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2014年1月31日 (金)

春風吹いて

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015一気に春風吹いて暖かくなる。

ヤッケを羽織って歩き出したもののすぐに暑くなり、上着を脱いで半袖の下着にセーターと言う服装で麻機沼を周ってきた。

セーターの粗い目を通して肌に当たる風が心地よいほどの暑さである。

梅をはじめ菜の花もあちこちに見られるため、吹き渡る風に春の香りが漂って気分は最高、、、、、

菅原道真が、東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花    と歌ったが、今日は西風が緩やかに吹き渡っている。

このまま一気に春になるわけではないが、期待してしまう。

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今日は旧暦の元旦にあたり、中国などでは”春節”といって盛大に祝うのが今でも続いている。

中国のお祭りと言えば、爆竹のけたたましい破裂音がつき物であるが、それに水を差す?かのようにして、中国政府は爆竹など煙を発するものの自粛を要請しているそうだ。

報道によると、中国の大気汚染はこのところとどまるところを知らず、かなり深刻な状態になっているようで、一寸先とはいわないまでも見通しの悪い状態が続いているそうだ。

日本も以前には工業地帯といわれるところでは同じような状態が起き、喘息をはじめ呼吸器系の病気に住民が悩んだ時期があったが、公害訴訟などでどうにか企業も対策に乗り出した。

そのときと同じ状態が、中国でも起きているようだが、政治体系の違いから対策に効果が出ていないようである。

日本には江頭2.50と言う芸名を持つ芸人がいるが、この芸名の由来は午前2時50分になると急に暴れだすことからきているそうで、中国のPM25 は冬になると深刻になる。

前者は酒、後者は化石燃料と違いあれどなんだか似ているようでなんだかなぁ~。

   これにてお開き おそまつさま

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2014年1月30日 (木)

あれは春雷?

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あれは春雷だったのか、錯覚だったのか、、、、昼少し前から降り出した雨の中、昼食で満杯になった胃袋についうとうととしてきた耳に届いた低い音。

今日の雨は、この時期に降る冷たい雨ではなかった。

時折激しく降った雨も夕方前には水溜りに波紋を広げることも無くなったが、雨の降っていたときが一番気温が高かったという変な天気であった。

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今日は、まだ30歳と言う若い研究者が、新たな万能細胞を作り出すと言う快挙で、もちっきりだった。

細胞に酸性溶液で刺激を与えるだけで細胞が初期化するというとんでもない作成方法を見つけたとのこと、、、、、

万能細胞では、京都大学の山中教授が二年前にノーベル賞を受賞したばかりだが、この上を行く研究で、五年前にこの研究成果を科学雑誌ネイチャーに発表しようとしたときには生物学を愚弄しているとまで言われた研究だったそうだから、そのとき認められていたら、山中教授の受賞は無かったかもしれないような気がする。

それにしても、まだ若い女性研究者たちのグループに、こんな研究を長年続けさせてきた理化学研究所もたいしたものである。

この研究に結果が出て、人間がパソコンのように簡単に細胞の初期化を行えるようになると、人間と言うものはどうなっていくのだろうか。

それこそ、秦の始皇帝以来の夢であった永遠の生命と言うものが手に入るのだろうか。

怪我で失った、手足の復活くらいならまだ許せるのだが、永遠もしくはそれに近い生命を得られる時代になったら、目の上のたんこぶが、、、、、、

ああ、嫌だ嫌だになってしまいそう。

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2014年1月27日 (月)

深い皺ををよせて

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それにしても今年の富士山は雪が少ない。

いつもこの時期はもっと下のほうまで真っ白になっていなくてはならないのだが、、、、、、、

ひさしぶりに、富士山の西側の田貫湖に出かけてみた。

冬枯れで、湖岸の草は茶色く枯れてしまい、わずかに山茶花の花が見えるだけ、まさに紅一点と言ったところか。

ここからの富士山は、ダイヤモンド富士になるころは水に写った逆さ富士とあわせてダブルダイヤモンド富士だと言ってカメラマンが山のように群がる場所でもある。

そんな時期でもなく、風が冷たいこのごろでは、釣り人もほとんどいなくて閑散とした風景が漂っている。

そんな風景が気に入らないのか、富士山は山頂から崩れ落ちる大沢崩れを正面に向けて額に深いしわを寄せているかのようにも見える。

大沢崩れは、富士山の一番もろい部分で、毎年膨大な量の崩落を続けており、国が何十年もかけて手当てをしているが、その崩壊はやむことが無い。

将来富士山が、噴火するようなことになれば、このもろい部分が裂け目になったり、水蒸気爆発にでもなればここから吹っ飛んでしまいかねない場所のひとつになっている。

そうなれば、端正だといわれてきた富士山も、かなり変貌することになりかねない。

しかし、それはいつのことか誰にも分からない。

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2014年1月24日 (金)

空を飛びたい

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人はむかしから鳥のように空をを飛ぶことにあこがれてきた。

そして、20世紀になってようやく飛行機と言うものを考え付き夢をかなえたのだが、それでも、自分の羽で自由に空を飛ぶと言うことができず、それができる鳥に憧れている。

空飛ぶ鳥に託した歌は多い、その中でも子供たちによく歌われた ”翼をください”の歌詞の後半に繰り返し使われるのは

   、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 この大空に翼を広げ 飛んでいきたいよ

  悲しみの無い 自由な空へ

  翼はためかせ 行きたい

と言うフレーズがその願いを端的に歌っている。

しかし、これは人間から見た鳥であり、実際の鳥は本当は空を飛びたくないのではないかと思う。

たしかに、歩く動物に比べれば、行きたいところにごく短時間でいけるが、それを飛べれば悲しみが消えるものではない。

鳥は、空を飛ぶことによって、少しでも体重を軽くしなければならず、そのためには食べたものをいつまでも体内にとどめ置くことができない。

つまり少しづつ、何かを食べ続け無ければならないため、しょっちゅう栄養価の高いも探さなければならない。

そのため、外敵のいない無人島や孤島では、山原水鶏やキウイ、火食鳥などの鳥は飛ぶことを止めて地上を走り回っている。

つまり、人間にエンジェルのような羽根があったなら、スカスカの頭と骨が同時に必要だと言うことになる。

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先日来、蓮根を掘りに畑に入るとしばらくして、メスのハクセキレイが近寄ってくるようになった。

掘った土を、後ろに積み重ねながら前進するのだが、後ろ向きに泥を投げても少し飛び下がるだけで離れようとはしない。

メスのセキレイに惚れられた?

はじめは、そんな風にも思った。人間でも女性のほうが社交的というか物怖じしないで見知らぬ人に話しかける特性を持っているから、、、、、

ところが、どっこいそうではなかった。

本当理由は、掘った土に糸ミミズやオケラ、ザリガニの小さなものが混ざっているためである。

ぶん投げた土をひらりと体をかわしておいて、落下地点に戻ってくる。

この時期、一番栄養価の高い食べ物を楽して食べることを知ったようである。

それを、自分に惚れた?なんて、いい気になった男はかなりの甘ちゃんである。

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2014年1月23日 (木)

三寒四温か?

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日中の気温が十五度にもなって、春が来たのかと錯覚させるような一日になった。

椿の花も開花し、うらうらとした陽気の彼方に強い風で雪を吹き飛ばし、黒い山肌の見える富士山が、まるで雪解けしたかのように見えるのもこの気温のせいであろう。

気象予報はまだこれからいくつもの寒さが来なければ春にはならないと言うが、三寒四温はすでに始まっていると見るのは早計か、、、、、、、、

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「弱ったときにはミルクに卵」

昭和三十年代、大怪我で入院を余儀なくさせられていたころ、やはり大怪我で入院していた仲間が口癖のようにして言っていた言葉である。

このころの卵は、一個10円ほどだった。多分今の値段で言うと200円ぐらいに相当する値段ではなかろうか。

昭和30年代前半と言えば、コミックの「3丁目の夕日」とかでよい時代だったと言う認識が一般だが、当時は、朝鮮戦争特需の後の景気が悪い時代で失業者が巷にあふれていた時代で、それを救済するために、失業対策事業と言って、国が行う土木工事があった。

そのときの賃金が一日あたり240円、つまり百円札が二枚と十円が四個で”ニコヨン”と言われていた。

そして、そのころの自分の初任給が一日あたり247円、月給が六千円に少し欠けていたので、ニコヨンよりほんの少し良いだけだったことを今でも記憶している。

会社の独身寮の食費は一日100円、育ち盛りの胃袋はこれだけでは我慢しきれずコッペパンが毎日一個は必要であった。

そのため、今では使われなくなったエンゲル係数でいうと60%を超えていた。

だから、卵なんて内蔵の病気でもしなければ、とても食べられる余裕はなかった。

その卵も、40年代に入ったころから物価の優等生なんていわれて、昨年あたりまでその価格を維持してきたが暮れからこっち、急激に値上がりして来ている。

いろいろ原因もあるらしいが、鶏の飼育を減らした業者に奨励金、つまり、米の減反政策に似た方式をとったのと、夏の暑さで鶏がかなり死んだのとが重なったためと新聞に書いてあった。

しかし、今年に入ってからもなかなか高止まりしていて値段は下がらない。

この調子で、消費税が上がれば、、、、、、、、、

再び、「弱ったときにはミルクに卵」となるのか

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2014年1月21日 (火)

馬鹿を続けよう

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知り合いの所有する甘夏が先日来ヘタのところから落ちだしたので、食べてみたところ、かなり甘くなっていたので、今日はリュックを担いで甘夏採りと洒落てみた。

畑には知人がいなかったが、前から話をつけておいたので鋏で良さそうなものから摘み終わったとき、ちょうど上がってきて「もうすぐ咲きそうな梅の花があるから取りにこうよ」という。

「じゃぁ そうしようか」とこれまた隣の地所に入って梅の枝を甘夏採りに持ってきた鋏で十本くらい切りとって下ってきた。

なんだか、このあたり一帯を自由勝手に出入りできるのは子供のころに戻ったみたいで嬉しい限りである。

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いま静岡県はノロウイルスで大騒ぎをしている。

先日、浜松市で学校給食のパンにノロウイルスが付着していたとかで、かなりの生徒が下痢や腹痛を起こして発覚したが、その後、南伊豆市と御殿場市でノロウイルスの患者が発生、そして、今日は静岡市の給食センターで感染している調理人が見つかったそうだ。

この調子で行くと、さらに増加しそうだが、「ノロウイルスはノロくなかった」なんて洒落てもいられない事態になっていきそうである。

マルハニチロの農薬混入事件とは違って、故意にやっている訳ではないだろうが、これから食品を扱う人や会社などではさらに重圧がかかることになりそうだ。

今朝のワイドショーでも、ノロウイルスの対策法を各テレビ局でやっていたが、外出先から帰ってきたら、まず洗面所に行き塩素系殺菌剤で丁寧に手洗いをし、衣服を着替えて、、、、、、と言っていたが、目に見えるものでないので、完全に除菌したかどうかは分からないし、面倒くさそうである。

さらに、ランドセルはどうする?ときかれた担当者は、「ランドセルは塩素系には弱く変色してしまうので、そんなに神経質にならなくても、、、」と言っていたが、なんだか、”語るに落ちた”とはこのことであろう。

だいたい浜松のときもそうだが、根本になった保菌者がなんの症状も無かったそうで、この辺が不思議である。

東南アジアなどで同じ水を飲んでも日本人だけが下痢などの食あたりをすると聞いたことがある。どうも、綺麗好きが嵩じて周りの雑菌を減らしたことから、抵抗力が欠けてきたのではないだろうか。

自分には、外から帰ってくるたびに手洗いなんて面倒くさいことは、生まれてこの方したことが無い。

テーブルから落とした食べ物は、すぐ拾って口に入れる。りんごは消毒薬が残っているからと言われても「この方が美味い」と言って皮付きのまま円齧りする。

自慢にはならないかもしれないが、おかげさまで年に何回かは下痢をするものの、一過性のものなので、腸内掃除」と思っている。

何よりも、腹痛頭痛はこの歳まで経験したことが無く、熱で寝込んだこと無いし、風邪もひいたことが無いと無い無い尽くし。

むかしから「馬鹿は風邪を引かない」と言うが、このまま馬鹿を続けていくことにしようと思っている。

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2014年1月20日 (月)

ちらりほらりと

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025今日二十日は大寒である。

寒さもここに極まれる。と言うにはあまりにも穏やかな日中であった。

しかし、明日のかけて低気圧が近寄り、天気も崩れると言う前兆の笠雲が富士山の上にかかっていたので、天気の良いうちに薩埵峠に行ってこようかと出かけてみた。

薩埵峠は古来東海道の難所のひとつであり、歴史上有名なの合戦のたび軍勢が東に向かったり西に返したり、そして戦いが行われた場所でもある。

現在の道は、その当時の東海道からは少し離れてはいるが、安東広重の浮世絵などを想像させる風景の場所にあり、現在では梅や早咲きの桜が植えられていて、眼下に広がる国道一号線や東名高速が見られることで有名である。

昨日麻機沼に散歩に行った帰り道で梅が咲き出したところを見たので、この調子なら薩埵峠の寒桜も咲き出していないか、もし、咲いていなくても梅ぐらいは、、、と言うのが目的であった。

端唄の文句にあるように「梅は咲いたか 桜はまだかいな」である。

峠の清水側の駐車場に車を入れれば、月曜日だと言うのに観光バスが到着しており、同年代の男女がすでに登りかけていた。

それにしたがって上りきれば、日当たりの良い斜面には、早くもちらほらと花をつけた寒桜が何本かある。

富士の笠雲も形は少し崩れかけているが、山頂の少し南東よりの定位置から動かずに待っててくれた。

先着の、観光客は遠方から見えたようで、富士山が見えただけで感激している様子、、、、わいわいがやがやと騒いでいるが、あまり梅や桜には興味が無いか、それとも咲いているのに気がつかないでいるのか。

毎年のように来ている我々は、この場所でしばらく景色を楽しんだ後引き返すことにした。

先に行った観光客から見れば、もったいない楽しみ方に見えたことと思う。

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2014年1月19日 (日)

ひと気の無い沼では

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夕方、と言っても四時過ぎであるが日の入りの早い山際の土地は急速に陽の光が衰え、寒気が忍び寄ってくる。

そんな時間になって、散歩に出たいと言う思いがつのり、当てどなく出かけた麻機沼はひと気も無く、静まり返っている。

空中には葦の穂から離れた綿毛が風花のようにゆったりと舞い散っており、その元になった沼の岸辺では葦と蒲の穂が沈み行く太陽を背景にして輪郭を燃え立たせている。

こんな場所で、何も考え悩むことも無く彷徨うのは至福のひと時と言ってよかろう。

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昨日から冬の土用に入ったのだが、夏の土用の丑の日みたいに大騒ぎすることは無い。

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2014年1月18日 (土)

外気を胸いっぱいに

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今日も気温が低く、雪になるかもしれないとのことだったので、麻機沼に氷が張っているのではないかと朝行ってみたが、その気配は無かった。

ただ、自分が沼の岸辺に現れたのを感じてオオバンの群れが沼の中ほどに逃げ去っていくのが見受けられた。

この鳥は東北のほうでは夏鳥のようだが、関西から九州にかけては冬鳥だと言う。

そして、こちらでは冬になると姿を見せる鳥であるが、夏の間は北へ避暑に行っているのか、沼の葦原に姿を消して子育てしているのか水鳥の生態を知らない。

この鳥、漢字で書くと番を偏にし、旁を鳥という字で読ませているが、番という字は”ツガイ”と言う意味があり、昔の人は夫婦仲の良い鳥だと思っていたのだろうかと想像させる。

しかし、冬に麻機沼で見る限りでは、写真のように何羽も入り乱れており、同じような色合いなのでどれがオスやらどれがメスなのやら区別が付かず、合コン状態である。

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血圧が少し高めと言われてから毎月一回内科医院へ行き、血圧の薬を調剤してもらっている。

そのついでと言っては何だが、三ヶ月に一回血液を採取して検査しているのだが、昨日は丁度その日に当たっていた。

朝九時から開院のためその時間に合わせていってみたら、いつもより患者の数が多く、腰掛がほぼいっぱいになり、「これは時間がかかるぞ」と受付に行ったときから覚悟はしていた。

さて、空いた席を見つけた座り、辺りを見回すと半数以上がマスクをしており、中には茹だったような顔をしている人もいる。

「やれしまった。こんなのなら自分もマスクを持って来ればよかった」と思ったが後の祭り。

静岡に来て36年余、これまで、流汗の予防注射をしたことが無いし、風邪も少し扁桃腺が腫れたかなと言う程度の風邪しかひいたことが無いので、昨年秋にも予防注射はしていない。

血液採取を受け、診察までの時間の長いこと、、、、、我慢しきれず、受付に行って「外に出ているから」と、、、、、

外は、雲ひとつない真澄に晴れ渡った青空から暖かい陽が差し、胸いっぱいに空気を吸い込み吐けば、待合室の空気がすっからかんとなくなっていくような気がする。

おかげで、診察時の血圧は126~64mg。

「この季節、この数字はたいしたものです」とお褒めの言葉。

しかし、診察が済んだのはお昼近く、おかげで朝食一食を抜くことになってしまった。

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2014年1月17日 (金)

陽光を浴びて

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窓越しの陽光を浴びてうつらうつらと午後のひと時を過ごしている。

北陸から北日本の人には申し訳ないが、まるで、静岡名物の切干芋か鯵の開きになったような気分。

これだけ、じっくりと陽光を浴びればかなり味も良くなっているはずだが、人間としてなかなか依怙地なところが棘のようになって抜けきらないでいる。

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朝から風も無くぽかぽかとした陽気に誘われて、今日は池ヶ谷の山に登り眼下を走る国道一号バイパスの流れをながめるともなく、ここで畑を耕している知り合いたちと枯れ草を折り敷いて雑談にふけった。

その中で、上る途中の栴檀の木の実が小鳥に食べられることも無く、干からびるようにして枝先に下がっている話になった。

今年は、我が家でもあまりメジロの来訪が少ないので、山に餌が沢山あるものと思っていたし、この栴檀の実も食べられていない、、、、、

そんな話をしていたら、「今年はメジロの数が少ない」とテレビが言っていたという話になった。

「何が原因? 夏の暑さ?」「カラスにやられたの?」などと口々にいうが原因はわからない。

「そのうち、メジロまで絶滅危惧種ってことにならなければいいんだが、、、」

雑談は堂々巡り、そのうち話は別方向に飛んでしまったが、メジロまで絶滅危惧種ってことにならなければよいが、、、

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2014年1月15日 (水)

初雪がニュースに

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背景の青い自動車を通してやっと見える程度の雪だったが

気温は零度を下回らなかったが、厚い雲と天気予報がこの冬最低とか、雪が降るかもしれないなどと煽り立てたためか、静岡の人々は必要以上に震え上がっていた。

朝一番で向かった歯医者も「外は寒かったでしょう」と同意を求めたが、「霜も降りていなかったし、先日来霜の降りた田んぼで蓮根掘りをしているので、今日はそんなに寒いとは思わないね、、」と言ったら当てが外れたと言うか、この意地っ張りがと言うような顔をしていた。

しかし、歯医者から帰ってきてスーパーに行くため外に出たら、白い埃のようなもが落ちてきた。

よく見ると風花と言うより雪のようだった。

しかし、その量は少なく、地面にあちるやいなや消えてしまうほどのもので、雪国育ちの自分にとっては雪のうちに入るものではないと思っていた。

しかし、夕方になってNHKのニュースで「静岡に初雪が降りました。去年より三日遅く、例年より、、、、、」なんて放送していた。

めったに雪の顔を見たことが無いところでは、これでもニュースになるほど珍しいことのようだ。

もし1センチでも積もって白くなったらそれこそ大騒ぎ、道路を走れない車で交通渋滞が起きるのは、首都東京と同じだろうが。

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2014年1月13日 (月)

ああ白菊

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霜にたわむや 菊の花

霜におごるや  菊の花

ああ あはれ あはれ ああ白菊

人のみさをも かくてこそ

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古くから歌われている「庭の千草」の二番の歌詞。

この歌に歌われている白菊は、大輪のものでなく、写真のように白い小さな菊であったような気がする。

しかし、同じ根から出て枝分かれしているはずの菊の花だが、よく見れば、花の形や色合いが少しづつ違って見える。

大きな目で見れば、同じ花だが微妙に違うのは、外人が見た日本人、日本人が見た白人、黒人のようで面白く感じてしまった。

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いまでこそ冬の花も多くなったが、むかしは菊の花が最後に咲く花だったのだろうか。

気温も零下になって、ものみな霜にうたれてしおれる中、白菊は朝日を受けてまたよみがえる。 

人の無節操は世の習い、各地の成人式には色とりどりに大輪の薔薇を咲かせたような娘さんがテレビ局のマイクの前ではしゃぎまわっていた。

考えてみれば、失われた20年の真っ只中を通過し、先の見通しも付かない中、この日に一区切りを迎えたのだとすると少しくらいの羽目をはずさせてあげたい。

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2014年1月12日 (日)

多数を後ろ盾に

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022朝まだき、裏の川でカルガモが騒いでいた。

ゲッゲッゲ   と、そのうち仲間も集まってきたようで、いつもよりなんだか騒がしい雰囲気になってので、そっと窓越しに眺めてみたら、川の中央に流れてきた塵のような物をめぐって鴉と争っているようだ。

川と言っても、三面張りの水路で、水の深さも5センチとは無い様子なので、カラスも水路に降り立って塵の傍にいる。

どちらが強いのか知らないが、多数を後ろ盾にしてか、一羽のカルガモがカラスのほうに向かってジグザグに近寄っていく。

まさにこれから異種の鳥の決闘が行われるものと期待してその様子を写さんものと、見ていた自分も何度かシャッターを押していた。

その様子を知ってか、カラスがこの場は一旦引き下がっておいたほうがと判断してか、賢いカラスはしぶしぶと言った感じで飛び去った。

しかし、その塵らしきものにカルガモが食べるようなものも無かったらしく、、、、、

結局何のための争いだったのか、分からないまま双方解散と相成った。

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今日は朝から花火が上がり、蓮根畑の傍の田んぼで”どんど焼き”を行うと知らせていた。

子供のころ自分のふるさとでは佐義長といって、青年団の若者が山から木を切って芯柱にし、正月飾りや金紙金紙赤紙の付いた書初めと餅を持って集まったのは、小正月といって、一月十五日の夜と決まっていた。

しかし、土日で無いと人が集まらない昨今は、小正月にはこだわらないで日にちを変更する。

そんなことを思いながら、散歩中の道路から白い雲のような煙を見ながら考えていた。

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2014年1月10日 (金)

良いですね

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昨日今日と毎日のように、この冬一番の寒さだとテレビは報じていた。

それでも日中は15度ほどにも気温は上がり、立ち寄った店の店員も「今日は良いですね」という。

静岡で、この時期、この言葉は「温ったかい」と言う意味にも使われることを知ったのはだいぶ遅くなってからのことだった。

よその家のユキヤナギも最近の朝夕の寒さがこたえたのか、最近紅葉してきた。

しかし、花のほうは準備万端だったようで、日中の暖かさに誘われたようにして花を咲かせている。

一本の小さな木に、春と秋が同居しているのは、静岡ならではのことで「いいですね!」

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気がつけば、一月もはや1/3が過ぎていこうとしている。

年末から、見るともなしにバラエテイーに数多く接してきた。

この時期だから仕様が無いのかもしれないが、年々芸人の芸のなさを見せ付けられてうんざりした。

とにかく、わいわい騒ぐだけしか能がないように見えるのは、放送局の責任かもしれないのだが、繰り返し繰り返しおんなじ様な番組を放送している。

こちらは、箸が転がってもおかしい年頃から50年以上たっているので、何がおかしいのかちっとも分からない。

あの笑い声が、芸人と言われる若ものの芸を落としているのかもしれない。

それと、もうひとつには、権力にたいする風刺が全然見られないことにあるのではないだろうか。

治安維持法でがんじがらめにされていたときでさえ、婉曲に抵抗したものがあったし、その流れが最近では”いとしこいし”の漫才や牧しんじのウクレレ、小沢昭一の漫談など次々と冥界に持っていかれ後継者は絶えてしまった。

古来、「目黒の秋刀魚」に代表されるように漫才や落語、川柳などは世相を風刺し、権力を馬鹿にするところから始まったと言っても不思議ではない。

それが最近のテレビやラジオからはそれらの批判が一切消えてしまったことに、なんだか不気味さを感じてしまうのは、、、、

「今年は良いですね」なんて言っていられなくなるよ。

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2014年1月 8日 (水)

蝋梅も開花したが

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暖かい陽気に誘われて咲き出した蝋梅もこれからの寒さに、、、

今日の天気は予想に反して、午前中は青空さえ出て気温もかなり高く推移し、蝋梅も一気に開花し始めたが、これからの大寒をどう越していくのか心配になる。

今日で正月休みがあける道の駅に蓮根の初出荷、”初荷”出しに行ったついでに、安倍川上流の梅が島温泉へ足を伸ばした。

昨日はかなり込んでいたという梅が島「黄金の湯」も今日は雨降りを予想してか来ている人も少なく、一時間ほどぬるい浴槽に目をつぶり、ゆったりと浸かっていれば久々に指の先端がしわしわになってしまった。

いつもののように二度風呂をしないので、湯から出て20分ほど汗の引くのを待って、帰り支度に入り昼は有東木のそばを食べようということになり、安倍川沿伊の道を下り、途中から谷沿いの道を登って、標高600mほどの”うつろぎ”に到着。

ここも人が少なくて、暖房がもったいないような食堂でいつものように”もり天”を食べる。

少々遅い昼食だったので、お腹も空いていたためばかりでないと思うが、美味しい昼になった。

降りかけると、自動車のフロントガラスにポツポツとちいさな水玉が天気予報は間違いでないと知らせてくる。

夕方になって、地面がしめるほどの雨は、何日ぶりのことだろう。

乾いた空気が、一挙に呼吸しやすくなったように感じたのは自分だけでは無いはず、、、、、、、、

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2014年1月 7日 (火)

七草粥で

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若菜つみ、ふたり所帯には、これで十分

今日は七日正月。七草粥の日でもある。

百人一首に「君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ」という句がある。

気温は小寒も過ぎて一年で一番寒い時期になっており、静岡でも最近零度近くまで気温が下がって来ているが、ここしばらく雨も降らず、ましてや雪など、、、、

昨日は、前から目をつけておいた場所に行ってきて、芹を摘み、畑から大根と子蕪を抜いてきた。

むかしは、日ごろ食べなれないご馳走を食べてびっくりした胃袋を正常に戻すため、七草粥を食べる日であった。

ところが最近では毎日が正月並みのご馳走で肥満した男が増えてきている。

我輩もその例に漏れず、かなり体重オーバーな体形がなかなか解消されない上、胃袋のほうもそれに慣れてしまっている。

そんな胃袋をびっくりさせると言うのが、最近の七草粥の目的になってしまっているのではないだろうか。

しかし、七草粥といっても定番の芹や大根、蕪が主体であり、ほとけの座やハコベは入ることは無い。

七つ七草 唐土の鳥が 渡らぬうちに  チャカポコ チャカポコ

呪文を唱えていたら、連れ合いが不思議そうな顔をして覗き込んでいた。

いやいや、決してボケたんじゃないよ、って。

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2014年1月 6日 (月)

初漁なのだろうか?

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年々人ごみ嫌いがつのって来たようで、今年に入ってから神社仏閣はもちろん人が集まりそうなところへは何処にも行っていない。

そして今日、世間は仕事始めで働きかけ、行楽客も減ったことと思い掛川から御前崎へと足を伸ばしてみた。

まずは、掛川の道の駅に立ち寄ってみたが、特に欲しいものも無く出ようとしたところで、落花生や焼き栗を売っていた屋台があったので、小さな袋のもを買い、「おまけは?」と言ったところ売り主はきょとんとしていた。

「ああ、この人も静岡人だな」と、改めて思った。

何年か前にも書いたが、静岡ではものを値切って買うのは恥ずかしいことのよう。特に男が値切ると言うのは、、、、、、、

とにかく定価をつけた品物は、気に入らなければ買わない。

黙って、お金と品物を交換するのが商売のようで、この無愛想な屋台の主もやっと意味が分かったようだったが、残っていた栗のうちやっと三粒をしぶしぶのように入れてくれた。

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お昼少し過ぎて、御前崎の「なぶら市場」という海産物を売っている路の駅のような場所につき、ここで食事をしようということになった。

食堂の入りはちょうど昼時と言うこともあったが、予想していたとおり八分の入りであり、待つことも無く座ることができて刺身定食を注文する。

まるで待っていたかのように、五分足らずで注文の品が届いたのには驚いた。

しかし、味のほうのは、ご飯がめっことまでは行かないが美味くなかったし、刺身のほうもマグロが主体でチョット?と首を傾げたくなるような感じ、、、、

「正月中は漁師が海に出ないので冷凍物しかありません。」と暗に言っているような感じがして使用が無かった。

そんなこんなの不満を解消したくて、海岸に出てみると風がかなり強いものの、冷たい山瀬の風が気持ちよく頬をなでていく。

そんな風に吹かれて、海岸線をあるけば、海を隔て50kmくらい彼方の富士山が少しおぼろげながらも全容を見せていた。

少し小山のようになった砂丘の風だまりで海を眺めていると、何隻もの小さな漁船が藍色をした海に白波を蹴立てて漁港に戻ってくる。

この漁船も今年の初漁なのだろうか。

すると明日なら、近海の取れたての魚が並ぶのだろうか。

メニューが決まっているからそうでもないか。

思うは食べ物のことばかり。

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2014年1月 5日 (日)

爆睡する

014


山の餌も少なくなったのか、ようやくメジロやヒヨドリが我が家の庭にやってくるようになった。

やはり、野生の動物が人間に見られていると言うのは嫌なのであろう。

家の中にいても、人が動く気配を察すると物影に隠れたり飛び去っていく、人馴れしたり、いよいよ食べるものが無く切羽詰ればそんなことも言っていられなくなるようで、もう一月もたつと悠々と食べだすのが例年の現象である。

そして、その土地土地の好みが鳥たちにもあるようで、蜜柑とりんごを少し離れた位置においてみたところ、蜜柑にはすぐ飛びついたが、りんごの食べ方が分からないのか、口に合わないのかあまりつついて食べたような形跡が無い。

このメジロも、来ては見たのだが切り口の柔らかい部分をつつかずに皮のあるほうに回っていた。

りんごの産地ならもっとつつかれているはずなのに、、、、、、、

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今年になって初めて蓮根畑に入った。

穏やかな日差しの中、身体も寒さに慣れたのか二時間ほど掘って帰ってきたところ、下着が汗でぐっしょりと言った状況になっていた。

ここ一週間ほど「食っちゃ寝 飲んじゃ寝」と怠惰な生活をしてきたため、身体が鈍ってきていたようで、やっと二時間ほど土を掘っていただけなのに、身体を洗った後”爆睡”してしまった。

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2014年1月 3日 (金)

新成人の顔見世

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今日、孫ふたりがそれぞれに成人式のあとさきに顔見世に来た。

わずかばかりのお祝いをしたあと、それぞれが時間が無いと言いながら早々に帰っていった様子は台風のようにめまぐるしいもので文字通りてんてこ舞いのうちにおわった。

しかし、成人式と言うものは、やはり華やかな女の子のためにあるような気がするのは、後から来た男の孫が黒のスーツ姿だったことにあるためばかりのような気がする。

それにしても、一月三日が成人式だなんて、静岡市もかなり田舎なのかなと思ってしまった。

式が済んでから来た孫に様子を聞いたが、相変わらずおえらいさんの話が長く、周りの誰も聞いているものが無く、もっぱら久しぶりの友達探しがメーンだったようだ。

金髪だの、派手な衣装の子もいたが、一昔前のように暴れるものもいなくなったのは、やはり時代がそうさせているのかも。と言うのが自動車運転役の母親の言。

暴れる成人式は、いれば批判の的になるのだが、全然居ないと言うのもなんだかみんな去勢されているようでこれまた寂しいような気もする。

当の自分たちの時代は、ごく質素に行われ振袖姿の女の子なんて周りにはいなかったが、酒タバコは手馴れた手つきでお祝いの席で披露するものが多数いて、こちらのほうはとっくに成人になっていた。

ともあれ、ふたりを見てだけの感想だが初々しいと言うより、なんだか頼りないと言う気のほうが強く、この子たちには面倒を見てもらおうなんて気にはさらさら無れなかったのは、依怙地のじいじの意地。

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2014年1月 1日 (水)

一年の計はなし

006

あけました   おめでとうございます

と、言わんばかりの太陽が、日本平の山頂から七時の時報とともに昇ってきた。

今年の初日の出は、日の出前には予告編のように小さな雲を茜色に染めていたが、日の出とともにどこかへ雲散霧消し、さえぎるもの一切なしで現れた。

暗いことが予想される年の幕開けだと言うのにこの鮮やかさは何なんだろう?

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六時半、東の空が赤くなり始めた時間に家を出て、池ヶ谷の山に登る。

登るといっても標高にして100m程度だが、階段を360段余の先に山道を50mほど登ったところで、ここ数年初日の出を迎えている。

例年六人ほどの知り合いが集うて、それぞれ持ち寄った酒を酌み交わしながら初日の出を迎えるのだが、今年はふたり欠けている、、、、

一人は、九十翁で昨年が最後だと思っていたが、、、、、、、

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とにかく近年に無く穏やかな新年を迎えて、今年の運勢は万々歳と思って帰宅したが、新聞の宝くじ当選番号を合わせて見たところまるっきしかすりもない。

自分が死んだ夢は、吉況だから宝くじを買ってみたらと言うことだったので、買ってみたのだが、買うのが遅かったようで、、、、、、

籤運の悪さは、生来のもので、運命の女神の後ろ髪はまたしても捕まえることができなかった。

まぁ、今年も世間の風に流されて、あっちに行ったり、こっちに来たりと、生きていければよいのかもしれない、と思うことにした。

したがって、一年の計はなし

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