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2014年5月31日 (土)

年寄りに冷や水

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南天の花。白い花びらに包まれて咲くのだがあまりにも早く花びらが散ってしまうことから、花びらでなく苞だと思っていた。

真ん中にひときわ大きい雌しべを立てて、周りから少し濃い色の雄しべが支えているようにも見えるさまは、女王様をたたえるナイトか、ロシアのロケットを思わせる。

南天は、その名前から”難を転じる”と語呂合わせに使い昔から演技の良い木として植えられてきた。 

また、その実は喘息などに効くという言い伝えられがあり、葉っぱの殺菌作用とともに民間薬になっている。

しかし、こんな花も我が家ではなかなか実にならず不思議に思っていたら、開花時が梅雨と重なり、花が雨に弱いため受粉がうまくいかないからだと聞いた。

と言って、花の上に傘をさしてやるのもなんだか近所に対して気恥ずかしいようなきもするのだが、、、、、、、、

とにかく、今年も花を開かせ始めているので、願わくば、雨がこの上にだけ降らないで欲しいものと切に祈る。

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昨日今日と蓮根畑の草むしりに入る。今週はじめから水を引き入れて一面水没させたため、土が柔らかくなって引き抜きやすいのだが思わぬところで足を取られそうになってはよろけている。倒れでもしようものならやっと地面から顔出したばかりの葉っぱを踏み潰しかねないのでひやひやしながらの作業になる。

それと二日もかかったのは、気温の高さにあり水面の照り返しとともに急な気温の上昇は身体に堪えるような気がして二~三時間がせいぜい、、、、

年寄りの冷や水。でなく、年寄りに冷や水は火照った身体に染みとおる。

それにしても帰ってきてから家中の戸を開け放してパンツと下着で昼寝する。まさに極楽極楽の心地がする。

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2014年5月29日 (木)

だって生きているから

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じいじんちのさくらんぼ。ユスラウメを孫たちが採りに来なくなって何年にもなる。

真っ赤に熟れた実は、所在なげに行き場を失い落果する。

これでもむかしは、友達まで連れてきてわいわいがやがやと賑やかだったこともあるのだが、、、、、、、、、

周りを建物で囲われ日当たりのよくない一角で、それこそ一所懸命に花を咲かせ実をつけてきたのに、、、、、、、

しばらくは賑わいはもちろん子供が訪れることはなく、努力が報われない年が続くだろう。

それでも、この営みは止めるわけにはいかない。

だって生きているのだから!。

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2014年5月27日 (火)

幸福が訪れる

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濃い緑の葉陰には真っ白なすずらんの花がよく映える。

釣鐘の形をした小粒な花もよく見ると少しづつ大きさが違い、カリオンのように奏でる音も違うのではないかと思わせる。

花言葉のひとつに「幸福が訪れる」と言うのがあるそうだ。

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きのう、高校の同期会の開催通知が届いて、さっそく埼玉と富山の同期生から電話があった。

いずれも「みんなを誘い合わせて参加しよう」と言うものだったが、どうも招待状の中身に「昨年もふたり亡くなって寂しい限りである。とともにもうかなりの高齢になってきているのでこれが最後かもしれない」という意味の言葉があったためではないだろうか。

当方はこのところ毎月のようにあちこちに泊まり旅行を繰り返しているため、年金だけではとてもとてもといった状況ではあるが、これは外すことが出来ない会合なので何が何でも参加しようと思っている。

同期会、一般には同級会というのが普通であるが、自分たちは16人づつ2クラスしかいない私立の小さな学校で、入学したときから八期生と言われていたため、同級生は15人しかいないことになり、そのうちすでに6人が鬼籍にはいり、ほかにも病気がちの人もいて、、、、、、、、

とにかくうれしい便りではあるが、指折り数えてしまう便りでもある。

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2014年5月26日 (月)

姫竹の目安

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梅雨を前にしたこの時期に咲く花のひとつに谷空木がある。

空木と言う名前は、木の芯に当たる部分が中空だったり、あってもコルクのような柔らかい芯なので、一般には大きくならないが、この木はその中では一番大きくなる木で四~五メートルになっていたのを見たことがある。

そして、木にしなやかさもあってか、雪崩などが起きる急斜面などほかの木が育ちにくい場所にも多く見られた。

ピンクの濃い筒状の花は、ところによっては死人花などといって嫌われるところもあるが、自分たちはこの花が咲き出すと標高1,000メートルあたりの自生している姫竹の竹の子が出る時期だという目安にしていた。

ただそのころは、この花をダニバナと呼んでいたが、本当にダニが多かったのかどうかはよく見ていないので分からない。

いまなら、さしずめ殺人ダニといわれるマダニなどもいるかもしれないと思うと、きれいな花だが一種近寄りがたい雰囲気に見えるから不思議である。

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2014年5月25日 (日)

ノハカタノカラクサ  さてどう読む

”野博多唐草”カタカナで書くと”ノハカタノカラクサ”となり、何度読んでも意味が分からなかった。

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南アメリカが原産地ということから、むかし日本の帰化した植物には、南蛮とか唐という字が当てはめられることが多かったので意味が分かるが、野と博多は何じゃらホイである。

しかし、静岡では気候があったのかあちこちの地面を多い尽くし、まるで日本古来の植物であるかのような顔をしている。

また、別名というか、これが本名なのか分からないが、常盤露草という二つ名にあるとおり、冬でも葉っぱが枯れることなく生い茂っている。

またこの花は、露草の仲間なのだそうだが、葉っぱはよく似ているものの、花弁の色はもちろん、形もずいぶんと違っており     やっぱり外来種だね~といわせるものがある。

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「今日はなんの日」と言うのを見ていたら、昭和30年に広辞苑の初版本が発行された日だと書いてあった。

自分が、この辞書を買ったのは昭和41年11月で初版ではあるが二十刷でありかなり遅いことになる。それでも、定価は2500円もしており、当時のサラリーマンの平均日給よりは高かったのだから、いまの価格にして一万円を優に越えていたことと思う。

その辞書も、購入して50年余今では字が細かくて読み疲れするためほとんど出してみたことがないが、角が擦り切れてぼろぼろ、、、、、、

そのむかし、安倍貞任が源義家に追われたとき返した上の句のように「歳をへし 糸の乱れの苦しさに」といった感じになっている。

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2014年5月23日 (金)

執念のかずら

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テイカカズラの花、五枚のスクリューのような花びらをつけて咲いていた。

名前の由来は、歌人で有名な藤原定家があこがれていた式子内親王の墓石にかずらとなって巻き付いたため、内親王の霊が苦しくなり、旅の坊さんに頼んで成仏させてもらうという筋書きの能があり、このとき巻きついていたかずらがこの花だったそうだ。

この話しが本当なら、その執念深さは自分の想像を超えるものがある。

最近ストーカーに刺されて亡くなる女性が増えている。

自分たちの若いころは、どんな好きな女性がいても相手に彼氏がいたり、こちらを好きでなさそうな態度が見えたりしたらすぐにあきらめたものだったが、最近はそうではなくなったようで、相手が振り返るまで付きまといストーカーになる人が結構いるそうだ。

どうしてこうも粘着質と言うか、自分本位というか、、、、無理やり付き合いを始めても長続きがしないような気がするんだけれど。

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先日、久しぶりに電車に乗ってみて感じたのは、三十代半ば以前の人は電車に乗っている間じゆうスマホから目を離さず人差し指で画面をいじっている。

ふたり連れ立って入ってきた若い女性も隣り合わせに座っていたのだけれど、一言も声をかけることなく降りていった。

そして、その少し上の年代の人たちは、かばんの中からイヤホンを出して、耳にいれずっと音楽だと思うが、目を瞑っている。

われわれ、七十代は窓の外を流れる景色を見るともなしに眺めている。

そのまえ、娘たちの話では小中学生では、もっと極端になり、ひとつ部屋に子供たちが何人か集まってもみんなひたすらに画面を見ていて、同じ部屋にいながら、画面で会話しているそうだ。

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最近の電子機器のことはわからないが、これらに精通した子供たちが、大人になるとどんな社会が出来上がっていくのだろうか。

それもそう長い先の話ではない。

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2014年5月22日 (木)

雨に打たれても

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庭にあるニオイバンマツリの花が今を盛んに咲き誇っている。

あまり日当たりのよくない場所に植えてあるのだが、樹勢は盛んで毎年枝を大きく切らなければならないのだが、それでも、花のあとには枝を四方八方に伸ばしていく。

漢字で書くと、”匂蛮茉莉”となるが、匂いの強い南蛮のジャスミン。と言う意味になるそうだが、およそジャスミンとは違う花でありそのネーミングは、、、、、、、そして、匂いは本来は甘い香りなのだが、これだけ花が沢山になると、付けすぎの香水、エレベーターの何とかみたいに強烈である。

その花も、昨日の雨に打たれてか、紫の花から白い花にかわって匂いも落ち着いてきたように思っていた。

立山から帰って、その疲れを取るため昨日一日ボーっとして過ごしていたが、鼻の方もボーっとしていたようで、時たま来たお客が「かなり強く香りますね」と言っても、トンチンカンな返事で応対している。

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2014年5月19日 (月)

七つの乗り物を

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今日は七つの乗り物を乗り継いで、日本アルプスを横断する日である。

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実は、このうち初めて乗る乗り物は立山を貫通するトロリーバスとその先のロープウエイだけで、あとは両方から入ってきたことがある既知の乗り物であった。

ただ季節的には、夏場と秋であり今回の春はどちらも経験がない。

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朝八時半に宇奈月を出発し、立山山麓の館山駅に向かう途中は雲ひとつ見えないほどの快晴であり、北陸道の沿線からはこれから登る立山と剣岳が鮮明に見えて期待を増加させる。

立山駅からの乗り物は美女平から室堂までのバス以外はどれも満員すし詰め状態の運行であり、さらに、台湾からの団体がいくつも来ていて、賑わしいことこのうえもない。

室堂での一時間余の休憩以外は乗り継ぎのたびに三十分とはない待ち合わせが結構疲れを増長させたようで連れ合い同士は腰掛ける場所探しに追われていた。

しかし、室堂近くの一番雪の多い場所では開通時よりよほど雪の高さが低くなっているようであったが山側は10メートルを越していそうであり、すっきり晴れた青空の下乱反射の太陽光はまぶしすぎるほど降り注いでいた。

食事の後、立山を貫通するトロリーバス。

初めて乗った感想としては、一直線ではなく紆余曲折しながらのトンネルであったが、理由は何だったのだろうか。きれいにコンクリートが巻かれていたので、判らないが、ここも、後立山のトンネル同様断層帯がこうさせたのだろうか。

それにしても、何年もかかって出来た道路を10分ほどで通過してしまうことに違和感を感じてしまった。

トンネルを抜けると大観望、ロープウエイで通称”黒四ダム”が眼下に見え、目前には針の木岳がそびえ、はるか彼方には鹿島鑓、五竜岳など後立山が見ることが出来る。

あの山々も登ったことがあるのだが、と、思ってみたが、、、、、、

黒四ダムの堤頂をわたり、長野側の扇沢についたのが、午後四時半ころ、人ごみ疲れはここに極まって疲れが自分にもどっと出た。

豊田に帰り着いたのは、午後九時近く     

もうしばらくはバスツアーは”御免!”である

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2014年5月18日 (日)

トロッコ電車は行く

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東海環状道路から岐阜県を縦断して富山の宇奈月に着いたのは午後早々であった。

間隔の短い窮屈な座席にシートベルトでしばられ、長いバス車内の時間は疲れ降り立ったところは四十数年ぶりの地であり、ほとんど変わってはいない場所であった。

しかし、日曜日だったためかここも人だらけ、添乗員の旗に従ってトロッコ電車の指定された座席に座ってみたが、一列に四人掛けはとても無理、、、、、、とおもっていたら、前の車両に少し空き席があると言うことで移ることができ三人掛けがどうやら確保できた。

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電車は、赤い橋と緑の木々の間を抜けてガタガゴト ガタゴトと抜けていく。

これも前回まで何回か乗った屋根だけのトロッコであったが、今回は窓付きの客車が連結されていた。しかし、こちらは追加530円がもったいないようでガラ空き、、、

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車窓の景色は、ところどころ思い出させてくれるもののほとんどは忘却の彼方にあり、新緑の景色は始めてみる感覚で過ぎる。

しかし、それもいつしか両側に芽をふいている柔らそうなフキやウドそして呆けたコゴミに目が移り「彼っちにもあった 此っちにもあった」と自由行動であれば摘んで行きたいような口ぶり。

約一時間、腰が痛くなったころようやく鐘釣駅に到着。ここでほとんどが降車するが、ここでもいくつかのツアー団体客がいて混雑のきわみ。なかなか、われわれバスツアー客の集合場所が分からない。

そして、狭い黒部峡谷の中では雪崩で堆積した対岸の雪を見るくらいしかすることもなく、三十分ほどで帰りのトロッコ電車に戻るしかなかった。

帰りは、足腰に痛みのある連れ合いを考慮して窓付き、背もたれ付きの車両に乗ることにしたが、こちらはみんなが帰る時間帯だったらしく、ほぼ定員状態での運行になった。

今晩は宇奈月泊まりということで、宇奈月では有名な老舗旅館に入る。

じつは、この老舗旅館泊まりというのも目玉の一つだったのである。しかし、バブル期までの団体客対応で増築したためか、宿の構造が複雑になり、そのむかしいろいろな文豪や天皇まで訪ずれたという写真などがあるものの”依る年波”を感じさせる宿になっていたのは、自分らロートルに重ね合わせて侘しい限りであった。

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2014年5月17日 (土)

浜名湖花博をみる

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つれあいと弟のつれあいがまとめた話しにのっかる格好で「宇奈月のトロッコ電車と雪の大谷、黒部ダム」というバス旅行を敢行した。

朝早く、豊田市を出発すると言うことで、弟の家に泊まらなければならないことから、出発予定日の前日、つまり、十七日に家を出ることになったのだが、ただ真っ直ぐ行くだけではつまらないので、浜松で行われている”浜名湖花博”にたち寄って行くことにした。

朝から暑くなりそうな気配のする空の下、会場についてみると、広い駐車場は自家用車で満杯。

かなり外れたところに案内されて会場にはいる。

しかし、季節もあってか、報道されているほど花が見当たらず、山野草好きの自分には余り興味のないカタカナ名前の花ばかり、、、、、、、、、おまけに日差しをさえぎってくれる東屋などの日陰は人だらけ、とくれば、人ごみ嫌いの自分たちにとっては30分ほど歩いただけでうんざりしてしまい、会場を出ることにした。

011 ただ、最も奥の位置にいたため、周りを見回したところ、園内の中央に堀割って作られた水路に何隻かの船を浮かべて行き来していたので、これに乗って戻ることにしたが、これが一番の取り柄だったような気がした。

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2014年5月16日 (金)

眠気がやってくる

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その名はムシトリナデシコという。

かわいいピンクの花を川原など乾燥した河川敷に絨毯のように染めて繁殖させるほど生命力が強い。

茎のあちこちに、茶色っぽい粘液を出して、よじ登ってくる蟻んこなどを絡め取っている。

毛氈苔のように、捕らえた虫を溶かして栄養分にしようと言うのではないのだから、小さな昆虫たちにとっては「なんで?」と言いたいことと思う。

しかし、自然界には無駄なことがないはずだから、何か意味合いがあることだろうが、ボケ気味の老人の頭ではわからない。

現に空から来るモンシロチョウは歓迎しているみたいだから、まるっきり虫嫌いというのでもなさそうなのだが、、、、、

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今日も空が晴れ気温が上がる。

まだ身体がこの気温に追いついていないようで、なんだか身体がだるく、ついうとうととしてしまう。

そういえば、六十年近く前のことになるが、開け放した後者の窓から吹き込んでくる暖かな風に吹かれていると、教師の単調な講義と、下を流れる高原川の轟々と鳴る音が妙にマッチして眠くて眠くて目が開けていられなくなり、こっくりこっくりと舟をこいでいたのを思い出す。

あの時机を並べていた三十人のうち、早くも七人は永久に会えない仲になってしまった。

”春の海 ひねもすのたりのたりかな”という句があるが、教師の講義や川のせせらぎの音がなくても、眠気は六十年前と同じようにやってくる。

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2014年5月15日 (木)

雛を見守って

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裏の川に今年初めてカルガモが雛を連れてきた。

カルガモの雛は、生まれてすぐに自分で餌をとるため、スズメやツバメなどのように親が餌を咥えてきて育てることがないので、この雛たちもここ一週間以内に生まれたものに違いないと見た。

昨夜は、かなりの雨降りだったようだから、増水したはずの川の中でどう過ごしたのだろうか。周りが2m以上はある三面張りの水路にどうやってか入ってきたのだろうか。などと考えてみたが口のきける相手ではないのでわからない。

とにかくチョコマカチョコマカと活発に動き回る子供たちが四方に散らばらないよう、小さな声でグッグッと啼きまわりを警戒している。

これからしばらくは気がもめることだろうが、母さんカルガモの健闘を祈ってすっこんでできた。

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今日首相が、テレビを通じて憲法の集団的自衛権に関する解釈を変更することを発表した。

その元になったのは、何たら間たらと言う長い名前の有識者会議でお墨付きを得たということで、解釈の変更と言う手続きに入りたいとの子であった。

どんな法律でもそうだが、自分たちの都合の良い解釈で変更できるものなら、「泥棒にも三分の利」と言う言葉があるように、法律をいうものはなくても良いことになる。

なぜなし崩し的な憲法の変更を、解釈という手段でを変更使用とするのだろうか。

自分たちの意志を通したいというのなら、憲法のここがいけないからこうしたいと、条文なり全般なりに問題点を出して国民的討論を始めたらどうなんだろう。

あちこちと動き回る雛たちをひとつにする。と言う意味ではカルガモのほうが、、、、、、、、、、、、

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2014年5月14日 (水)

はしごする

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蜜柑畑の下草に混じって松葉海蘭が淡い青色の花を咲かせていた。

細い茎を風になびかせ、前後左右に揺れているさまは、いともはかなげに見え、すぐに絶えるのではないかと思わせるが、はるばる海を渡ってきた外来種の特徴をふんだんに兼ね備えていて、荒地もアスファルトの隙間にでも根を下ろして、繁殖範囲を広げていく。

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昭和30年代から50年代初めにかけてよく飲み歩いた。

一度飲みだすと一軒ではすまなくなり、二軒三軒とはしごして歩いた。

あちこちの店を渡り歩くことを”はしご酒”と言うそうだが、この語源はどこから来たものだろうか、、、、、、、、、納得できる説明を見たことも聞いたこともない。

このころは、世間に比べれば高給だったかもしれないが、子育ても真っ最中であり、5~6人家族だったから、そんなに余裕があったわけではなかったはずだが、鉱山のいう環境や、ほかの娯楽がなかったためだったろうか。

とにかく何かにつけて呼んで呼ばれて、街中に出て行ったのは、飲み代が安かったためだったろうか。

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そして今日は、よる年波で病院をはしごした。

六十代半ばまで病院とは縁のない生活であり、「健康保険はただ取られ」なんてこぼした時もあったのに、、、、、、、、、、

といっても、歯医者はつきに一回ペースで、歯垢を取り除くのと血液検査などではどこにも異常がないが血圧の薬を処方してもらう程度の通院で、これも月に一回。

ただ、血圧も130にはめったに達していないため、気が緩んでいるようで毎日一回の薬を忘れることがあり、たまる一方なのだから、一般の七十代半ばの人に比べれば「屁の河童」と言ったところなんだろうけれど、、、、、。

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2014年5月13日 (火)

疲れが出た

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昨夜来の雨も上がって、天気予報が予測していた「静岡は気温が31度」になる。と言うのを今か今かと待っていた。

しかし、日が差すのが午後になってしまったため、そこまで上がることはなかった。

ただ、昨夜来の雨はそんなに激しくなかったのか、庭の草木には小さな雨粒が付き、大きな葉には大きな水玉が、小さな場所にはそれに応じた大きさの水玉になっていたのがおもしろかった。

写真は、まだつぼみが固い南天の花穂につぼみと見間違わんばかりの水滴が無数付いており、どちらがどちらか見間違わんばかりであった。

つぼみの大きさは、大きなもので2~3ミリほどしかないので、よくもこんなに小さな水玉が出来たものである。

ともあれ、午後になって自動車の洗車を行ったぐらいしか外にでなかったが、なんだか疲れがどっと出たような気分であるのは、思った異常に気温が高く体がついて行けなかったのかな?

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2014年5月12日 (月)

金銀花

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スイカズラの花。別名を金銀花とも言うのは、咲きだしの花びらが白から黄色になっていくのだが、次々と咲き出すため、隣り合った花の色が違っているところから名付けられたのがわかる。

この花は、上下四枚の花びらを持っているが、その付け根にある蜜がほかの花より少し多いのか、それとも吸いやすいためか、むかしからこの花を取って蜜を吸う遊びがあった。

そのために付けられた名前がスイカズラ   つまり”吸蔓”であり、花の形が唇に似ているからではない。

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今日はナイチンゲールの誕生日であり、その日を記念してナイチンゲールデーだと言う。

彼女の名前を一躍有名にしたのが、1,851年のクリミヤ戦争において、負傷した兵士の看病を献身的に行い、衛生状態をよくすることで、死亡率42%から10%台にまで下げたそうである。

そのクリミヤ半島を含むウクライナがまたきな臭くなっている。

クリミヤ戦争では、ここを領有していたオスマントルコにフランス、イギリスが南下政策をとるロシアと戦争したくらいしか知らないが、それから160年余を経て体制は違うが再びロシアが手を出してきた。

世界の非難を受けても、ロシアと言う国は南に領土を広げると言う野望を消すことが出来ないようだ。

一方、南シナ海では中国と、ベトナム、フイリッピンが衝突を起こしかけているのは、東シナ海の尖閣諸島同様、一方的に領海を広げる中国の政策が原因のようである。

外部に対して、戦争などを起こすひとつの要因として国内政策に不安材料がある場合、国民の目をそらすため行われることがあるそうだが、そんなことで人の命を危険にさらすことは、、、、、、、、なんて、書生論なのかな?

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ちなみにナイチンゲールと言う鳥がいて、良い声で啼くそうだ。

日本名は”小夜啼鳥”と書くそうだが、日本ではさしづめ”ひばり”と言う歌手がいたので、それと似ているのかな。

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2014年5月11日 (日)

姫檜扇の赤

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ヒメヒオウギの赤い花が西日を跳ね返して白く輝いている。

六枚の花弁は上下大きさが違い、下の三枚にはより以上濃くて赤い麩が入っている。

どんな意味があるのか知らないが、神様もよくここまで気を配ったものだと感心する。

この花を検索すると植え方なんて書いてあるが、我が家では放ったらかしにしているが、種を当たりに散らばかして増える一方なので、時々球根まで引き抜いて間引きしなければならないほど、繁殖力の強い草である。

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今日は、池ヶ谷のご同輩と連れ立って竹の子掘りに行く。

孟宗竹の竹の子掘りは、五月の初めころまでに済んでいるのだが、ひょっとしたら「自分たち同様偏屈なやつがいるかもしれない」と言うことで竹やぶに入ってみた。

初っ端は直径20センチ、高さは5~6メートルもあろうかと言うような巨大な新竹がニョキニョキと目に付いたが、目が慣れてくると地表に顔を出したばかりで、掘りごろのものがポツポツと生えていた。

結局は、20分ほどで10本以上堀り上げ三等分にして持ち帰る。

早速茹でて今晩の夕食のおかずになったが、少しえぐみの残る竹の子の煮付けであったが、そのえぐみが山菜の美味さであると思えばこんな美味い物はない。

ということで、孟宗竹は終了し、次は、真竹、葉竹の出番は今月末になるので、それまでは、竹の子の食べ収めとなる。

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2014年5月 9日 (金)

立てば芍薬

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きれいに芍薬が咲きそろったので、鉢植えを見やすい場所に移そうと持ち上げたところ、芳しい匂いが鼻をくすぐった。

艶やかな美人が、ほのかな香水を漂わせて通りすがれば、たいていの男はふらふらっとついていきたくなってしまうのではないだろうか。

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立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花

と、いうのは、江戸時代に作られた言葉らしいがそれ以前の美人と言うかもてた女人の条件は、多産型のがっちりとした体系の人であり、平安時代までの美人は”おかめさん”がその代表だったと聞く。

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写真左は、茅野市尖石縄文考古館の土偶であるが、大きなお尻を持ったこんな女性が憧れだったようだ。

美人の基準はその時代によって違うが、柳腰美人は難産型といってもよかろう。

そのため、せっかく丸々と太った可愛らしい美少女たちが、食べるものを制限して栄養失調気味になる。

最近の若者たちは、所得や育児など生活に不安もあってか少子化となり、かっては産児制限をしなくてはならなかったほどの日本もすっかりその逆となり、人口減を心配しなければならない国になってしまった。

今日の新聞にも出ていたが、あと二十年もすると、全国で900ほどの市町村で女性が半減するそうで、そうなると小さな自治体は消滅するしかないそうだ。

女性が都会に出て行けば、男女の比率が不均衡になり、生まれる子供もいなくなり、そのうちにあぶれた男も出て行くしかない。

静岡でも、全県的に人口減少が進んでいるようだが、その中でも伊豆のほうでその傾向が顕著に現れるそうで、熱海や伊豆南部の市などでは66%の減、最大の川根本町はそのまえに、、、、

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2014年5月 7日 (水)

アザミ

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アザミの花、漢字で書くと薊となるが、その字からしていかにも棘だらけという感じがしてしてしまう。

なぜそんなにしてまで身を守る必要があるのだろうか。

案外、草食動物や虫に好かれる美味しい草なのだろうな。

そかし、その棘はあまりにも無力であり、牛や羊の前では無抵抗に食べられてしまううえ、自分も岳へ行った折にはよく摘んで味噌汁の具にしたが、あくが無いので茹でこぼしなどしなくても食べられる山菜であった。

そういえば、子供のころに”あざみの歌”と言うのがあった。

山には山の憂いあり 海には海の悲しみが、、、、、、

戦前の歌かと思っていたら、昭和24年にNHK歌謡であったという。

伊藤久雄さんの流れるような歌声は印象深いもので、今でも歌える。

しかし、歌の内容はなぜ薊なのか、いまだによくわからないでいる。

”いとしき花よ 汝はあざみ、、、”

いまのように直接的「好きだ好きだ」と言わないでも、戦前の人たちには、これで恋しい人をしのぶ歌とわかっていたようだ。

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池ヶ谷の山の畑のロートル会議。

「あしたは、ビヨウインへ犬を連れて行く日だから、、、、」

「病院? どっか悪いの」

「違う、病院はこないだ行って来てジステンバーとかフイラリアとか言う注射をして18,000円も取られた。明日行くのは美容院!」

「ふーん、犬の散髪かね。難しい犬を飼うと大変だね」

「そう、生意気に予約を取らなくちゃなんねぇ、そして、6000円だってよ。俺なんかかあさんが鋏を持ってきてやるんで只なのによ」

暖かい日差しを浴びながら、横倒しの丸太に腰を下ろして、しばし、小一時間の会議はつづく

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2014年5月 6日 (火)

駿河路や

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駿河路や 花たちばなも 茶のにほひ

新茶の季節を迎え、お茶問屋がたちならぶ市内茶町あたりではむかしほどでもないが活況を呈している様子で、地元の新聞にもその様子が記されている。

冒頭の句は、1650年ころ芭蕉が大井川の増水で足止めを食ったときに作った句だとされており、その”にほひ”というのはほうじ茶の言っているときの匂いを言ったらしいとのこと、、、、、、

さもあろうなと、と思うのは、同じかんきつ類の蜜柑の花の匂いは、かなり強いからである。

いまが盛りの蜜柑の花、それこそ純白と言う字がそのまま当てはまるような白さで、常緑の木を彩どっている。

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2014年5月 5日 (月)

野中のばら

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わらべは見たり 野中のばら     今日は”こどもの日”

いま、麻機では耕作放棄された田んぼ跡に白いノバラの花が点々と島状に咲き乱れている。

昭和三十年代までは先祖が切り開いた田んぼに作れ作れと言われた米も、減反政策や高齢化で維持できなくなって元の荒地に戻って行く。

「もったいないなぁ」と戦後の飢餓を体験してきたものは思うのだろうけれど、、、、

それにつけても、いまごろ野中のばらを見る子供はどこにいるだろう。

静岡に来た当時は、我が家の娘がふたりを含めて、十三軒の班に10人を超す小中学生がいたが、いまはかろうじて一人がいるだけ、500軒余の町内で、今年も小学校に入る子供が10人に満たないそうで、少子高齢化は言われなくてもわかる。

損保子供たちも、家に閉じこもってゲームに熱中しているようで、まず見かけることがない。

今日は”こどもの日”子供のいない町は静寂に包まれ、活気も何もない

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今朝方、新聞を読んでいたらドスンと小さな音がしたように思った、つれあいが起きだすには少々早い時間だがと思っていたら、なんだか揺れているようにも感じられた。

電灯から下がっているスイッチを見ていたら、ゆらゆらと動き出ししばらく揺れていた。

早速テレビを入れてみたら、伊豆大島付近を震源とする地震で、東京は震度5弱でその周辺が震度4になり、静岡は震度2くらいだった。

始めは東京が一番揺れていたので、東京直下型の地震かと思っていたが、震源の伊豆大島が震度3だったところを見ると、あのあたりが震源地より揺れていたことになる。

地盤の悪さが揺れを拡大したのだろうが、霞ヶ関あたりがもっと揺れて欲しかったと思うのは、、、、、、、、

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2014年5月 3日 (土)

イッペの花

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007 イッペの花が、木の枝先を真黄色に染めて明るい空の青に映えている。

原産はブラジルだとい言い、国花だともきいている。

いつ持ち込まれたのか知らないが、最近になって急にあちこちで目にするようになったのは、ブラジルから仕事をしに来た人たちが持ってきたものなのか、懐かしさのあまり取り寄せたのか。

いずれにせよ、二世三世ともなると、故国は日本と言うより、彼の国の気質になっているであろう。

イッペの花、花の色は黄色が多いようであるが白い色、紫がかったピンクがあるそうだが、静岡では黄色以外見たことがない。

ひとつの花芽から4~5個の筒状の花をつけて四方に広がっているため、花の直径は10センチくらいに見え、葉っぱに先がけて咲くさまは、華麗な足捌きをするブラジルサッカー選手のユニホームをおもわせ、まさにブラジルと言った感じがする。

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気温は静岡を出た十時すぎに、はや二十六度と夏日になっていた。

今日の天気につられて、掛川から太平洋岸に出て、御前崎から牧の原台地をぐるっと回ってきた。

新聞では、ゴールデンウイーク後半の上天気で人出が多く、各地で交通渋滞を起こしていると言うので、本来なら人ごみ嫌いも手伝って出かけずにいるのだが、、、、、、、、

連れ合いとその友達夫婦が行きたいというので、自分が運転する自動車で行くことにした。

行く先は、観光地から少し離れていたためか、案外スムースに行くことができ、女性陣が求めていた、ラッキョと日帰り温泉で満足させたようで、午後三時過ぎには戻ってくることが出来た。

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2014年5月 2日 (金)

雨後の竹の子

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暗い竹林の中を通してきた日の光を受けて竹の子は伸びる

夏も近づく八十八夜 トントン

野にも山にも若葉が茂る

今日は立春から数えて八十八日になり、春真っ盛りのはずだが、どうも歌に歌われているお茶のほうは少し遅れ気味のようである。

そんななか、今年最後になる竹の子掘りに行ってきた。

早春の、地面の中に埋まって土を少しだけ持ち上げている竹の子を、無理やり掘りあげるのではなく、今頃の竹の子はかなり地面から突き出していて、玄人筋からは固いとか、えぐみがあるとかで評判がよくないが、丈夫な歯と、丈夫な胃袋を抱えた身にとっては、皮ばっかりでほとんど中身のない竹の子より、食べ応えのあるほうが良い。

というわけで、一昨日の雨の後すくすくと地面の上に現れた竹の子を狙って出かけたしだいである。

行ってみれば、予想にたがわずあちこちに頭をもたげて早く掘ってと請求しているような竹の子があちこちにあり、三人でワゴン車一杯に積み込んできた。

掘るのはごく簡単にすんだが、「後の始末は誰がする?」って言われてしまった

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2014年5月 1日 (木)

赤い色は昂奮する?

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紅い花の色に魅せらたのか、ナミアゲハが君子蘭に取り付いたまま離れようとはしない。

口先を見れば口吻は渦巻いたままなので、蜜を吸っている様子には見えない。

赤い色は、人間のみならず闘牛場の牛なども興奮させる、と聞いたことがある。(哺乳類に大半は色弱らしいので赤に反応しないそうだが)

ひょっとして、この揚羽蝶も昂奮しているのだろうか。

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今日はメーデー、そのむかし、昭和三十年代から五十年代にかけて、鉱山の労働組合に入っていたころは、「むかし軍隊いま総評」と言う言葉があったくらいの組合運動も、戦後の飢餓から抜け出してくるとともに、労働者のまとまりがなくなり、分裂し衰退に向かう時期であった。

それでも、赤い組合旗を立てて街中をデモ行進する人の列は小さな町ながら人口の一割強の二千人以上はいた。

そしていま、どこのメーデーを見てもさびしい限りの人出になってしまい、七十万人もいる静岡市で集会に参加したのは、二千人にはとても及ばない数であろう。

労働者の要望に応えようとはしない、労働組合の役目を終わってしまったかのように見えて仕方がない。

さらに、追い討ちをかけるようにして、連合の集会には総理大臣が集会に参加して挨拶をしていることでもわかる。

総理大臣が、労働者の味方であり推薦された党の人であるなら当然のことであろうが、いまの総理は対極の立場の人である。

権力に擦り寄った姿勢では、自分の名誉や出世欲は満たせても、労働者の立場に立って物を見る姿勢はない。

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