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2014年6月10日 (火)

あのころは

012


今年も梅雨の季節に入って八重のドクダミが花を咲かせ始めた。

臭いも葉っぱも同じだが、花弁の数だけが違う。新種なのかと思っていたが、他の地に移植したところ、普通の花に戻ってしまった。

地味の違いなんだろうか、気まぐれに咲いているのだろうか。

ともあれ、子供のころはこの草の臭いが嫌でたまらなかったものだが、いつのころからかそんなに嫌でもなく、最近では好ましく感じて指でつまんでこすり合わせ臭いをかいでいる自分がいる。

歳を取ると清濁あわて飲むと言うが、度量が大きくなったと言うより、鈍感になったのだろうな。

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011

番屋坂から聳南寮の屋根を通して南平社宅を見る。天気がよければ、正面に乗鞍岳が見えるのだが

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自分たちの高校は鉱山の付属の学校であり、入学すると三年生になった時点で高校生と会社員を兼務するという、かわった学校であった。

そのため、高校三年生の春には栃洞坑の抗口に近い聳南寮という独身寮にはいったのだが、そのころは、まだ戦争の尾を引いていて、さまざまな経歴を持つ人たちがいた。

戦争を啓発し民衆を煽ったとか、憲兵だったとかで公職追放になった人、生活破綻者などがすぐに採用してくれる会社と言うことで押しかけてきたらしい。

そのほとんどは、坑内労働と言う厳しい環境にいたたまれず退職していったが、残った人の中にはそんな環境にもめげず残っていて、”天皇”とあだ名された人、”先生”と言われた人、そして、”ガバリ”さんなど等々、、、、

まだ未成年だった自分には人間ってこんなにもさまざまな人がいるということに非常に興味を持ったものである。

また、この寮は戦時中、捕虜になった外人が入っていたこともあってか、トイレが水洗式であった。

水洗式といっても、現在のトイレからは想像しかねるもので、谷に面した一角に10個くらいだったと思っているが、一列の便器がおかれ、その下を水が流れていた。

もちろん仕切りはあるが、一番上以外は下を覗くと前のほうから大便が次々と流れてくる仕掛けであり、最下流のトイレに入った分には、、、それはそれは、口に出せないものであった。

ちなみに、この寮の一日九十五円であり、会社から出勤する人に五円の補助があった。そのため、「今日は休みます」というと、五円分だけ秤にかけて減らした麦飯がアルマイトの椀に入れられて出てきたものだった。

とにかく、最近のテレビでは昭和を懐かしむ番組が増えているが、昭和も40年代に入ってからのことで、この時代を口にするものはない。

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コメント

岡崎在住様
今にして思えば大金だったでしょうが、土地は町の払い下げの場所を入札で、坪8,000円に満たないで手に入れていました。家も100万円満たないお金で建てました。
もちろん設計図は役場の知り合いの職員が内職みたいにして、そして、従兄弟が大工だったので、基礎工事をはじめ、自分と親類、友達がなどが大工の指示の下、素人でも出来る部分は全て手伝いながら建てたものですから、相場よりかなり安く建てたものです。
いまでは、築50年になりますが、雪にも耐えてしっかり建っています。

栃洞ばかりではなかったでしょうが、「柏豆参り」というのがありまして、とにかくつながりを持って昇格したい人が沢山いました。
労働組合の情報を持って、職場委員会で誰それがどう言ったとか、暮れになると家の掃除に奥さんを派遣したとか、、、、、そんな噂が流れたものです。
流したほうは先を越され、悔しかった人のようで、、、、
とにかく、仏様がカンダタを地獄の底から助け出すため蜘蛛の糸を下げたように、柏豆の住人にとっては、一本釣りは面白かったことでしょう。
今でも言えないと思いますが、当時はお世辞の仕方が苦手と言うより言えなくて、、、、

投稿: オラケタル | 2014年6月13日 (金) 16時36分

オラケタル様
おー持家やったんかいな。流石、エリートやね。
36万円の住宅用借金、うーん車の借金のようで
イメージできんな。(笑)

大人のドロドロも、よー判らんな。上下関係の
ことかな。
やっぱオランドコの父ちゃんみたいに小学校卒が何にも
考えんでいいもんで楽かもな(笑)

投稿: 岡崎在住 | 2014年6月12日 (木) 21時36分

岡崎在住様
坂富町は江間町がある神中の一段下にあるところです。
あのあたりは、栃洞からも定年退職した人が沢山降りて来ていて、ご存知なうかもしれませんが、田村、大下、栗本、清水、、、、等々
その一角に小さな家を建てました。
会社が、「利子を持つから住宅金融公庫からお金を借りなさい」と言うことで36万円借りて、月々の返済が1,800円。坑内での賃金一日分でした。
銀嶺会館は、毎月八回映画を見に行きましたし、ここで成人式もやりました。
当時、ここを管理していたのが大津山の同級生浅野○○子の親でしたので、演劇が来ると裏口からよく入ったものです。
栃洞は子供たちにとっては天国でしたでしょうが。大人の世界はドロドロとしていて、まるで芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」みたいなところでした。

投稿: オラケタル | 2014年6月12日 (木) 16時14分

オラケタル様
坂富町とはよー知らんけど夕陽ケ丘社宅の事かな?そら栃洞の社宅が嫌やったんやな。マチがエエわさな(笑)でも銀嶺会館での映画上映とか、有名歌手(笑)が来たりして栃洞もなかなか良かったな。映画は母ちゃんに連れられてよー観に行ったけど、大概途中で眠ってマッタさ。帰り道は覚えとらんのや。(笑)畳が敷いてあったし、冬は床暖房やったし、ホントえかったな(笑)

投稿: 岡崎在住 | 2014年6月11日 (水) 22時57分

岡崎在住様
ご指摘の通りですが、南平購買部や八百屋そして床屋は社宅の陰になって見えません。
牛丸君の家の火事はどういうわけか覚えていません。きっと大きな火にはならなかったのでしょう。
また、番屋坂から公園に行く道も知らないところを見ると、私が、坂富町に下りてからのことのようです。
やはり、住んでいた時期の違いでしょうか。

投稿: オラケタル | 2014年6月11日 (水) 13時17分

この風景はおぼろげに記憶にあるけど、結構、鉱山社宅が連なっとるね(^―^)写真中央の小路は光円寺のところやな?南平購買部は中央右のカーブを曲がって直ぐ左のところやったかな?泉八百屋店が右方向下にあったと思います。そういえば、南平の牛丸君の家が火事になってまって神小に引っ越したな。昭和40年ぐらいの話や。大変やったな。右の山は、栃洞第二公園、第三公園があったな。番屋坂中央ぐらいから公園にいく細い道あったな。ところで聳南寮に水洗トイレがあったとは。。カリフォルニア州のサンディエゴのVogler さんもきっと使ったんやね(^―^)

投稿: 岡崎在住 | 2014年6月10日 (火) 23時09分

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