ヤマボウシ
ハナミズキの花が終わるのを待っていたかのようにしてヤマボウシの花が咲き出した。
白い四枚の花弁の中央に、豆粒のような青い珠をつけている。
この様子から坊主頭に白い頭巾、つまり比叡山などにいた僧兵を模して付けらた名前のそうだ。
この木はハナミズキと違って日本古来の植物であり山野に自生していて、秋の初めころに赤い実を沢山つける。この実が子供のころ貴重なおやつであった。
学校から帰ってくるとカバン(ランドセルなんかではない)を放り出して山に分け入ってみんなには隠しておいた木のところに一目散に走る。後で知ったことだが、この木は水はけが良いところを好むくせに、水気が無いと育たない木だそうで、考えてみれば雪崩などで堆積物がたまったガラ場に有った。
戦後の食糧難のころ山葡萄やアケビ、マタタビなどに先駆けて実るこの実には腹ふくるる思い出を今でも持っている。
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最近「二十五の峰、空たかく」というブログにいりびたっている。
中学を卒業して鉱山の付属の高校の途中から入った栃洞坑の社宅に住んでいた人の子供が、閉山とともに誰もいなくなった栃洞を懐かしみ、思い出しながら作ったブログである。
このブログに同じころ住んでいた人たちがコメントであそこはああだったとか、こっちはこうだったとかと集まって来ていて賑やかにはやしていた。
そこに久しぶりに飛び込んでコメントを入れたらすぐに反応があり、その応対で又返事を書くの繰り返し、、、どうやら、自分よりかなり若い人(といっても五十代かな?)で高校中学を卒業して栃洞を離れた人たちであり、自分は就職して栃洞に上がった身であり、同じものを見ても視点の違いを感じる。
誰しも子供のころのふるさとにはかなり強い愛着を感じ、さらにそのふるさとが廃墟になればなおさらのことである。
いま日本には稼動している鉱山、特に金属鉱山にいたっては片手でも余るほどしかない。
かって、金属鉱山労働組合に参加していた組合員は五万人を越えていた。つまり、それらの人々が抱えていた家族が故郷をなくしてしまったことになる。山川の景色は変わらなくとも、住んでいたところに木が高く伸び、道が草茫々と埋もれてしまっている。
哀れなるかな望郷の念!
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コメント
岡崎在住様
インドへ行っていましたか。
75年卒業とのこと、私が神岡を離れたのは78年ですから、ほぼ同じころ神岡を出たことになりますね。
katubonnのブログは以前見たことがあります。彼は知りませんが、あの人の息子らしいと言うことまではわかっています。
またお立ち寄りください。
投稿: オラケタル | 2014年6月 5日 (木) 17時05分
オラケタル様
もう一つ神岡ブログ紹介致します。ここでの投稿はインド在住。2010年3月より岡崎在住やさ(笑)以上、高校後輩より。(大笑)
http://star.ap.teacup.com/katsubon/146.html
投稿: 岡崎在住 | 2014年6月 4日 (水) 21時57分