佐久間ダム
久しぶりに天竜川沿いの道を来たのだから、床屋談義で聞いた鳳来寺から先年開通し無料区間の自動車道を利用したいものと、佐久間町を通ることにし、そのついでにと佐久間ダムを立ち寄ることにした。
佐久間ダムは、試験発電を始めて間もない昭和33年に立ち寄ったことがあるが、まだ工事が完全に済んだわけではなかったので余韻が残っていた時期で町も賑わっていたし、その規模の大きさには当時の土木技術の粋を集めた工事だったのでニュース映画で何度か見た現場に来たという興奮を感じたものだった。
再度訪れたのは、静岡に来て間もない昭和55年くらいのころ、その後何度か仕事がらみで訪れたことがあったが、それ以降来ていないので30数年ぶりといったところである。
久しぶりの印象は、始めてみた当時から見るとダムも歳を取ったな、と言うことと、すこし小さくなったのではという感じを持ってしまったのは、その後の大工事だった黒部のダムと比較していたのかもしれない。
ともあれ、きたたびに立ち寄っているダムの犠牲者を祭った慰霊碑にむかった。
鉱山で何人もの殉職者を見てきた身にとっては、こうした慰霊碑には無関心ではいられない。
明治以来、大工事には犠牲者がかなり大量に発生し、鉱山でも予算の中に死亡弔慰金が計上されているとも聞いたことがある。
そして、このダム工事でも慰霊碑の後には96名の名が刻まれ、碑の前には花が飾ってあるところを見ると完成してから60年近くたっても関係者がいて、花を手向けていることが分かる。
ダムから降って浦川集落を過ぎ鳳来町を目指したが、この近辺まで、三遠南信道の工事が盛んに行なわれているものの、道路標識にはその方向を示すものは全然なく、東栄町に出る道を標識に従ったため、あらぬ方向に行ってしまった。
午後四時すぎ、通算280km走って我が家にたどり着いたが、佐久間町から三遠南信道経由の道は床屋談義ほど早くもなく便利でもなく、このコースは自動車道が完成するまで使うことがないだろう。
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コメント
よしこさま
そうすると、ダムの頂上を渡って長野に入ると言うことでしょうか。
今回初めて、佐久間町から鳳来インターに向かって走りましたが、道路標識はそれに対応しておらず、東栄町という標識で間違えてしまいました。
ただ、この間違えた先では自動車道の工事が盛んに行なわれている様子で、ダンプカーが何台も行きかっておりました。
あと少しで飯田の市街地に入るのではないでしょうか。 それまでの辛抱です。
投稿: オラケタル | 2014年11月11日 (火) 22時03分
こんにちわ。すっかりご無沙汰してしまいましたm(__)m
佐久間ダムは三遠南信道を通って信州への行き帰りに必ず立ち寄った場所でした。父親が電力会社勤務だった事もあり、このダムの「偉大さ」や「ここへ造る意義」だの、それこを多くの犠牲者の上に出来たものだとか、維持して行く上で、こういう苦労があるんだなんて事を、繰り返し繰り返し聞かされたものでした。
最近はいなさインターから真っすぐに行く道が出来、鳳来山に行く道が便利になったかと、調べてみたら、「まれに見る悪路で北から入るのは困難」とありました。でも、いなさから信州へは道もだいぶ良くなって(と言っても、まだ、2峠ほど、大変な道がありますが)かなり短時間で行けるようにはなりました。
投稿: よしこ | 2014年11月11日 (火) 14時51分