夕暮れ時のもの悲しさ
春先から次第に暖かくなっていくのに比べると寒さの更新は、真夏の暑さ同様うれしいものではない。
それでも、静岡の寒さは高が知れているから問題ないが、上空の飛行機雲が強風に煽られて細い糸のように乱れていくさまは、夕暮れ時と重なってもの悲しさを倍加する。
そして、、見ているうちに思ったのは、母親が布団の綿を敷き並べた後、真綿を広げてかぶせていくのだが、手がひび割れていて引っかかるので、まだ幼くてすべすべしていた子供に広げるのを手伝わせていたことである。
手伝う子供たちは遊び半分もあって、あちこちと引っ張りくもの巣のように薄く均等に広げなければならないのに、うまくいかない。さぞかしじれったかったことであろう。と今になって思う。
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コメント
岡崎在住様
お互い子供のころは、手袋などしている子はまれでした。そのころ聞いた話では、雪で濡れた手をそのままにしておくと油気が切れてあかぎれになる。と言うものでしたが、せいぜいズボンの尻でふくくらいでした。
あかぎれもそうでしたが、しもやけの手をストーブにかざすと痒くて痒くて、、、、、、
いまの子供は、そういうことがなくなったためではないでしょうか。
投稿: オラケタル | 2014年11月15日 (土) 21時39分
冬のあかぎれは子供にとっても嫌やったな。飛騨の冬(厳冬)は大雪も嫌やったしな。三河に来て、冬に自分の子供があかぎれにならなんだとは不思議やったな(笑)掘り炬燵とか、思い出すと懐かしいな。ところで今日、寒いもんで早速、暖房エヤコンやさ(笑)
投稿: 岡崎在住 | 2014年11月14日 (金) 22時14分