録する仕事で、一日中狭いボックスに入っている仕事である。

経験者と言うことで、入所教育もそこそこに作業についたが、天気も穏やかだったので眠気に誘われながらも、出入りするダンプカーを見守った。

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2013年12月 1日 (日)

誰に気づかれることも無く

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真澄の空を背景に、真白き富士の嶺に蜜柑の輝く黄金色と濃緑の葉っぱ、形容詞をいっぱいつけるとこんな表現になるのは静岡県ならではの風景であろう。

風も無く、陽だまりが暖かい陽気に誘われて池ヶ谷の高台に登ってみた。

知り合いのご同輩もこの高台の農園に来ていたので、仕事の手を休めさせて、枯れ草を尻に引いて蜜柑をもいで食べながら、あらぬことを思いつくまま話す、、、、

世間の憂さもここまでは届かず、下を走る国道一号の車の音もここまではかすかにしか聞こえない。

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今朝方、自分が死んだ夢を見て起きた。

かなり長い夢であった。

何が原因で死んだのか分からなかったが、夢の中で「七十五まで生きられなかったんだな」と、つぶやいていた。

夢は死後の世界の世界に入っていったのだが、今日死んだ人がみんな一堂に集められ、今晩は学校のような、だだ広ろい宿に泊まることになっているそうで、そこで、まったく知らないもの同士が話したり、名残のある人は、一度家まで帰ってみても良いということだった。

自分は宿にいて外に出ないほうを選んだが、同じ仲間の話では、死ぬ前に病気で苦しい思いをした人が、「死んでみたら痛みがすっかり無くなった。」いう人や、「これで借金取りから逃れられた。」といって喜んでいたのが印象的で夢が覚めてからも覚えている。

そのほかいろいろとあったものの、そのほとんどは時間がたつにつれてあやふやになっていく。

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今日は、自分の七十四回目の誕生日である。

そんな日にこんな夢を見て起きるのは、何か因縁のあることだろうかと思っても見たが、いずれ来る日がこんな風ならこれまた楽しいと思い、特に後味の悪い夢でもない。

この歳になって、「ハッピバースーディ ツー ユー」なんて騒いでくれる方が性に合わないが、連れ合いをはじめ誰にも気づかれること無く夜は更けていく。

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