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2013年12月 1日 (日)

誰に気づかれることも無く

004

真澄の空を背景に、真白き富士の嶺に蜜柑の輝く黄金色と濃緑の葉っぱ、形容詞をいっぱいつけるとこんな表現になるのは静岡県ならではの風景であろう。

風も無く、陽だまりが暖かい陽気に誘われて池ヶ谷の高台に登ってみた。

知り合いのご同輩もこの高台の農園に来ていたので、仕事の手を休めさせて、枯れ草を尻に引いて蜜柑をもいで食べながら、あらぬことを思いつくまま話す、、、、

世間の憂さもここまでは届かず、下を走る国道一号の車の音もここまではかすかにしか聞こえない。

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今朝方、自分が死んだ夢を見て起きた。

かなり長い夢であった。

何が原因で死んだのか分からなかったが、夢の中で「七十五まで生きられなかったんだな」と、つぶやいていた。

夢は死後の世界の世界に入っていったのだが、今日死んだ人がみんな一堂に集められ、今晩は学校のような、だだ広ろい宿に泊まることになっているそうで、そこで、まったく知らないもの同士が話したり、名残のある人は、一度家まで帰ってみても良いということだった。

自分は宿にいて外に出ないほうを選んだが、同じ仲間の話では、死ぬ前に病気で苦しい思いをした人が、「死んでみたら痛みがすっかり無くなった。」いう人や、「これで借金取りから逃れられた。」といって喜んでいたのが印象的で夢が覚めてからも覚えている。

そのほかいろいろとあったものの、そのほとんどは時間がたつにつれてあやふやになっていく。

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今日は、自分の七十四回目の誕生日である。

そんな日にこんな夢を見て起きるのは、何か因縁のあることだろうかと思っても見たが、いずれ来る日がこんな風ならこれまた楽しいと思い、特に後味の悪い夢でもない。

この歳になって、「ハッピバースーディ ツー ユー」なんて騒いでくれる方が性に合わないが、連れ合いをはじめ誰にも気づかれること無く夜は更けていく。

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コメント

tomokoさま
あれまぁ、誕生日が近いのですね。
といっても、かなり育った時代は違うのでしょうが。

死んだ夢。二十三歳のとき山での事故で大怪我をし、死の一歩手前まで行ったことがありますが、大怪我をすると傷の痛みは無くなりますし、「仕様が無いな、これが自分の運命か」と割合簡単に諦めてしまうものです。
そんな経験から、死と言うものをそんなに怖がっていない自分がどこかにいるような気がします。
一般には、一度死んだ人が生き返るというのは、短時間の場合を除いてありませんので、未体験に対する恐怖と言うものから怖がっているのではないでしょうか。
ただ、自分としては、夢と違って「死とは」一切が無になるものと思っているのですが、、、、

投稿: オラケタル | 2013年12月 2日 (月) 21時20分

お誕生日おめでとうございますbirthday
年は取りたくないと云う思いはあるのですが、こればかりは皆平等ですからねえ~・・・
今まで無事に生きてこられた事に感謝する日にしています。私も今週中に又一つ年を取ります。

亡くなった夢とはどうしたことでしょう!?
まだ見たことがありませんが、この夢のようなら、死ぬのもそれほど・・・じゃないように思えてきますね。

投稿: tomoko | 2013年12月 2日 (月) 15時26分

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