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2014年7月31日 (木)

おろおろとは歩かない

近頃は何でも涼しいうちに済ませておこうと思って早起きをしている。

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涼しいうちといっても、最低気温が二十度を下回ることもなく、今朝だって二十三度もあった。

クーラーを切って室温の上がった寝床を四時半に抜け出し、外にでるとそんな気温でもかなり涼しく感じ、そのまま散歩と称して麻機の池を一周してくる。

その途中立ち寄って蓮根畑の蓮のつぼみ。ポン!と開くはずもないことは分かっていたが、、、、、、日の出前に赤く焼けた東の空を背景に「ひらくといいなぁ」とばかりたたずんでみていた。

約5kmほどの散歩は、日の出時刻をはさんで小一時間、下着は汗まみれ、早速シャワーを浴びて顔を洗い歯を磨く。

ご飯の後は気になっていた蓮根畑の畦の草刈りに行ってきた。

こちらも約一時間半が限度で帰ってきて再度のシャワーで汗を流す。それでも時計は九時半にしかなっていない。

しかし、今日の仕事はこれまで、暑さの夏は家の中ぐうたらぐうたらと過ごす。宮沢賢治のように”おろおろとは歩かない”。

だって、この歳になって熱射病で救急車はみっともない。

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2014年7月30日 (水)

さらに暑くする

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029風もなく蒸し暑い夏をさらに暑くするクマゼミの集団。

池ヶ谷、バイパス下の木々にクマゼミがシャシャシャと連続して鳴き続けている。

日によっては、職業性難聴で耳の奥に一匹のセミを飼っている自分にとっては、耳鳴りにセミの声が加わって、何にも聞こえない感じがしてしまう。

夏休みに入って子供たちは蝉取りに夢中になってこの森にやってくる。

しかし、最近の世相は子供だけで遊ぶのは危険と見たか、親もついてくる。

結果的には、蝉の捕獲まで親がすることになり、子供は一様に「楽しかった」と棒読みの感想を言う。

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2014年7月29日 (火)

草を掻き分け ここに我あり

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”サフランモドキ”の花が回りの草むらを掻き分けるようにして顔を覗かせている。「私はここにいますよ」って言わんばかりにして、、、、、、、

サフランモドキ以下にもこれは偽物って言わんばかりの名前が付けられているのは何だか可愛そう過ぎて気の毒だ。

淡いピンクの花は、姿が似ているものの花の色は紫がかったサフランとは少し違う。植物の種類としてもサフランモドキはヒガンバナ科に対して、サフランはアヤメ科というから神様も手抜きをして、似たような格好を作り上げたようだ。

ただ、この花は結構生命力が強く、写真のように雑草の中でも負けることなく成長し、ほかの葉っぱをこじ分けてでも花を空に向けて自己主張する。

我はここにあり 青い空」と。

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今日は土用の丑の日であり、日本ではうなぎの災厄の日でもある。

そのうなぎが近年何かの理由で減り続け、絶滅危惧種に入ってしまった。

そのむかし、天然うなぎしか食べられなかったころは、めったに口にすることが出来ない魚であったが、近年になって養殖技術が進歩してからは、値段も下がりいつでも誰でも食べられるようになった。

しかし、それが仇となって、産卵に戻るうなぎの激減が絶滅危惧種になったのではないかといわれている。

大体世界で取れるうなぎの七割が日本で食べられていいる。と言うこと自体が異常である。と言うことに気がつかなければならない。

黒マグロや北海道近辺の蟹にしてもそうだが、日本人が食べかけるといずれも数を減らしていくと言うことは、食に関して日本人の性癖が自然に対しておかしいのである。

もともと、この時期のうなぎはあまり美味しいものではなく、江戸時代にはあまり食べる人もいなくて、困ったうなぎ屋が平賀源内にキャッチフレーズを書いてもらったことがはじめだと言う説が有名である。

それが本当だとすると、江戸時代のキャッチコピーにいまだに振り回され、店先で行列まで作って買い求めると言う風習はもういい加減に止めたらどうだろうか。

うなぎに頼らずとも栄養価の豊富な食べ物を十分に取れる時代になっている。もっと近代的なキャッチフレーズでうなぎ離れをしなければ、、、、、

もっとも、絶滅危惧種になって国際間でうなぎの取引が規制されれば食べたくても食べられない時代になってしまう。 

そんなことを書きながら、今晩の食卓にはうな丼がでてきた。「ここにも我あり、うな丼ひとつ」と

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2014年7月28日 (月)

元気はどこに

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おなじ富士山でもお国自慢が入ると、静岡県と山梨県で、こっちのほうが表だの、こっちの方が奇麗だのと言い合ってしまう。

同様に長野県内から見る浅間山もここから見る景色が一番というところがいくつかある。

そのひとつに東御市の明神池の傍から見る浅間山がある。千曲川をはさんだ反対側にあって、浅間から菅平にかけての稜線が、さえぎる物ない全景をみせて浮かび上がる雄大な景色である。

そして、この全景が見える小さな丘が「元気百倍の丘」だという。雄大な景色を見れば、小さな悩み事など吹っ飛んで元気がもりもりと沸いてくるという意味だろうか。

しかし、今回は夏場に多い朝霧と霞で二日とも見ることが出来なかった。

かわって、豊作のジャガイモがそれを補ってくれたのだが、帰ってきてから静岡のじめじめとした暑さが”元気の元”を覆いつくし、外にでるのを億劫にしてしまう。

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人それぞれに快適と感じる温度と言うものがあるが、どうも、生まれ育った土地の温度が大きく影響するとのことである。

自分なんかは、飛騨の山奥で育っている関係で、めったに氷点下まで下がらない静岡の寒さは苦にならないが、夏の蒸し暑さには早くから参ってしまう。

先日、ジャガイモ掘りに行った立科町も同様で、ユンボを使って芋ほりを手伝ってくれた義弟も、九時を過ぎて気温が30度に達しないうちから音を上げていた。

それを見た義妹がいうことに露天の農産物直売所に行って「今日は暑くてたまんないね」と言っていたら、他県ナンバーの車から降りてきた女性が、「やっぱり信州ね、爽やかで涼しい」と、まったく反対のことを言っていた。と笑って話していた。

帰ってきてから三日、やっぱり涼しかったかの地が懐かしい。早く避暑休みを取った報いが来ている。

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2014年7月27日 (日)

物忘れが

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生い茂った茗荷の根元に茗荷の花が咲いている。

葉っぱを重ね合わせたような花包から淡い黄色の一日花を生み出すようにし咲かせているがいかにも頼りげのない花である。

自分はこの茗荷が好きで、よく茗荷畑を掻き分けて採ってくるが、じめじめとした根元を探っていると必ずと言っていいほど蚊にくわれる。

茗荷は食べたし痒いのは嫌だ。しかし、薬味としてそうめんに細かくきざんで入れるなり、味噌汁の具にするなり食べ方はさまざまあるが、食べて感じるしゃきしゃき感と匂いが好きか、そうでないかで決まる味であろう。

茗荷は古来食べられてきた食物であるが、実はならない。つまりは三倍体といわれる植物で、古いむかしどこからか日本に持ち込まれた植物だと言う。

そして、いつのころからか茗荷を食べると物忘れをする。と言われてきて、落語にもその物忘れを題にした「茗荷宿」と言うのがある。

ちなみに我が家の家紋は”抱き茗荷”であり、その紋所にしたがって近年物忘れが激しくなり叱られてばかりいる。

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またしても中国の食品工場で不祥事があり、テレビを賑わしている。

腐った肉や床に落ちたミンチを拾い上げて容器に戻すなど、地元テレビ局が内部告発を受けて、隠しカメラで写した画像は、怒りより、驚きの一言であっけにとられている。

この映像からこういう工程を踏んでいる工場は一社だけでなく、ほかにもたんとあるに違いない。

さすが、四つ足は机以外なんでも食べるといわれる国だけのことはある。

しかし、一番不思議に思ったのはこの肉を使っていたマクドナルトやファミリーマートが「ただ唖然としている」と言う記事であった。

しかし、一番唖然としているのは、消費者であろう。幸いにしてと言うかマクドナルドやケンタッキーフライドチキンをまだ一度も食べたことのない自分は知らないのだが、この肉の生産地表示はどうなっているんだろうか。

中国製と分かってて食べていた?

それにしても、膨大な量の食材を購入しているにしてはあまりにも杜撰な管理体制、中国の食肉会社を視察するとき、前もって視察日を通告すると言うやり方では隠蔽を見つけることは無理であることくらい分からないのだろうか。職員を一人くらい常駐させるくらいの費用はでてくるはずであろう。

突き詰めて言えば、鶏を飼っているところまで調べてみたうえで、食品の安全を確保しなければならない。

食品の大企業と言うネームバリューに騙され、当然安全な食べ物と思っていた消費者がしっぺ返しをしなければ、こういう問題は次から次へとでてくるに違いない。

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2014年7月26日 (土)

床屋談義から

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うつぼぐさの紫の花、唇形の花を花芯から四方に突き出して咲いている。

どこにでもある花だが、朝もやの立ちこめる道端に咲けば、何とはなしに由緒ありげに見えるのは、朝の涼しさが肌身に伝わってきているせいかもしれない。

うつぼ草の名前の由来は、矢を背中に背負って歩くときの入れ物で、丸い形状が花芯の筒状の部分に似ているからで、けっして、海の底に住む怖い顔をしたウツボから来たものではない。

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今日も暑かった。

各地で35度越えの猛暑日になり、熱中症で死者も出ていると言う。

午前中に、長野から持ち帰ったジャガイモ、プルーン、そして、トウモロコシを配って歩いたが、さすがの午後は家に閉じこもって昼寝を決めこもうと思っていたが、汗が吹き出て体中ねっとりとしてしまい、五月に行ったきりになっていた髪の毛が自分でも分かるくらい汗臭くなっていることに気付いた。

そうなると、横になっているのもいたたまれず、床屋に行ってさっぱりとしてくることを決めた。

そこで、またしても床屋談義。

自分より後から入ってきた八十代と思われる御仁、いきなり「こないだ、寝ている間に熱中症になり、救急車に乗ったよ」という。

なんでもクーラーが嫌いで、入れなかったのが悪かったそうだが、本人は寝る前はそんなに暑いとは思わなかったそうで、夜中に気分が悪くなって病院に行ったのだが医者に言われるまで熱中症とは思っていなかったという。

「ふーん、すると自分なんかももうすぐそんな年頃になるのだが、、、、」と家に帰ってきてから連れ合いに話したところ、「もうとっくにそうなっているよ」と、冷たくあしらわれた。

なんでも、先日長野に行った折、みんなより先に寝付いていた自分が、布団をこんもりと被って寝ていたそうで、そんなに寒くなかったのに「どうした加減?」と不思議に思っていたという。

「あれはね、、、」と言おうと思ったが口をつぐんだ。

なぜなら、、、うかつに理屈を言うと倍返し以上の災難が降りかかるから

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2014年7月25日 (金)

グットタイミングの避暑

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長野は東御市 明神池のすぐ傍にあるロッジで今朝方まで過ごしていた身にとって、静岡の暑さは蒸し風呂のような気がしたが、豊田市に住む弟夫婦はもっと気温が高かったようで、「思わずへたり込んだと」電話があった。

”梅雨明け十日は雨知らず”と言う言い伝えもあるが、この時期一番暑さが身にこたえる時期でもある。

その時期にタイミングを合わせたかのようなジャガイモ掘りは、一種の避暑にも通じりものがあり、赤松林の中にたたずむロッジは、朝霧の発生する朝は肌寒さを感じるくらい冷え込んで心地よい。

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002四月に種を植え、六月に草むしりをしたジャガイモの蔓も枯れたので、「芋ほりに来い」という電話で出かけたが、ジャガイモを植えた立科町もかなり暑く、この辺の人は日中動かないよと言うので、実際に芋を掘り出したのは二十三日になってしまった。

しかし、暑さ嫌いの義弟は、五時に起きて前日用意しておいた食事もそこそこに畑に出ると言う。

草だらけになった畑は、朝の涼しさで草の葉さきは露だらけ、たちまち膝から下が濡れてくる。

芋ほりは、例年のように義弟がユンボで掘り起こし、バケットをガタガタとゆすって土を落とすとジャガイモが顔を出すのでそれを拾い出すのが自分と弟の仕事。

連れ合いたちは、拾って籠に入れたのを、近くに止めた軽トラックの荷台に置いたりんご箱に移す作業と分担して行った。

「今年はジャガイモの当たり年」と言うのはその日の夕方、近所の日帰り温泉で聞いたのだが、そんなことを知らずに掘り出した、”北海道ピリカ”と言う品種の大きいこと大きいこと、長さが20センチを越すジャガイモと言うより、白いサツマイモと言った感じでごろごろと掘り出され、「こんな芋見たことない」と、一同あきれるやら喜ぶやら、、、、、日が高くなって暑さがこたえ始めた九時過ぎには、りんごのコンテナ八杯分が収穫され、これで午前の部終了と言うことになった。

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2014年7月22日 (火)

梅雨も開けたで

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その名前の良さから正月の縁起物に喜ばれる”万両”。

このほかにも千両、百両、十両とあるが、姿や色合いからその頂点とみなしたようだ。

その実を作るために咲かせた花が、いま最盛期を迎えている。直径7mmほどの小さな花を幹の付け根で咲かせているが、上の葉っぱが直接太陽からさえぎるようにして上からは見難い位置にある。

日焼けを心配しているのだろうか、よく見ると小さな花びらや蘂に小さな斑点がプツプツと、、、、、

しかし、受粉をしやすい花らしくほとんどが暮れには真っ赤な実になっている。.

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昨日午後になって「東海地方の梅雨が開けた模様」と気象庁がおずおずと発表した。

もし、予報が外れたら、と言うことではっきりとした発表でないのは、オヤクニン特有の責任を取りたくないという心情の現われか。

その梅雨開けを待っていたかのように、義弟からジャガイモの蔓も枯れたから採りに来たら?と言う電話があり、出かけることにした。

今朝の空は晴れ渡りこれからの蒸し暑さを予感させる。早速信州へ避暑がてらに出かけることになった。

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2014年7月21日 (月)

ねじべえ

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ネジバナ。茎がぐるぐると縄をよったようにねじれ、、そのぶぶんに花が咲くものだから小さな桃色の花がクルクルと巻き付いたようにして咲く。

ねじり花ともいうそうだが、そのねじり方は右巻き左巻き、途中で変わったものなど、さまざまなねじり方をしているのはどうしてだろうか。

人間では、左巻きなんていわれるとチョット頭に来る向きも多いが、だいたい半々にこの巻きかたが分かれているとなると別に苦にする必要もないし、「個性ですから」とすまし顔でいえる。

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「ねじべえ」この文字で検索してみたら飲み屋など食べ物屋の名前になっているだけで、予想した解釈は全然ななかった。

飛騨では、「あいつはねじべ~だから」というと、人の意見に素直に従わず、一ひねりをして話しを壊す人を言う。

もちろん、感情で反対するのではなく理屈が通らなければならない。

とくに、会社のお偉いさんや町内の有力者などの言うことに、この”ねじべえ”の真価が発揮され「そやけどな~、、、」が始まれば、普段意見が言えない立場の人は心の中で喝采する。

ねじべえがこのように、理屈をこねられるようになるのは、冬の夜長をあちこちに家に集まって、酒酌み交わす間にかもし出されるもので、その習慣が少なくなってくると、飼いならされた犬のようにおとなしく権威のあるものの言うことを聞くようになる。

最近では、酒酌み交わし人と対面で話し合う場もなく、”ねじべえ”はほとんどいなくなった。

権力に反抗する”ねじべえ”は写真のように霞み、絶滅危惧種入りも間近になることだろう。

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2014年7月20日 (日)

浴衣で踊るかのよう

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昨年安倍川の土手から持ってきた川原なでしこ。別名を大和なでしこというが、名前の由来は、頭をなでた可愛い子と言うところから来ているという。

この花は、古来歌に歌われるなど日本人に愛されてきた花であるが、その元はこの花の色にあるのではないだろうか。

長い茎の先に薄桃色の花を可憐に咲かせて、ゆらゆらと風に任せたゆれ方は浴衣を着た女の子が、舞い踊っているかのように見える。

しかし、儚げでありながら、生命力の強い雑草に混じって絶えることなく毎年花を咲かせる生命力の強靭さもむかしの人は見ていたのだろうか。

小柄な日本女性が、背の高い欧州勢に立ち向かう女子サッカーにその名を冠しているのはもっともなような気がする。

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今年は、マレーシア航空にとって最悪の年となっている。三月の行方不明機はいまだに何の解明も出来ていないところに持ってきて、今回ウクライナ上空での墜落はまことに残念な出来事である。

新聞記事などによると、ウクライナ国内での内紛から、親ロ派といわれる組織がミサイルで撃墜したとの疑いが濃厚である。

これに対して、親ロ派と言われる団体は自分たちはそんな兵器を持っていないとし、後ろ盾になっているロシアはでっち上げであると国内向けに放送をしている。

しかし、墜落した飛行機の残骸や亡くなった人の捜査や調査を親ロ派が妨害していることや、これまでにウクライナ軍の航空機が何機か親ロ派によって撃墜されており、航空機を持たない親ロ派に対してウクライナ軍は対空ミサイルを撃つ必要もないことから、ロシア側の主張は説得力がない。

どの戦争でもそうだが、国や軍は国民に正直なことを説明したがらず、自分たち組織に良い状況を嘘を交えてしか発表しない。

日本でも安倍内閣になってから秘密保護法や憲法解釈の変更を進め、民主国家から内閣に都合の良い戦争中までの全体国家に戻そうとしている。

五十歩百歩なのかも知れないが、アメリカでもイラク戦争の折に、ブッシュ大統領は有りもしなかった化学兵器や原爆などが有ると国民を欺いて火蓋を切ったが、それでも、ロシアや中国が行っている報道規制や一党独裁に比べれば、、、、まだしも、といって良いのか悪いのか?

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2014年7月18日 (金)

今日もごろごろと

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今日も気温は高くなるというので早朝散歩に出かけてみた。

日ごろは池の水面をひらひらと優雅に飛び交っているチョウトンボも疲れているのか、竹杭の上で静かに羽根を休めていた。

これまでは羽根の上から見ることが多く、太陽の光線を反射して金属光沢の羽根しか見ていなかったが、早朝の高曇りの下だったため、メッキのはがれたブレスレッドのような雰囲気になっている。

よく言えば白と黒のシックな装いなのだが、寝ぼけまなこのようなこの時間では生気がなく、カッ!と照りつける太陽で目を覚まそうとしているのだろうか。

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十五日(一昨々日)は先日亡くなった従弟の霊前に行ってきて360km、十六日は岐阜の同期会に出席のため70km、そして、昨日は岐阜からの帰りに220kmと高速道路を中心に走り回った。

自動車道は何度も走っているのでそうでもないが、下道はカーナビのない車ではかなり神経を使う。

頭の中で地図を組み立て、太陽を見、川の流れを見ながら今北のほうに走っているとか、西に向かっていると確認しながら走る。

知らない道は、あまり余所見も出来ないし、これが結構疲れの元になる。

そのため、今日は散歩と畑に行って、お化けのようになったキュウリを収穫した以外、家の中でごろごろと、、、

それでも、同期会の写真を仕上げなければとがんばってみた。

たぶん、竹の先端に止まったチョウトンボ同様メッキのはがれたような顔をして

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2014年7月17日 (木)

おもしろうて やがて

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おもしろうて やがて悲しき 鵜船かな

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いまから326年前、芭蕉がこの有名な句をつくった。

その光景が目の前に繰り広げられている。

その光景を見落とすまいと、長良川河畔の「杉山」という宿の一室に集まった同期生は窓を開けて、眺めている。

その下に潜りこみ、ぶれないように窓枠にカメラを固定し、カメラのレンズを鵜船に向けてシャッターを切る。

川幅は100mをを越しているに違いなく、鵜船までの距離は4~50mほどあるため、肉眼では暗い水面をすべるように下ってくるかがり火しか見ることが出来ない。

一艘また一艘とと降っていった鵜船はまた遡り、今度は横一列のになって一斉に下る総がらみを目の前の川で繰り広げる。

その時間、わずかに三十分ほどか、何だかあっという間に済んでしまうはかなさ、高名な人の演説同様長々と話すより、この時間がいいんだろうな。

今日この会場に来る事ができたのは、三十人いた同期生のうち十人である。

今年のうちにすべてが後期高齢者になる年齢を迎えて、鬼籍に入ったものはすでに七人、病いがちで来れない者もいるなかで、これでもよく集まったほうである。

久しぶりの会合は、気分が高揚しアルコールの量がすすむ、楽しい酒である。

この夜は、十一時過ぎまで盛り上がった。

老人は朝が早い。五時前から起きだして、朝風呂に行きたがる。

白々と明け染めた川原は、昨夜の鵜船と幾艘も出ていた屋形船もなく静まり返っている。

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われらの同期会もお別れの時間が刻々と迫ってくる。玄関前で記念の写真を写して、四方に散っていく、、、、、、

おもしろうて  やがて悲しき  どうきかい

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2014年7月14日 (月)

不快指数はどこいった

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朝方に降った雨は、その後の天気をより不快にした。

地面に吸い込まれた水気が真夏並みの太陽に照らされて、蒸発していたようで、体感温度は気温以上に暑く感じられた。

しかし、この暑さを喜んでいるものもいるようで、先日の雨で流れてきた藁などのごみ(?)の間にナミアゲハが口吻を差し込んで何かを吸っていた。

それも、あちこちに何頭もいた。たぶん、雨に流されてきたミネラルが今日の暑い日ざしで蒸発でもしていたのではなかったのだろうか。

そんな風に思い込みかも知れないが、人が近寄っても逃げられないほど魅力的なご馳走が埋まっているんだろうな。

そういえば、”不快指数”と言う言葉をこのごろ聞かなくなったのはどういうことなのだろうか。

ひとっころ、テレビや新聞には80とか90とか言って載っていたものだが。そういえば、不快指数というのは天気ばかりでなく政治にも使って欲しいくらいなのに、、、

泣き喚くだけで何の説明もできない県会議員やセクハラ野次を飛ばす議員さんたち、自分勝手に憲法解釈を進める首相、それを止めることができない国会議員など、、、どんな計算方法があるか判らないが、数値だけははっきりしている。

100以上の数字がでてくるはずだが、、、、、、

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2014年7月13日 (日)

むかしを思い出し

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草と言う字は草冠に早いと言う字でなりたっている。

その字の通り、この時期の草は育ちが早く、人通りの少ない道は、あっという間に草茫々となって雨の後などは歩くことが出来なくなってしまう。

畑の草むしりというか、根ごと草抜きは三日にあげず抜くしかない。

最近は除草剤を撒くのが手っ取り早いのだが、農薬同様それでは自家栽培をしている意味がなく、青虫つぶしを含めてすべて手作業でするのは、「安心して食べられる」と言う一点にかかっている。

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今年になって、久しぶりにNHKの朝ドラを見ている。「花子とアン」なのであるが、その前にやっている「カーネーション」もあわせるようにして見ている。

このドラマ、一番最初から見たわけではないが、見だしはじめは花子の少女時代を映した、子役の演技が上手だったのと可愛かったことにある。

最近の子役は本当に上手で、むかしのような台詞の棒読みもなく、演技も自然でである。

これは、選抜された子供が早くから演技指導を受けてきたことでもあろうが、むかしなら天才少女の名を欲しいものにしただろう。

同じく天才少女といわれた美空ひばりの演技を上回っていることは時代が違うとはいえ確かだ。

もうひとつ、このドラマに入り込んだのは、生まれ育った山梨の家の様子、と父親役の人が行商であちこちと歩き回っていたことにある。

家の様子とは、板の間に”へっとり”と言って藁のむしろ暑くした敷物と”箱膳”に懐かしさを感じた。

これらは、自分たちの小さいころ昭和30年代初めのころまで、飛騨の百姓屋では普通に見られた光景だし、自分の父親もそんなに遠くまではなかったが、”山の村”と言う集落を中心に行商をしていた時期があった。

しかし、ドラマのほうは、花子も成人し恋をする時期になり、深くは知らないが「白蓮事件」のほうに移ってからは興味が薄れてきて、、、、、、、

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2014年7月11日 (金)

葉っぱの上でコロリコロリと

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昨夜来の台風はなんだかあっけなかった。夕方から十時ころまで時折激しく降っては見たが、断続的な上、時間も短かった。

さらに風もいつ吹いたのというくらい穏やかだったため、今日の青空は”台風一過”というには湿気が多く少し感じが違っていた。

台風の目は東海地方に上陸することなく通過したが、朝のテレビでは中心部に雲もなく雨も降っていなかった、「こんな状態でも台風って言うんだろうか。」と言う気がするほど変な台風だったのは間違いない。

そして、気温は、三十五度にもなると言う予報のため、早朝散歩に切り換えたが、台風の後だと言うに風も無かったためか、蓮の葉にはまあるい水玉がころころところがっていた。

むかし、蓮の葉にたまった水を擦って墨にし、習字を習うと字が上手になると聞いたことがあるが、周りには蓮田のないところで育ったため、悪筆はいまだに続いている。

蓮の葉の上で水玉がころころと転がるのは、葉っぱが超撥水構造だからといわれているが、切り取った葉っぱの上に酒を載せ、切り口から吸い取ると言う象鼻杯は聞いてはいるがやったことはない。

聞くところによると、葉っぱの中心に小さな穴を開けるそうで、、、、、、そうでもしなければ茎を通して入りようもないはず、、、前々からやってみたいとは思いつつ、何だか滑稽すぎるという気もして実行に移せないでいる。

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2014年7月10日 (木)

またも起きた杉の植林

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今日の天気予報は降水確率90、湿度も90とでていた。

しかし、どうした風の吹き回しか八時過ぎに厚い雲のそらに穴が開き、一瞬だが陽が差し込んできた。

この機を逃しては、今日も一日中ごろごろとして過ごさなければならんだろうとばかりに散歩に出かけた。

もちろん、不意の雨に備えて折りたたみの傘を持って、、、、

幸いにも散歩のあいだじゅう傘を広げること間なくて済んだが、湿度90のほうは予報どうりだったらしく、10分もしないうちにシャツの表面に汗が吹き出、乾く気配もなく染みのように濡れだした。

九州の西で足踏みをしていた台風8号、中心部から遠く離れたところに豪雨をもたらし、昨日は長野県で土石流を発生させ死者まで出すに至った。

この場所は土石流が起きる可能性がある場所だったらしく、監視カメラが設置され流れてきた土石流を克明に映し出していた。

専門家と言われる学者さんのコメントでは、「ここの地層は、花崗岩の風化した地層なので染み込んだ雨水が崩壊をおこさせた」と淡々と言っていたが、自分はいつものように上流の杉の植林が原因であるように思っている。

最近、採算が合わないということで杉の木の手入れがなされていない。そのため、杉の木の根元付近には下草も生えず、表土が流れてがさがさの砂礫になっていることが地すべりの原因になっている。

長年地すべり防止工事を静岡でして来たが、そのほとんどは杉林であったことがそんな感じをさせる。

また、植林された杉林は、根が浅く一メートルとは地面に入っていない、山肌が荒れて水を通しやすくなっている斜面に浅い根っこでは、簡単に滑り出し、土砂と一緒に流れ出た丸太はさらに被害を拡大させる。

このことは、誰にでも良く分かるはずだが、植林を奨励した国とか自治体におもんばかってか、学者さんは天災のように片付け口にしない。

災害の原因を天災にして、植生を改良しなければ、台風のたびにこの災害は続けられることだろう。

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2014年7月 8日 (火)

お茶でも

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真っ赤だが小ぶりのダリア、この色は虫にもアッピールすると見られる、入れ替わり蝶がたちよる。

いまどきの若い衆はどんな恋愛をするか知らないが「ヨー彼女 お茶でもしない?」と言ったかどうか。

たちまちにして恋が成就したようで、メスのモンシロチョウは亜茶しながら受け入れ態勢を取っている。

男女7歳にして、、、と言う風潮が残っているころに育った自分たちは、思春期になっても女の人との交際の仕方がわからず、なにを話して良いかさえ悩んだ。

自分の思いを打ち明けるにも引っ込み思案で、ちょっとでも嫌われているなと思ったら、話をする前に身を引いてしまった。

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先日NHKのテレビでストーカーが相手を傷つけたり、最悪殺してしまうところまで行ってしまうことに対する番組をやっていた。

以前からこういう種類の犯罪はあったには違いないが、そんなに多くはなかった。それが、警察に相談される件数が2万何千件とかあると聞くと、日本人も変わってきたなと言う感が強くする。

嫌われた相手に何百回となく電話やメールを入れ、懇願して縁りを戻そうということ自体がさらに嫌われることなのだろうし、たとえしぶしぶでも承諾してくれたとしても、その先うまく行くとは思われないのだが、、、、どうしてその辺のところがわからないのだろうかと、、、、

とにかく、カウンセラーが聞き出した加害者側の言い分は、あまりにも自分本位であり、終いには被害者が警察に通報したり、応じようとしなければ、害を加えてやるとまで言い出していた。

そして、結論としていっていたことは、これらの人々の多くは、幼いときに虐待を受けていた人に多く、捨てられたときの不安がトラウマになって残っているようだ。といっていた。

本当にそれだけなんだろうか。そんなことを言っていたら自分たち世代には、戦争孤児が沢山いたし、いまでなら、虐待と言われるような行為(頭や身体を叩かれ)を受けながら過ごしてきた人が多い、、、、、、、

どうも精神的に未熟と言うか、未発達の人が多くなっているような気がする、

その原因は、親子ともども周りの社会から干渉を受けることがなく、「世間様に笑われることはするな」などと言う社会性がなくなったせいではないかと、自分なりに思っているが、、、、、

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2014年7月 7日 (月)

笹の葉 さらさら

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”笹の葉さらさら 軒端にゆれる お星さまきらきら、、、、”

七夕祭りは中国から 織姫彦星の伝説と共に入ってきて、千年以上は子供たちの夢にして語り伝えられてきた。

昨夜来の激しい雨も午前中で終わり、夕方にはきれいな夕焼けが銀河の逢引を久しぶりに見せてくれるのを予想させた。

しかし、半月が中天に懸かった今になっても織姫彦星どころか銀河さえ見ることが出来ない。

どうも、地上からのスポットライトが強すぎて、でて来られないようだ。

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今日もテレビは九州地方の豪雨を伝えている。

いまからちょうど40年前、静岡では七夕豪雨と言われる大雨に見舞われ清水から静岡北部を中心に大規模な浸水被害をもたらした。

先日、散歩中に出会ったお年寄りから聞いた話では、その人の母親が夜中に小用に起き、窓の外を何気なく見たところ、普段川下に流れていく芥が反対に行くので、話してくれた息子のところに来て「川が逆さに流れている」と言ったところ「何を寝ぼけているんだ」と言われ、それもそうかなと寝たところいきなり床上浸水で起こされてしまった。と笑いながら言っていた。

自分は、この豪雨から四年ほど経ってから静岡に来たのでその被害の状況は見ていないのだが、引越し早々電柱の背丈に近いところにここまで水が来たと言う表示があり、「やれやれひどいところに来たものだ」と思ってしまった。

そのことを話すと、周りの人たちは「百年に一回あるかどうかの雨だったから、あと百年は大丈夫」と慰めともなんともつかない言葉で応じてくれた。

それからしばらくして、浸水表示はいつとなしに消えてしまった。なんでもこの表示があると土地が売れないという不動産屋の圧力があったと言う噂さえあったのだが、、、、

それから四十年、十年ひと昔と言う伝からいうと四むかし、世代も代わって大雨のことを知らない世代が増えてきた。

「災害は忘れたころにやってくる」とか、異常気象の多い昨今、忘れなくてもやってきそうである。

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2014年7月 6日 (日)

ハーブの蜜を吸って

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薄荷の花に掴まって蜜を吸っているキタテハ蝶、強い葉っぱの匂いのため花の香りは、鼻を近づけても分からない。

せっかくの食事中なのに、無作法な人間が鼻を突き出しているのを見て、あきれ果てたような顔をして蝶は飛んでいってしまった。

最近、脱法ハーブなるものが蔓延して、交通事故で痛ましい犠牲者が続出している。

なんでも香草(ハーブ)に化学薬品をまぜたもので、癒し効果があるといううたい文句で麻薬を堂々と売っているそうだ。

その中で薄荷も立派なハーブであるが、その香りは子供のころからおなじみで,飴に入ったり、ガムに入ったりで自分たち古い人間もよく親しんできた。

純粋なハーブには幻覚作用など起きないので、薄荷につかまっていたキタテハもいつもどおりの飛び方で去っていた。

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2014年7月 5日 (土)

虫の知恵

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午前中のひと時激しい雨に見舞われた。

近状の屋根に降り注ぐ雨はまさに篠つく雨という言葉がぴったりと当てはまるような勢いであった。

004そんななか、一頭のナミアゲハがオダマキの実につかまっていた。

垂直につかまったまま見ているだけで一時間以上微動だにせずつかまっていた。

普段ならこんなに長く同じ姿勢をとることもないし、花の蜜を吸っているときは時折羽を開いたり閉じたりをするのだが、、、、、

しかし、考えてみるとこの姿勢が一番雨に打たれない形であろう。

今日のような激しい降りは、小さな昆虫にとって見れば、雨粒ひとつ直撃を受けただけだ、致命傷になりかねない。

いわば、”虫の知恵”といったところか。

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2014年7月 4日 (金)

ルリヤナギ

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ルリヤナギの花が咲くあぜ道。

花に焦点を当てれば、背景の稲が若緑一色になって映える。

この花は、南アメリカが原産だと言うが、月下美人などとともに現地では見たことがない。

ただ、この花は古く江戸時代に入ってきているようで、別名を琉球柳とも言われているそうだから、海外から来た植物に南蛮とかカンボジア、唐など経由地を頭につけて日本名をつけていた。

木の種類としては、茄子科に属しており花の形色合いはナスの花によく似ているものの、葉っぱの形が細いところから柳の仲間と見まちごうたようだ。

木の性質は割りと強靭で、前に選定と称してかなり短く切ってみたが気にする風でもなく次の年も枝を伸ばして花を咲かせた、、、、、そして、伸び放題に伸びて矯正の効果は全然なく、束縛されるのを嫌うところがすばらしい。

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2014年7月 3日 (木)

いまが伸び盛り

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天気予報はしばらく続いた梅雨の中休みがおわり、大雨に注意を促している。

このところ、蓮の畑に足を向けていなかったので、大雨のまえに様子を見ようと出かけてみた。

成長力のはやい蓮はすでに一メートルを優に越え、昨年掘り尽した場所にも根を伸ばしているらしく少し遅れてはいるがすくすくと円形の葉をたてている。

そして、蓮の葉の下を透かしてみれば、カルガモが雛を連れて浮き草を食べさせに来ている。

このような場所は、鷹などの猛禽類から雛を守るのに好都合だし、同じカルガモながら他人の子供には容赦のない親鴨との接触も防げると踏んでいるのだろう。

とにかく、カモも蓮もいまが伸び盛り、適当な雨を待っている。

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今日もまた典型的なお役所仕事に腹を立てている。

静岡市では、このたび「臨時福祉給付金」なるものを支給すると手紙をよこした。

こんなはなしはいつ決まったのか知らなかったので、振り込め詐欺のひとつかと、慎重に封を切り中身を読んでみた。

すると、市町村民税の課税が均等割りでもされていない人でないと受給できないと書いてある。

さらに、生活保護の被保護者も駄目だと書いてあった。

どのくらいの家にこの手紙を送付したかは分からないが、我が家に来るくらいだから沢山の家庭に送ったに違いない。こんなことは税務課や福祉担当に連絡すれば納税状況、生活保護状況が分かり、その分を減らせば、封筒一枚82円として、かなりの金額になっているのではなかろうか。

50年ほど前になるが、自分の父親が亡くなる少しまえに税務課から「均等割り」の税金督促状が来たときに税務課に行って文句をつけた。

「ここ二年ほど病気で入院している人に収入があると思っているのか」と、、、、そうすると、即座に取り消したので、再度抗議したことがあった。

役所では「どうすればよいのですか?」と困った顔をして聞いたので、抗議したからといって調べもせずに取り消すようなやり方が気に入らん、、、、、、

若気の至り

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2014年7月 2日 (水)

天地に毒気みつる

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今日は夏生。梅雨末期、天地に毒気が満ち、半夏という毒草が生じる日という。

カラスビシャクがその草だと言う説もあるが、その名をそのまま使った草が写真の花である。

葉の一部をこの時期に白くし、房状の花とあわせて目だ立たせている。

どうやらこちらは、白粉で半分化粧したと言うことから、”半化粧”とも書くと言うから、もともとはこちらが本名だったかもしれないが、ちょうどこの時期に花を咲かせることから、付けられたもので、決して毒草ではない。

ともあれ、高温と湿気で食べ物がすぐに腐ってしまうこの時期は天地に毒気が満ちていることは紛れもないことである。

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2014年7月 1日 (火)

ため息をつきながら

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あっという間もなく今年も前半を終えてしまった。

国境同様、人間が勝手に決めた線引きなのだから、決めた人間にも前半後半の区別は見えない。

しかし、庭の片隅からクチナシの花の香りが気温30度にもなる風に乗ってかすかに漂ってくると、「あ~あ」とため息をつきながらも受け入れてしまっている。

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ついに、安倍内閣は「集団的自衛権」を閣議決定した。

いろいろと批判されながらも、周りに同意見の人を集めて、首相の権限とやらで反対意見を封じ込めて、自分の意思を通したのだが、今後の日本がどうなっていくのか大きな分かれ目になったのが分かっているのだろうか。

国の根幹である憲法を変えずに解釈でいままで否定してきたことを変える。と言うことができるなら、内閣が変わるたびにその時そのときの思惑で解釈変更できる。と言う道筋をつけたことになる。

たぶん彼の人の思惑は、自衛隊を軍隊と名前を変え、定員18万人では中国や南北朝鮮に比べて見劣りするからと、定員を増やす方向に持っていこうとするに違いない。しかし、いまのように志願制ではその目的達成は難しいので「赤紙」一枚で増やせる徴兵制の復活を次の課題にしかねない。

国民の委託をうけて国会議員の席に座っている野党は頼りにならず、ハト派といわれてきた自民党議員の音沙汰は何も聞こえず、唯一抵抗したと思われた公明党も大臣席が欲しくて妥協してしまった。

勇ましい進軍ラッパの下、いつの間にか戦争が平気で出来る国なるのは、すぐそこまで来ているのだろうな、、、、

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