いずこも同じ年の暮れ
傍で連れ合いが不機嫌そうに立ち働いている。
こんなときは、どこかへ逃げていくのが一番なので、最近ご無沙汰している流通センター北側の麻機沼周辺まで足を伸ばしてみた。
このあたりを一周してくれば大体二時間くらいであるが、さらにゆっくりと、あちこちを眺めて歩く、、、、
このところの寒さの所為か、柳やケヤキなど落葉樹の多いこのあたりはすっかりと葉を落とし、ムクドリや鳩が隠れるところがないとばかりに、あちこちの木の枝を渡り歩いている。
歳も押し詰まった今日はさすがに人出でもなくすれ違う人もまばら、そのためか、日ごろ用心深いチュウサギも枯れた葦の間でのんびりと日向ぼっこを楽しんでいた。
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午後になって、早風呂に入り灯明とお神酒をあげれば、年越しの晩である。
むかし、親父から「日本人は大晦日の夜一斉に歳を取るので誕生日なんて祝わないもんだ」と言われ、年越しの夜の夕食は、正月以上に豪勢だった。
そのなかで、年越しの魚と言うものがあって鰤の切り身を焼いたものが必ず付いていた。
戦後の貧しい時期にも大きい小さいはあったが付いており、その習慣をいまだに続けている。
明日からは、戸籍上は七十四歳でも、数え年は七十六歳になり昔流に言えば「老翁」 自覚も貫禄も無いけれど
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