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2014年6月29日 (日)

すべては夢幻

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P1010090ふるさとの飛騨には二十五山と池の山という二つの宝の山があった。

二つの山の間には、跡津川断層と言う巨大な断層で隔てられていたが、いずれもそのむかし海の底に出来た石灰岩を基盤にしており、その中を熱水が貫入して出来た接触交代鉱床が眠っていた。

この鉱床に手をつけたのは養老年間だと言われているが、近代的な採掘は茂住宗貞が江戸時代初期に開発しだしてからである。

最盛期には、4,000人以上がこの鉱山で働き、戦時中には戦場に狩り出された日本人に代わって朝鮮の人や捕虜までが坑内作業に従事した。

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昭和三十年六月、自分たちは八本目になる四寸角の柱を交代に担ぎながら二十五山の山道を登った。

自分たちの学校は、鉱山が運営する高校で、入学すれば自動的に鉱山に採用されるため、朝鮮戦争の後の不景気で就職難だった当時としては人気のある学校で、かなり広範囲から生徒が集まっていた。

そして、自分たちはその学校の八回目の新入生であり、開校記念日には新入生が”開校記念”と墨書された柱を山頂に担ぎ上げるのが慣わしになっていた。

その柱は、山頂の祠から四メートルおきに立てられ、いつの年か麓まで立ち並ぶはずだったが、15本目を最後に終わってしまった。(確認はしていない)

と、言うのは、さしもの二十五山も長年の採掘により山体崩壊がはじまり、採掘した後の空洞に山頂部を削り充填し始めたからである。

その後、1,219mの高さを誇り、日本海が見えたと言う伝説を持つ山は大きな変貌を遂げその山から派生していた尾根より低くされてしまった。

もちろん、山頂の祠も十五本の柱もどうなったか確認の仕様もなく、すべては夢幻と消え去ってしまった。

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きのう、久しぶりにその神岡鉱山が新聞記事になった。

もと鉱山で働いていた人たちが予防措置が不十分だったため、塵肺になったとして鉱山を訴えていたが、岐阜地裁は鉱山に賠償を命令する判決を下した。

これによると、賠償する27人中15人は塵肺法上の塵肺とは認められないが、、、いくらかでも影響があるだろうということで賠償対象に含めたとある。

自分の幼友達の兄も訴訟に加わっていると聞いているが、20年以上粉塵職場で仕事してきた自分としては複雑な思いで新聞を見ている。

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2014年6月27日 (金)

従弟の死に

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昼顔の花。淡いピンクの花は朝顔同様可愛らしい咲き方をし、朝顔より長時間咲き続けているのだが、朝顔のように品種改良どころか家の周りで咲き出すと根っこごと掘り出して捨てられてしまう。

朝顔によく似た可憐な花なのに、、、、、、、、、

そして、花言葉は”絆”だというのに、東北の地震のあと、やたらと絆と言う言葉がもてはやされたのに、この花は一顧だにされなかった。

原因としては、この草生命力と言うか繁殖力が強く、朝顔のように一年ごとに枯れてしまうのではなく、根っこでもするため繁殖するため、一度、進入を赦すとなかなか絶やすのが大変で、花言葉も、根っこが絡み合っていることからつけられたのではないかと書かれていた。

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今日午後になって、従弟の訃報が届いた。なんでも三年ほど前から体調をくづしていたそうで、家業の新聞配達店も後継者難から、ようやく廃業できる目途がつき、五月一杯で店じまいをしたそうだ。

そして、その翌日心臓発作で、即死状態だったと、今日になって連絡が入った。

持病だったとはいえ、休暇の取りにくい新聞配達店を整理し、少しはのんびりと過ごしたかったに違いない。

閻魔様が、「よし、これでお前の仕事は終わったから、こっちに来い!」とでも言ったのだろうか。

”遊びやせんとて むまれけむ”と言う言葉があるが、この人には遊ぶと言うことが与えられなかった。

家庭の事情もあって二十代まであまり幸せとはいいがたい状況の中で育っただけに、、、、、、、、

自分より四っつ年下、人生五十年といった時代ならともかく、いまの時代ではもうすこし生かしておいてくても良かったのに、、、と、

とにかく、自分より年下の者の死は、身にこたえるものだ   。

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2014年6月26日 (木)

柘榴にギス

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ざくろの真っ赤な花にキリギリスがしがみついていた。

この手の虫には花同様いろんな分類と名前がついているが、子供のころから蝶ほどには興味が無かったので、すべて”ギスチョン”ひとくくりしていたためかもしれない。

とにかく、この虫にとっては花を食べると言うのではなく、生命防御のため周りの緑に溶け込もうとしていたのだろうが、まったくの反対色に掴まっている。

複眼の虫は色を識別できると聞いていたのだけれど?.

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今日は山行き。ふるさとの飛騨では、何かにつけて山に行って酒を酌み交わすことを山行きといった。

とくに高い山に行く必要は無い。野っぱらに行ってもよいし、田んぼのあぜ道でもかまわない。空の下、持ち寄った酒やつまみで車座になって遇でもない世間話をしながら、、、、、、、空が青ければさらに申し分がない。

真夏の暑い盛りのときでも、木陰に入れば涼しい風が吹き抜けて気持ちが良い。

そんな条件に今日はぴったりな空模様。お中元に貰ったビールをリュックに入れ、つまみは味噌と冷やしたきゅうり、池ヶ谷の山で待っている知り合いと合流。

ストレスなど感じてはいないはずだが、こういう時間は生き返ったような気分になる。

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035上の柘榴は、まだ咲きかけの花であり、満開になると左のように開けっぴろげになる。

まさに美人の大笑いといったところか。しかし、花の赤さはほかの花のように薄れると言うこともなく、血の色にたとえられるように赤い。

この赤さに目を引かれたのが、ちょうど1,000年ほど前、中国にいた北宋の政治家 王安石。

”詠柘榴”という、五言絶句の中に”紅一点”という字を読み込んだが、この言葉が、現代の日本ではいまだによく使われている。

どんな政治家でも、軍功に長けた軍人でもその事跡ははっきりしないものだが、文人の文字は千年たっても生き生きと行きつづける。

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2014年6月24日 (火)

荒地に咲く花

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ネムノキの花が淡いピンクの花を咲かせている。

秋になれば、エンドウのように長い実をつけるのでマメ科というのは分かるが、葉っぱの形や花の形からはまったく別な種のように見える。

川原など、ほかの植物が育たないような場所に育つ、先駆植物と言われるが、決して強いわけでなく、腐葉土が出来てほかの植物が育ち始めると負けてしまうか弱い植物でもある。

花びらのない花は、針のような細い蘂を密集させて、虫を誘う。淡い香りは密集した部分では薫るが、もっと嗅ごうとすると花に誘われたカメムシがその匂いを消してしまう。

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今日は念のために「腹部のCT撮影をしましょう」かかりつけの医者の要請で県立総合病院に行ってきた。

受付に紹介状を渡したところ「今日は込み合っていますので、しばらくかかります」といきなり言われてしまった。

待つこと二時間、検査は20分とはかからずに済んだが、また検査寮を払うのに30分以上かかってしまった。

病院が大きくなると、時間のかかることおびただしい。

検査のほうはヨード剤を注入して、レントゲン撮影をするのだが、金属類は一切身に着けないでと厳しいお達し、しかし、こちとら腕のひじ部分に50年以上前に入れた針金を持っている、筋金入りの腕をしている。

「その場合はどうなるんです?」ときいたら、両手を挙げてバンザイの姿勢をとれば、輪っかの中を通らずに済むからということですんだ。

しかし、考えてみれば医者と言うものは患者の身体を気遣っているようなことを言うが、そのじつ、何とか悪いところを見つけ出して医療費を増やそうとしているように見えてしかたがない。

夕方のテレビでは、日本ドック協会の出した、健康な人の血圧は147~90でも良いとする説に、医学会から異論がでていると言っていた。

どちらが正しいのか、自分の目から見ると、、、、、、、、

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2014年6月23日 (月)

ヤオヨロズの神

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庭のユスラウメの周りを縄張りにしているハグロトンボがいる。

毎年、この場所には来ているのだが、どんなところがこのトンボに向いているのだろうか。

越冬するトンボもいるとは聞いているが、何年も生き続けているはずも無いのだから、どこか条件の良いところがあるに違いない。

別名を、カミサマトンボというのは、胸から胴にかけて深い緑色のような金属光沢があることからだろうか、とにかく、縁起の良い名まえなので捕まえるようなことはしないが、傍に近寄るとひらひらひらと急ぐ風でもなく隣の家のほうに逃げていくが、気配がなくなると戻ってきて葉っぱの先端など高みに上がってじっとしている。

なんだか孤高の静寂を楽しんでいるようにも見え、さすが八百万の神のひとつなんだろうかという感じさえする。

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今日テレビを見ていたら、都議会で不適切な野次を飛ばした鈴木議員が記者会見を開いていた。

ただひたすら謝るだけの記者会見だったが、自民党籍は外れるものの議員の辞職は考えていないと言う。

いまどき一般の会社で、「早く結婚したら」とか「子供を生めないのか?」などと女子社員に言ったとしたら、パワハラ セクハラで訴えられ、降任や退職にまで追い込まれても仕方のないことである。

議会と言うところは、この辺のことさえ分からなくなっている先生が多いらしい。やはり特権階級という間違った意識がそうさせるのだろう。

海外のメディアにまで広がった発言だけに、本人は自分の判断で名乗り出たといっていたが、謝罪の態度とともに「ほんまいな?」と言う感はまぬがれない。

報道によると、この議員は過去にも飛び上がり的な行動をしてきたそうだが、こんな議員を何度も当選させてきた都民の常識にも問題がある。

不適切な野次はこのほかにも何人かいるようだが、この人だけに責任を負わせて幕引きにしたい考えが、都議会議長の方にあるやに思える。

野次を飛ばした本人はもちろんだが、隣に席にいた議員は知っているはずだが、浮世の義理で言えないんだろうな。

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2014年6月21日 (土)

綱渡りをする

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折鶴蘭の花がランナーの上で綱渡りをするようにして咲いている。

花そのものは差し渡し1センチに満たないような小さな花だが、折鶴蘭の面白いところは、名まえの元になったランナーの先に小さな分身をつけて繁殖する方法を身につけたためである。

このような、繁殖の仕方するものにイチゴがあり、イチゴのほうも今ちょうどランナーを伸ばしている最中である。

とにかく、この花が実になるのを見たことがないので、仇花なのかもしれないが、白い清楚な感じは日本人向きである。

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昨日は、蓮根畑に入って草を抜き、抜いたところに追い肥をしてきたが、しばらく行かないうちに蓮根も成長していたが、雑草のほうも伸びており、土をしっかりと掴んでいた。 

稲などと違って、除草剤を撒くわけにもいかずすべて手で抜くしかないのだが中には両手で持って引っ張っても抜けないものまであり、はかが行かない。

結局三時間半粘ってみたが、長野からの疲れと、暑い日差しの中でダウンしそうになったため、引き上げてきた。

つぎの晴れ間にもう一度行って除草と追い肥を完了しておきたいところだが、歳を取るとは、こういうことなのだろうなと、だるい腰をさすっている。

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2014年6月19日 (木)

畑仕事の後の西瓜

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最近長野のほうに行くと、この花が道の両側にすっくと茎を伸ばして咲いている。

日本名をニワタバコともビロウドモウズイカとも言うらしい。

日本名はというところから外来種であることが分かっているが、ヨーロッパでは民間薬として古くから使われていた、というから、漢方薬ならぬ西方薬とでも言うことになるか。

この花、もともとは日本に観賞用に持ち込まれたのが野に放されたようで、秋には細かい毛の生えた細長い葉を、地面に広げているが、春になると花茎を立ち上げ50~100センチほどに立てて花を開かせる。

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昨夜来降っていた雨も上がったが、空一面に雲の広がる天気、宿から朝の散歩をかねて千曲川の川岸にでてみる。

山梨県や群馬県との県境から集めた水はまだ50kmほどしか流れていないが、最後には信濃川として日本一の大河になる様相はすでにこの辺でも感じさせ、悠々と流れ下っている。

今日はのこりの畑仕事が出来るのだろうかと心配しながら、立科町に戻れば、畑の土はからからに乾いている。

聞けば、こちらは星空が見えて一滴の雨も降っていなかっただろうとのこと、山の関係もあるのだろうか、直線にすれば3~40kmほどしか離れていないのに、、、、

これも、晴れ男のなせる業としたらたいしたものである。

午前中、がんばって土寄せしたおかげでようやく完了。シャワーを浴びて、その後に出た西瓜の美味かったこと、いっぺんに疲れが取れた。

と、おもって午後帰路についたが、よる年波途中で眠気が襲い、車を止めて仮眠を取りながらの帰宅となった。

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2014年6月18日 (水)

車前草

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オオバコのことを車前草ともいい、車や人、牛馬に踏みつけられてもしっかりと根を張って繁殖していく丈夫な花で、家の周りに生え出すと取っても取ってもと言う感じで始末に負えない雑草の代表でもある。

ただ、漢方薬として使うため、戦争中までこの草を掘って供出させられたことがあり、なかなか抜けない草を掘り出し、乾燥させるのを手伝った記憶がある。

そして、写真の花はそのオオバコの仲間でヘラオオバコという。名前の由来はオオバコの葉を細長くした形による。

原産は、ヨーロッパだというが、この草の実も繁殖力が強いそうで、今では全世界に繁茂している草になってしまった。

なんでも、この草の実を踏んづけた足で歩くとあちこちに種がついて、道を作るくらいなので、道に迷ったらこの草をたどれば人里に行き着くなんて話しもあるくらいである。

しかし、自分がこの草を目にしたのは、静岡に来てからだが、生まれ故郷はまだこの種をつけた人が来たことがなかったのか、、、、いや、見ても気がつかなかったのだろう。

「心 ここにあらずんば 見れども見えず、、」という言葉があるほどだから、、、

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黒い雲が山の中腹までかかり、水墨山水のような朝景色を見ながら静岡を出る。

天気予報は、日中どこかで雨が降ると言うものだったので、気にはしていたが、何しろ名代の”晴れ男”を自認している自分にとっては、ここで名前に泥を塗るわけには行かない。

「晴れろ! 晴れろ!」と念じながら車を進めていくと、次第に雲が取れ晴れてきた。しかし、日差しが出れば出たで今度は暑くてたまらない。

とやくかく言ううちに、目的地の信濃の立科町に到着する。この二点を結ぶ道路はあちこちルートを変えては見たが、年に少なくとも四回は往復しているので、かなりの数になるはず、以前は六時間ほどかかっていたものだが、新東名が出来た昨今、4時間半にまで短縮し、中部縦貫道ができればどのくらいになるのだろうか。   もっともそれまで寿命が有ればの話だが、、、

今回の目的は名目的には連れ合いの同級会出席のためであるが、そのついでに四月に植えたジャガイモの追肥と草むしり、土かけを兼ねている、毎年の恒例行事の一つである。

午後三時過ぎ農作業はまだ半ばであったが、同級会は一時間弱はなれた上山田温泉と言うので、そこまで自動車で連れて行き、自分たちは別の宿を取る

宿に入った途端、それまで堪えていたかのように雨が降り出した。

ありがたいような気持ちの一方で、まだやり残している畝があるので気にはなるが「大丈夫、俺らは晴れ男」を呪文のように唱えて寝床に入った。

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2014年6月17日 (火)

地上まで届く芳香

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泰山木の花。大きな杯を思わせるような真っ白な花弁を広げている。

よく似た花に朴の木があるが、葉っぱの形が小さい上、裏が茶色を呈しているなどかなり違う。しかし、花の中央にある蘂の形や大きさは朴の木の花に引けをとらず、香もかなり高いところにあるにもかかわらず、朴の木によく似た芳香が漂ってくる。

花の直径は高い木のこずえにあり、なかなか手が届かないのではっきりはしないが20センチは優に越えていると思われる。

この木、名前から言って日本古来の木、悪くても遠い昔、中国から入った木かと思っていたらアメリカが原産たと言う。

なんだか、肩透かしを食ったような気がしないでもない。

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明日はここ十年ほど恒例のようになっている連れ合いの同級会にひっかけて、ジャガイモ畑の草むしりと追い肥をしに行ってくる。

天気も明日は少し具合が悪そうなものの、名代の晴れ男と晴れ女が四人も行くのだから、天の神様も少しは気を利かせてくれるのではないかと期待している。

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2014年6月16日 (月)

ギンヤンマの産卵

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Img_0175遅場の静岡でもほとんどの田んぼで田植えが済んで、稲も定着したようだ。

むかしのように、全てが手植えのころは、梅雨の真っ最中、蓑笠をつけて田んぼに入る姿も見ることがあって、子供心に大変な仕事だなと思い、どこの親も一様に「米と言う字は八十八回 お百姓が手をかけて育て、ようやくおまんまになる」と言い、納得したものである。

しかるに、いまでは見る限りにおいて専業農家はほとんどなく、代掻きから全てが機械で行われ、人の手で行われるのはあぜ塗りがせいぜい、それさえも、、、、

とにかく、あっという間に田植えが済んでしまう。しかし、自然はむかしからの流れを変えていないようで、定着し、10センチを少し超えたくらいの稲の周りを飛び回っているトンボを見つけた。

トンボの種類には詳しくないので、分からないが遠目では早苗の中にいたのでサナエトンボかなと思って、静かに近寄ってみるとギンヤンマのようである。

このトンボもこんなに早く卵を産むのだろうか、、、と、なると、この卵は、来年まで年越しをするのだろうか、それとも、秋までにはこの卵が成虫になって次世代に命をつなぐのだろうか。

世間は、サッカーの大会で大騒ぎをしているが、殴ったり蹴ったりさえしなければ何をしても良い、という雪の上のサッカーしか知らない自分にとって、ルールが分からないスポーツは、ギンヤンマの産卵以上に興味は無い。

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2014年6月15日 (日)

連れ合いを通じて

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今日も"暑い暑い"で一日が過ぎた。

ここ二日は梅雨の中休み、畑仕事のせいか、はたまた日ごろのなまくら癖か分からないが、朝から腰と言うよりその少し上がだるく、動きたくない。

それを口実にぐうたらぐうたらと過ごしていたら、子供が由比まで行って枇杷を二ケース買って来てくれた。

直接手渡すのが照れくさかったのか、連れ合いを介して「父の日」だからといったそうだ。

母の日に比べると、父の日は影に霞んでしまいがち、そんな中で良くぞ気付いてくれた。あまりぐうたらしているので影でせっついたものがいるのだろうかなどと勘ぐってみたが、何の特にもならないのでよすことにした。  

もう四十歳に近い息子が、覚えている限りでは初めてのプレゼントではないだろうか。人は案外良いことは忘れてしまい、恨みは長く憶えている。

子供のほうから言わせれば、あれもしてやったじゃないか、これもした。と列挙するに違いないだろうが、、、、、

とにかくありがたく頂いたが、お礼の言葉はやっぱり、連れ合いを通じて、、、

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2014年6月13日 (金)

亜麻サギもやってきて

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今年も亜麻鷺が遠い国からやってきた。

散歩道によく使っている、麻機沼を遊水地として拡大するため、買収が済んだところからくいを打ち、鉄線で囲っているが、ここが一番安全というの何時のころから知ったのか、用心深いくて人なれをしない一群がゆうゆうと過ごしている。

秋までに卵を産み、雛を育てて遠い海を渡って返っていくのだが、見ているとまだペアを組んでいないのか、てんでばらばらに動き回っているように見える。

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よく分からないのに書くのもなんだが、日本うなぎが絶滅危惧種に入りそうだとかで、朝からテレビは騒いでいた。

なんでも、近年養殖に使うシラスウナギの量も激減しているそうで、前から心配はされていたが、その原因は生態が分からないのではっきりしないものの、東南アジアで水揚げされるうなぎの70%は日本人が消費していると聞くと、少し控えておかないと、将来幻の魚になってしまうかもしれない。

日本人はこれまでにも多数の生物を激減させてきた、日本狼や朱鷺、かわうそなどは絶滅させたし、戦後乱獲したとされる鯨やにしん、黒マグロ、そして、うなぎへと、、、、とにかく無茶をしすぎたということか。

とにかくここらでじっくりと食べ物について考えなければならない時代になってきたのは確かであろう。

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2014年6月12日 (木)

沙羅双樹

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お釈迦様が入滅したとき、その傍に紗羅双樹の花咲いていたと言うことで、この花は、仏教の世界では蓮の花と並んで高貴な花とされてきた。

でも、日本にはこの花はない。実際にこの花を見たことのある人がいたのかどうかは知らないが、いつの間にか”夏椿”を紗羅の木だと言うようになった。

ひとつには、白い花びらが光をすかして薄絹のように見えたことからであろうか。

夏椿、花だけ見ていると中央の雄蘂が椿の花によく似ている。まるで、椿の浴衣姿と言ったところか、、、、しかし、木肌やはっぱの形と色はまったく椿の仲間ではないことを証明している。

ともあれ、季節は巡り、蒸し暑さを感じるこのごろ、この花の咲く時期になってきた。

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2014年6月11日 (水)

百花繚乱

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高い山か~ら 谷底見ればよ~ 

 瓜やなすび~の 花盛りよ アレモヨイヨイヨイ

ふるさとの祭りで神輿が還御するとき、しこたま酒が入った白丁が右に左にと揺れながらお宮さんの長い参道を登っていくのが目に浮かぶ。

飛騨の祭りは、古式の白装束で身を固めた白丁が静静と担ぎ、町内を巡るため、わっしょいわっしょいとゆすりたくって歩く祭りはなんとなく肌に合わない。

まして、最近で出した”ソイヤソイヤ”と言う掛け声には何を気取ってんの言いたくなる。美空ひばりの歌にも神田明神は”わっしょいわっしょい”だったはず。

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坑木がきしみ裂けて折れる、断層帯突破のための刺し抜き工法、

なまじっかの腕ではできない昭和30年半ば

昨日に続いて今日も鉱山の思い出話しを、、、

昨日も書いたが、鉱山に働く人々は戦後だけでなく、鉱山と言うものができた当時から特殊技術を持った人が流れ歩くため、人々の離合集散の場所であった。

自分が鉱山に入った当時はさすがになくなっていたが、友子制度と言うものがあって、ある程度鉱山の技術を持った人々が親分子分の関係を持ち、どこの鉱山に行っても、親分の名前を出して働くことが出来たそうだ。

それこそやくざ映画で見るように、飯場で仁義を切れば働かなくても一宿一飯の接待は受けられたそうだ。

同期生のひとりに、その当時の親分の息子がいて、子分だった当時五十歳くらいの人が丁寧に応対しているのを見てびっくりしたことがある。

そして、自分たちの入ったときにも全国から集まってきた人たちがいて、会社の調査によると、そのとき、奈良県出身者だけがいないということだった。

当然、それらの人々はお国言葉を持ち込んでいるため、飛騨に有りながらまともな飛騨言葉がうすれ、まわりの町村とはすこしちがっていたうえ、10kmほど離れた同じ事業所内の茂住坑(大津山)は富山に近いため富山弁が優勢であり、栃洞坑は飛騨弁が優勢であった。

しかし、鉱物の結晶は”ガマ”と言ったが、これは沖縄地方の洞穴を意味し、靴など反対に履くことを”アッペ”と言ったが、これは東北の言葉であった。

鉱山独特の言葉にくわえて、各地の方言が入り乱れ、戦後になっても残っていた朝鮮の人の言葉が、、、、それこそ、百花繚乱

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2014年6月10日 (火)

あのころは

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今年も梅雨の季節に入って八重のドクダミが花を咲かせ始めた。

臭いも葉っぱも同じだが、花弁の数だけが違う。新種なのかと思っていたが、他の地に移植したところ、普通の花に戻ってしまった。

地味の違いなんだろうか、気まぐれに咲いているのだろうか。

ともあれ、子供のころはこの草の臭いが嫌でたまらなかったものだが、いつのころからかそんなに嫌でもなく、最近では好ましく感じて指でつまんでこすり合わせ臭いをかいでいる自分がいる。

歳を取ると清濁あわて飲むと言うが、度量が大きくなったと言うより、鈍感になったのだろうな。

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番屋坂から聳南寮の屋根を通して南平社宅を見る。天気がよければ、正面に乗鞍岳が見えるのだが

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自分たちの高校は鉱山の付属の学校であり、入学すると三年生になった時点で高校生と会社員を兼務するという、かわった学校であった。

そのため、高校三年生の春には栃洞坑の抗口に近い聳南寮という独身寮にはいったのだが、そのころは、まだ戦争の尾を引いていて、さまざまな経歴を持つ人たちがいた。

戦争を啓発し民衆を煽ったとか、憲兵だったとかで公職追放になった人、生活破綻者などがすぐに採用してくれる会社と言うことで押しかけてきたらしい。

そのほとんどは、坑内労働と言う厳しい環境にいたたまれず退職していったが、残った人の中にはそんな環境にもめげず残っていて、”天皇”とあだ名された人、”先生”と言われた人、そして、”ガバリ”さんなど等々、、、、

まだ未成年だった自分には人間ってこんなにもさまざまな人がいるということに非常に興味を持ったものである。

また、この寮は戦時中、捕虜になった外人が入っていたこともあってか、トイレが水洗式であった。

水洗式といっても、現在のトイレからは想像しかねるもので、谷に面した一角に10個くらいだったと思っているが、一列の便器がおかれ、その下を水が流れていた。

もちろん仕切りはあるが、一番上以外は下を覗くと前のほうから大便が次々と流れてくる仕掛けであり、最下流のトイレに入った分には、、、それはそれは、口に出せないものであった。

ちなみに、この寮の一日九十五円であり、会社から出勤する人に五円の補助があった。そのため、「今日は休みます」というと、五円分だけ秤にかけて減らした麦飯がアルマイトの椀に入れられて出てきたものだった。

とにかく、最近のテレビでは昭和を懐かしむ番組が増えているが、昭和も40年代に入ってからのことで、この時代を口にするものはない。

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2014年6月 9日 (月)

ないないづくしの枇杷

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小さな枇杷の向こうに県庁が見える

大岩の山の中腹に枇杷の実が熟れてきた。

どこからか鳥が運んできて落としたものと見えて、持ち主はいないそうだ。

当然ほったらかし、無農薬 無肥料 無手入れとないないづくしのこの枇杷は、摘果もないため小粒な実しかならない。

しかし、少し酸味が効いてなかなかの味で評判がよい。孫たちにも食べさせているが、テレビの見すぎか首を振りながら「この味 この味」と次から次へと食べまくっている。

こんな枇杷でも袋がけして、肥料を入れれば店に並んでいるような、ただ甘いだけの枇杷になってしまうのだろうか。

もしそうだとすれば、人は形だけのために本当の味を損なっていることになるのだが、、、、、、、

野菜をはじめ、いろんな作物の季節感がなくなってしまった昨今、むかしの味はいまいずこ、、、

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今日は共働きで荒れ放題になった娘の家の庭の草むしりに行ってきた。三人で二時間弱、ゴミ袋十枚に一杯詰め込み、木の枝を二束作って引き上げた。

午後は畑に行って、きゅうりの間の草むしりと枝豆を植えつけてきたが、そのたびに上から下まで汗でぐっしょりになるほど汗をかいてシャワーを浴びなければならなかった。

おかげで一日三回も着替えしたので、洗濯物も山ほどになる。

つれあいは、着替えを持っていなかったので孫のTシャツを出してもらっていたが、ひどく気に入った様子。それを見て、これもこれもと出してくれたお下がりを何枚もレジ袋に詰めていたが、結局これが草むしりのお駄賃。

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2014年6月 8日 (日)

初めて咲いた花

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010アロエサポリアの花が初めて咲いた。

静岡あたりでは、木立アロエが一般的で冬に咲く花として知られているが、このアロエは今頃になって咲く。

咲いたと言っても木立アロエ同様筒状の花なのでパッとあけっぴろがに開くわけではなく、花びら先端から恥ずかしそうに蘂をチラッと見せているだけの咲き方なのだ。

そして、木立アロエは外傷に良いそうだが、このアロエは胃腸に良いと言って十年ほど前に分けてもらったもの。

はじめは斑入りの葉っぱが珍しくて、観賞用にと鉢植えに入っていたけれど、飽きが来たというか、何の変化もなかったので路地に降ろしておいた。

その間、木立アロエとともに利用することもなくほったらかして三年、毎年花を咲かせる木立ちアロエを見習ってか今年ようやく一本の花茎を立てた。

遅咲きと言うか、大器晩成というか、    人間にもそんなタイプがあるが、そうなるには何よりも偶然と環境がそろわないと駄目なんだろうなと、この歳になって感じる。

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2014年6月 6日 (金)

芒種

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雲の隙間から差した日がタチアオイの花びらを透かして耀く

011今日は”芒種”稲やススキなど穂のある植物が育ち始める時期にあたり、蛍なども飛び始めて初夏の気配を強く感じ始めるころだと言う。

ここ静岡でも、先日来の好天気のうちにと田植えが盛んに行われ、その稲も水田に定着し、今日あたりから機械で植えられなかった部分の手植えが行なわれていた。

昨日は全国的に大雨に見舞われており、今日も動きの遅い低気圧のせいで雨が降り続く予報であったが、朝のうち、一時的に雲の隙間から陽が差し、以後は暑い雲のしたとなったものの、夕方まで雨は降らなかった。

そして、朝のうちの雲間の太陽につられていつものように麻機田んぼの周りを「いつ降るか、いつ降るか」心配しながら、ぐるっと回って帰ってきたが、昼間の間降らないと分かっていたらこんなに早足で歩くこともなかったのに、、、、と午後になって思った。

ともあれ、ひと様の植えた田んぼを見ながら、この人は几帳面だ、ずぼらだなどと思いながら一人散歩を続けた。

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002いま、新聞やワイドショーを見て心が痛むのは、厚木市で、交際を始めた女性に心を奪われて、保護しなければならない子供を飢え死にさせてしまった父親のことである。

三十過ぎても精神的に大人になれなかった人の犠牲になった幼子はどんな思いで死んでいったのだろうか。

しかもそれを隠そうとして、寄り付けなかった部屋の家賃を納め続けていたとあっては、「嫌なものは見ないことにしておこう」という、最近周りでもよく見る光景の延長線上にあるような気がして仕様がない。

そんな刑罰がないのだが、イスラム教で言われていると聞いた「目には目を 歯に歯を」と言う刑法があったとしたら、この男に断食の上、死の苦しみを与えたいような気がしてならない。

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2014年6月 5日 (木)

何事も

久しぶり雨が降った何日ぶりなんだろう。

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昨日までの暑さがいっぺんに吹っ飛んだように過ごしやすくなった。何事も極端に走るのはよくないの見本みたいな天気である。

テレビで予想されたような激しい降り方にはならなかったものの、終日することもなく、ごみの回収日にことかけて倉庫の不用品を出したくらいが関の山であった。

前にはこんな日こそ読書三昧と決めていたのだが、根気がなくて本が読み通せない、かといって、テレビも面白くない。

「土方殺すにゃ刃物は要らない、雨の三日も降ればいい」と言う言葉があったが、我々の年頃ではうつ病か、ボケの引き金になりかねない。.

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庭には弁慶草の一種といわれる万年草が雨に濡れて哀れな姿で水滴をつけている。これも帰化植物の例として繁殖力が旺盛な草で、いつの間にやら我が家の庭に定着してしまった。

雑草の代表のに言われているオオバコなどに比べると、地面を這った茎は柔らかく、花もごく小さな花を遠慮深かげに咲かせている。

見かけるたびに抜いては捨てているのだが、完全に除去することは難しいと思うのは、土がほとんどない乾燥した場所などに潜んで種を撒き散らしているからに違いない。

園芸用植物や野菜もこのくらいの生命力が有ればもっと簡単だろうと思う。

賢明な日本のお母さんと言われる人たちが、子供を無菌状態で育てててくれたおかげで、海外に出たとき食中毒など真っ先に被害を受けるのは日本人である。と言われるくらいばい菌に対する抵抗力がなくなって来ている。

何事も極端に走るのはよくない。

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2014年6月 4日 (水)

白い靴下をダンデイに

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今日六月四日は虫の日なので、姫女苑に掴まって蜜を吸っているベニシジミに登場してもらった。

ベニシジミは、この時期になるとかなり数を増やしており、羽根を広げても2センチ程度しかない小さな蝶だが、数の多さと羽根の鮮やかさで目立っている。

今日も今日とて、安倍川の土手に咲く花を渡り歩いては蜜を吸っている。

白い靴下を履いたようなダンデイな姿を見せびらかすようにして、レンズを向けている年寄りを前にしてカメラ目線で食事中の姿を撮影させている。 

虫と言うと何億年も前から地球上に生息し、その生命力の旺盛さは、地球にさまざまな環境変化があったにもかかわらず連綿として続いていることにある。

メタセコイヤや銀杏などを生きた化石などと言って珍重しているが、ゴキブリなどはその何倍も前から姿を変えることなく行き続けているそうだ。

しかし、カブトムシやクワガタなど一部を除いてはあまり好かれない。どころか毛嫌いするご婦人も沢山いる。

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明日からどうも東海地方が梅雨に入る可能性があると聞いていたが、午後になって梅雨入りしたらしいと発表した。

そして、明日から二~三日は雨も激しく降るというので、畑に行ってネギの苗を植え、ジャガイモを少し掘ってきた。

周りを田んぼに囲まれ、もともとが田んぼだったところに作った畑なので、田に水が入るとぐちゃぐちゃになってしばらくは入れない。

そのための準備はおろそかに出来ない。雨は農作物には必須のものだが、雑草にとってもまたとないチャンスであり、少し目を離すと大変なことになる。

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2014年6月 3日 (火)

ヤマボウシ

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ハナミズキの花が終わるのを待っていたかのようにしてヤマボウシの花が咲き出した。

白い四枚の花弁の中央に、豆粒のような青い珠をつけている。

この様子から坊主頭に白い頭巾、つまり比叡山などにいた僧兵を模して付けらた名前のそうだ。

この木はハナミズキと違って日本古来の植物であり山野に自生していて、秋の初めころに赤い実を沢山つける。この実が子供のころ貴重なおやつであった。

学校から帰ってくるとカバン(ランドセルなんかではない)を放り出して山に分け入ってみんなには隠しておいた木のところに一目散に走る。後で知ったことだが、この木は水はけが良いところを好むくせに、水気が無いと育たない木だそうで、考えてみれば雪崩などで堆積物がたまったガラ場に有った。

戦後の食糧難のころ山葡萄やアケビ、マタタビなどに先駆けて実るこの実には腹ふくるる思い出を今でも持っている。

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最近「二十五の峰、空たかく」というブログにいりびたっている。

中学を卒業して鉱山の付属の高校の途中から入った栃洞坑の社宅に住んでいた人の子供が、閉山とともに誰もいなくなった栃洞を懐かしみ、思い出しながら作ったブログである。

このブログに同じころ住んでいた人たちがコメントであそこはああだったとか、こっちはこうだったとかと集まって来ていて賑やかにはやしていた。

そこに久しぶりに飛び込んでコメントを入れたらすぐに反応があり、その応対で又返事を書くの繰り返し、、、どうやら、自分よりかなり若い人(といっても五十代かな?)で高校中学を卒業して栃洞を離れた人たちであり、自分は就職して栃洞に上がった身であり、同じものを見ても視点の違いを感じる。

誰しも子供のころのふるさとにはかなり強い愛着を感じ、さらにそのふるさとが廃墟になればなおさらのことである。

いま日本には稼動している鉱山、特に金属鉱山にいたっては片手でも余るほどしかない。

かって、金属鉱山労働組合に参加していた組合員は五万人を越えていた。つまり、それらの人々が抱えていた家族が故郷をなくしてしまったことになる。山川の景色は変わらなくとも、住んでいたところに木が高く伸び、道が草茫々と埋もれてしまっている。

哀れなるかな望郷の念!

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2014年6月 2日 (月)

寝たらお終い

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001カッポレ カッポレ

甘茶でカッポレ ヨーイトナー

甘茶の花。額紫陽花とどこが違う?と聞かれても自分には分からない。

花の下に書いてある名前でようやく判断している。なんでも葉っぱが少し違うから分かると言うが、素人目には言われても   ねぇ~  

しかし、この葉っぱを乾燥させて作ったお茶を飲ましてもらうと、、、、、

「そうそう この味だよ」と、懐かしいような気がするのは子供ころ潅仏会で飲まされた記憶からか。でも判然とはしない。

花の大きさが、ほかの紫陽花に比べて小さいのは西洋紫陽花のように品種改良と称していじくらなかったせいでもあるか。

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この歳になったせいか、よく嫁と同居している姑の愚痴を聞く機会がある。

嫁の気配りのなさや、嫁に遠慮しなければ息子が怒るなど、、、、、

若いとき聞いた嫁姑の問題は、嫁が義母の顔色を伺いながら生活し、家計を任されるころまで相撲部屋の兄弟子は「無理偏に拳骨」と言われたのによく似ていて、理不尽な要求にも我慢を重ねで仕えている。という話を聞いたのは、こちらも同世代だったためもあるのだろうか。

若い嫁さんの意見を聞いたことがないので分からないが、最近の若い人の言動を聞く限りではマイペースであり、嫁不足がささやかれる中で「嫁に来てやった」と言う意識がありはしないか。

と、なると、いまの姑に当たる我ら世代の御婦人は、上に我慢し下に遠慮するという、一生我慢の生活と言うことになりはしないか。

その点我が家では、気兼ねをする必要のない老夫婦二人暮し、その分自我が強くなって些細なことで喧嘩ばかりしている。しかし、喧嘩するのは決まった相手、いつの間にやら引き際を心得てきて、眠ったらさっぱり流すことにしている。

以前は、二~三日 口も聞かないということもあったが、そんなに気力がいまはない。

とにかく疲れ果てて寝たらお終い。が鉄則とこころえる。

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2014年6月 1日 (日)

左前

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暦の上では今日が衣替えの日である。

万事先例にこだわる官庁では暑かろうが寒かろうが今日を持って夏服にするようである。

しかし、ここ四~五日の暑さは三十度前後で推移し、真夏も顔負けの日が続いている。

かてて加えて、黄砂が舞い散っているらしく富士山はもとより、すぐそばの竜爪山も霞んでしまってほとんど見分けがつかない状況になってしまった。この中に悪名高いPM2,5が混じっていると思うと、、、、、、、

そんなこんなで外出を控えていたら、(怠け癖の口実なのだが、、)西瓜が出てきた    

走りの西瓜ながら実に甘かった。縁側から風を入れながら冷えた西瓜を口にすれば、「今年も生きてて良かった」と実感する。

夏を象徴するものひとつに浴衣がある。

もともとは風呂上りに身体についた水気を取るためのものだったが、江戸時代あたりから夕涼みに着て歩く着物になり、いまでは柄も豊富になってこれはこれで一分野を占めるものになった。

しかし、最近洋服しか着たことのない人が増えたらしく、左前で歩く若い人たちを見て驚くことがある。

二~三年前に雑談中に「浴衣の襟はどっちがまえなの?」と聞かれたことがあったが、いきなりだったのでどぎまぎしてしまった。

旅館に泊まったときなど、そんなことを気にすることなく袖を通していたが自分お体に浴衣を巻きつけるときは左が前になる。しかし、「左前」と言うのは亡くなった人に着せる着方であるし、商売が傾きかけたときには”左前”になると言うからそんな着方をしないはず、、、、、改めて普段どおりに着てみた。

そのときになって初めて相手から見ておくみの右が前になることと悟った。なぜこんな着方が定着したのだろうか。

調べてみると中国がそうだったからとある。軽蔑しながらも苦しめられた騎馬民族たちは弓を射るのに右が前では邪魔になるため左前の服を着ていたのでその反対にしたのではないかとか、、、、、、その中国に憧れを抱いていた日本はその風習をそんぐり頂いたというものであった。

しかし、自分なりに思ったのは、左の腰に刀を差した場合、抜くときに邪魔にならないからではないかと想像した。

古来日本に着物と言うものを着るようになったのは、平安時代の十二単あたりからで、男が着物を着るようになったのはさらにその後ではなかっただろうか、十二単はどっちが前だったのか百人一首で見るしかないが、遅くなって造られた図柄ではそのときの常識で書かれているので本当かどうか分からない。

この辺で止めないと、だんだんにどつぼにはまっていくので、、、、、

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