遠刈田温泉は遠かった
今回の旅で東北の古い家を見たいと思っていたが、バスの窓からは見ることができなかった。
百年二百年とまではいかなくても、昭和30年代のものと思っても見ることができなかった。
このあたりは、地震の被害も少なく津波も来ていないのだが、どう見ても最近の”何とかホーム”見たいなものが多かった。
唯一見られたのが、上ノ山三万石の城の近くにある武家屋敷というものが四軒ほど並んでいるとこしかない。
領地が三万石では上級武士の屋敷といっても質素な暮らしをしていたらしく、外から見た目では百五十坪ほどの屋敷に40坪ほどの平屋で、東北地方の代表的建てかたと聞いている曲がり家造りであった。
しかし、曲がり家の一方は、馬小屋でなく中間部屋だと説明看板に書いてあるところを見ると、ひょっとして、馬も飼っていなかったのか、、、、、?
と、思うと少し離れたところにある、上山城は小さいながらも立派過ぎるような気がしてしまう。
戦後の城ブームの中で、史実に基づいて建てられたものなのだろうかと疑問に思ってしまった。
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乗船場まで、あちこちとバスが進んで、いまどこにいるか分からないまま一時間余走って、到着した。
お客は、ほかに見当たらず船会社所属の売店でしばらく時間をつぶした後、添乗員を含めて40人すべてが乗れるコタツ舟に乗船した。
最上川、さすが山形の大河、これだけ大きい船が水量の少ないこの時期に運航できるというのはたいしたものである。
船頭はふたりであるが、船を操る船頭は一人。もう一人は船の中でお客を楽しませる口上船頭であり、その話しぶりが面白く、最後に唄った最上川舟歌も絶品であった。
ただ、大きいとはいえ40人が横一列に座るには少々窮屈で、昼食用に出された弁当も、肩摺り寄せて、、、、、、、これが恋人同士だと良いのだが、、、、、古女房では(チョット口が滑りすぎたのは天ぷらの所為?)。
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食事を済ませて、またバスの中、うわさに聞く銀山温泉を散策して、宮城県の蔵王登山口にある遠刈田温泉の宿に入る。
長時間のバス移動は、足腰に負担がかかり、距離以上に遠く感じて舞う。
連れ合いの駄洒落。「遠刈田は遠かった」と
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