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2014年8月15日 (金)

終戦でなく敗戦だ

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キバナコスモスの花。いつのころから日本に入ってきたのかは知らないが、子供のころは見た覚えがない。

しかし、最近では七月はじめから咲きだしていて、すっかり夏の花として定着した観がある。

近頃では、普通のコスモスも早咲きになっているが、秋の空に映えて咲く赤、白、ピンクのコスモスに比べると、キバナコスモスはまだ人の手が入っていないのか、写真のように黄花とはいえ橙色に近い花が多く、趣は少し劣るように思うのは猛暑のためだからだろうか。

ただ、咲く時期が夏場だけに、蝶々などには人気があるようで交代に蜜を吸いにやってきている。

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今日は日本が戦争に負けて無条件降伏を受け入れた日である。

中国に軍隊を入れてから15年間、400万人とも言われる日本人が死に、アジアの国々にそれ以上の死者と多大な迷惑をかけたのは、時の軍部と政治家、財界、新聞雑誌が国民を煽り立てた結果であろう。

その責任はどこにあったか、自分としては軍部だけに責任を負わして、逃げてしまったほかの三者にあるのではなかろうかと思っている。

とくにマスコミの変身振りはひどい。昨日まで「進め一億火の玉だ」と煽っておいたくせに、反省の弁の一言もなかった。

そのあげく、誰が言い出したのか無条件降伏で戦争に敗れたのを、終戦だと言い、占領軍を進駐軍と言いなおして物事を軽くしようとしてきた。

そこには、なぜ戦争に至ったのかと言う検証もなければ、ドイツのように戦争犯罪者を日本人自らが裁こうとする姿勢が全然なく、今になってあの裁判は戦勝国が勝手に裁いたものだと言う”識者”と言われる人たちがいる。

今年七十五歳の自分でさえ、田舎に住んでいたため、出世兵士の後を旗を振ってついていったこと、上空をB-29の編隊が飛んでいったのと、グラマン戦闘機が物凄いスピードで飛んでいったことくらいしか知らない。

ただ、六十九年前の今日の正午は、物凄く暑かった。と、今でも鮮明に覚えている。

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コメント

栃洞捕虜については笹本レポート神岡分所があるよ。オラケタ様が使用された聳南寮の写真が載っておるよ。
http://www.powresearch.jp/jp/archive/camplist/#nagoya

小学校低学年やで昭和40年くらいやったろか、前平第一公園に黒人のヘルメットを被った鉱員さんがおって、その黒さと大きさ(でかい)にビックリしたな。
でもペルー人ではなさそうやし、どこの国の鉱員やったんかな。そういえばダッコちゃんという黒い人形が流行っとった時代やったな(^_^)

投稿: 岡崎在住 | 2014年8月16日 (土) 18時25分

岡崎在住様
おお、そうやった。おりもその945人の内の何人かを見とるんや。
猪谷から入るロコのなかに何人も立ったまま詰め込まれて、神岡(当時は船津)のほうに行くのを茂住は上平の停車場まで見にいったんやさ、、。
これが始めて外人を見た経験で顔つきの違いと背がやたらと高いのにびっくりしたのを憶えている。
高校に入ってから旭ヶ丘から鹿間にいく通勤用のロコもその当時と同じだったが自分たちでさえ頭がつかえて首を斜めにして乗った小さい客車に詰め込まれて、行く先も知れない移送は不安だったろうと、後になって思ったもんです。
戦争中の捕虜とそれを監督した人たち、そして、戦後すぐの落下傘については、栃洞に行ってからいろいろと聞いていますが、実際に見たことはありません。
これらについては、真偽はともかく、書き出したらかなりの量になると思います。
ただ、戦後素早く茂住を通りかかったジープに「ギミアチョコ」と言えば何かくれることを知っていました。

誰が教えてくれたのか分からないのですが、その当時の英語力なら「ギブ ミ ア チョコレ-ト」と、はっきり区切った言い方するはずなんだけど、、、、

投稿: オラケタル | 2014年8月16日 (土) 14時03分

ご無沙汰しております。
三井金属修史論叢によると俘虜使役人数は945人だったそうです。
未発行に終わった「続神岡鉱山史」の草稿に戦時中の使役の様子(鹿間のみ)が書かれていますが、鉱山側としても対応に苦慮していたみたいです。
ちなみに、僕の祖母も戦時中に山菜をつみにきた俘虜の一団に遭遇したそうです。

投稿: 船津 | 2014年8月16日 (土) 13時23分

栃洞には欧米人を含む捕虜の方が沢山みえて、終戦後は飛行機で食糧を落下傘で落としたそうやね。栃洞校史にある終戦直後を紹介します。
<記> 
学校に行くとき、3年生の子が「ガムサービス」と言った。僕も欲しかったので「ガムサービス」と言ったら背の高い捕虜がガムを四つもくれた。「ありがとう」と言ったら外人は言いにくそうに「イイエ」と言った。やがて捕虜が帰る時が来た。
長い列をつくって歩いていた。僕の好きな外人を見つけて「どこへ行くの?」と聞いたら「ボクラノ ウマレタクニ ヘ カエル」と言った。僕は「行っちゃいやだ、いやだ」と叫んだら静かに頭を撫でてくれた。僕は泣き出しそうになるのをこらえて、いつまでもあの異国の人に手を振った。

投稿: 岡崎在住 | 2014年8月16日 (土) 09時42分

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