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2014年8月16日 (土)

色即是空

012


蓮の繁殖力には物凄いものを感じる。

先日も雑草を刈り取るために蓮畑に入ったのだが、葉っぱの直径は7~80センチにもなるものがあり、その背丈は自分の背丈をはるかに越して、1,8mくらいになっている。それだけ勢力を使いながら地下茎も同時に伸ばし、時には隣の田んぼにまで進出していく。

そのさまを遠くから見ていると、稲という大衆の中に入って説教をしている鎌倉時代の坊様に見えてくるから不思議である。

その仏教も、江戸時代に宗門帳が作られ、庶民はどこかの寺に所属させられてから、坊さんは特権階級になり、信者獲得などをしなくなり、辻説法などということをする坊さんがいなくなった、、、、、

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今日十六日は玄関先でささやかな送り火を焚いて、十三日の夕方お迎えした両親を送り出した。

我が家は、次男坊だった父親が作った家なので、墓には両親の骨しか入っていない。当然、仏壇には二人の位牌と仏像しかないわけであるが、それでも毎日水とお茶を上げ、御飯を炊いた日には一番初めのところを仏壇に上げている。

しかし、送り火であの世に送り出したと言うことになれば、仏壇には何が残っているのだろうか。我が家は曹洞宗永平寺の末寺が檀那寺になるので、釈迦牟尼佛しかいないことになる。

般若心経の根本は、”色即是空”であり、この世のことはすべて「無!」であると喝破しているのだから、両親の霊がどこにあろうと関係ないことであるが、毎年、お盆の時期になると、わだかまっている。

ただ、両親がこの世にあった証はふるさとの墓に下に残っているはずだが、まだ今年はその墓に行っていない親不孝者である。

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コメント

オラケタ様はほんと真っ直ぐな人なんやね(^_^)
地球誕生から46億年の歴史を見てみると、ホント我々人類はどこからきたのか、我々は何者なのか、我々はどこへいくのかを考えてまうね。地球の暦から見るとほんの瞬間しか生きない私たちの人生、太陽の寿命は100億年から最後は人類滅亡のシナリオが待っている。。やっぱ”無”やね。

投稿: 岡崎在住 | 2014年8月17日 (日) 21時53分

岡崎在住様
仏壇の水とお茶は朝一番に行なう習慣で、母親譲りを続けているだけのことです。
深い信仰心があってのことではないのです。
私自身は、輪廻転生もあの世も信じてはいません。それこそ、死んだら近親者に思い出だけを残し”無”になると思っています。
宗教とは、自分勝手なものだと思います。それぞれに行ったことの無い世界をつくりだし、どの宗教も自分のところが一番正しいと主張し、おなじイスラム教、キリスト教の中で殺し合いにまで発展するのは愚の骨頂と思いますが、当事者同士は真剣そのもの。
そんなときには、良くぞ日本に生まれけりとおもってしまいますね。

投稿: オラケタル | 2014年8月17日 (日) 21時31分

オラケタ様はきちんとしなれるで立派やな。霊はおるかどうか。輪廻転生のインドでも謎みたいやよ。(笑)
<記>
インドヒンズ―教徒は普通お墓を作らない。 肉体が滅ぶと魂は別の命に転生し、肉体の一部でも元の世界に残ったら、そちらに執着心が残りそれではきちんと転生できない。魂がこちらの世界をさまよい、人々に災いをもたらす。だから前世に執着が残らぬよう、遺骸(いがい)を片づけてしまう。しかし、そういう彼らも先祖供養は行い、9月の後半から10月初めごろに15日間シュラーッドという供養祭の期間で、祖先各々の命日に各家では祭壇を設け、家に戻ってくる祖先の魂に供物を捧(ささ)げる。身近な者への追憶はどこでも共通する人情なのかも知れない。今の生はいつか前世の魂の転生した結果のはず。供養祭の間は、皆の魂が別の場所に「出張」してしまうのか?素朴な疑問をぶつけても皆笑うばかり。魂の里帰りの観念は人情に寄り添いつつ、輪廻(りんね)という世界観とおおらかに併存しているのだ。

投稿: 岡崎在住 | 2014年8月17日 (日) 21時08分

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