いまさら何を思い草
ナンバンギセルの花が今年も咲いていた。どうやら、花盛りは過ぎていたようで半分くらいは黒くなってしまっていたが、此処の花は図鑑などで言われている時期よりかなり遅いようである。
ナンバンギセル、漢字で書くと南蛮煙管と書くが、信長のころの絵によると、異国人が長い煙管を咥えていたような気がするが、それに似ているため付けられた名前のようだ。
この花は、葉緑体を持たないためススキや稲、サトウキビの根から栄養分をとるそうで、寄生された宿主は栄養を取られてひどい場合は枯れてしまうこともあるとか、、、、。
しかし、この花が咲いている場所のススキはここ四年ほどちっとも勢力が衰えたように見えないのは、上手く折り合いをつけているのか、ススキの勢いが強いのか、、、とにかく、おなじ葉緑体を持たないでほかの植物から栄養を取っている銀嶺草に比べると色鮮やかである。
また、この花は”思い草”と呼ばれていたそうで万葉集にも
”道のへの 尾花の下の思い草 今更さらに なにか思いはむ” と、歌われている。
これは、花がうつむき加減に咲いているところから名づけられたと言うことが説明がなくても分かることで、花言葉も「物思い」と言うのはこんなところからつけられたのであろう。
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二十七日いらい、御嶽山が久しぶりに噴火し多数の犠牲者が出た上、その収容も難行していることテレビは連日もちっきりである。
この山は、飛騨にいるとき何回も登った山だけに、感慨深いものがある。
ただ、自分が登ったのは‘60年代で、そのころの御嶽山は有史以来噴火したこともなく死火山もしくは休火山と言われていたころで頂上にある五つの池はむかし噴火した河口にたまった池であるといわれていて、とても静かな山頂を歩き回ることが出来た。
木曽の御岳 ナンジャラホイ と謡われたいるが、御岳山は岐阜県と長野県の間にあり、飛騨山脈の最南端に位置する独立峰である。
その山が、突然異変を起こしたのが‘68年で頂上直下の南側で噴気が見られ、‘79年に水蒸気爆発を起こしたことで、日本の火山の基準が変えられ、御嶽山にも地震計がいくつも設置され二十四時間監視の山になった。
その山が今回の惨事を起こす前に、ほとんど兆候らしいものが見られなかったことが不意打ちのようになってしまったが、やはり自然現象の予知などはまだまだ人間の力では難しいものがかなりありそうだ。
どうも、その後の調べでは、マグマの移動では検知されるはずの変動がなく、突然の水蒸気爆発だったためであろうと言う話しになっている。そうなると、また別な検知方法を考えなくてはならないだろう。
それにしても、爆発から三日たったいま、心肺停止で山頂に残されている人がいるが、医者が診断しなければ”死亡”とならないようでいまだ死者は12名と言う。
なんか違和感を感じてしまうのだが、これってどうなんだろう。
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