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2014年11月29日 (土)

黄蝶を見て

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午前中まで断続的に降り続いた雨も、午後になってようやく止んだ。

そんななか久しぶりに黄蝶を見た。紋黄蝶をすこし小さくした蝶で夏場はよく見かける蝶であるが、この時期は冬越しのため暖かな藁の間などに潜んで春を待っているのだが、本格的な冬を前にして少しでも栄養を取っておこうとしたのか、、、、

それとも腹が減っては戦は出来ない。とばかりに、少しばかりの陽の光にほだされて出てきたのか、、、、

とにかく出てはきたものの餌になる蜜を持った花は少ない。

かろうじて雨にあわなかった葉陰の茶の花に掴まってみたものの、花のほうも花期が過ぎ、くたびれ果てたような花しか残っていなかった。

当然蜜の量が少なかったようで、普段は警戒心の強いこの蝶も花からなかなか離れることが出来なかった。

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今週のテレビの話題の中心だったのは、京都の筧千佐子容疑者だった。

逮捕される前にテレビ各局のインタビューに答えていたので、各局ともネタに困らなかったようで連日のように報道された。

まだ容疑者の段階なので犯人と決め付けるわけには行かないが、彼女の周りで多数の人が亡くなっているようだ。

もし、彼女がこれら亡くなった人を殺害していたとしたら、先年、尼崎でやはり多数の人が亡くなった角田美代子と同じようで、つくづく女の人は怖いなぁと感じてしまう。

以前に聞いた話だが、恋愛関係がこわれたとき、女の人は気持ちの切り替えが早く、あっさりしているのに対して、男はいつまでもうじうじしてストーカーになるそうだ。

つまり、昔風に言うと女が男っぽくなり、男が女々しくなったと言うことか。

それにしても、”毒食らわば皿まで”というが、人一人を殺せば後何人でもと言うことなんだろうか。

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2014年11月28日 (金)

ヤブコウジの赤い実

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ヤブコウジの赤い実を蜜柑の木の下草として見つけた。

高さ15センチほどの小さな木であるが、引っぱって見るとずるずると蔓のように動き、根元がどこにあるか判らない。

全く木だか草だか分からない植物である。

しかし、こんな木でも古くから日本では親しまれてきた植物で、別名を”十両”と呼ばれて、縁起物として寄せ植えなどで扱われてきた。

そして、江戸時代末期にはかなりの高値で取引されていたという話も有り、「へ~」と驚くばかり、、、、落語の寿限無のなかで「やぶらこうじ ぶらこうじ」と言われているのは、このヤブコウジだと、、、これは受け売り 

とにかく小さな木に似合わず、万両と同じくらいの大きさの赤い実をつけている。

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2014年11月27日 (木)

感謝祭

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ここ二日間の雨も上がり、空はすっきりと晴れがり、寒さにある程度慣れた身体は、暑さを感じてしまった。

しかし、東の彼方に浮かび上がる富士山は、昨日までの雨が雪だったらしくかなり下まで真っ白に化粧していた。

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今日のアメリカは、感謝祭とかで休日になっているとテレビは報じていた。

さしづめ、アメリカ版新嘗祭と言ったところか。

我が家でも、先日長野から持ってきたリンゴがまだ30kgほどある上、兄弟が送ってくれた富有柿が10kg余、そして、池ヶ谷の山から摘んできた蜜柑がこれまた10kg以上あり、家の中は果物で溢れている。

連れ合いは、これらの果物に関心がないので、自分の胃袋で消費するしかないのだが、、、、、、こんなに食べては果糖の取り過ぎになってしまいそう、と贅沢な悩みを抱えている。

そういえば、子供のころ親の財布からお金をくすねて、りんごを買ったのだが、10っ個近く八百屋が袋に入れてくれた。

いまのお金だと、千円くらいになるのだろうか。とにかく、あまり量が多すぎて、親に気付かれないように始末をするのに四苦八苦したことがある。

いまは、隠して食べることもないのだが、その苦い思い出が、”ふっ”と蘇えってきた。

食欲の秋。果物に囲まれて、こんな贅沢な環境を陽だまりの中でかみ締めている。

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2014年11月26日 (水)

松に露

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昨日ほどの降り方ではないものの、終日曇り空から細い雨が降ってきた。

雲の厚さはよほど厚かったのか、陽の光をさえぎって遅くまで外は暗かった。

そのくらい空を背景にして、松の葉の先端に丸い雨粒が宿っている。

松無古今色。”松に古今の色は無し”とか、ほかの木の葉は季節により葉の色が変わるが、松の葉は年中おなじ色で通すことから、何時も平常心でいることのたとえだとも聞いている。

それかあらぬか、細かい雨が満遍なく細い松の葉の先端に、同じような大きさの雨粒をつけている。

細い雨が細い葉の先に集まる。

考えてみれば偶然の産物であるが、これほど沢山水滴をつけるということは、雨つぶの数も並大抵のものではないんだろうな。

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2014年11月25日 (火)

濡れ落ち葉は

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久しぶりに雨が激しく降った。

県立総合病院のユリノキの葉もこの雨に耐え切れず、はらはらと茶色くなった葉を散らし始めた。

落花した葉は、地面に落ちた当初は、丸まったり曲がったりしているがしばらくすると経垂れ込んでぬれ落ち葉になり、分解されて土に返る。

”濡れ落ち葉” ひとっころ、退職して趣味もなくすることがない男が「わしも行く」と、奥さんの尻について回るのが、べたっと張り付くような感じを持たれ、それまで自由奔放に遊びまわっていた奥さんから嫌がられ、命名されたと聞く。

最近ではこの言葉を聞くことがなくなったが、最近の御亭主には付いて歩かなくてもよいだけの何かができたのだろうか。

それとも、家に閉じこもって土に返るのをひたすら待っているのだろうか。

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今日の雨を利用して、自動車運転免許書の更新をしてきた。夏のうちに自動車学校で講習を受けてきていたので、視力の検査だけで免許所が新しくなった。

その時間、わずか25分で済んだ。

ここ20年ほど、無事故無違反だったので、70歳までずっとゴールドの帯が付いていたのだが、70歳になったとき再度5年の免許者だったのに、ゴールドの帯が消えていた。

70過ぎればそんなものなのかなと思っていたが、今回は再度ゴールドの帯が付いてきた、しかし、期間は3年に縮められた。

これってなんだろう。この5年間、任意の自賠責の基準は、ゴールド割引の対象外にされていたので、その分余計に支払わされてきていたのだ。

歳を考えれば、次は78歳のときに更改になるのだが、そのときはまた何かが変わっているのかな、、、、、、

とにかく、娘たちは「免許の更新は、もういい加減にしたら」というのだが、「じゃ、どこかへ行きたいときには、連れて行ってくれるのかい?」と濡れ落ち葉的なことをいうと、話をそらしてしまう。

兄弟やご同輩は、免許を返納すると何もすることがなくなったり、緊張というものがなくなると”ボケ”てしまうという。

年寄りの免許書返納は難しいと言うが、「当然だろう」って言う気がする年頃になってしまった。

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2014年11月23日 (日)

佐久も静岡も震度3の不思議

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紅葉も次第に平地に降りてきて、あちこちの名所から紅葉便りが届くようになった。

そんな折も折、道路の分離帯を兼ねた生垣のドウダンツツジが葉を真っ赤に染めて、”我ここにあり”と言わんばかりの様相を示していた。

排気ガスにもめげず、ここまで葉を茂らせてきたものの、ようやく役目を終え、最後のひと踏ん張りに人目を引く所作を、、いや、見栄を切っているかのように、、

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昨日このブログを書き終えたあと、すぐに小さく家が揺れだした。

「気のせいかな」と思っているうちに揺れはだんだんと激しくなり、電灯のスイッチがゆっさゆっさと揺れだした。

「これはかなり大きな地震が近くで起きたのかな?」と思い、テレビのスイッチを入れると、長野県北部が震源地だと言う。

「長野県北部?」ひょっとして、前に新潟県の山古志村で地震があったがその関連かな、と勝手に想像していたが、なかなか震源地を言わない。

旧山古志村の近くなら佐久地方は近いので、義弟、義妹の家は?などと思い電話するがどちらも出ない。

そのうち、長野市が震度6であり、佐久地方は震度3だという、テレビはそこから200kmはなれた静岡も震度3なので、震源に近いはずの佐久地方と同じ震度3というのは納得できなかった。でも、あちらは地盤の良いところだから「ま いっか」とばかり寝てしまった。

全容が分かり始めたのは、朝も八時過ぎになってからだった。

震源は白馬村だという。あそこは静岡~糸魚川線という日本を二つに分ける巨大な断層の一部であり、東北の大地震のあと余震だったのではないかと考えられる場所でもある。

しかし、テレビで聞く限りにおいて亡くなった人と火災が発生していなかったようでひとまず「よかったよかった」とおもった。

ただ、これから厳しい寒さを前にして、被災された人たちのことを考えると、気の毒この上もない。道路などの復旧工事やこわれた建物の解体、そして、避難住宅はこれから国や自治体が手当てしてくれることになるだろうが、その他のことはどうなんだろう。

とにかく700億も使う選挙のことで浮き足立っている国会が、被災者住民へ気落ちしないような手立てを一刻も早く届くようできるかどうか、、、、、

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2014年11月22日 (土)

小雪だけど

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今日は小雪。暦の上では寒さも一段と進み、「冷ゆるが故に、雨も雪となりてくだるが故なり}と書いてある。

しかし、今日の空模様は暦とは違って温かな小春日和。

そんな天気に誘われて蓮根の出荷もあったが、安倍奥の有東木へ蕎麦を食べに行ってきた。

蕎麦はいつもの通り、ざる蕎麦に天ぷらの付いたもので美味しく食べたが、時間に余裕があったので集落の一番上に上がって紅葉見物をした。

見下ろした集落は、11月の三連休に入ったのにもかかわらず、人っ子一人屋外に出ているものもなく、ゴーストタウンを見ているかのようだった。

多分、農閑期の今では外仕事もないのかもしれないが、子供の声も聞こえず、日本人の高齢化、少子化を如実にあらわしているかのようで、おもわず童謡の「里の秋」が脳裏にかすめた。

しずかな しずかな 里の秋

お背戸に 木の実の落ちる音

ああ母さんと ただ二人

栗の実煮てます 囲炉裏端、、、   

ってね。

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2014年11月21日 (金)

昭和の子供

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上の写真は、昭和31年栃洞小学校という鉱山町の小学生の写真である。

多分、3年生か4年生くらいの子供たちと思うが、校舎の窓からカメラを向けた人を見つけておどけて見せたものではないだろうか。

写したのは自分ではなく、町の写真屋さんである。昭和31年と言えばいまから60年近く前になるのだから、この子供たちも70歳前後、つまりアラセブンと言うことになる。

この中に写っている子供たちの中には、今では珍しい”くりくり頭の子”そして、その奥には鼻から二本棒を垂れ下がらせ、どんぐりのような髪型をした子供がいて、当時を思い出させる。

このころは、着替えの洋服もろくになく年がら年中着たきりスズメで、このように鼻をたらしている子は服の袖口で拭うものだから、何時もガビガビであったし、この高校生だった自分たちも弊衣破帽のバンカラ思想が幾分残っていた時代でも有り、今に比べれば総じて汚れていた。

ここに写っている少年たちも、その後どんな人生を歩んでいるかは分からないが、案外”末は博士か大臣”ではなくても大成しているかもしれない。

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衆議院が今日解散した。例によって何だか分からない「バンザイバンザイ」の声とともに、、、、

今回の解散ほど大義名分のない解散も珍しく、ある評論家は「安倍の 安倍による 安倍のための解散」だと言っていた。

消費税の再引き上げは、当初からそのときの情勢によって決める、、と定めていたのだから、憲法解釈を閣議だけで勝手に決めた剛腕?首相にしてみれば、簡単な話しであり、このことだけでこの忙しい師走に700億円も無駄金を使うことがないはずであろう。

アベノミクスで景気がよくなると彼らなりに考えたかもしれないが、それらが空回りした挙句、一般市民にそのしわ寄せを押し付けた政治家たちは、自分たちの身を切る法案は全然手をつけようとはしなかった。

どうしたら良いのだろうか。自分たちの選挙区からは共産党を入れれば四人以上が立候補しそうなのだが、”誰に投票しても”の感が強い。

”帯に短し 襷に長し”ということわざがあるが、どう見ても”帯に短し”ばかりでメガネにかなった人はいない。

多分投票日まで、「どうしよう どうしよう」で行くのではないだろうか。

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2014年11月19日 (水)

いたましい山

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昨日に続き今日も空には雲ひとつ見当たらない晴天の夜が明けた。

一週間前の天気予報では、雨がちの天気と予報されていたのに、今回も天気に恵まれたので、各自「私が晴れ男だ、晴れ女だ」と喧まびしいことこの上もない。

まだ暗いうちに朝風呂に入り、西のほうを眺めれば、夜明けの光を受けモルゲンロートの山がみえてきた。

茅野市北山にある宿の窓からみえる山?。頭の中にこの辺りの地形図を思い浮かべると。木曽駒を含む中央アルプスとその右手に真っ白な御嶽山が遠望できることがわかった。

御嶽山は、何度も登ったことがある容易に見分けがつき、信州からは左端が剣が峰であり、そのすぐ脇に先日噴火した場所からまだ白い煙(画面をクリックすれば噴煙が見える)が上がっていた。

運命とはいえ、あの辺りにまだ何人かの遺体が残っているんだと思うと、煙の感じもまた痛ましく見えてしまう。

朝一番の朝食を終えて、昨日降ってきたすずらん峠は路面に雪があり、多分凍っていると思い敬遠して一度降だり、152号線を白樺湖、女神湖経由で立科町に入る。

いつものりんご農家に立ち寄れば、「今朝の気温はー5度だった」という。

どうりで今朝ここより標高の高い宿の駐車場に停めた自動車のフロントグラスが霜で真っ白になっていたんだ。

するとあそこは一体どのくらい下がったのだろうか。全館暖房を入れていたので分からなかったが、そんなに客の数が多いほうではなかったようなので、旅館業も「大変なんだよな」同情してしまう。

さて、年に一度の兄弟会が主であると言っても、やはり、この辺りを宿にして15~6年続けているりんご狩りは、それぞれの周りの人たちにも期待されていたようで、それぞれが100kgほどの注文を背負ってきているためかなりの量になる。

兄弟それぞれに必要分を譲ってもらい、後は例年のように野菜などの仕入れに走る。

まるで、一種の買出し舞台の様相を見せながら、昼ごはんでお別れし帰途に就いた。

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2014年11月17日 (月)

綿の実

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009_3薔薇の木に 薔薇の花咲く 

なにごとの不思議なけれど

北原白秋の句であるが、綿の実を見たときには、聞いてはいたものの、つくづく不思議なものを見たもんだ、と思ってしまった。

なにしろ、綿は暖かい地方でなければ育たない植物だけに、雪国飛騨では見たことがなかったから、、、、、、、、、、、

タンポポの綿毛は遠くに種を飛ばす構造をしているし、柿や林檎などは動物に食べてもらって、種を肥料つきで遠方に運んでもらおう。と言う魂胆がわかる。

しかし、白い綿の中に実を隠してどうしようとしているのか、意図がはっきりしない。

ともあれ、古くからこの目立つ綿は人間に利用され、綿花を摘むために人間が人間を酷使した暗い歴史がある。

白い綿に何の罪は無いけれど、、、、

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例年のように今年も兄弟が長野に集まり、りんご狩りを楽しむことになった。

七十八歳を頭に六十五歳までになった五人兄弟だが、今年は都合もあって三人とその連れ合いということになる。

ただ、その都合というのは体の不調ではないので、この歳まで元気に過ごせてきたのはよい身体に生んでくれた両親の、、、、ひいては、先祖のおかげである、と今更ながら感謝し、明日は毎朝のことながら仏壇に報告して出かけようと思っている。

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2014年11月15日 (土)

最後の耀き

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柿の葉に夕日が当たり、その赤さがいや増して耀いている.

紅葉は寒くなると葉の付け根に水分を通しにくい理想というものができ、行き場を失った葉の中で造られたブドウ糖などの糖分と紫外線が光合成を起こし作られた色素だと言うことらしい。

植物によって、色のつき具合が違うが、植物がなぜ葉にある養分をすべて吸収せずに離層を作り捨ててしまうのだろうか。

おりから、プロの野球界は毎年のように戦力外通告として身体能力の落ちて不振が続いたベテランをはじめ、やっと数年前にドラフト会議でもてはやした選手を惜しげもなく切って捨てていく。

毎年金の卵が加入し、定員が決まっている球団にとって、新陳代謝としてみるしかないが、この人たちも球団から切り離される際、最後の輝きの場があったらな~なんて思ってしまう昨今である。

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2014年11月14日 (金)

夕暮れ時のもの悲しさ

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今日もまた寒さがこの冬一番の記録を塗り替えたとのこと。

春先から次第に暖かくなっていくのに比べると寒さの更新は、真夏の暑さ同様うれしいものではない。

それでも、静岡の寒さは高が知れているから問題ないが、上空の飛行機雲が強風に煽られて細い糸のように乱れていくさまは、夕暮れ時と重なってもの悲しさを倍加する。

そして、、見ているうちに思ったのは、母親が布団の綿を敷き並べた後、真綿を広げてかぶせていくのだが、手がひび割れていて引っかかるので、まだ幼くてすべすべしていた子供に広げるのを手伝わせていたことである。

手伝う子供たちは遊び半分もあって、あちこちと引っ張りくもの巣のように薄く均等に広げなければならないのに、うまくいかない。さぞかしじれったかったことであろう。と今になって思う。

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2014年11月13日 (木)

吹き始めた風

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今年一番の冷え込みに加えて強い西風が吹き上空の雲を追っ払ってくれた。

東のかた富士山は白い雪煙を上げているのがすこし老眼に入った遠目で望むことが出来る。

北のほうでは冬将軍が戦線を拡大し、ふるさとの近く、奥飛騨の平湯温泉からは雪景色になったという頼りもとどいた。

ただ、ご同輩が集まる池ヶ谷の山は、西側に賎機山が壁になってくれてるおかげで、風の影響を避けてくれているので格好の陽だまりになりぽかぽかと暖かい。

近くの畑から採ってきた蜜柑をほうばりながら雑談が始まったが、主題は、急に吹き始めた国会の解散風、、、、、

朝のテレビで仕込んだ選挙費用700億円から話しが始まったが、まだ首相が解散と言ったわけでもないのに、、、もう止めようがないところまで言ってしまっていることの不思議さ、、、、

株高ー円安になれば日本の景気は回復するはずではなかったのか、、、、

男の話しはエスカレートし、ヒートアップしていく、、、、これも陽だまりのなせる業。

冷たい風に吹きさらされているところならこんなに長談義にはならないのだろうけれど、、、、、

結局、長談義を収めたのは昼間近になって、腹が空いてきたきたことにある。

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2014年11月12日 (水)

栃餅 考

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先日水窪町から買ってきた栃餅も食べつくしてしまった。

子供のころから食べ慣れた栃餅はここしばらくお目にかかったことがなかったので、連れ合いに笑われながらも、細かく切って少しでも長く楽しんで食べた。

むかしはどこにでも栃の大木があり、その下に行ってカマスに何杯も拾ってきた。

実を干し、皮をむき、灰汁を入れた釜で煮て、川にさらしたあと臼に入れ杵でつぶして餅にするのだが、その加減が難しく、苦くて食べられなかったり、ただの茶色い粉にしてしまったりとその年によって違った仕上がりになった。

もともと、栃の実は保存が効くところから飢饉食として、蓄えられていたものだったが、自分たちの子供のころから、その用件はなくなり正月の餅のひとつ種類になっていた。

そういえば、餅米不足ばかりではなかったが、正月の餅には草餅、粟餅など、白い餅ばかりでなく何種類も、そして、幾臼も搗いたものだったが、爺婆二人の核家族では孫にやるのも含めて、四升ほど、、、、、それも餅つき機でウインウインとこねるだけの昨今になってしまった。

”閑話休題”元に戻す。先日も書いたのだが、最近の栃餅は中に餡を入れた饅頭が多くなっているが、これは、餡の味が強すぎて、せっかくの栃の味が消えてしまっているので、自分は伸し餅以外に興味は無い。

最後の一枚、今度いつ食べることになるか分からないので、ゆっくりと味わった。

栃の風味を嗅ぎ、口の中に広がる香り、そして、ほろ苦い味わいを舌で感じてゆっくりと飲みくだす。

至福の味はこれでお終い、、、、、、、、、

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2014年11月11日 (火)

もってのほか

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春に東北地方を旅したとき、バスガイドが「もってのほか、と言う食べ物があるのを知っていました~」とマイクを寄せた。

浅学菲才のうえ、頓知が利かない身にとって目を白黒させるだけであったが、中にはバス旅行で旅なれた人がいて、「食用菊の料理でしょう」とたちまち正解を言ってしまった。

なんでも、菊の御紋は皇室の紋所であり、葵の御紋でさえ誰も立ち向かえないのに、菊の御紋を食べるなんて、それこそもっての他というしかない。と言う意味だそうだ。

その菊も、品評会に出すような大輪の菊はそろそろ終わりを告げ、小さな野路菊が枯れた花が多い花畑の主役になってきた。

なかでも、白菊の花は歌にまでうたわれた。その清楚さから

”露にたわむや菊の花     霜におごるや菊の花  

  、、、、、、、、         人の操もかくてこそ”

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六月末に行なわれた安倍川花火大会の際、売られていたキュウリを食べて500人あまりが食中毒になったことで、静岡市は一人当たり一万円の見舞金を、そして、大会本部は五千円を送ることにしたそうだ。

しかし、静岡市も大会本部も法的責任はないとして、謝罪はしないことに決めた。と記者会見で説明した。

それに対して食中毒をした被害者団体の弁護士はしにも責任があるとして追及していく方針だと言う。

傍から見ると、この先どうなっていくか分からないが責任がないのなら、見舞金を払う必要がないのではないかと思っている。

そもそも、花火大会を企画し付近の道路を通行止めにし、香具師などの露天の出店を許可したのはどこなのか、多分市役所、警察などさまざまな機関の承諾を得たはずであろう。

承諾する以上、責任も発生したと見るべきではなかろうか。

また、同じような事件が起きて、被害者が2~3人だったらそんなことおくびにも言わなかったはずであろう。

大切な税金をただ人数が多いから、少ないからと差をつける理由がどこにあるのか、、、、、、、

さらに規模が大きいけれど、小笠原近海に中国の漁船が大量に押しかけてきて珊瑚の密猟をやっているらしいと、テレビや新聞で報じているが、海上保安庁はスピーカを使って出て行くように叫んでいるだけらしい。

もし、伊豆の近海であわびを採ったり、伊勢えびを取ったりしていたら、すぐに巡視艇が来て逮捕されると言うのに、中国の船が来て密漁をした場合、密漁の証拠はなくても領海侵犯で即座に逮捕してしかるべきではなかろうか。

だいぶ以前になるが「赤信号 みんなで渡れば怖くない」というギャグが流行ったことがあったが、それとよく似てないかい。

なにをするにも、少人数なら鼻にもひっかけないという風潮?政治?は”もってのほか”なんだけれど。

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2014年11月10日 (月)

木立ダリア咲く

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安倍川の中流、牛妻の”安倍ごころ”の敷地内に木立ダリアが群生して、花を咲かせ始めた。

昨日の雨も上がり、澄み切った空は青絵の具を均等に流したように、ひかり耀いている。

その空を背景にして立ち並ぶ木立ちダリアは、フアッション雑誌のモデルを思わせる雰囲気を漂わせていた。

うまく育てると幹周りが10センチを越え、草丈4mにも及ぶ高さになる。とても草とは思えないその雄大さに、別名を皇帝ダリアとも言う。

花の直径は木の高さにあいまって直径20センチ近くになるが、まだ日本に定着して間もないためか、明るい紫色しか見られない。

たぶん、近いうちにほかのダリア同様、色形ともさまざまな品種が出てくることだろう。

聞いた話しでは、暖国性で寒さには弱いが、育て方増やし方は至極簡単だそうだから、あちこちに増えてくることと思うが、よほど広い敷地でないと釣り合いが取れず、圧倒されてしまいかねない。

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2014年11月 9日 (日)

佐久間ダム

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久しぶりに天竜川沿いの道を来たのだから、床屋談義で聞いた鳳来寺から先年開通し無料区間の自動車道を利用したいものと、佐久間町を通ることにし、そのついでにと佐久間ダムを立ち寄ることにした。

佐久間ダムは、試験発電を始めて間もない昭和33年に立ち寄ったことがあるが、まだ工事が完全に済んだわけではなかったので余韻が残っていた時期で町も賑わっていたし、その規模の大きさには当時の土木技術の粋を集めた工事だったのでニュース映画で何度か見た現場に来たという興奮を感じたものだった。

再度訪れたのは、静岡に来て間もない昭和55年くらいのころ、その後何度か仕事がらみで訪れたことがあったが、それ以降来ていないので30数年ぶりといったところである。

久しぶりの印象は、始めてみた当時から見るとダムも歳を取ったな、と言うことと、すこし小さくなったのではという感じを持ってしまったのは、その後の大工事だった黒部のダムと比較していたのかもしれない。

051ともあれ、きたたびに立ち寄っているダムの犠牲者を祭った慰霊碑にむかった。

鉱山で何人もの殉職者を見てきた身にとっては、こうした慰霊碑には無関心ではいられない。

明治以来、大工事には犠牲者がかなり大量に発生し、鉱山でも予算の中に死亡弔慰金が計上されているとも聞いたことがある。

そして、このダム工事でも慰霊碑の後には96名の名が刻まれ、碑の前には花が飾ってあるところを見ると完成してから60年近くたっても関係者がいて、花を手向けていることが分かる。

ダムから降って浦川集落を過ぎ鳳来町を目指したが、この近辺まで、三遠南信道の工事が盛んに行なわれているものの、道路標識にはその方向を示すものは全然なく、東栄町に出る道を標識に従ったため、あらぬ方向に行ってしまった。

午後四時すぎ、通算280km走って我が家にたどり着いたが、佐久間町から三遠南信道経由の道は床屋談義ほど早くもなく便利でもなく、このコースは自動車道が完成するまで使うことがないだろう。

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2014年11月 8日 (土)

さびれた

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秋葉神社から山住神社までのスーパー林道は旧春野町と天竜川沿いの町の間の尾根を右に左にと避けながら北上する24kmの林道である。

スーパー林道の何がスーパーなのかと言うと、道幅が2車線で全面舗装がされていることらしく、林業が目的と言うより観光目的で林野庁が作ったのだが、近年林業の衰退と環境破壊などと批判されてから造られていないようである。

ともあれ、紅葉がきれいだと言う話もあって一度は行ってみたいと思っていたが、その時期になると、ほかの用事で行きそびれていた。

今回初めて走ってみたのだが、こんなに時間のかかる24kmは久しぶりで、山住神社に到着したのは約一時間後であった。

紅葉も各所で見られたものの、新聞に最盛期と書かれていたのだが、思ったより少なかったと感じたのは、期待が大きすぎたのかもしれない。

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山住神社は山と海の神である大山祗神を祭った神社だそうだ。境内には幹周り10mを越す巨大な杉の木が二本立っているため境内全体が薄暗く、いかにも神さびた感じを保っている。

そして、不思議なのは山門に対して、本殿が横向きに建てられていたが、これはどういう意味があるのだろうか。山門前には以前は三軒ほど茶屋があったのだが、うち二軒は店を閉めこちらは錆びれた感じがひしひしと伝わってくる。

かろうじて営業中の店で山女の塩焼きを頼んでみたが、これがまた塩っ辛い。一度焼いたのを再び炭火にかけて暖めてくれたのだが、何だか中まで暖かくなく、魚肉が水っぽい山女は、チョットいけない。

一応神社に参拝もしたことだし、ふもとの水窪町にくだり久しぶりに”栃餅”を買ってみようと街中に車を入れる。

新聞などでは寂れたと書かれていたが、そんな気配はあまりなく目的の店に入って伸し餅を買おうとしたが、最近では量を増やすためか、中に餡が入った饅頭が多く、伸し餅は一枚しかなかった。

その伸し餅は、以前に比べて小さくなり、値段もかなり高くなっていた。

最近の風潮から栃の木が減って収穫の少ないのが原因かなと効いてみたが、店の御かみさんは「まだ、この辺りでまかなうだけの栃の実は採れている」という。

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2014年11月 7日 (金)

楓やつたは

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秋の夕日に 照る山もみじ 

濃いも薄いも 数ある中で 

松を彩る 楓やつたは 

山のふもとの 裾模様

022そんな歌が口について出てくるような山行きをした。

以前からどんなところか、一度は行って見たいと思っていた、北遠のスーパー林道の縦走。

基点は旧天竜市二俣から秋葉山に鎮座する秋葉神社を経て山住神社へ、そして、ふもとの水窪町までのおよそ40km余のコースである。

火防せの神として名高い秋葉神社は、全国に800社あまりあるがその総本宮とされている神社で、標高866mのうねうねと続く尾根の高見に建っている。

このお宮は昭和43年麓からの火事で消失したあと、昭和61年に鉄筋コンクリートで再建されたが、そのすこし後擁壁の補強工事に行ったことがあって以後何回か行っていたが、今回は約20年ぶりくらいの再訪になる。

人間もそうだが、道路も20年たつといろいろと変わってきており、カーナビのない自動車では、試行錯誤までとは行かないものの思い出のない場所も結構あった。

境内に入るまでの山道は、例の天竜美林とかで杉の植林がされており紅葉らしきものは見当たらなかったが、大きな鳥居をくぐってからはいくつかの赤い紅葉や蔦を見ることが出来た。

ただ、ここの参道の売りは杉の巨木であり、参道の両側に生い茂っている何十本もの杉は、開山当時(709年)からのものと見受けられ、本殿が焼けたときも難を逃れていたと思われる。

そうすると、本当の火防せの神はこの杉たちではないかと思ってしまった。

参道の道脇では、秋の花リンドウやアキノチョウジが咲き、今年最後の彩りを添えている。

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2014年11月 6日 (木)

暖かい日差しの中で

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庭の椿の葉陰にアサギマダラがやってきて羽根を休めていた。

白い色とと茶色そして、名前の由来になっている薄青い色合い白い部分に絡めるようにして上品にまとめ、いかにも日本人好みのしそうな羽根の色をしている。

しかし、どちらかと言うとかなり高齢のようで、尾羽打ち枯らしてに近い状態で羽根が痛んでいる。

この蝶は冬を前にして暖かい沖縄や台湾まで飛んでいって越冬するため、秋には南下を始め何百キロも海の上を飛んでいかなければならない。

その蝶が今の時期、我が家のあたりで羽根休めをしているようでは目的地までいけるかどうか分からない。

ただ、本能に任せてここまで来たのだろうけれど、息切れ状態で休んでいるのかもしれない。

「老兵は死なず ただ消え去るのみ」とは、日本で絶大な権力を振るったマッカーサー元帥が解任されたとき、アメリカ議会で演説したときの言葉だが、浅葱斑もどこかで消え去るのを自覚しているように見えた。

今日もうらうらと暖かい日差しの中、一日伸ばしに命をつないでいる。

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2014年11月 5日 (水)

ファジー

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今日は今年二度目の後見の名月。

曇りなき空に煌々と月は光り輝いている。

今朝ほどのワイドショーで気象予報士が言っていたことでよく分からなかったが、何でも後見の名月が二度あるのは、171年ぶりだとか。

その原因は旧暦の暦で今年は九月が二度あるためだといっていた。

そんな貴重な名月かと思うと余計に有り難味が出てくるから不思議。

旧暦八月十五日の満月を中秋の名月として祝うのは、中国から来た行事だが、翌月の十三夜の月を後見の名月として観賞するのは日本独特のことだといわれている。

なんでも完全なものよりすこし欠けているものに美を求めるというのは古来の日本人的考えだったようだ。

しかし、日本に来た外国人が感心するのは欠点のない正確さであり、鉄道の運行などを見てびっくりするそうで、逆に窮屈さえ感じるそうだ。

二十年あまりまえ、電化製品、ことにコンピューター関連で盛んにファジー(fuzzy)と言う言葉が使われたことがある。

日本語に直すと”曖昧”とか”ぼやけた”などという意味があるが、すこしくらいキーを打ち間違えても、機械のほうでその辺を修正してくれるように設計したものを言うんだと思っている。

それを意図したわけではなかったが、葉を落とした柿の木と月を重ねて写してみたが、暮れはじめた空に出た月は、焦点距離の違いからぼけてしか写らない。

これも日本人が愛する”ファジー”だ、なって、、、、、、

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2014年11月 4日 (火)

変わりやすいは

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”おとこごころ”とも”おんなごころ”とも言われて言われているが、要は男女を問わず人の心は秋の空と一緒で変わりやすいものだということであろう。

昨日今日と静岡の空は小春日和そのものと言った感じで穏やかな晴れ間が続いている。

しかし、上空は激しい風が吹いているようで筋雲が空を大きなキャンバスに見立てて殴り書きのように、さまざまな文様を刻んでは消えていく。

そして、日没後は最後の彩りも添えて真っ赤に染まったあと、暗闇に沈んでいった。.

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2014年11月 2日 (日)

”民の竈”から煙は出ない

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さざんか さざんか 咲いた道 焚き火だ焚き火だ 落ち葉焚き

そのむかし、この歌を習ったときは飛騨の山奥には山茶花の花はなかった。

この歌を教えた学校の先生は、椿によく似た木で花もよく似ているが、花が散るとき椿のように花丸ごとでなく、花びらがばらばらになって落ちる。と、言っていた。

それから、しばらくしてふるさとを離れるまで見たことがなかった。

そして、山茶花は別にして、当時はどこでも焚き火は見ることがあったが、いまでは迂闊に焚き火をすれば、消防署に通報が入る時代になり、”あちら立てればこちらが立たず”の状態になった。

それゆえか、焚き火と言う言葉に郷愁を感じるこのごろである。

すこし湿った落ち葉の入った焚き火は、一気に燃え上がることなくくすぶり続けて、煙を風下になびかせる。

その煙が目に入り、涙目になりながら焚き火の中に放り込んだ細いサツマイモが焼けるのを辛抱して待つが、一度として上手く焼けたためしはない。

片面は真っ黒に焦げているのにその反対側は生焼けでゴジゴジと食感が悪く、本当に美味い部分はほんの少しだった。

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十月三十一日から明日まで駿府公園を中心にして、静岡大道芸が行なわれている。

例年この時期は天気もよく脚立を自転車に乗せて出かけているのだが、今年はズーッと雨続きで行く気がしない。

おかげで何百円かの投げ銭は確実に減っている。いや、自分同様傘をさしてまでと言う人はほかにももっといるだろうから、今年の経済効果はぐんと落ちているに違いない。

これは自然現象で仕方の無いことだが、昨日、日銀が決めた金融緩和の追い討ちは世界を驚かせたようで、世界的に株式相場を跳ね上がらせたうえ、円安になった。

消費税を上げて以来落ち込んでいる景気を回復させるためのものだと日銀総裁は言い、政府は歓迎の意向であるが、逆の見方をすれば政府が主導してやらせたと見なければならない。

この施策のため、株の売り買いをしている人は大歓迎らしいのだが、お金をゲーム感覚で扱っているだけの人は世間に儲かった金を還元するということはない。

その一方で、ここ何ヶ月か続いている国際収支の赤字幅はさらに加速して行き、輸入商品の値上げは一般家庭を苦しめることになる。

「デフレからの脱却」「2%のインフレ誘導」は裕福な人にのみ恩恵をもたらし、それ以外の人にはさらに苦しさを強い、先に希望の持てない国になる。

お坊ちゃん首相には、「民の竈」を見る気はさらにない。もっとも、竈から煙がでない世の中になってしまったものな、、、。

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