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2014年9月30日 (火)

いまさら何を思い草

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ナンバンギセルの花が今年も咲いていた。どうやら、花盛りは過ぎていたようで半分くらいは黒くなってしまっていたが、此処の花は図鑑などで言われている時期よりかなり遅いようである。

ナンバンギセル、漢字で書くと南蛮煙管と書くが、信長のころの絵によると、異国人が長い煙管を咥えていたような気がするが、それに似ているため付けられた名前のようだ。

この花は、葉緑体を持たないためススキや稲、サトウキビの根から栄養分をとるそうで、寄生された宿主は栄養を取られてひどい場合は枯れてしまうこともあるとか、、、、。

しかし、この花が咲いている場所のススキはここ四年ほどちっとも勢力が衰えたように見えないのは、上手く折り合いをつけているのか、ススキの勢いが強いのか、、、とにかく、おなじ葉緑体を持たないでほかの植物から栄養を取っている銀嶺草に比べると色鮮やかである。

また、この花は”思い草”と呼ばれていたそうで万葉集にも

”道のへの 尾花の下の思い草 今更さらに なにか思いはむ” と、歌われている。

これは、花がうつむき加減に咲いているところから名づけられたと言うことが説明がなくても分かることで、花言葉も「物思い」と言うのはこんなところからつけられたのであろう。

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二十七日いらい、御嶽山が久しぶりに噴火し多数の犠牲者が出た上、その収容も難行していることテレビは連日もちっきりである。

この山は、飛騨にいるとき何回も登った山だけに、感慨深いものがある。

ただ、自分が登ったのは‘60年代で、そのころの御嶽山は有史以来噴火したこともなく死火山もしくは休火山と言われていたころで頂上にある五つの池はむかし噴火した河口にたまった池であるといわれていて、とても静かな山頂を歩き回ることが出来た。

木曽の御岳 ナンジャラホイ と謡われたいるが、御岳山は岐阜県と長野県の間にあり、飛騨山脈の最南端に位置する独立峰である。

その山が、突然異変を起こしたのが‘68年で頂上直下の南側で噴気が見られ、‘79年に水蒸気爆発を起こしたことで、日本の火山の基準が変えられ、御嶽山にも地震計がいくつも設置され二十四時間監視の山になった。

その山が今回の惨事を起こす前に、ほとんど兆候らしいものが見られなかったことが不意打ちのようになってしまったが、やはり自然現象の予知などはまだまだ人間の力では難しいものがかなりありそうだ。

どうも、その後の調べでは、マグマの移動では検知されるはずの変動がなく、突然の水蒸気爆発だったためであろうと言う話しになっている。そうなると、また別な検知方法を考えなくてはならないだろう。

それにしても、爆発から三日たったいま、心肺停止で山頂に残されている人がいるが、医者が診断しなければ”死亡”とならないようでいまだ死者は12名と言う。

なんか違和感を感じてしまうのだが、これってどうなんだろう。

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2014年9月28日 (日)

安倍峠に行く

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空一面に広がった青空の下、安倍川沿いをさかのぼり山梨県は身延町との境の安倍峠まで行ってみた。

この道路、最奥の集落で温泉場である梅が島温泉までは生活道路なので、道路が崩壊してもすぐに補修されているが、そこから、身延町に至る道路は思うに任せずよく通行止めになる。

とくに山梨県側は、重要な道路と見ていないためほとんどが通行止め区間になり、自動車を走らせるのはめったにない区間である。

しかし、安倍峠をすこし山梨側に下った地点からの富士山は絶景であり、紅葉の時期には何十人もの人がカメラを構えている場所でもある。

今日も例のごとく峠のすこし手前でゲートが閉じられており、歩いてでないと富士山が見える場所にまで行けない。

距離にして一kmほどの道のりであるが、峠に向かって登り、そして降る。

この峠は、オオイタヤメイゲツの集団自生地であり、10月末には黄葉で奇麗に染まるところである。

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今の時期は、まだすこし早いようで、青葉の間に七竈の赤い実や天辺をすこし赤く染めた紅葉が見えるだけであったが、目的としていた、イワシャジンが見えるかどうかであった。

イワシャジン、漢字で書くと岩沙参と書き、釣鐘人参の仲間と言うだけあって花の形はよく似ている。

しかし、咲く場所はきまっで岩の多いがさがさとして場所を好み、フォッサマグナ由来に植物だと言うから、全国どこにでもある草ではないようだ。

釣鐘人参に比べれば、自立して立つというより、岩場から垂れ下がるようにして花開き、その色合いは全体にすこし濃い目の花を密集して咲かせている。

今日の秋風とマッチして清清しさを感じさせる花である。

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2014年9月27日 (土)

 チュースピー

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1,975年。ペルーはワヌーコ県のアンデス山中でボーリングをしていた。

その現場から小さな谷を挟んだ向かいの山にチュースピーという山があった。

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ボーリング現場からアコンカグアを遠望する

この山はアンデスの最高峰アコンカグアからどのくらい離れたところにあるのか分からないが、、現場から「あれがアコンカグアだ」と言われて見えたところから、5~60kmくらいの距離にみえた。そして、このあたりは6,000m級の山々が連なっているところなので、今になって地図で調べてもその位置が分からない。

なにしろ、ボーリングの現場でさえが標高4,000mを越えており、赤道直下に近いこのあたりの山でも4,600mを越えれば、氷河が山に居座ってしまうところから、このチュースピーという山は5,000mを優に越えていると思われた。

ボーリング作業は、三交代で昼夜休みなく続けられたが、機械修理だったか、何かの折休みが一日出来たので、この山のどこまで登れるか行ってみたことがある。

このあたりの山は、森林限界を越えており低い草しかないのと、羊飼いが羊を追って歩く山なので、特に道がなくても好きなように歩くことが出来た。

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4,600mまであと少し

それでも、4,600mくらいと思われる氷河の下まで登ったときには息が切れだしたのでそこで引き返してきたが、このあたりが自分が足で登った最高到達点である。

そこから見た景色は、アンデスの山々を連ねて、行く筋もの横線が走っていたが、この横線はむかし海の底に堆積した珊瑚などによる石灰岩と泥が堆積した頁岩の互層が大陸移動の圧力で幾重にも折り曲げらた末に見せた断面である。

そして、圧力を利用するような形で地下からマグマが亀裂に沿って登ってきたのが、日本で言う安山岩である。

安山岩や玄武岩はマグマが押し上げられ、地表の比較的浅い場所で急激に冷え固まった岩石をいい、白っぽいものを流紋岩、黒っぽいものを玄武岩と言いい、その間の色合いのものを安山岩と言う。(細かく言えばきりがないので省略)

安山岩。その名前の由来はアンデスの岩(andesite)と言うところから日本語に直されたものであるが、その元となったのはペルーで第二公用語になっているケチュア語の東(アンテイ)という言葉が元になっていると聞いた。

自分が現場に入ったころ、草の間に咲く花を指差して名前を聞いたところ、すべてを「フロール」で誤魔化されてしまったように、アンデスの山に向かってあの岩はと聞いたところ、指差す方向が東だったのではなかっただろうか。

多分、当たらずとも遠からずでなかっただろう。それにしても安山岩が元をたどると東だったというのは、最近の若者言葉に目くじらを立てることもないか。と、言いながら気になってしまうんだな       

            これが

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2014年9月26日 (金)

小蜜柑草

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コミカンソウ。葉っぱの下に一列になって小さな蜜柑のような実をつけている。

実の直径は3mmほどだが、花はさらに小さく1mもあるだろうかとにかくよほど気をつけないと見ることが出来ない。

別名を”狐の茶袋”というが、見ようによってはお茶を入れる袋もまた正解か。

漢字にすれば小蜜柑草だが、大蜜柑草というものはないので、我々が普通に食べる蜜柑を小さくしたようなと言う意味合いであろうか。

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最近不思議でならないのは、シリアで勃発した武装集団イスラム国である。

多分本人たちが名乗っているのを直訳したのだろうけれど、いまだどこの国も国家として承認した国はない。

また、あまりの残虐行為に、他のイスラム教を信じていたり、国教としている中東の国々はイスラム教はこんな宗教でないのだから、イスラムの名前をつかって欲しくないと言っている。

しかし、別の名前を付けようとはしないマスコミは、連日のようにイスラム国イスラム国と既成の国のように声高に放送している。

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2014年9月25日 (木)

水に意なし

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明け方になって激しく降り続いた雨は、裏の川を満杯にして流れ降っている。

その激しい雨に打たれて堤防内側に咲いている黄色コスモスは、一様に首をうなだれて水面を眺めているかのように見えた。

盛りの過ぎた黄色コスモスとしては懸命に雌しべを守っているのだが、なにせ老いた身にはつらい雨だったようで花びらを散らす傍から流れに身を任せた花びらは急速に去っていく。

まさに「落花に情あれども水に意なし」を思わせる風情である。

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その雨も、九時過ぎには上がり青空が見えてきたので、少し離れたスーパーまで自動車を運転してお供に出かけたが、十一時近くになって家に帰り着くころになって同報無線が「大雨注意報が解除されまし」という。

雨が上がってから二時間。慎重に慎重に検討を重ねての発表なんだろうけれど、タイミングがずれすぎて、、、、、、、、、まさにお役所仕事。

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2014年9月23日 (火)

コムラサキ

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暑さ寒さも彼岸まで。

今日は彼岸の中日、台風も近づいており、明日からは大雨が降るとの予想であるが空は昨日にましてすっきりと晴れ上がっている。

気温は最高で二十七度だそうだが、乾燥した空気はもっとさわやかに感じる。

そんな中久しぶりにコムラサキを見かけた。草につかまって羽を開いたり閉じたりしていたが、身体の向きと太陽との関係で時折はっとするような羽の色に変化する。

コムラサキは土地によって体表の羽の色が違い大別して赤型と黒型があるそうで、静岡は黒型だそうだ。

この蝶は花の蜜はほとんど吸わないそうで、果実の熟したものとか樹皮の間の蜜、そして、生物の死骸などを餌にしているようだが、幼虫は柳の葉が好物だそうで川べりの柳を繁殖の場にしている。

そのむかし、蝶は死者の魂が乗り移っていると言われていたが、案外人の周りから離れずにひらひらと飛び交うことから連想したのではないだろうか、、、、

そうすれば、今日のこの蝶は、彼岸にも墓参りに来ないどら息子を叱りにきたのかもしれない。

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2014年9月22日 (月)

蓮根掘り

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一軒タンポポを思わせるような花を咲かせている鬼野芥子(オニノゲシ)のヤマトシジミが蜜を吸いに来ていた。

全草棘だらけ、仲間の野芥子を一回り大きくしているところから、鬼という字が冠せられているが、芥子の仲間ではない。

花図鑑では棘が刺さると痛いと書いてあるが、草食動物から言わせるとこけおどしに棘であり、牧場では見かけない草である。

多分この棘は、美味しさを隠す道具立てであろう。

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今日はこの秋初めての蓮根掘りをしてみた。

静岡の蓮根掘りは、テレビでよく映し出される水圧を利用して掘るのではなく、すべて素手で土を掘りのけて探し出すやり方である。

「今日は験し掘りをする」と言って家を出たのは、四月以来この仕事をしていなかったのでどこまでやれるか自信がないことの、理由付けでもある。

まばらになった茎を刈り取り、いざ手で掘りはじめたが、予想していた通りてが土にめり込まないほど固い部分があって指先が痛くなってくる。

気温は27度と作業するには快適な温度であるが、真澄に晴れた空から降り注ぐ太陽は無性に暑く、たちまち下着は汗だく、顔を滴る汗が目に入るとたちまち戦意が衰えてしまい、一時間半に満たない時間しか田んぼにいることが出来なかった。

それでも、近所に少しづつだが配る量を確保できたのは幸いだった。

多分この調子だと、明日の朝あたりは腰か指先が痛くなるんだろうな。

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2014年9月21日 (日)

彼岸花の咲く道

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昨日から彼岸に入って、野山に真っ赤な斑点が出来上がっている。

その花の間を分けて草刈りをしている老人を遠目に見た。蜜柑畑の間に細い道路があるようだが、咲いている花を傷つけないようにして作業している姿は、、、、、、、

彼岸花は、気温の上下には関係なく、この時期になると揃って咲き出すというのは、球根に日照時間を知る体内時計みたいなものがあるからであろう。

014f花の形が火炎のように見えるところから自分たちが子供のころは、火事花といって家に持ち込むと火事になる。と言って嫌われた。

しかし、この花も土地によっていろいろと取られていたようで、今日も池ヶ谷の山で雑談した帰り、ご同輩が寿命が短いからと言って、つぼみの多い彼岸花を根元から手折って持って帰っていった。

彼岸花の別名に曼珠紗華と言う優雅な名前もあるが、いっぽうで地獄花とか死人花などと不気味な名前もある。

前者は花の艶やかさからきたものと思われるが、後者は球根に毒があるところから来ているようで、田んぼの土手などに植えられているのは、飢饉のときの救荒食にしたとか、土手をモグラやねずみに荒らされないためとか聞いた。

同様な意味で墓の周りに植えられていたことにもよる、とにかく好き嫌いの激しい花である。

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2014年9月20日 (土)

目で見ただけのケットラ市

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午前中することもなかったので掛川の”ケットラ市”を見に行った。

曇り空でいつ雨が降るかわからないような空模様だったので、人でも少なかろうと踏んで向かったのが誤算の始まり。家を出てすぐ傍の唐瀬街道から混み始めた道路は、いたるところで渋滞をしており、普段なら一持間ほどで着くところを約二時間かかってしまった。

おかげで着いたころには、もう店じまいを始めるところまである始末、、、、、

ケットラ市とは、月に一回だと思ったが、掛川近在の農家が軽トラックに野菜など自分の家で作れるものをもって、路上で売りさばくと言うもので、軽トラック市を縮めて名づけた市で掛川市も協力して道路の一部を通行止めにし町おこしを図っていた。

遅くなって投売りなどの余禄がないかと思ったが、ほとんどの品物はこの秋の不作もあってか売り切れたのと、売り値を一文も負けないと言う静岡魂、、、目で見るだけで手を出すこともなく帰ってきた。

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先日来、世界の話題になっていたイギリスからアイルランドが独立しようとする国民投票が反対多数で否決された。

この間の話題として面白かったのは、初めは独立なんて成立するはずもないと高をくくって、選挙の実施を許可していた、政府が世論調査の結果ひょっとすると成立しそうと言う世論調査の結果を見て慌てふためいたことにある。

「私が嫌いでも出て行かないで」と現地に足を運んで懇願するキャメロン首相。

自治権拡大などいろんな条件を提示したり、独立したらポンドを使わせないなどと脅かしたりした結果分離独立を阻止したが、アイルランドだけに自治権拡大というわけにも行かず、全国的にこの施策は実行しなければならないことから、大幅な行政見直しをしなければならなくなった。

アイルランド自治政府は選挙では敗北したものの、実質では要望のかなりの部分を勝ち取ったのではないだろうか。それにしてもほかの国なら銃撃戦もしくは内乱になりかねないことをこんな方法で収めたのは知性ある手段であり、老大国と言われるゆえんでもあろう。

日本ではこれを遠い国の話しと思っているかもしれないが、道州制になれば当然のように自治権拡大の動きが出てくるだろうし、今の沖縄県のように政府の方針と県民の思惑とが乖離しているところでは、こんな動きが出ても不思議ではないだろう。

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2014年9月18日 (木)

住む人絶えてなく

幾年ふるさと来てみれば 咲く花啼く鳥 そよぐ風

門辺の小川のささやきも なれにし昔のままなれど 

荒れたるわが家に 住む人絶えてなく 

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むかしの小学校唱歌に載っていた「故郷の廃家」だった。

今から五十数年前、神岡鉱山 栃洞坑のこの社宅に数年間住んでいたことがある。木造の二階建て、下が六畳、二階が八畳という間取りに親子五人で住んでいた。

そのころの鉱山は、景気の回復と東京オリンピックを前にして”所得倍増論”で賃金が毎年のように5~6%の割で上がり、なんだか前途が明るいものを感じる時期でもあった。

鉱山社宅は石炭山とちがって、全国を見ても街中に出来ているもはすくなく、大抵は坑内に入る抗口の近く、つまり山の斜面にへばりつくようにして建てられたものが多く、この一角も南平社宅と言ったが、平らなところはどこにもなかった。

そして、何もないところに建てられたということは、民家と言えるものはほとんどなく、あってもすべてが鉱山の従業員という一種企業城下町であり、おなじ職場に入っているもの同志として家族ぐるみの付き合いの濃厚なところであった。

また、市街地から離れた不便な場所に建てられたため、鉱山の福利厚生施設は当時の世間と違った生活環境がつくられており、社宅は当然としても、従業員は給料のほか冬を過ごすための燃料(当時は薪と炭が主体)水道、電気は無料であり、少し離れたところにあった大津山では、子供出産届けや名前付けなどまで人事係が相談に乗り、役場へは代行で行ったなどの逸話さえあった。

そのため、ここに長年住み続けると、それが当たり前となり、鉱山を退職して世間の風の冷たさにびっくりすると言うのが常であった。

そして、この社宅の近辺には、鉱山が経営する購買部と言うスーパーと床屋も何箇所かにあり、住めば都ではないが、ここも、ほかの鉱山同様”雲上の楽園”などとも言われたことがある。

その鉱山も、昭和五十三年に大幅な合理化がなされたのを皮切りに、幾多の人が鉱山を離れ、平成に入って閉山ととなるに及んで精錬部分を除き、四散してしまった。

それから五年、久しぶりに訪れた自分が住んだことのある長屋は庇も折れ、窓ガラスも割れており、そのむかし働いた坑内は口元がふされ、廃墟マニアの好餌にされてしまっているのは痛ましいかぎりである。

上の写真は、この奥にある山の村の従兄弟を訪ねた帰りに通りかかったもので、今から十年前のもだが、今ではさらに荒れているだろう.

いや豪雪地帯のため、、、、、

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追 岡崎在住さんや船津さんのコメントにもあったように、映画全盛のころは毎月日本映画五本と、洋画四本が上映されていたが、栃洞、大津山の両坑は無料だったようにおぼえている。精錬が主体の鹿間関係は一枚5円ほどの切符を買っていたのではなかっただろうか。

そのほかの演芸に関しても、美空ひばり以外の当時の有名タレントの公演はすべてあったと豪語されるなど、鉱山の繁栄を伝える話はいくつもある。

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2014年9月16日 (火)

待宵草のやるせなさ

待てど暮らせど 来ぬ人を 

  宵待ち草の やるせなさ 

   今宵は月も 出ぬそうな

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大正のはじめに竹下夢二が作った歌だというが、むかしの歌は寿命が長かったようで、昭和に入っても歌われつづけてきた。

自分たちもこの歌はよく聞いてきたが、宵待ち草とは月見草だとばかり思っていた。

しかし、正確には待宵草(マツヨイグサ)であり、月見草もまた別な花であることを知った。

ゆえに太宰治が河口湖の上にある天下茶屋で”富士には月見草がよく似合う”という文句も正確には違う花であり、大正の文豪や画家も感覚でものを言っていたことになり、後世の若者に間違った知識を植え込ませてしまった。

そして、子供のころはこの花はもっと大きなものだったと記憶していたが、最近では花も背丈もごく小さくなったので、不思議に思っていた。

子供のころ見たものの中には、自分の背丈や目線で憶えていたものがあり、高い木だとばかり思っていたものが、久しぶりに見たとき「こんなに小さかったのか」とがっかりした経験があったのでその伝かと思っていたら、どうやら、子供のころ見たのはオオマツヨイグサであり、最近はマツヨイグサに取って代わられたためだと言うことが分かった。

なんでも、大きいものが強いと思っていたが、動物同様、強いものが生き残れるのではなく、環境に合わせられるものが生き残るのだそうで、、、、、、納得した。

産業革命以来世界を席巻したこともあるイギリスが分裂するかしないかが今大きな問題になっている、、、、、、、最近では老大国と呼ばれ影響力も薄れてきたがこちらはどう見るべきであろうか。

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2014年9月15日 (月)

敬老の日に寄せて

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ブルーサルビアの花が涼しげに小さな公園の片隅に咲いていた。

例によって例のごとくこの時期に人目も構わず蜜を吸いに来ているセセリチョウが名前の通り花の蜜をせせりとるかのようにしがみついていた。

ブルーサルビア、そのむかし、国体の時期に添える花として、岐阜県じゅうに植えられたのは赤いサルビアだったが、この花はあまり好きではなかった。この花もサルビアと名づけられているが、どうも花のつき方や形が違うような気がする、、、、

ちなみに花言葉は、尊敬、家族愛などがあった。

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今日は”敬老の日”長年社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日だという。

今日の新聞によれば65歳以上が3,300万人もいて、自分も仲間入りした75歳以上がその半分近くの1,421万人もいるそうで、まさに老人ばっかり国家になってしまったようだ。

自分の父親は64歳で亡くなったが、その子供は五人ともまずまずの健康状態で、欠けることなく通過している。

これも目出度いことなんだろうが、平均寿命を押し上げているかと思うと何だか肩身の狭い思いがしないでもない。

当然、この歳になれば敬老の日の対象者になるのだが、自分自身に老人と言う自覚がない上、日ごろの依怙地の延長上素直に受ける気がしない。

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2014年9月14日 (日)

同じ方向に向く

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真夏の花とばかり思っていたヒマワリがまだ咲いていた。

少々小ぶりなところが当世風というべきか、以前は花というより種を取るための作物という風潮から、背丈も高く御盆のような花がおおかったものだ。

しかし、一斉に同じ方向に向いて咲くという修正は、小さくなっても失われることがなく、その正面に立つとひとつの思想に盲信してついていく人が想像されてしまう。

そのためか、花の真正面に立つのがはばかれるような気分がした。

もちろん、多数の中には幾分さめた人もいるのと同様、余所見をしているヒマワリもいるのは、どの世界にも共通したことか。

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心地よい風と高く晴れ上がった空に誘われ出かけてみる気になった。我が家から車で三十分、比較的道路もすいていたので久能の海岸を東に走ってみる。

気温は、三十度になっているのに、空気が乾燥しているためエアコンのスイッチは入れず窓から入ってくる風は心地よく暑さを感じさせない。

冬場になれば、街道脇のイチゴ狩り園の駐車場でビニール製の大きなイチゴをくるくると回して誘客をしているおねぇちゃんはまだ見えない。

右側の駿河湾は、今日の天気に合わせてのたりのたりと波さえ感じさせない動きをしていた。

そんななか、雑談をしながら車を進めて三保半島に入り、ひさしぶりに三保の松原に行ってみようかと車を美穂神社の参道に入れてから気がついた。

今日は三連休の中日だったと、、、、毎日が休みの自分らにとってこんなときの観光地は厄日であることに、、、、、

道路には、最近通行規制がかかった観光バスから降りて、添乗員の旗を先頭に歩く団体客が百人以上いるらしく長蛇の列。

自分たちの乗用車も駐車場に近づくにしたがって、次第に渋滞してきた。

途中で駐車場の誘導員に聞くと、駐車場は満杯だとのこと、、、、「悪かった、いつでも来られる自分たちはこんなとき邪魔をしてはいけないんだ」と急遽わき道にそれて帰ることにした。

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2014年9月13日 (土)

よく似ていても

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散歩道には今二種類の野生朝顔がいっぱい咲いている。

この2種類の朝顔は、花の形はもちろん大きさもほとんど同じである。

紫色の花弁を持つがホシアサガオといい、白い花のほうがマメアサガオという。

こんなによく似ていると言うことは、極近い種類かと思ってはいるが、後輩は出来ないらしく、どっちつかずと言うのは見当たらない、どころか、二つの花が寄り添っているのさえ珍しい。

なんとか二つの花が寄り添っているのがないかと探し回って見つけたのがこれである。

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近くて遠い仲というのは人間だけでなく植物にもあるようで、ひとつの種類が群生していると言うのは、ほかの種類の植物を排斥していると言うことであり、人間の目には見えない地面の下で足の蹴りあいをしているようなものである。

日ごろ皆さんから先生と言われる国会議員も、今回の内閣改造で大臣になれると思っていた人が五十人を越えていたというから、多分軍鶏そこのけの足のけりあいは見えないところでやっていたことと思う。

その中で大臣を任命することが出来る首相は、女性の社会進出をアッピールするため、女性閣僚を一時は閣僚の1/3の六人にしたいと思っていた様子だったが五人にとどまった。

しかし、国会議員の中に女性議員が占める割合から行くとかなり無理をした数字であり、本当に適材適所から言うと疑問が残る。

さかのぼって考えれば、閣僚を1/3にするには女性議員を国会議員の1/3にしなければかえって不公平にならないか。

そのためには、公認段階から数を増やさなければならないのではなかっただろうか。

国会はテレビの歌番組ではないのだから、クチパクというわけには行かないので、これからの論戦を楽しみにしているが、対する野党も同様な状態だと、、、、、、、、、考えてしまうな。

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2014年9月11日 (木)

鶏頭の花は

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わざとではないような口調で「鶏頭となるも牛後となるなかれ」と言った人がいた。

昨夕から断続的に雨が降る中を見計らって、散歩に出かけてみたが、その途中で見かけた鶏頭の真っ赤な花の集団に、ニワトリの鶏冠を思わせる花を見つけて一枚。

この花を見ながら思い出した一こま

この花の構造はなかなか複雑で、どこが花びらで、どこが雄しべやら雌しべ分からないくらい複雑である。

このような咲き方を帯のようになると言うことから帯化というそうだ。

鶏口も牛後も経験した身にとって、どちらがよかったかと言うと即座に返答は出来ないが、牛の尻尾のその先、、、は、あまり愉快なものではなかった。

と、同時に鶏にも尻尾があるので、、、、、、、、、

最近、いくつかの会社がブラック企業として名前が挙がっている。労働組合の力が失われていることにも原因があるのだろうが、ここに名前の挙げられている会社は、世間に広く知られている会社なので、名前を挙げられるとほとんど人は「ああ、あの会社ね」と納得する。

しかし、日本の場合資本金一億円を越える会社は、ほんのわずかであとは従業員三十人以下の零細企業がほとんどだと言う。

世間に名前の知られていない会社がどんなに劣悪な経営をしたとして、ブラック企業に名前を挙げられることはない。、、、答えは、話題性には乏しいから。

そんなことでブラック企業をあげつらう団体からさえ見放される鶏の尻尾は、、、、

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2014年9月10日 (水)

イツキの実

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久しぶりヤマボウシの赤い実を見つけて食べてみた。赤く熟した皮の下には黄色く熟れた実がほの甘く感じられた。

ヤマボウシは漢字で書くと山法師と書き、水木科の木であり、花も花水木の花と区別がつかないくらい似ている。

そのためか子供のころこの美を”イツキ”と呼んだが、今になって思えば大人の誰かが”水木”と言ったのを聞き間違えて子供の間に広まっていたような気がする。

そして、この実が熟れると、いよいよ山の秋の果物の季節になり、この後からアケビや山葡萄、澤胡桃などおやつ代わりにせっせと山に入ってとりまくったものだった。

その頃も山には熊がいたはずだったが、子供が一人山に分け入って、木に登り、これらの果物をを取っていても遭遇したこともなかったし、そんな話しも聞くことがなかった。

鹿や猿と違って、最近は熊の数が減っていると言うのに、見かけた情報がおおく、静岡あたりでも登山道の上り口には「熊に注意!」の看板を目にする。

冬眠を控えて大量の食べ物が必要なのに、山が荒れて餌になる果物がなくなっているのが原因のようだ。

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近頃また変な言葉が流行している。少し前には「から」と言う言葉を丁寧語に思ったようで、レジに行くと「500円から頂きます」などといわれ、何度か店員に間違っているとお節介なことをしたことがある。

そして最近気になっている言葉は「なります」である。

食べ物屋に入って注文の品物を持ってきたおねえちゃんが「こちら、野菜サラダになります」という。

本人は丁寧に言っているつもりらしいが、普段使うことがないため誰かに教わったのかもしれない。

わざわざ「こちら」と言う言葉もおかしいが、「野菜サラダです」なり「野菜サラダでございます」くらいのことが言えないのだろうか。

この言葉は食べ物屋に限ったわけでなく、あちこちの店でよく聞くようになった。

さそして、テレビのコマーシャルのなかで「こちら、私の母になりますが、、、」と言う富山の薬屋さんがいたが、コマーシャルを作るとき、誰かおかしいよって教えてあげる人がいなかったのだろうか、、、、。

言葉遣いについて自分は万全だと言うつもりは毛頭もないが、このマニュアル的言葉は、誰か言葉を知らない人が作っているような気がしてならない。

こんな些細なことに目くじらを立てるほうがおかしいと言えばおかしいのかもしれないが、、、、、、、、、、

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2014年9月 9日 (火)

のどもと過ぎれば

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昨日が旧暦の八月十五日で中秋の名月。そして、今日が満月だと言う。

この辺の理屈がどうもよくわからないが、旧暦と天文学のづれでそうなっているそうだ。そして、新聞の受け売りであるが今日は月と地球の距離が一番近いため一段と大きくなっているそうだ。

昨夕は、雨が少しであったが降っていたため、中秋の名月は今年は見られない。と思っていたが、どうやら夜中に雲が消えたようで、例によって池ヶ谷の年寄り会談で、今朝の三時ころ、月が非常にきれいだったという。

009今日の早朝散歩は五時半。東の空は雲が厚く六時過ぎになってようやく雲の隙間から太陽が出たくらいで、月は見た覚えがなかった。

そして、今日九時過ぎには、午後からの曇り空に少し雲の切れ間が出て観月が顔を出していた。

雲の切れ目の間にも、薄い雲がかかっていると見えて大きな満月はおぼろに霞んでいたが、一瞬だけ大きく耀いた。

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いつのころとは言えないが、とにかく若すぎるころだった。鉱山の職場の新年会に出て始めてウイスキーを飲んだ。

今でもそうだろうけれど労働基準法で坑内での作業は男しか出来ないことになっていた。したがって、女の人のいない職場の宴会と言うものは、一種殺伐としたものがあって、芸者が必ずと言っていいくらい必要だった。

そのため人口わずか二万数千人の町に芸者と言われる人が六十人くらいいた時期があり、ひとつの宴会に五~六人は呼んだものだった。

それでも、飲み始めると仕事の自慢話というか、どれだけ力持ちかとか、どれだけ酒が飲めるかという話になってくる。

そのときの勢いで、ウイスキーを飲まなければならなくなって、コップ一杯を一気飲みした。

先日、テレビで言っていたが、人間が食べ物を楽しむのは、口で噛んで舌触りとか味を見る程度で、喉に入ると一切感じなくなるものだと言っていた。

魚の骨が喉に刺さると感じるのは、ごく上のほうで、若し食道辺りで刺さっても分からず、文字通り「喉もと過ぎれば、、、」であるとのこと。

しかし、ウイスキーは違った。暑い棒のようなものがス~ッと肺の間を下がっていくのを感じ食道にも神経があるのを感じ、ウイスキーって大変なもんだと言うのが第一印象であった。

その後しばらくしてその感覚はなくなって、香りを楽しむことが出来るようになったが、、、、、、、、、

このほかにも、酒を飲んでの武勇伝を数々ものにしてきたものだったが、急性慢性を問わずアルコール中毒になることもなく過ごして来れたものと今になって怖気をふるっている。。

その、呑み助も、今ではビール350mm缶一杯で赤い顔をしている好々爺?に成り下がってしまっている。

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2014年9月 8日 (月)

時の流れに身を寄せて

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ヌスビトハギの花が道端に咲き、早くも名前の由来となった足型の実をつけ始めている。

この萩は、花の形だけ見れば薄紫のきれいな花で密集して咲くさまはこの悪名が可愛そうになるが、繁殖の手段としてズボンの裾につくと、取り除くのに参ってしまうほどしつっこい。

アメリカ栴檀草やヤブジラミとともに次の年の夏過ぎまでも居残って草やぶに足を踏み入れるのをためらわせる三大悪草であり、おなじ引っ付き虫のオモナミなどは可愛い存在である。

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まえに、NHKの朝番組「花子とアン」を見ていると書いたが、最近はあまり見たくないと言うか、目をそむけている。

原因は昭和の一番嫌な時代に時代に入っているからであろう。

自分の生まれたころの時代であるが、世間はラジオや新聞をはじめとするマスコミに踊らされて横暴を極めてきた軍に対する批判が一切出来なくなってしまっていた。

それこそ、世界情勢からの情報もシャットアウトとされ独りよがりの判断で国民を押さえつけて嘘だらけの大本営発表を鵜呑みにするしかなくなった。

ほとんどの国民は、時の流れに身を任せて破滅に進んでいった時代である。

安倍首相は、よく戦後レジームからの脱却と言うが、彼の思想にはこの時代が良かったと吹き込んだひとがいたに違いない。た彼の爺さんや伯父さんあたりの思想であろうと推察している。

よく、テレビで「昭和は良かった」と言う種の放送があるが、これは戦争に負けた後、自由に自分の思いをぶちまけることでいろんな文化が開花し、どん底から一歩でも二歩でも這い上がることが出来た次代だったからであり、それが戦後レジームだったと思っている。

そして、バブルがはじけ、平成に入ってからの沈滞とともに先の見えない閉塞社会になってくると、貧乏と金持ちの格差がはっきりし、どうあがいても抜け出せない格差社会になり、昭和初期の状況を思わせる世相になってきた。

安倍首相は、円安になれば輸出が増え、株価が上がれば日本の景気は上向き、税収も上がって国民が潤うと言った。

しかし、それからどうなっただろうか。円は70~80円台から現在105円まで下がったが、貿易は赤字続きだし、昨日の経済指標ではBDPが年率で7.6%下落だと言う。

株価上昇で儲けた人はほんの一握り、(それも外資が多い)企業業績が伸びたのは大企業のみ、それからはじき出されたほとんどの人は消費税と物価の値上がり分をもろにかぶっている。

今度の内閣改造に国民は60%に指示を与えたと言う。時の流れに身を任せてばかりいると再び、、、、、、、、ヌスビトハギが草陰から足元を狙っているよ。

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2014年9月 7日 (日)

へぇ~

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いつのころこの花の球根がここに持ち込まれたのかしらないが、毎年決まって九月のはじめに咲き始める。

淡いピンクの花が一本の茎から七~八つと順番に咲きだす、春から夏の初めまで細い葉っぱを出していたが、花の咲くころは消えてしまっている。

花と葉っぱが同時に見られると言うことがなく、彼岸花やキツネノカミソリの逆を行くような咲き方をする。

最近知ったのであるが花の名前は、ホンアマリリスと言う。

よく、ウメモドキやニセアカシアなどのように、似ているが本物ではないよとして名づけられた植物があるが、わざわざ本家本元だよって言う名前はほかには無いのでないだろうか。

これは園芸店で売られているアマリリスに対しての名前で、園芸品種の元になった植物が過去にアマリリス属に分類されていたものの、のちに別の属に移されたためだという。

したがって、アマリリス属に分類されるのはホンアママリリスだけというややこしい説明がついていた。

この花としては仲間がいなくなって「ヒジョーに寂しい」といったところか。

ちなみに子供が幼稚園で習った器楽曲に「アマリリス」っていう曲があったが、ごく簡単な調べなので楽器の使い初めに使用されるそうだ。

しかし、この曲の作曲者を調べてみたら日本では江戸時代の初期にあたるころフランスのルイ13世が作曲したらしいとのこと    

王様の作った歌ね。       「へぇ~」

アフリカ原産の植物らしいのだが、そのころアマリリスがフランスに入ってきていたのだろうが、、、、、、、、となると、どっちだったんだろうか。     

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むかし、韓国に旅行に行った人から聞いた話しだが、ベルトの両面に違うブランドのコピーが印刷した物を売っていた人がいて「こっちもこっちも本物よ」と叫んで、両面を交互にひっくり返していたそうだ。

これなんかは、明らかに両方とも偽物だとすぐに分かる他愛もないものだが、世のなか本物か偽者かの判断が難しいものが多すぎる。

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2014年9月 6日 (土)

ケチ!

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今日もまだ明けやらぬうちから裏の川が騒がしい。

三面張りの川なので川底は平らな上、水深が浅いので歩いてはいるのだが、川底に頭を突っ込んで何かを食べている様子。

上から見た限りでは何を食べているのかは分からないが、夕方にも十羽ほどが連れ立ってやってくる。

その中にリーダーなのかもしれないが、ひときわ騒がしいのがいる。ただ人が苛めるようなことが無いと察しているのか、サギと違って逃げ去ることが無い。それどころか餌を期待して近寄ってくるものさえあるくらいだ。

ただ、自分は野生の動物に餌をやらないと決めているので、餌をやることが無いが、そんなときの彼らの目は、いかにも「ケチ!」と言っている様子がありありと見えるくらい態度に出ている。

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2014年9月 5日 (金)

花より実が目立つ

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龍の髭の花。

淡い紫の花を草むらの間で花咲かせていた。

花の径は5mmほどしかないごく小さな花で、気をつけなれば踏み潰してしまいそうである。

草は、花より秋も遅くなってから、、、それこそ冬になってから艶々とした藍色の丸い実をつけ、そのほうが目立つっていることで知られている。

こんな小さな花に、”龍の髭”なんてご大層な名前を付けたのは葉っぱが細い髭のようだったことにあると言う。

別名を蛇の髭といい、こちらのほうが有名であるが、蛇には髭がないので、自分は龍の髭のほうが適切と思い、そう呼んでいる。

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最近の話題は、代々木公園で蚊に刺された人が、南方の病気であるデング熱にかかってしまったことである。

なんでも最近海外に出かけた経験のない人たちばかりのようで、この近辺で刺された人しか発症していないことから、感染者がここで蚊にうつしたものが広がってと見られ、その人は海外からかえって来た人か、外国籍の人かは分からないと言う。

デング熱はあまり重症化する病気ではないようだが、あまり研究する人がいなかったためか、治療薬や予防薬は無いとのこと、実は、熱帯地方の貧困国にはこういう病気が多いそうだが、薬業界ではやはり儲けが優先しているのかな、、、、。

東京都も蚊の駆除対策を行なっているようだが、あまり強い駆除剤をまくと、ほかの生態系に影響を及ぼすとあって、苦慮している様子。

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一方、静岡では六月末に行なわれた安倍川花火に出店していた「冷やしキュウリ」が原因でないかといわれた0-157による食中毒が発生した。

こちらは早い段階で原因の発表があったが、すべて売切れてしまっていたため、普通なら残品を調べて確定することが出来ず、さらに、これを扱った人たちから0-157を検出することが出来なかったそうで、、、、、、。

そして、先日これらの食中毒の患者をまとめた弁護団が作られ被害の補償請求が始まると言う。

患者の数500人を越えているようだが弁護団の数も多く、20~30人になりそうだとか、、、何だか大事件のような様子が垣間見えた。

しかし、この手の出店は過去何年も出ているが、保険所の許可はいらなかったというし、冷やしきゅうりを売った関係者から保菌者がいなかった以上裁判になった場合、、、、、、、どうなんだろう。

もし、仮に推定有罪になったとしても支払い能力がなければ、これまた、、、、、

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2014年9月 4日 (木)

天気の下り坂を

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昨日沼津の帰り道によった富士市元吉原の海岸に出てみて驚いた。

前に来たときには無かった高い堤防の工事中で海岸線に出ることが出来なくなっていた。

多分、東北地震のあとに出た、気象庁の津波予想を受けての工事だと思う。

とにかく途中で車を降りて、遠回りをしながら堤防の頂上に出てみたが、短期間によくこれだけの工事ができたものだと感心した。

堤防の上に上がって海岸方向を望めば、天気もよく空気も澄んでいたため、伊豆の山々から箱根にかけての稜線がくっきりと見え、しばし、海岸に下りるコンクリートの階段に座って心地よい風に吹かれていた。

この辺りは歌にも歌われている”田子の浦”であり富士山が電線などに邪魔されず、きれいに望めるところであり、沼津に行った折りなどには立ち寄って、食後の眠気を振り払ったり、逆に仮眠を取ったりする場所にしている。

一方反対側を振り返ると、富士山が雲の間から顔を覗かせていたものの、頭にかさ雲をかぶっていた。

この雲を笠雲といい、独立峰の頂上にこの雲がかかると低気圧が近づいている証拠であり、翌日の天気は良くないという目印にもなっている。

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2014年9月 3日 (水)

目の保養を

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マツムシソウの淡い紫に見せられて虫がやってきていた。

蓼科山や浅間山の周辺には群生地があったが、最近ではかなりの場所で絶滅が始まっているようで、今日見かけた花もほんのわずかしか見えなかった。

マツムシノ啼きだすころにころに咲くところから名づけられたと言うが、末虫の声も聞くことが無くなり、むかし唱歌で歌った「あれ松虫が啼いている、、、」と言う歌とともに子供たちに説明の仕様も無い花になるのかもしれない。

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012今日は、以前から是非行ってみたいと思っていた”かんなみ仏の里美術館”に行ってくることができた。

ここは前にも訪ねていったことがあるのだが、カーナビの積んでいない自分の車では道路が分からなくなり、次の場所に行く予定の時間が迫ったため断念した場所であった。

そして、今回は伊豆縦貫道から行くと簡単だと言うことが分かり目的地に簡単に行くことが出来た。ひとつには看板が整備されていたことと、JR函南駅の傍を通ると言うことが分かったためもあったのだが、、、、、

で、着いて見ると駐車場にはほかの車もなく、ひと気がなかったので心配しながら入館した。

ここは、古くから大きなお寺があって、平安時代から鎌倉時代にかけて多数の仏像があったらしく、この仏像を地元の人々が代々守ってきていたものだったが、平成の時代になって函南町に寄付をして保存することになったものである。

平成20年、寄付された仏像を保管する美術館が出来たという報道を見て、そのころから是非見たいと思っていたものだった。

収蔵されている二十四体の仏像のうち四体は国指定重要文化財であり、十六体は静岡県の有形文化財に指定されている。

一堂に陳列されている仏像は、古いだけでなくそれぞれが迫力を持って実像よりも大きく見せており、良くぞ薬師堂と言う小さな無住のお堂に残っていたものと感心させられてしまった。

昨今の古美術ブームの過熱により、各地で仏像の盗難騒ぎを聞く中で、信仰心を別にしてこのような施設で保管するのは仕方の無いことであろう。それにしても久々に目の保養をさせてもらったと言う気がした。

帰りは新しく出来た道路に戸惑いながら沼津港に入り、普段は行列が出来てとても入る気にならない食堂が、ウイークでのためか空き席があったので入って魚料理を頼んでみたが、こちらのほうは、ごく平凡な味であり、なぜ行列が出来るほど混むのか分からなかった。

多分、旅行雑誌などを使った宣伝上手に釣られてきた客が多いのだろうな。

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2014年9月 2日 (火)

評価の分かれる野菜

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田んぼのあぜ道の一角が白い花で縁どられていた。

今の時期ならニラであろうと近寄ってみたら予想通り、、、、、、

蝶やミツバチも集まってきて白い花に群がっている。

その中に混じって花に鼻を近づけてみれば、芳香が漂い、葉っぱをむしらない限りニラの香りはしない。

ちなみに韮の語源はと言うと、香嫌と書いて「匂いを嫌う」から韮になったというのと美良と書いて「みら」と言う字からきているとも言う。

つまり、韮の葉っぱは古来から食べられてきたが、人によっては好きな人と嫌いな人に分かれるため、このような字が当てはめられたそうだ。

そして、人間にも物事を斟酌なしに言う人は、人によって評価が分かれるが、そのさまは韮のようである。そして、自分もどちらかと言うとその中に入るのではないかと思っているのだが、、、、。

とにかく野菜としては成長力のたくましい草で、鎌で根元近くで刈っても刈っても20日ほどもすると元に戻っている。

その成長力か匂いを嫌ってか精進料理では肉魚などとともに、この野菜は使わないが、餃子から韮を抜いたら、、、、、、どんな味がするだろう。

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2014年9月 1日 (月)

秋風が

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今年もワレモコウ(吾亦紅)の花が咲き、秋が一段と深まってきた。

七mmほどの楕円形の花は、いかにもマッチを思わせ、すぎもとまさとの吾亦紅の歌に”マッチをすれば おろしが吹いて 線香がやけにつきにくい”とあるが、このくらい大きいマッチだったら、、、、あははは   ハァ  

それにしても、ふるさとは遠くなってしまった。

今年はまだ一度も帰っていない。

仕事もしていない身だからいつでもいけるはずなのだが、、、、当然墓参りもご無沙汰である。

このまま秋が過ぎ行けば雪道は自信がなくなってしまったのだから、来春と言うことになってしまう。

何だかあせりに似た心地がするのは、秋風が身にしみてきたためだろうか。

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