きれいな花には
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おかげで、夜中の寝苦しさも取れつい長寝をして日の出前には起きなくなった。もっとも明け方の空は雲が低く垂れ込め、雨も小粒なものが時折降るような天気だから、いつものように起きても外は暗い。
この雨っ気で年寄りの肌みたいにからからと乾いていた地面もしっとりとした潤いを取り戻してきた。
そろそろ秋野菜の種を撒かなければと思うが、その前に暑くて行けなかった畑の雑草を始末しなくてはなるまい。
と、言うことでポツポツとしずくが落ちてくる中草を抜きに畑に行ってきた。久しぶりの畑の雑草はしっかりと根を張り、「これでもか!」と両手に力を入れなければ抜けない。
一時間チョットで疲れ果て、「今日はこのくらいにしてやるわい!」と松竹新喜劇に出てくるやくざみたいな言葉を口にして帰ってきた。
安倍川の土手に咲くムクゲの花はこんな少ない雨を花びらにため、”水もしたたるいい女”とでも言わんばかりに微笑んでいた。
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テレビの画面から
人にはどちらも好きだと言う人やどちらも嫌いだと言う人もいるが、どちらかと言われると「犬が好き」と言う人と「猫が好き」と言う人に分かれると思う。
自分はそうした場合、猫好きのほうに入るのかもしれない。
そのわけとしてあまり飼い主にべたべたと密着して欲しくないのと娘が小学生のころ拾ってきた猫を育てた。と言うところにあるのかもしれない。
しかし、犬や猫のほうにも個性があって、犬らしくない、猫らしくないのもいて、これらも一概には言えないのかもしれない。
ただ、犬の場合飼い主のしつけで無駄吠えをしたり、通りがかりの他人に近寄ってきたりで、どちらかと言うと飼い主の猫可愛がりや放任主義で人より偉いと思わせているのがおおい。
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今日、衛星放送で「クィール」という映画を見た。この映画は五年ほど前会津のほうに旅行に行った折、バスの中で見たのが最初だったが盲導犬の一生を描いたものである。
題名のクィールは、盲導犬の胴体に羽根のような黒い模様があるところから名づけられたもので、誕生して一年は愛情豊かに育てられた後、盲導犬としてのしつけを受け、目の見えない人に譲り渡され、10歳くらいになると引退生活に入り、転んで怪我をし亡くなるまでを描いている。
クィールの場合、運が悪いと言うか目の見えない人との付き合いは飼い主が亡くなったこともあり、三年ほどで後は教習所暮らしでったが、訓練の間に吠えない、他の犬にかまれてもじっとしているなど本来の犬らしくない性格に変えさせられてしまう。
これは、犬でなくてもかなりのストレスであろう。
そんな訓練を受けた盲導犬を、埼玉で傷をつけた人間がいたという。新聞によると傷つけられてもじっと我慢をしていたようで、飼い主も気がつかなかったそうだ。
となると傷をつけた人間は、そういうことを知っていたやったのか、おなじ電車に犬が乗っていることに我慢が出来なかったのか、、、、、、、単に犬嫌いというだけではないように思う。
それとも、最近よく聞く「誰でも良かった」と言う理由なら、近いうちに人を刺すと言う行動になりかねない。
ともあれ、わが身に振り返ってみれば、嫌いなものでも我慢できるようになりたいとは思っているが、その一方で歳を取ると言うことは、わがままで頑固になると言うことでもあるので、、、、、、
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オニハス(鬼蓮)、蓮の仲間でありながらいわゆる蓮根を作ることなく、種で冬越しをする一年草である。
何を警戒してか全草を棘で覆って武装している。
しかし、棘の生えた葉っぱは直径5~60センチから1メートルになるほどおおきくふてぶてしいのに、水面から立ち上がることも出来ず水に漂うばかり。
その下から葉っぱを突き破って立ち上がってくるのは、これまた棘でほかの生き物を威嚇するような格好の花芽。
その花もきれいな濃い紫色をしているが、大きく花びらを開くことがない。なんだか、気の弱いのを知られたくなくて空威張りに威張っている男の子に見えてきた。
この空威張りが、どうも裏目に出たようで、水面を覆う葉っぱでジュンサイなど他の植物の生育を妨げているとか、ジュンサイを採るときなど棘が邪魔になると言って、農家には嫌われ生育範囲が狭められ、絶滅危惧種の仲間入りをしてしまった。
ここ、麻機沼の一角も今年はほんの少ししか咲いていない。
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いま世界中が、きな臭くなっている。シリア、ガザ、リビアなど中東の各国をはじめ、ウクライナやアフリカの諸国、そして、東南アジアでは中国の覇権主義が顕著になりあちこちで衝突一歩手前まで進んでいる。
それに便乗するかのようにして、日本の保守的な人々が軍備拡張の声を上げ始めた。
このような危機に対して、国連はなすすべを持たなくなってきているように感じられる。
おりから第一次世界大戦から今年は百年に当たる年で、状況もよく似てきているそうで、ほんの小さな事件が引き金となって何百万とも何千万とも知れぬ人々が犠牲になりかねない。
完全武装で国を守ろうとしても、平気が発達したいまの世の中では、、、、、、原爆が飛び交った後では果たしてどれだけの人が生き残れるのか、
また、生き残ったとして人類に将来はあるのか、、、、何だか自分の出した毒にあたって絶えて行く植物のような世界になりかねない。
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春の花には黄色い色が多く秋の花には紫から青にかけての花が多いような気がするのは、今日見た花が紫だったためだろうか。
上の写真の花はツルボという、この時期になると、急に地面からすっくと槍の穂先のようなつぼみを立ち上げて小さな花を下のほうから開花させていく。
漢字では、蔓穂という字を当てているが、蔓の気配はどこにもない。
この草の下には球根があり、昔は飢餓食として食べられていたと聞くが、戦後の何も食べるものがない時期でも、この球根は食べたことがない。
それどころか、毒が有るときかされてきた。どうも、ヒガンバナの球根同様上手く晒してから食べたのだろうか。
蔓に花穂といえば、この草藤のほうが当てはまりそうである。マメ科の植物であると言うことが花の形ですぐ分かる。
ジグザグと折れ曲がった蔓の付け根から花を立ち上げ、藤のように垂れ下がるのでは花穂を”上り藤”たてている。
長野では、八月のはじめに田んぼの畦でよく見かけたが、静岡では最近になってみるようになったと言うことは、アキアカネ同様暑さ嫌いの花なのだろう。
それにしても、感覚的にはまだ秋が見えてこないのだけれど。
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ジンジャーの白い花、それこそ、雄しべ雌しべを含めて花全体が真っ白の耀いている。
ジンジャーの花には、このほか橙色がかった黄金色に耀く花も見かけるが、白い花がベーシックなのだそうだ。インドが原産地なのだが中南米の人に好かれているようで、キューバとニカラグアの国花に指定されているのは、花言葉が”豊かな心”と言うことにも意味があるのかなと思ってしまう。
ジンジャーと言えば、日本語では生姜と訳されている。
確かに葉っぱの形や姿は似ているが、大きさにかなりの差があり、”生姜”と訳されても違うものではないかと思っていたら、日本名は”花縮砂”と言って区別されていると言うので納得した。
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今日は、腰に少々違和感があったので日帰り温泉へ行って、のんびりと長湯をして来ることにした。
場所はしばらく考えてみたが昼飯を食べられるところも考えて、山梨県の”なんぶの湯”と決めて出かけた。
静岡市内にも日帰り温泉はいくつも有るが、県外とはいえ家から一時間くらいの距離だし、たまには変わったところというのもあって行って見たのだが、夏休み最後の日曜日と言うのもあってか、駐車場には屋台も出ていて、そこをひやかしてから温泉に入る。
ここの温泉は、無色透明であり匂いも何にもないので、水道を沸かしたと言っても信用されるくらいさらっとしている。
そのためもあってか、出来て10年くらい経っているのだが、タイルも何も奇麗であり、清潔感が漂っている。(管理者に言わせれば普段からの手入れに気を使っているからだ。と言われそうだが、、、)
しかし、今回面白かったのは、野天風呂に黄色いアヒルのおもちゃを大量に入れてあったことである。
はじめ内湯から窓越しに見たとき黄色いものが沢山見えてので、レモンでも浮かべているのかと思った。近くによって見るとビニール製のアヒルが大小50以上がぷかぷかと浮かんでいる。
入っていた子供たちは、すぐに飽きたと見えて、五分と経たずに出て行ったが、残った年寄りたちは、近寄ってくるアヒルをつまみ上げて、中の水を抜き正常な形にして浮かべる。アヒルの下には空気の出入りで「キュ~ッ」と音を立てる。
自分もいくつかつまんでは、水を吐かす。
七十歳を越えたもの三人が、それぞれ別な場所に浸かって、近寄ってくるのを捕まえては「キュ~ッ」「キュ~ッ」と音を立てている。
男の年寄り三人は誰も無口でその仕事を三十分以上続けた。おかげで、退屈しないで長湯が出来た。
風呂を出て、休憩室で屋台から買ってきた串の肉を食べ、食堂のご飯を食べ足りして昼を過ごしていたが、傍にしつけの悪い子が騒いでいたので、喧しくてたまらない。
普段年寄り二人所帯でいるものにとっては我慢しきれず、早々に帰ることにした。
外に出た途端、むっとする暑さが身体を包みもうすこし我慢が出来れば、、、と思いつつの帰宅となった。
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上下二枚の唇形の花を咲かせているところから、お歯黒から来たものと思っていたが、どうも葉っぱが黒いところから、葉黒草と名づけたと言う。
藪の中の日当たりのあまり良くない場所にひっそりと咲くさまは、そんなに黒くもない葉っぱだが黒く感じてしまうのかもしれない。
花は草の先端ばかりでなく、茎に葉が出ているところからも脇目のように咲かせている。
しかし、歯黒草だとばかり思っていたときには、唇を大きく開け、上下の花びらに紫がかった紋様を見せている色っぽい感じを想像していたが、、、、、、、
それにしてもお歯黒と言う風習はいつのころなくなったものだろうか。もしこの風習が残っていたとしたら、どんなに若作りをしても既婚者と言うことがバレバレになってしまう。
花言葉は「想いを抱いて」と言うそうだから、そんな意味も含めてのことだろうか。と余計なことを考えてしまう。
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今日は、午前と午後に一時間ほど激しい雨が降った。その激しさは、普段ならどうってことない降り方だったが、広島の惨事や、台風11号時の高知県1000ミリを超える降りように重ね合わせてしまった。
しかし、気温も久々に三十度を下回り、秋を先取りしたような感じで、終日ごろごろと過ごしてしまった。
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もちろん地球からの見た目なのだが、、、、しかし、ここしばらく続いた夜明けの曇り空は、それを見させてはくれなかった。
そして、今朝がた起きてみたら、窓から見る限り空一面雲がなく、後三日ほどで新月になる逆三日月が中天に見えた。
早速、起きだしの牛乳をコップに一杯引っ掛けて外に出てみる。
起きだしたときには見えていた夜空の星たちも次第に赤くなっていく朝焼けの空に溶け込んで行きはじめたので、慌てて写してみたが少し時機を失してしまったようで、月と木星金星がほぼ一直線に並んでいるのだが、はっきりしない。
写真では、下の横線の左に金星が、上の横線左に木星が写っているのだけれど、、、、、、わかるかな
とにかくこれらの天体は、いずれも自分で光っているのではなく、太陽光線を反射いているのだが、太陽が目覚めるころには姿をけしてしまうシャイな存在である。
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いつもコメントを頂く”おばさま”から広島の惨事について「被害が出てから専門家や知識人は地盤が悪いためだと言う。危険地域になぜ家を建てる許可を出したのか?行政の責任も重い」という。投稿を頂いた。
まったくその通りだと思う。今回の場所については前にも何回か同じような被害が出ているのにほとんど対策が採られていない上、警報の出し遅れだと担当者が珍しく感想を述べていた。
しかし、それだけだったのだろうかと言うのが自分の感想でもある。
こういう災害の多い日本では、古いむかしから人々は災害にあうたびに、その災害が及んでいない場所に移動して住んでいたに違いない。
そして、ほかの災害でまたその場所が悪いとなれば次に移動するなどした挙句、いつのころからか大きな集落ができる場所は一番被害の出ない場所になったのではないだろうか。
地質調査を生業にしてきた自分の知識からは、静岡市で一番災害の少なかった場所は駿府城の周辺1kmくらいしかないだろうというしかない。
駿府城や静岡駅近辺の地盤は、安倍川から押し出されてきた砂礫層で、一段と小高くなっているため、地震にも水害や津波にもほかよりは安全である。
そして、静岡市の人口が増えるにしたがってその周囲田んぼや湿地を埋め立てて住宅地域は広がっていった。
したがって、静岡市の場合、戦後建てられた外周の住宅地は沼土の上に建てられた場所が多いのと、河口から15kmほど入った内陸部の麻機沼のあたりで標高が10mほどしかない傾斜のゆるい巴川周辺に津波被害が海岸部とともに予想される。
しかし、自分を含めて新興住宅地に家を持ったものは、災害が予想されると言われても、なけなしの資金では災害が少ないと見られる都心部にはとてもとても、と言った状態である。
人はみな忘れやすい動物であり、津波の常襲地帯である三陸海岸沿いの町では、むかしから何度も津波の被害を受けている。
自分が知っているチリ沖地震などでも相当な被害を受けたほか、歴史に残っているだけでも何度も昔話として伝えられている。
そうした被害のたびに海岸から離れた場所に移転するのだが、いつの間にか暮らしに便利な海岸近くに戻ってくる。
「災害は忘れたころにやってくる」というが、心の傷が癒えたころ、体験者がいなくなったころというのが戦禍なども含めて一番危ういころなんだろう、、、、、、、、
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夏の暑い日ざしをものともしないで、タカサゴユリがあちこちの草むらで花を咲かせている。
花の形は鉄砲百合によく似ているが、その昔台湾から持ち込まれたそうで、花びらの外側に、赤い筋のような模様が入っていることで区別がつく。
秋になれば袋状の種袋を作り、風に任せて薄くて細かい種を風に任せて飛び散らせるため、時としては荒地などに集団で花を咲かせることがあるが、ほかの草が生い茂ってくるとパタッとなくなることもある。
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ここ三日ほど日中にクーラーで部屋を冷やすようになった。
お盆の少し前あたりから、夜明け前の朝凪時に寝苦しくて入れることがあったが、八月中旬からあまり入れなかったのでこんな自分でも身体が慣れたのか、それとも歳を取って神経が鈍くなったのかと思っていたが、昨日は静岡でも気温が36度を超え、「今年一番の暑さだった」とテレビは言っていた。
気象台の温度は、百葉箱に入れての温度だから、実際には照り返しなどでもっと高い気温になっているはずである。
災害にあった広島の人たちに比べれば、こんなことは”へ”でもないが、暑さにうだって身の置き場がないこのごろである。
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二度寝の朝、すこし散歩に出かけるのが遅れたため、日は山あいから昇りかけていた。
穂が出かけた稲田に日が差し込み朝露が、七色に耀く。
少し視線を下げれば、その露に朝日が写り、小さな宇宙を形づくっていた。
今日、富士山に登った人たちは雲ひとつない頂上に立ち、歓声を上げているのがここまで聞こえそうな様子を見せていた。
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今日のワイドショーの目玉の一つは、シリアでイスラム過激派に拘束された四十代の人のことであった。
何だかまだはっきりしたことが分からないらしいのだが、日本にも民間軍事会社をつくり、シリアの紛争を体験した上で事業を展開しようとしていたとのこと、、、、
本人は、自衛隊(軍隊)はもちろん警備のことも経験がなかったそうで、どこからこの発想が出てきたのか不思議である。
とにかく会社の実態はまだないそうで、この行動は漫画や本を読んだだけで戦場を知ったかのような気になったのではないだろうか。というのも、得意そうに小銃を持った写真が何枚も出てきていたことから想像した。
とにかく、イラク戦争のときのようにマスコミは自己責任と言う言葉は使わなかったが、アフガニスタンで農業指導に行っていて殺された伊藤和也さんなどとは比べようもない行動であろう。
同様に、一昨日の大雨で北アルプスで何人もの人が亡くなったり行方不明になっているが、死亡が確認された3人は、新聞によるとロープを使って谷を渡っていて流されたと書いてあったが、なぜそんなときに増水した谷を渡る気になったのか不思議でならない。
その状況が分かっていると言うのは、同じことをした人が付近にいたのではなかっただろうか。
そのため、沢山の人が救出のため山に入り、ヘリコプターで捜索したに違いない。
なんだかこれらの人を見ていると、以前のように”自己責任”という言葉が、復活してもよいように思ってしまうのは、老人のエゴだろうか。
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そのむかし、天智天皇が近江の国に行幸したとき、子や孫を沢山持つ老夫婦を見て「汝ら如何にかくぞ長寿ぞ」とたずねたところ「この地で採れる果物が無病息災の霊果であり、毎年これを食するため」と答えたと言う。
これを賞味した天皇は、「むべなるかな(さもあろうな)」といい、以後毎年献上するようお付きに指示したそうだ。
しかし、それから毎年食べたはずの天智天皇は、50歳まで生きていなかったようなので、効果があったのかどうか判らない。
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きのう、知り合いの農家の人が、ムベの実を沢山持ってきてくれた。
形はアケビの仲間だけあってよく似ているが、口を開けることはなくマンゴにやや似た香りを持っている。
ムベの花は四月に筒状の花を咲かせ、次第に大きくなっていくのだがアケビ同様雄株と雌株があるようで、一本ではなかなか実をつけない。
花の形もそうだが、実は薄皮をはいでそのまま食べると、1センチ以上になる平たい黒い種が出てくるところも、アケビとはずいぶん違う。
昨日今日と一日あたり三個づつ食べているが、、、、、、、ほのかな甘さと香りは霊果といっても間違いないような気がして「うん 長生きしそうだ」と思ってしまう。
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.今年、23歳になった一番上の孫が久しぶりに訪ねてきた。
なんでも夜勤明けで家にいたら「じいじの顔を急に見たくなって、、、」と、
この孫は、高校を卒業してすぐに就職したが、かなりのブラック企業だったようで、一年で退職した後、老人介護の施設に就職した。
その施設は、寝たきりの人がほとんどで意識のない人もいるとのこと、したがって、毎月何人かが亡くなっていくため、その現場にいなければならず、自分としてはあまりよくない職場だとはじめは賛成しなかった。
しかし、「じいじ、勤めだしてもうすぐ三年になるよ。来年は介護士の試験を受けることにした」という。
「ふ~ん たいしたもんだ。がんばれよ!」そして、余計な一言「石の上にも三年っていうからな」
孫のほうはとっさのことで分からなかったようで「それってどういう意味?」
「うん、どんな仕事でも我慢してやっていれば、だんだん面白みが出てくるってことだよ」またまた説教口調になってしまう。
年寄りってのはどうしてこうなのかな、、、、、、
それでも孫である。さっと聞き流して、ご飯時間になったら美味い美味いとお世辞ぬき(?)の賛辞を投げかけ、二人分しか用意していなかったご飯とおかずを平らげて行った。
おかげで、食べることが出来なかった連れ合いは帰ったあと、、、、まさにムベなるかなと思ったかどうか
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白い花びらが密集して木の先端で開くため、木全体が雪をかぶったようになることさえある。蕾のうちは赤い苞に包まれているがそこから5弁の花びらを飛び立たせたように開き、さらにその花びらから蘂を空に向かって突き出している。
そのさまは、まるで空に何かを求めているように見えておかしい。
クサギ。漢字で書くと臭木であり、若葉のころはその臭いは誰しもが嫌うような臭いである。
柔らかで大人の手のひらくらいになる大きな葉っぱは、少し触れただけで身体に臭いが移り、子供ころはこの木を見ただけで遠回りをして歩いた。
しかし、花は違う。密集して咲かせるためもあってかその香りは控えめに甘く感じられ、葉っぱとの差が大きすぎる。
葉っぱが臭いのはなぜだろう。虫や動物から身を守るためなのだろうか。柔らかいことは分かっているがよほど美味しいのだろうか?。
花が良い香りで虫を誘っているとしたら。この木は自然と言うものを上手に操っていることになる。
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今年も、選良といわれる議員の不祥事が不祥事が続いている。
その一角で最近世間を騒がせた、兵庫県議会議員と大阪府議会議員がいるが、この二人に限って言えば、これが、、、、、と思うほど幼稚性をみせ、選良としての資質にかけているとしか言いようがない。
しかし、この資質を見抜くのにはどうしたらよいのだろうか。今回はどちらも新人議員ということで槍玉に上がった感があるが、老練議員といわれる人たちの中にも世間とかい離した感覚を持っている議員が沢山いる。
ただ、今回の不祥事の中で兵庫県議会議員が残した功績としては、政務調査費をに少しでも透明性もたらしたことであろう。
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先日も雑草を刈り取るために蓮畑に入ったのだが、葉っぱの直径は7~80センチにもなるものがあり、その背丈は自分の背丈をはるかに越して、1,8mくらいになっている。それだけ勢力を使いながら地下茎も同時に伸ばし、時には隣の田んぼにまで進出していく。
そのさまを遠くから見ていると、稲という大衆の中に入って説教をしている鎌倉時代の坊様に見えてくるから不思議である。
その仏教も、江戸時代に宗門帳が作られ、庶民はどこかの寺に所属させられてから、坊さんは特権階級になり、信者獲得などをしなくなり、辻説法などということをする坊さんがいなくなった、、、、、
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今日十六日は玄関先でささやかな送り火を焚いて、十三日の夕方お迎えした両親を送り出した。
我が家は、次男坊だった父親が作った家なので、墓には両親の骨しか入っていない。当然、仏壇には二人の位牌と仏像しかないわけであるが、それでも毎日水とお茶を上げ、御飯を炊いた日には一番初めのところを仏壇に上げている。
しかし、送り火であの世に送り出したと言うことになれば、仏壇には何が残っているのだろうか。我が家は曹洞宗永平寺の末寺が檀那寺になるので、釈迦牟尼佛しかいないことになる。
般若心経の根本は、”色即是空”であり、この世のことはすべて「無!」であると喝破しているのだから、両親の霊がどこにあろうと関係ないことであるが、毎年、お盆の時期になると、わだかまっている。
ただ、両親がこの世にあった証はふるさとの墓に下に残っているはずだが、まだ今年はその墓に行っていない親不孝者である。
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キバナコスモスの花。いつのころから日本に入ってきたのかは知らないが、子供のころは見た覚えがない。
しかし、最近では七月はじめから咲きだしていて、すっかり夏の花として定着した観がある。
近頃では、普通のコスモスも早咲きになっているが、秋の空に映えて咲く赤、白、ピンクのコスモスに比べると、キバナコスモスはまだ人の手が入っていないのか、写真のように黄花とはいえ橙色に近い花が多く、趣は少し劣るように思うのは猛暑のためだからだろうか。
ただ、咲く時期が夏場だけに、蝶々などには人気があるようで交代に蜜を吸いにやってきている。
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今日は日本が戦争に負けて無条件降伏を受け入れた日である。
中国に軍隊を入れてから15年間、400万人とも言われる日本人が死に、アジアの国々にそれ以上の死者と多大な迷惑をかけたのは、時の軍部と政治家、財界、新聞雑誌が国民を煽り立てた結果であろう。
その責任はどこにあったか、自分としては軍部だけに責任を負わして、逃げてしまったほかの三者にあるのではなかろうかと思っている。
とくにマスコミの変身振りはひどい。昨日まで「進め一億火の玉だ」と煽っておいたくせに、反省の弁の一言もなかった。
そのあげく、誰が言い出したのか無条件降伏で戦争に敗れたのを、終戦だと言い、占領軍を進駐軍と言いなおして物事を軽くしようとしてきた。
そこには、なぜ戦争に至ったのかと言う検証もなければ、ドイツのように戦争犯罪者を日本人自らが裁こうとする姿勢が全然なく、今になってあの裁判は戦勝国が勝手に裁いたものだと言う”識者”と言われる人たちがいる。
今年七十五歳の自分でさえ、田舎に住んでいたため、出世兵士の後を旗を振ってついていったこと、上空をB-29の編隊が飛んでいったのと、グラマン戦闘機が物凄いスピードで飛んでいったことくらいしか知らない。
ただ、六十九年前の今日の正午は、物凄く暑かった。と、今でも鮮明に覚えている。
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冬珊瑚というが、春に早くも花をさかせ、七月初めから赤い珊瑚玉をつけ始めている。
子供のころ父親の行商行李のなかに、ちょうどこのくらいの大きさの珊瑚のかんざしが入っていたを憶えている。
橙色を濃くした色合いは、いまどきの真っ赤な装身具に比べると地味ではあるが飽きの来ない色合いだったと今でも感じている。
未明から、時折降っていたようだが、九時過ぎから激しく降り、天気予報を信じて門屋の畑まで言っていたが、雨脚の激しさに驚いて引っ返してきた。
庭の月下美人の根元にかろうじて残っていた冬珊瑚が、雨に打たれて生気を取り戻していた。先日来の暑さを受けて葉っぱをたびたび萎れさせていたがこの雨は天の救いとばかりに背伸びし、両手を広げているようにも見える。
激しい雨は、こんなまぁるい実にも雨粒をやどらせ、小宇宙を造っている。
名前の通り、冬に真っ赤な実をつけると餌の少ない時期なので、熟れ始めるとすぐに鳥の餌になってしまい、種が遠くに持っていかれるが、食べ物が多い今の時期はぼたぼたと実が地面に落ちても食べに来る鳥はいない。来年はあちこちに芽を吹きだすに違いないと思う。
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サルスベリの花が大きな泡のようになって、木の枝先に固まって咲いている。
漢字で書くと百日紅と書き、自生種は赤い花であろうが、この暑いさなかにはさらに暑さを加えるようで、白い花を探して写して見た。
サルスベリ、ひとつの花が百日間咲くというわけでなく、散っては咲き、散っては先の繰り返しで、暑い夏の三ヶ月間を咲くことに由来しているからとのこと。
ちなみに”千日紅”という草花があるが、これは千日間咲くという意味でなく乾燥させてドライフラワーにすると三年はもつという意味だと書いてあった。
サルスベリの花は一つ一つ見ると、フリルのようみ縮れた花びらが五枚、雄しべ雌しべの付け根から茎のように突き出した先についている。
このような咲き方は、ほかではチョット見ないのではと思っているが、どうなんだろう。
とにかく大きくなると、木の表面が剥がれ落ち、すべすべとした表面があらわれて、木登り上手な猿も滑り落ちるだろうと言うことで名づけられたそうだ。
このようにすべすべな木肌をしている木は、ヒメシャラなど椿の仲間に多いが、表面にコルク状の表皮がないということは、木肌の下を通り葉っぱに地下の水を吸い上げていく層が近いと言うこともあって、木肌がほかの木に比べてひんやりと冷たい。
そのため子供のころ、夏の暑いときに山に登るとこの木に抱きついたものだった。
知らない人が見たら猿の真似をしていると見たか、木にハグしていると見たか。
ただ、幸か不幸か、山歩きは大抵単独だったので、まず見られたことはないと思っているが、、、、、。
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今年は、花の開く回数がいつもよりハイペースなのだが、一回あたりの花の数はいつもより少ない。
その理由はわからない。気候なのか、肥料なのか、はたまた冬の手入れが悪いのか、、、、、、、、、
月下美人は、原産地がメキシコだそうだが、メキシコに行ったときには月下美人どころか、それに似た木さえ見たことがない。
ただ、日本に入ってきたときには一本だったらしく、日本の月下美人はすべてが、挿し木で増えたものだと聞く、そのためか、あちこちで見かける月下美人の花はほとんどおなじ日に花が咲くようだ。
この花は、愛媛の人から貰ってきたものだが、すでに十年近く家の軒下に置かれているが、一夜花であり、最初のころのように花を愛でる回数も減るに従って、扱いも粗末になってきていることから、花のほうも反発しているのでは、、、と思わないこともない。
昨夜咲かせた花のひとつを、茎から鋏で切り、焼酎に漬け込んでみたが、飲み頃はいつになるか知らん。
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今日も朝から断続的に雨が降り続いた。台風の影響がまだあるかとおもっていたが、どうもそうではないとのことであった。
ただ、急に降り出すのでいつものように散歩に出かけることも出来ず、家の中でごろごろとしていたが、つれあいが買い物に行くと言うので、自動車で送っていくことにし、そのついでに、スーパーの中をあちこちと巡り歩いて散歩代わりとした。
しかし、スーパーでの散歩は早足で歩くわけにも行かず、、、、ぶらぶら歩きってのは結構疲れるものである。
台風一過の朝、ここ三日間ほとんど歩いていないので、ごみを出したついでに、麻機へ散歩に出かけたが、わずかな間に足は鈍っていた。
巴川の水も引き、台風による被害はもちろん影響もみられないなか、木の梢にまで這い登った葛に花が咲き出した。
濃い紫の花を下から順に咲かせて登るのだが、雨の中でも咲かせていたのか、下のほうはすでに散っている。
今日も暑くなりそうな予感がする空を見ながら小さな秋をまたひとつみつけた。
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ここ一週間で、大きな台風が立て続けのようにして日本列島を席巻した。
その進路も似ていたので、おなじ場所に大量の雨が降り、被害は二重になってしまった。
高知県などの一部では、通算雨量2,000mmとか、、、、、、良くぞあの程度の被害で済んだものである。
室戸岬といえば、その名を冠した大きな台風が二つもあるくらい、台風の通り道になっているところである。
二度あることは三度ある。と言われている中で「台風はモウイイッカ」とふざけていては叱られそうである。
しかし、このところ乾きすぎていた当地では秋野菜の仕度を始めるには、適当な雨だった。
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昨夕になって台風11号の影響からか、はげしく雨が降り出した。
そんななか麻機遊水地で花火があがりだした。最初の二~三発はどうにかこらえていたもののまるで花火が空を刺激したかのようにして降り出した。
雨降る中での花火では、仕様が無いので早々にして帰り、あとは音だけを聞いていたが、途中で中止することなく最後まで揚げ切ったと知人からきいた。
遊水地周辺のいくつかの町内会が行なった花火だけに、打ち上げ規模も少なく散発的にあがっただけだったが、最後まで見手いた人はどれだけいたのだろうか。
町内会の役や夜店を出していた人くらいだったのでなかっただろう。
見物客も少ししかいない中、挙げだしたら途中で止めるわけにはいかなかっただろう。
花火師は用意した分を使い切らないと、、、焼きだしたたこ焼きや焼きそばは、、、、、、、
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”蝸牛角上の闘い”という言葉がある。小さなもの同士がつまらないことで争っているさまを言ったものだが、今朝方採りに行ったキュウリの葉っぱの上でカマキリが争っていた。
この時期なので、まだどちらも幼生。成虫になりきっていない二匹だが、その大きさに少し差があるところから、兄弟ではないような気がするが、餌の取り具合で成長が違うのでなんともいえない。
カマキリは、他の昆虫を捕まえて食べる虫であり、成虫になるまでには共食いまですることがあり、その闘争心は強烈なものがある。
どこで生まれたのか、どちらもまだ飛んで歩けるにはまだ間があるのだから、そんなには遠くない場所だったに違いない。
葉っぱの上の両雄は、早くも闘争心に火がついたようで、間合いを計って真剣に見つめあっている。
闘えば、多分どちらかが命をなくすことになるので、この場を離れればよさそうなものだが、その目つきは一歩も譲る気配はない。
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今日九日は、長崎に原爆が落ちて大量の死者が出た日である。
伝え聞くところによると、福岡に落とす予定だったが福岡の上空が雲に覆われていたため長崎に変更されたとのことである。
なぜ、これらの都市が目標になったのかというと、どちらも軍需都市だったからである。
一応原爆を投下したアメリカの言い分であるが、実際のところは原爆の実験をしただけのことで、同じ原爆でも広島と長崎では型がちがっており、その成果を見たかっただけのような気がする。
しかし、それで殺された人々はたまったものではない。
広島に比べて、長崎の大会決議文では、集団的自衛権について安倍首相を前にして再考を迫っていたが、天候の都合でとばっちりを食った市民としては当然のことであろう。
地球の大きさからみれば、人間なんて微生物に劣る存在であり、それらの争いは蟷螂にも劣る。
まして、アメリカの戦争に加わって若い人を殺し合いに参加させ、自分たち政治家は後ろで「すすめ~すすめ~」だけを叫び、あとで、甘い果実を食べようとする姿勢が見え見えの集団的自衛権は、憲法の審査を国民に計ってからのことにしてもらいたい。
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ひさしぶりに流通センター奥の麻機沼に行ってきて、これまた久しぶりに水葵を見てきた。
水葵、以前は田んぼの雑草と嫌われていたが、水路の改修や農薬のため見ることが少なくなり、最近では絶滅危惧種にまで追い詰められている。ただ、
この草は、沼の土の中で種を眠らせて何十年も芽をふかせず、じっとしていると言う特技を持っているため、何かの都合で土を天地返しなどしたときなどのチャンスが来ると一斉に芽吹くことがあるそうで、麻機の一角で土地改良したときにそんな現象があったそうだ。
しかし、我が家の北側の工区では、ダイオキシン対策のため土を運び出して代わりの土に入れ替えたため、移植でもしなければこのあたりは絶滅に追い討ちをかけたことであろう。
水葵。別名を菜葱(ナギ)とか水葱と言うが、昔はこの若芽を食べたこともあるそうで、字の感じから言ってネギのような食感があったのだろうか。
ただ、この花の藍色に近い色合いは、絶滅危惧種だから言うわけではないが是非残しておきたい花だと思う。
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毎月一回歯の手入れのため通っている歯医者の治療用腰掛けに座った途端「これはなんですか?」って聞かれてしまった。
何だろうと思って指をさされたところにてやっって気がついた。
あまりの暑さで汗をかく毎日だが、あごの下から首にかけての部分が痒くなり始めたので、今年もこの部分に天花粉を塗って、京都の舞妓さんのように白塗りをしていたのを忘れてしまっていた。
「天花粉」だよって、言ったら「ああ、ベビーパウダーね」って言う言葉。
シッカロールっていうのは知っていたが、最近ではベビーパウダーって言うんだ。
しかし、自分にとってはあくまでも天花粉である。それも年季の入った天花粉。
この缶を買ったのは、どんなに遅くてもいま高校一年になっている孫が生まれたときであり、ひょっとするとその前の子だとしたら20年前に買ったものだからだ。
とにかく、この子らのおしめを変えるとき、尻をはたくために買ったものである。
孫の尻のお勤めを済ませて、しばらく眠っていたものを引っ張り出したのはここ二~三年のことである。
ダンシャリと言うわけではなかったが、物置をかき回していたら出てきたもので、水葵ではないが、再利用で芽吹いたものである。
まだ、缶のした半分くらい残っているので、この先しばらくは使い続けることになる。
まえに当然つけっていただろう孫にそれを見せたら、「尻をふいたやつだろ」って横を向いてしまったが、じいじにしてみたら、、、、、、ふっふっふっってとこ
風の音にぞ おどられぬる
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今日は立秋。午後になって一時強い風が吹き渡ってきたときに、この和歌を思い出した。
たしか、中学のころ教科書にあったような気がしているのだが、いつだったか正確にはわからない。
秋の七草に含まれる女郎花。どうしてこの字をオミナエシと呼ぶのか分からないが、漢字は平安時代にはすでにこの書き方になっているとウイキペデアは教えてくれる。
小さな小さな黄色い花のかたまりである。虫たちもこの花が好きなようでいつも沢山群がっているが、蜜にほれたか色にほれたかは聞き漏らした。
先日、散歩の途中見かけたので写しておいたが、早いものは7月から咲きだしていて、秋の花というより夏の花といったほうがよいのかもしれない。
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今日も暑かった。それでも、涼しいうちにと先日刈り残したレンコン畑の草刈りをして汗だくになり、九時に昨夜の残り風呂で汗を流したが、これがたたって身体が温まり過ぎたのか着替えた下着がすぐに汗だらけになり、再度の着替え。
そして、先日来はすの花がほしいという注文があった家に届けに行ったついでにラッキョウ掘りをしたところまた汗だくとなって着替えた。
なにしろ、年寄りの汗は臭い。自分でも分かるくらいだからよそ様はもっと臭いに違いない。それにしても、午前中に三度も下着を着替えたのはこれまでにない。
洗濯物の山では連れ合いに悪いかと思って、パンツ一丁丸裸でバスタオルの上で寝転がって午後を過ごそうとしたら、「お客さんが着たらどうするの? みっともない」と言われて、、、、、、、、
昔は、”夕涼み よくぞ男に生まれけり”といったが、このごろでは身の置き場がない。
ノウゼンカズラの花が赤く燃えている。
この花の色は蝉の声同様暑さをさらに増すように思えて仕様が無い。
一見、五枚の花びらから成り立っているが、ほかの花の花びらのように元まで裂けているのではなくて、先端部だけしか切れておらず、落ちた花びらは筒状にひとつものであった。
これを見て、思い出したのは、おおむかしの蓄音機のラッパ管といった形である。
ノウゼンカズラ、近くの木に巻きついて花を咲かせているので、子供のころはてっきり草だと思っていた。
しかし、金沢に行ったとき兼六園ではなかったが、その近くの庭園で、このノウゼンカズラは秀吉が朝鮮から持ち帰ったものだと説明を受けた。
その通りだとすると、400年くらい経っているので「持ってきたノウゼンカズラの何代目かの子孫かね?」と聞いたときに「いいえ、これは木ですから、、」と言われて初めて知った。
それ以降、なにかあるたび、鼻をひくひくさせて「これは木だよ」って自慢げに入れ知恵をひけらかせている。
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今日は、広島に原爆が投下された日であり、その記念式典が放映されていた。
あの日も、ちょうど今日のように晴れわたった暑い日だったそうだ。
四十年くらい前に広島県に仕事で行ったついでに原爆資料館に寄ってみたとき、その惨劇をいくらかでも垣間見ることが出来たが、おなじ職場の先輩の中にも原爆投下の後すぐに市内の死者を片付けるため入った人がいてその人の話しも合わせて想像することができた。
その人は、軍隊にいて否応なしに現地に入り、死んだ人をトラックに乗せるのだが、さまざまな死に方をしている人を見て、「人間ってこんなになってしまうんだ」と思ったが、悲しいとか、汚いとかもろもろの感情はどこかに吹っ飛んでしまって、ただ機械的に行動してしまった。といっていた。
当然、被爆者手帳を持っていたが、その障害を口に出すことはなかった。
そして、先日その原爆を投下した飛行機に乗っていた最後の乗組員が志望したと聞いたが、そのひとも、二年前に亡くなっていたと聞いたのは、今年に入ってからだった。
百日草に紋黄蝶がつかまって蜜を吸っていたら、その横にセセリチョウが来て仲よく蜜を吸いだした。
モンシロチョウもそうだが、菜の花畑などで見ていると、おなじ花の傍に来るとすぐ舞い上がって巴戦を繰り返して追い出してしまうか、尻を持ち上げて愛をはぐくむかのどちらかで、一緒に蜜を吸うと言う場面は見たことがない。
おなじ蝶々でも、この場合は同類とみなしていないのだろうか。
何だか見ていたら、人間の世界で言う”異業種交流”のようで面白かった。
「この花の蜜には、こんな効能があって美容に良いんだけどしっていた?」なんて言っているのかと思うとこれまた楽しい。
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今日は自動車免許の高齢者講習なるものに行って来た。
この講習会は、更新の半年も前に通知が来て、どこかの自動車学校で受けなければならないことになっている。
先日もテレビで高齢者が多くなって、早めに予約しないと予約で一杯になって、受けにくくなってしまう。と言っていたので、5ヶ月も先の免許更新だけど行ってくることにした。
前々から、娘たちに「じいじは一体いくつまで運転する気なの?」と言われているうえ、自動車の維持費も馬鹿にならない。
しかし、まだ長野や飛騨に行く用事があり、そのたび、電車などを利用していたら時間がかかって仕様が無いし、長野に住む義弟は「自動車を止めたらボケかねないので、自分から止めるとは言わないほうがよい。」といわれていて、そのほうが耳に心地よい。
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行ってびっくりしたのは、受講生がたった六人しかおらず、七十五歳以上の人ばかりなので、耳が聞きにくい人、病気をしていてここ一年運転していないひと、杖にすがらなければ歩けない人など、半数は障害を訴えていた。
講習は、認知症と視力の検査、モニターのハンドルを握ってブレーキー、アクセルの反応時間と正確さを検査し、そのあと、自動車運転に入るのであるが、自分が一番最初に運転した後後ろ座席に座って、ほかの人の運転を見ていたときが一番怖かった。
自分の次の人は脱輪、その次の人も脱輪とバックのやり直し、そして、左車線からいきなり右折するなど乗っていて、胃のあたりがキュッとしてしまった。
しかし、これは自分の運転も他の人に不安感をもたれるような運転だったかもしれないんだな。
とおもうと、これからはうかつに「この自動車に乗っていこうよ」とは言えないなと
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「奇麗な花には棘がある」と言う言葉があるが、今日見かけた月見草(大待宵草)の花の陰に獲物が来るのを待ち伏せている曲者がいる。
太陽の光を受けて、黄色く可憐な花びらをそよがせている月見草には何の罪もないのだが、、、、、、
ここは、自分も神様になった気分で、捕まえようとするほうにも立ち寄る虫のほうにも味方せず成り行きを見守ることにした。
ただ、花を見ている間には、神様を警戒してか何の虫も寄ってこない。
待ち伏せの蜘蛛にしてみれば、立っている自分が疫病神に見えたことであろう。
そうか、神は神でもそっちのほうだったのか、、、、、、
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今日は、若かりしころの思い出をひとつ。
鉱山、とくに坑内での作業は危険な仕事が多く、ほかにはなかったであろう風習がいくつかあった。
そのひとつに”出面三分”と言うのがあった。読みやすいようにひらがなに直すと「でづらさんぶ」といい、坑内の事務所まで顔を出すだけで、その日の賃金の三割がもらえると言うものであった。
幸か不幸か自分はそうしたことがなかったので、実際には経験したことがなかったが、前の日に宴会などで大酒を飲んだときなど、二日酔いを通り越してまた酔っ払ったような気分になったことはある。
そんなときには、現場に入るのを遅らせて坑内の食堂で一休みしてから出かけてたが、地下によどんだ空気がそうさせたのだろうか。
本来ならこんなときには、出面三分を使うのが本当だったのではなかったかと今になって思っている。
このほかにも、気乗りしないのに現場に入って怪我をしたり、最悪亡くなってしまっては、関係者の後の夢見が悪いので、引き返すと言うのを止めることはしなかった。
出面三分で思い出すのは、田中の松ちゃんという人がいて、常にタバコを口先でくゆらしている人がいた。
自分が三十代のころすでに定年近い人だったが、その飄々とした態度には一種愛嬌があって好かれていた。
この人は、坑内の事務所に向かうトロッコに乗る場所まで、二持間近くかけて歩いてくるのだが、もうすぐと言う場所まで来たのに、高原川を挟んだ向かいの大洞山を見上げていたかと思うと、やおら、きびすを返して家に戻ってしまうことがたびたびあった。
周りは、出面三分だから一度坑内に入ったらと言うが、にやっと笑うだけで返事はしない。
向かいの山には何がいるんだろう。不思議がったが、案外、大洞山に住むと言う天狗さんと対話していたのかな、と言うのがオチだった。
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朝いつもどおりの時間に目が覚めると、窓の外の建物がセピア色にそまっている。
何だろうと思って、左の窓を見ると朝ぼらけの空に虹がが架かっていた。
東の空は日の出までまだ二十分ほどあるが、東側の空一面が赤黒い朝焼けが始まっており、西側の空にねずみ色の雲を背景にしてとてつもなく大きな虹が色鮮やかに架かり、その影響で空と家がセピア色に染まっているようだ。
いつもは神棚と仏壇に水とお茶をあげて出かけているのだが、今日はそんな悠長なことが言っていられない。
カメラを手づかみにして外に出れば、小さな雨粒が点々と言った感じで顔にかかる。
西の空の黒い雲の中では小雨が降っているんだろうけれど、この雨が止めば虹も消えるはず、息せき切ってようやく400mほど離れた田んぼまで走る。
ぜいぜいと息が切れる。三十代まで鉱山の係り別対抗の駅伝選手として五~十キロメートルを走っていたものとは思えぬほどの心肺機能の衰えを悲しむ、、、
その姿を見て、すれ違うご同輩の散歩者は不思議そうな顔つきをする人もいる。
この人たちには、朝焼けとか虹は関心の外なのだろうか。立ち止まることもなく空を見上げる人もいない。自分もこの歳になるまで数知れず虹は見てきた。
しかし、人は毎年のようにして咲く桜は見に行くものだが、それより儚い虹はそんなに関心がないのだろうか。
「早起きは三文の得」と言うことがあるとおり、早起きしたものだけが見ることが出来た絶景だと思っていたのに、、、、、
やや北東の方に見える富士山は、そんなこと「細かい細かい」と言わんばかりに今日も山の端から霞んで見える。
そして、昨日同様六時にはすべてを雲ベールで隠してしまった。
鬼百合の花、赤い花びらの中に黒い点々とした模様があるところからつけられたようだ。
日本では古来「鬼」とか「悪」と言う名がかぶせられたものや人は、嫌われるというより、強いものと言う意味が有ったようで、この鬼百合と言う名も猛々しいという印象があったのだろうか。
それにしても花びらを捲くり上げて雌しべを四方にまき散らかしている様子は、むかしなら想像画に出てくる火星人といったところ、女性なら外観が派手な何とか娘と言ったところ。
"立てば芍薬 歩けば牡丹 歩く姿はゆりの花"というが、この場合のゆりの花が鬼百合だったとしたら、、、、、ふふふふふ おお怖い
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日本人の男の平均年齢が八十歳の大台にのったそうだ。
つまり、去年生まれた男の子の73,6%が七十五歳まで生きると言うことになるそうだ。
これは「人生 わずか五十年 下天の内にくらぶれば、、、、」と信長が舞ったという謡曲”敦盛”の謡いに比べれば、かなり長生きすることになりその人生設計もかなり変わってくることになる。
人の寿命は、明治以降になって医療制度が進歩したことで少しづつ伸びては来ていたが、いまから70年ほど前、戦争で若い人が大量に死んだころは、平均年齢は四~五百年も前の時代の50歳にもどってしまった。
戦争と言うのが如何に人の命を無駄に消費していくものか、、、、、、再び戦争が始まれば無差別攻撃で大量の死者がでるのは、パレスチナやシリアの例を見るまでもない。
ひるがえって自分は後何年生きられるか、厚生省の平均余命表によると11,5年とでていた。
自分の年代の人すべてがこれだけと言うわけではないが、その辺を目安に考えておかなくてはなるまい。
果たしてこれを長いと見るかどうかだが、、、、、、
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