ノウゼンカズラは木だよ
ノウゼンカズラの花が赤く燃えている。
この花の色は蝉の声同様暑さをさらに増すように思えて仕様が無い。
一見、五枚の花びらから成り立っているが、ほかの花の花びらのように元まで裂けているのではなくて、先端部だけしか切れておらず、落ちた花びらは筒状にひとつものであった。
これを見て、思い出したのは、おおむかしの蓄音機のラッパ管といった形である。
ノウゼンカズラ、近くの木に巻きついて花を咲かせているので、子供のころはてっきり草だと思っていた。
しかし、金沢に行ったとき兼六園ではなかったが、その近くの庭園で、このノウゼンカズラは秀吉が朝鮮から持ち帰ったものだと説明を受けた。
その通りだとすると、400年くらい経っているので「持ってきたノウゼンカズラの何代目かの子孫かね?」と聞いたときに「いいえ、これは木ですから、、」と言われて初めて知った。
それ以降、なにかあるたび、鼻をひくひくさせて「これは木だよ」って自慢げに入れ知恵をひけらかせている。
.
.
今日は、広島に原爆が投下された日であり、その記念式典が放映されていた。
あの日も、ちょうど今日のように晴れわたった暑い日だったそうだ。
四十年くらい前に広島県に仕事で行ったついでに原爆資料館に寄ってみたとき、その惨劇をいくらかでも垣間見ることが出来たが、おなじ職場の先輩の中にも原爆投下の後すぐに市内の死者を片付けるため入った人がいてその人の話しも合わせて想像することができた。
その人は、軍隊にいて否応なしに現地に入り、死んだ人をトラックに乗せるのだが、さまざまな死に方をしている人を見て、「人間ってこんなになってしまうんだ」と思ったが、悲しいとか、汚いとかもろもろの感情はどこかに吹っ飛んでしまって、ただ機械的に行動してしまった。といっていた。
当然、被爆者手帳を持っていたが、その障害を口に出すことはなかった。
そして、先日その原爆を投下した飛行機に乗っていた最後の乗組員が志望したと聞いたが、そのひとも、二年前に亡くなっていたと聞いたのは、今年に入ってからだった。
| 固定リンク
コメント