« 2014年11月 | トップページ | 2015年1月 »

2014年12月30日 (火)

冬の薔薇

Img_0087

近所の庭にピンクの薔薇が咲いている。

ばら色と言うのはこんな色を差すのではないかと思わせるような色合いである。

一見ひ弱そうにも見える薄い花びらの薔薇であるが、真冬の寒さも入ってきたこの時期、凍みもせず花を開かせる薔薇に驚くやら感心するやら、、、、。

.

今年もなんだかんだと言いながら後一日になってしまった。

12月に入ってから、「むかしから見ると、一年中盆と正月みたいなもんだから、なぁ~んもせんことにしよう」と言っていたのだが、25日過ぎから結構忙しかった。

まず、注文を受けていた蓮根掘りにガラス戸の洗い、餅を搗いて、浅間神社で中麻を受け、神棚の掃除。そして、正月に向けて散髪にと、その合間を縫って止めようと言っていた正月用食料を買いだしの手伝い等々。

あかげで、散歩に出かけることがなかったので、何だか忘れ物をしているような気がしてならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年12月29日 (月)

雪またじ

013

これがまあ 終の棲家か 雪五尺   

 

こんな句を思い出したのは古郷に住む従弟との電話からだった。

「どのくらい積もった?」「そうやな 二尺くらいかな? 今年はチョット早いな、久しぶりに雪の正月になりそうだよ、、」

二尺なんて尺貫法がすら~っと出てくるところは、従兄弟とはいえ軍隊経験もある八十代後半の人だけある。

自分らが子供のころは、雪のない正月はありえなかった。

元旦の初詣は、一張羅の綿入れを来て雪駄で行くのだが、足元の雪は冷たい風で冷やされ、何人もの人の下駄の歯に打ちつけられた金属のすべり止めで踏まれて粉になっており、固まることがない。

その雪が歩くたびに、鳴き砂のようにキュッキュッと鳴る。お宮さんの参道付近で知り合いにあっても挨拶は神様に詣でたあとと言われていたので目で合図しただけですれ違う、、、。

小林一茶がふるさとに帰ったのは、50歳になってからのことだったそうだ、あのころの50歳はいまの自分くらいの老け込みようだと思うが、当時の人の背丈ほどの雪を前にして暗鬱な気分で「う~ん」と唸ったことと思う。

ここ十八年、積雪を見たことない静岡の人は雪に憧れを持ち、豪雪地帯の飛騨から来た。と言えば、「あんなよい所から、どうして?」と言うが、”雪またじ”を考えれば一茶ではないが、う~んとうなり「とても無理」と言ってしまう。

”雪またじ”の「またじ」とは平安時代以前の古語、”またし”から来ている言葉で、片付けると言う意味がある。

この言葉は、北陸の雄都、金沢でも使われているが、その隣富山県では”雪まとい”という。と言うことは北陸伝いに伝わった言葉ではないし、おなじ岐阜県の美濃のほうからの言葉でもないそうだ。

そこで考えられるのは、飛騨の匠たちが持ち帰った言葉ではないかと言うことを聞いたことがある。

ともあれ、降り積もった雪を屋根から下ろした後が本当の”雪またじ”であり、ブルドーザーなどの機械がなかった時代は軒下のほうから水路に流すため、道路の真ん中に尾根のような道が残り人々は狭い通路をやっとの思いですれ違ったものだった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年12月27日 (土)

外面如菩薩?

029


夕方になって送り物をもって宅急便の受付所まで行って来た。

その帰り何気なく車窓から右手を見ると、雪をかぶった富士山が赤く焼けていた。

助手席側から撮影なのでこの程度だったが、雪のないときの赤富士のようなすごさとはまた違ってやさしいピンク系統に染まっている。

しかし、もしこのとき富士山に登っていたとしたら、やさしく見えたピンク富士のほうが環境的には怖いはずである。

その証拠に、ピンク富士のほうには髪をなびかせたような雪煙が立っている。

華厳経では、女性のことを”外面如菩薩 内面如夜叉”といい、見た目の優しさが修行の妨げになるといっているが、今日の富士山も表しているようだ。

そういえば、富士山は”コノハナサクヤヒメ”という女神様だった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年12月26日 (金)

綿毛が飛んで

032
写真の綿毛は仙人草の種、この種は遠くには飛ばない。

今日も穏やかに晴れ上がり、どこから飛んできたのか分からないが、何かの花の綿毛がゆっくりと舞っていた。

風もほとんどない中で、地上に落ちもせずゆったりと上下するさまは、この綿毛が空を飛ぶことを楽しんでいるかのようだった。

しばらく窓から見える家の庭を飛んでいたが、そのうち、ブロック塀を乗り越えて隣の家に上昇しながら越えていったところを見ると、僅かながら塀際に当たった上昇気流があったようだ。

#誰が風を見たでしょう、、、と言う歌があったが、こんな穏やかな風は大歓迎である。

ただ、こんな穏やかな風景を見ながら、小さな近所トラブルで心はすっきりできないのは、気分転換の下手な現われ、、、、、

歳は十分に取り、いろんな現象を見てきたはずなのだが、、、、、、、、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年12月25日 (木)

百害あって一利なし

003


パンジーとビオラの違いは花の大きさであると言い、花びらが5センチ以上をパンジーと言うらしい。

しかし、その境目もはっきりしていなくて、5センチ以下でも小輪パンジーと言うのもあるそうだが、、、、、。

われわれの子供のころはこんな小難しい区別はなく、”三色スミレ”だけで片付けていたものだが何時のころからカタカナ語になり花の大きさで名前が変わってしまったのだろうか。

今日は風もなく、気温は15度にもなって春を思わせる天気になり、道路わきの花壇に植えられていた花もつられて大きく空に向かって花びらを広げていた。

.

.

ソニーピクチャーズエンターティメントが北朝鮮の第一書記暗殺計画を描いた映画をアメリカの映画館で上映することになった。

これに北朝鮮が反発し、不測の事態が起こりかねない情勢になっている。

はじめ、この映画を作った会社にソニーの名前が入っていたのでソニーの子会社だとはすぐに分かったが、アメリカにある会社で社長もアメリカ人だそうだ。

つまり名前はソニーでも、日本の会社ではないと言うことになる。

そのためか、いかにもアメリカ的発想で作られたもので、コメディ風とはいえ、ずいぶん身勝手な考え方だなと、思ってしまった。

いままで、現実に生きて国を統治している人を実名で登場させ、その暗殺計画を茶化して映画にした例があるだろうか。

逆にオバマ大統領をはじめ、西側諸国の指導者を、馬鹿や間抜け仕立てにして暗殺計画などと虚仮にした映画を作ったとしたらそれでも、”報道の自由”だと笑って見過ごすことが出来るだろうか。

似たような映画でチャップリンの「独裁者」というのがあるが、独裁者がヒットラーと分かっていても別名にしたし、迫害されるユダヤ人庶民を描いたものとはぜんぜん次元の違うものようだ。

とにかく、百害あって一利もない映画をよくも作ったものだとあきれている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年12月24日 (水)

クリスマスイブ

005

大食漢のヒヨドリが南京櫨の実をついばんでいた。

先日まで遠目には真っ白な花が咲いたかと思わせるほど成っていた実がまばらになっていた。いよいよ山には食べ物がなくなってきたらしい。

南京櫨はむかし蝋を取るために植えられた櫨の木と同じように実の回りに付いた白い蝋分があるところから名づけられたが、種を手にとって見ると固い実の周りに僅かについているだけであり、大量に食べなければ、栄養にはならないと思う。

ただ、消化しない種はいま流行のダイエット食同様、腹持ちだけはよいのではないだろうか。

とにかく鳥のほうも、そのこと知るっているようで、栴檀の実同様、遅くまで枝先に残っている。

.

.

きょうはクリスマスイブ、耶蘇の祝日前夜である。

いつのころから日本人がこの日に大騒ぎするようになったかといえば、昭和も四十年代に入ってからのことでバブル全盛のころが一番ばかげた騒ぎをし、ホテルの予約を早くからした結果、、、、、、、、

とにかく、耶蘇の信仰心からしたものでなく、世間が騒げばそれと同じことをしなければならないと思う島国根性からでたものである。

幸いと言うか、その一時代前、まだ、「クリスマスとは何ものぞ」と言うころに青春が過ぎてしまっていたので、この馬鹿騒ぎは横目で見ていたが、それでも、子供のプレゼントには少々気を使った。

そんな自分だったが、去年と今年は連れ合いの友人が鶏の丸焼き二羽とアイスケーキを持ってきてくれた。

鶏はペルーへ行っていた四十年くらい前、毎日のように食べさせられた結果、嫌になり、食べたくないので断っていたのだが、「注文した品物だから、、」と置いていった。

そのため、孫の家にもって行きそちらでクリスマスパーテイを行なってきた。

上の孫は遅くなると言うので、娘夫婦と高校生の男の子、五人で黙々と食べてお終い、、、、、。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年12月22日 (月)

100円の損

030


今日は冬至。一年で一番日照時間が少ない日でもある。

日の出は、六時五十一分というから、夏至のころから比べると二時間あまり遅いことになる。

それでも緯度の高いヨーロッパに比べればましなのだが、、、、、、、

とにかく、長年の習慣というか、朝の五時になると目が覚め、布団の中でうたた寝が出来ないので起き出してしまう。

朝寝が好きな人から見れば、「なんと、物好きな人」と映るかも知れないのは百も承知している。

また、早起きをした結果、電灯をつけ、石油ストーブに火をつけるのだから、昔は「早起きは三文の得」なんて言ったが、いまでは「早起きは三文ならぬ100円の損」といったところであろう。

このようにして、早起きになったのは始業時間が七時という鉱山に就職したときからのもので、考えてみれば68年にもなる。

しかし、このころはまだ六時まで寝ていた。そうすると、最近の早起きは歳を取ったと言う加齢が原因しているためもあるのだろうか。

とにかく眠るということは、かなりエネルギーを消費すると言うことで、年寄りの早起きはこのエネルギー不足にあると言う。

今日は一年で一番朝寝坊を決め込んでいる太陽を見に麻機沼のほとりに出かけてみた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年12月21日 (日)

間違えた?

Img_0072


ひょっとしたら間違っているかもい知れないが、自分の見たところビヨウヤナギだと思ってみた。

もしその通りだとすると、この花の花期は六月ころのはず、それが今咲いていると言うことは、狂い咲き?

黄色く付け睫毛のように長い雌しべの花はどう見てもビヨウヤナギなのである。

念のため、人相書きならぬ図鑑と写真を見比べてみたが区別が付かない。

そして、花と赤い実をつけているということは、ここしばらく咲いていたということになるが、暖地の静岡とはいえ、先日は霜が下り、田んぼに氷が張っていたところから見ると、とても六月に咲く花とは思えない。

ひょっとして、夏至と冬至を間違えたのかもなんて思うほうが可笑しいのだが、、、

.

.

暖かい日差しを受けてすることもないので、清水の魚市場に行って来た。

昨日の雨ですっきりとした、東方向には絵に書いたような富士山が顔を出し、それを眺めながら日曜日で自動車の少ない海岸道路を快適に走る。

しかし、市場に付いた途端あまりの車の多さにうんざりしてしまった。

まるで、来る途中の車が少なかったのは,ここに集まっていたのかと思ってしまったほど、、、

自分も駐車場を満杯にしてしまった一員なのだが、そんなことは棚に上げて、、、

正月の買い物にはまだ早いと踏んでいたが、ひょっとしたらボーナスサンデーだったのかもしれない、、、、、、、、。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年12月20日 (土)

貫きとめる

004


雨が降る前にすこし蓮根を掘ってこようと朝八時になるのを待ってでかけた。

昨日までの晴れ日和と打って変わって空一面に雲が垂れ込め、陰鬱な感じではあったが放射冷却がないため、気温的には暖かい。

掘り出して一時間ほどしたとき、頬に何だか当たったような気がして、水溜りを見るとポツポツと波紋が広がり始めてきた。

天気予報が九時ころからと言っていたので、「なんとまあ、正確なことで、、、」とおもったが、そのころ、レンコンの密集した部分にあたっていたので、この辺りを掘りあげて帰ろうと、作業を続けてることにした。

幸い雨は、ポツポツの状態が続き予定数量を彫り上げて帰ってきたが、午後になって一時激しくなってきた。

今日の雨は風もなく、葦の穂にしずくが連なっていた。

しらつゆに 風の吹きしく 秋の野は 

    貫きとめぬ 玉ぞ散りける  文屋朝康

.

.

昨日のテレビでもやっていたが、所沢で葬儀場が男女の遺体を取り違えて引き渡し、一方が火葬を済ませたあと、もう一方の遺族が取り違えに気がついたいう。

ことが葬儀だけに、笑うに笑えない不始末に、両遺族は困惑しているに違いない。

葬儀は、土地により風習が違うものだが、先に火葬した遺族はなぜ気がつかなかったのだろうか。

自分が知る範囲では、火葬にする前に最後のお別れと称して、顔を見るのが普通と思っていたのだが、それがなかったのだろうか。

もちろん、遺体を間違えて引き渡した葬儀社が一番悪いのだが、遺体は年寄りとはいえ男性と女性と言う明らかな違いがあった。

しかし、このあと先に火葬にされた男性の遺族は遺骨の受け取りを拒否していると新聞に書いてあったが、この辺もよく分からない。

どんな腹立たしい事情があったとしても、遺骨は身内のものではないのだろうか。

また、もう一度火葬に立ち会わなければならない、女性の遺族は、、、、これまた複雑な心境であろう。

とにかくひとつのうっかりミスがなんとも取り返しの付かない事態になってしまった。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2014年12月18日 (木)

氷が張って

012


この冬一番の寒さを今日も更新した。

と、いっても、静岡では0度になったかどうかぐらいであるが、昨日まで強かった風も収まったため、田んぼのあちこちに氷が張っていた。

氷の下には、水がないため刈り取った稲の株辺りのところに氷の板が田んぼのへこみふさいでいる格好になっている。

どうしてこうなるのか、、、、、、とにかく、薄い氷なので足で踏むとパリンパリンと乾いた音を立てて砕け散り、子供でなくても面白さ半分で壊してみた。

.

.

1,960年、キューバで革命がおきて、映画館のニュースではキューバの人たちが「クーバ シ ヤンキー ノー」とデモ行進をしている映像を見た。

そのころ、スペイン語なんて遠い存在であり、クバシーの意味が分からなかったが、後になって、キューバは英語読みであり、スペイン語、つまりエスパニョールではクバとなり、シーはイエスであることを知った。

当時のキューバはアメリカ資本に牛耳られ、政府もアメリカに向いた施策を行なっていたため、貧富の格差ははなはなだしいものがあった。

そのため、カストロ指揮することのわずかな人数で反乱を起こすと民衆が蜂起し、たちまち政府は瓦解してしまったが、アメリカはそのことをよく思わず、革命軍を共産党呼ばわりすることで、一触即発のキューバ危機にまで追いやってしまった。

それから、半世紀やっとキューバとアメリカは国交回復の道筋を作ろうとしている。

アメリカは世界の警察、アメリカのすることはすべて正しい。としてきた幻想に少しでも目覚めることが出来るのだろうか。

先日も、テロの疑いで捕らえた人に拷問をしていたことが発表されたが、これでは、北朝鮮に人権侵害国家などと言えた立場ではないはずなのだが。

ともあれ、近隣の国と国交を回復し、正常な関係を築くことは喜ばしいことであろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年12月17日 (水)

酔いしれて

Img_0085


気の早い水仙が水辺でもう咲きだしていた。

ナルシストの異名どおり、水に映った己が姿に恋をして花になったそうだが、おりからの風に吹かれて茎を左右にゆすって、美しさに酔いしれているようにも見えた。

.

.

気のせいかと思ったが、やはり白いものが舞っていた。

気温は三度ながら風は強く、その風に吹かれて右に左に、そして、上下にと白いものは舞いなかなか地上には降りられない。

空の南半分は青空で日もさしているが、北半分は白っぽい雲で覆われている。

多分この雲から舞い降りてきた、風花(かざはな)なんだろう。

北のほうは、ふるさとを含めて吹雪の中だから、この程度の風と風花はご愛嬌といったところ。

それにしても、この時期にして、気象学者さえ驚くほどの気圧配置で、北海道では、雪と風に加え、高潮を伴って水害まで起きているのが放送されていた。

これでは、ダブルパンチならぬトリプルパンチ以上であり、お気の毒としか言いようがない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年12月16日 (火)

グウチョキパーの関係

001

夕方になって急に風が強くなってきた。

テレビの予報どおりの状況であるが、一時は台風並みの風で電線は揺れ、おぼえたての口笛のような音がする。

そんな状況を本能的に知っていたのか、夕方前の庭で、メジロとヒヨドリが椿の枝に刺した蜜柑を取り合っていた。

と、言ってもメジロとヒヨドリでは体格に差がありすぎて喧嘩にはならず一方的にメジロが追い払われてしまうのだが、そこに、窓越しの人間が現れると状況は変わる。

ヒヨドリは警戒心が強いらしく、家の中で人間が見ていると思うと、すぐによそに飛んでいってしまう。

その隙を突いてメジロが物怖じもしないで蜜柑をついばんでいる。

何だかジャンケンポンのグウチョキパーや三すくみのような関係が小さな庭とガラス戸をはさんで出来上がっているような感じがする。

パソコンの調子が悪く、どこまで出来るのか心配しながらのブログである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年12月14日 (日)

立ち枯れ

010


吹くからに 秋の草木の しほるれば 

  むべ山風を 嵐と言うらむ   文屋 康秀

今朝方の気温は静岡でも1℃台だったそうだ。このくらいになって風が強ければ初氷が見られるかも、、、、、と、思って外に出てみたが、あいにくと穏やかな空模様であり、見ることが出来なかった。 

ただ、秋の初めに草刈りをした場所で急成長したイタドリの若芽は全草に水分が多かったようで、茶色く立ち枯れをしている。  

.

.

総選挙の開票速報で夜になってテレビが騒がしくなってきたが、前回と同じように自民党の圧勝が間違いないようで、見る気がしない。

詳細は明日の新聞で確かめることにして、早々に寝ることにした。

それにしても、投票率の少なさはなんとしたことだろう。午後六時、地元の選管発表では30%に満たないようなことを言っていた。

嫌気が差してのことだろうか。選挙結果に変わりがないので行く気がしなかったのか。当選したすぐそばから公約を反故にする政治家を信用していないからか。

さまざまな憶測が浮かぶが、面倒臭いと言うより積極的棄権だとすると、民主主義が根幹から崩れていく前兆かもしれない。

「俺? 九時前に済ませてきたよ」でも、この選挙のあとにかなりの数の人が年末を控えて立ち枯れしていくのだろうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年12月12日 (金)

”税”ただ一点

P1010071

鞘がはじけて、真っ黒に艶びかりをしたタンキリマメの豆が飛び出した。

普通マメ科の植物は、鞘がはじけたときの勢いで四方に散らばるものだが、この実はくっついている。

どんな方法で種をばら撒くつもりなのだろうか。

タンキリマメは文字通り「痰を切る」と言う字から来ており、昔は薬として使っていたようだが、効果のほどはどうだったのだろうか。

とにかく、赤い鞘に黒い豆という鮮やかな彩りから目を引く植物である。

.

.

今年の世相を漢字一文字で書くと「税」になるそうだ。

短いようで長かった一年を振り返ってみると、いくつも話題になった出来事があり、一つにまとめることは難しいものだが、かなりの人が「税」を選んだのは、それが生活に影響したことにあるためと思う。

漢字ひと文字で世相を表すのは、19年前から始まった年末の行事であるが、2,010年には”暑”、翌年は”絆”、そして”金”、昨年は”輪”でありそれぞれ、いくつのも取れる漢字であったが、ことしの”税”は一通りしか意味がない。

確かに消費税が5%から8%になったのは懐に響いた。しかし、それ以上に響いたのは円安で、食料品が続々と値上がりし、この値上がりは来春にもずっと続きそうなことである。

安倍政権になって、90円台から120円にも下がった円安はとても企業努力だけでは防げない。石油こそ、世界情勢で下がっているものの、これもいつ高値になるか分からない中で、アベノミクスとやらは、大企業と株主という金持ち優遇策を改める気持ちはない。

こんな政権に次も任せては、すべてを信任されたとばかりに原発の再稼動、憲法を変えてしまうことまでやりかねない。

あとでしまったと臍を噛んでも知らないよ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年12月11日 (木)

この先どうなる

P1010076

「好きなものを持っていって正月飾りにでも、、、」とツルウメモドキの赤い実がついた長い蔓を何本も並べて見せてくれた。

あいにくと、そういうものを造る気もなく、以前に、玄関先に置いていたところ、実を包んでいる苞が飛び散ったりして以後は家に持ち帰っていない。

しかし、遠慮していると取ったようで、熱心に勧めてくるので、二本貰うことにした。

ツルウメモドキ。花は小さな緑色をして目立たないため、白い苞がはじけて赤い実が出なければ目立たない存在の植物である。

この植物は、名前からして存在感が薄い。梅が属する桜とも違うウメモドキに似た蔓。と言うことで名ずけられたのだが、偽物の偽物と言ったような名前が気の毒である。

ともあれ、せっかくのものなので、今年は輪っかにして飾ってみよう。

.

.

今朝方ノーベル賞の授賞式が行なわれ、今回も日本人の受賞者がでた。これで何人の受賞者が出たのか即座にいえないほどの数になり、日本の基礎研究はかなりの水準になったものだと思う。

そして、自分には全く関係のない事柄ながら、何だか誇らしげにおもうのは、自分も日本人であると言う思いがどこかにあるんだろうな。

その一方で、日本の報道が、日本人受賞者ばかりを映像などで放送し、他の受賞者に全く考慮をしないやり方には、島国根性丸出しと言われても仕様が泣きがする。

今回の受賞者の中で、一番の目玉はパキスタンのマララ ユスフザイさんではなかっただろうか、授賞式の挨拶でも「銃は簡単に与えられるのに、本がなぜ難しいのでしょう。 戦車は簡単に与えられるのに、学校がなぜ難しいのでしょう」という。

十七歳という若年にもかかわらず国連や今度の授賞式などで堂々と信念を述べることができるのは、死線を越えたばかりでなく、今後もイスラム原理主義者からの危険に立ち向かう覚悟が出来ている人ならではのこととおもう。

そして、昨日、大型電器店で買い物をした際の女性が可愛いこぶりっ子的な声音と自分で言って自分で返事する、、、、「みたいな」などの曖昧語が入った話しっぷりがあまりにも幼稚に見えて、マララさんの堂々とした話し方と比較すると、、、、、、いや、比較するの値しないが、日本の将来がどうなっていくのか心配になってしまう。

おりから、若者の理数離れがいわれおり、肉体労働が3Kなどといって嫌われている社会に、「この道しかない」と言われても    ねぇ~

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年12月 9日 (火)

年末の帳尻りあわせ

006


家の北側、日当たりの少ない場所に植えて置いた木立アロエが今年も花を咲かせている。

暖かい場所と日当たりを好むアロエにとって快適な場所ではないにもかかわらず、毎年のように赤い筒状の花を咲かせるのは、健気な感じさえする。

万病に効く、いわれ、いっときあちこちで植えられていたが、ブームも去ったいまほったらかしにされたのが、この場所に根付いたようで、いつこの場所に来たのかは憶えていない。

とにかく原産地では、この花に関わる虫もいるに違いないが、啓蟄もとっくに過ぎた現在、花粉を媒介する蝶なども見えず、今日も当てのない虫の訪問を待っている。

.

.

a昨日は同級生の、そして今日は遠いところに住む従弟の家から年賀の挨拶が出来ない旨の葉書が届いた。今年はこれで十通も来たことになり、宛名だけ書いた年賀状を書き損じの箱に入れている。

年末になってつじつまを合わせるかのように、有名人はもとより、身の回りでもあの世に旅立つ人が多い。

急に寒くなった気候も影響するのだろうが、室温が変わらない病院のベットでも多い、と聞いたことがあるような気がするのは、地獄の閻魔様が今年の定員を満たすためではないのかと勘ぐっている。

今年もあと二十日、昨日になって洗濯機が故障してしまった。

これは、閻魔さまと関係ないはずだが、生活必需品だけに何がなんでも買い換えなければならず、電気屋に行って手ごろなものを注文してきた。

ボーナスにも実はなされている我が家にとって、正月前の要らざる出費は、これも今年の帳尻りあわせなのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年12月 8日 (月)

声を枯らして師走

005


サネカズラの実が真っ赤に熟れて陽の光を照り返している。

サネカズラは漢字で書くと実蔓と書き古来から人々に愛されてきたようで、この実を読み込んだ歌は数知れずある。

また、粘り気のある果汁はいまで言うリキッドのような効果を出させ、鬢付け油代わりに使われたこともあるらしい。

名にしおば あうさかやまのさねかずら 人に知られて来る よしもがな 

と詠たい、百人一首に採用され、今の世でも知られている三条右大臣、(多分藤原家にうまれ、貴族としてのほほんとして過ごした人なんだろうけれど)政治的には何をしたかわからないが、作った歌は千年後にも残っている。

.

十二月を師走と名づけたのは、どう言う謂れからか分からないそうだが、平安時代ころから、”しはす”と言う言葉があり、その当て字であるということは定説のようだ。

しかし、この当て字はよく付けたもので、先生方は今日も声を枯らして右往左往と走り回っている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年12月 7日 (日)

北日本には

011
昨日までの風も収まり池ヶ谷の山でもうらうらとした陽気に包まれて、まさに小春日和を絵にかいたような一日であり、雪が降っている北日本の人には申し訳ないような空模様である。。

山に植えられた温州みかんは鳥たちに荒らされ、中身を食い散らかされ始めている。

一方、収穫期が来年2~3月になる甘夏は、ここ十日ほどですっかり黄色くなり、粒も大きくなった。

今年は、裏年になるため、数は少ないがその分、粒が大きくなるように見えるのは期待のしすぎだろうか。

.

013栴檀の木に黄色い実がいっぱいぶら下がっている。

その下にはこれまた木に倍するほどの実がこぼれているが、ほかの動物には食べられた形跡がなく、人に踏まれて、中の種が飛び出していた。

これを見ただけでよほど不味い木の実だと思って調べてみると、サポニンを含んでいるため食べ過ぎると死に至ることも有るとのこと     

食べてみる気が無かったが、くわばら くわばら

”栴檀は双葉より芳しい”とか、落語の子褒めに出てくるが、この場合に栴檀はこの木でなく、ビャクダンをいうとのこと。

”白檀”といえば香木であるが、なぜこの名前がこんがらがっているんだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年12月 5日 (金)

笈破霧

006

ふるさとの神岡町では笈破霧(オイワリギリ)というものがこの時期発生する。

町から見て北西のこの山から山頂を覆い隠す霧が出てくると、気候が悪くなるとむかしから言い伝えられてきた。

この山の奥にあった”笈破”という集落がなくなったのは昭和五十年代であった。

笈破の名前の由来は、ずっと昔のこと弘法大師(高野聖)がこの地に来たとき、仏具を入れる笈が壊れたことから名づけられたと聞いた。

そして、戸籍の上では自分が生まれたのは、この”笈破”だと言うことになっている。

聞くところによると生まれたのは、そこから10kmほど離れた場所であるが、その当時の戸籍はいまより結構いい加減で、生まれた日も誕生日より三日早い日付になっていると母親から聞いた。

話しを元に戻す。笈破霧がなぜ気候を悪化させるかと言うと、北からの寒気が日本海でたっぷりの水気を含み、富山平野から飛騨山脈にぶち当たった際に雨や雪を降らせるのだが、その湿気を吸った雲が笈破やその対岸の大洞山にかかるからである。

そのため、この一帯は日本有数の豪雪地帯であり、早いときには十月十日に初雪を見た年もあり、昭和三十八年には積雪7mを観測した年もあった。

.

.

今月から自分は「後期高齢者」になった。

なんとも嫌なネーミングの付け方をしてくれたもので、人生を季節にたとえれば冬の季節に入ったことを意味し、最後の枯葉が舞い落ちるのを今か今かと待たれているような気がする。

しかし、”憎まれっ子世にはばかる”ではないがせいぜい抵抗して行こうかというのが、今の心境である。

なにせ、戦後早々の教育を受け、深い雪の中で先祖代々の反骨精神を受け継いだ倅なのだから、、、、、

おりしも、昨日今日とふるさとはすべての山々が雲の中に入り、雪に見舞われているとのこと、、、、

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2014年12月 4日 (木)

雨あめ降れ降れ

019


昨日までの強い風が収まったものの、朝から空一面の雲はいつまでも明るくならない朝を演出していた。

その空から、お定まりの雨がポツポツと降り出し、雨さえ降らなければ蓮根掘りに出かけようと思っていたが中止とした。

おかげですることもなく、一人で出来るゲームとパズルで終日をおこない、その合間に身の回りの食べ物を口に入れる、いわゆる”食っちゃ寝”で過ごしたが腹が張ってしかたない。

腹減らしの散歩に傘を持って出かけたが、ちょうど幼稚園の帰り時間だったらしく、目の前を、お迎えのおばあさんと一緒に帰る子供がいた。

この年頃は、何をしてもうれしいらしく鼻歌を歌いながら傘を振り回し、スキップよろしく水溜りを踏み、道路をみぎひだり、、、、、

振り返って、七十年余り前自分たちのときはどうだったのか、、、、、記憶にないがこんな傘ではなく番傘しかなかったはずである。

当時の歌に#あめあめふれふれ 母さんが蛇の目でお迎えうれしいな ピチピチジャブジャブ ランランラン   と言う歌があったが、同じようなことをしていたのだろうか。

お迎えなんて無かったような気もする。小学校のときは着たきりスズメの服を濡らしながら走って帰ったことは憶えている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年12月 2日 (火)

誰が食べる?

014

ヒヨドリジョウゴの実が真っ赤に熟れ、指でつまめばプヨンプヨンと指定化にも美味しそうになっている。

粒の大きさは1センチに満たないが、これがかなりの猛毒を持っているようで、鳥も食べないらしく、冬遅くまで木の枝についている。

物の本によるとヒヨドリが好んで食べるからだと言うが、あの大食漢で意地悪なヒヨドリが好きなものなら、冬枯れで枯れた蔓の先に真っ赤に目立つ実を残しておくはずがない。

逆に食べ物がなくなった時期に、この実を食べたヒヨドリが毒にあたってふらふらとしているのを見て、酔っ払ったと見間違えていたのではないかと思っている。

しかし、ヒヨドリジョウゴのほうにしてみれば、実を食べてどこかへ種を運んでもらいたいと目立っているはずだから、何かお得意さんがいるはずだが、はたして、毒に当たらない生き物は何なんだろうか。

.

.

012


今日は、季節の大きな変わり目だったらしく、富山から雪が積もったと言う便りが届いた。

ここ静岡では、昨日の天気と打って変わって強い西風が吹き、空の雲を一掃したような青空が広がり、白く化粧した富士山が雪煙を上げているのが遠望できた。

テレビでは、北陸地方では雪とともに30mを越す風も吹いて、雪が横殴りに吹いているさまを映し出していたが、池ヶ谷の山に出かけた際には、こちらでもかなりの強い風で、普段自転車で平地を走るときはトップギアにしているのだが、風に向かって走るときはギアダウンでなければ立ち向かえないほどの風圧を感じた。

山の上に上がれば、今日から始まった選挙戦の挨拶らしく、風で途切れ途切れ声が右から左から聞こえてくる。

何だか神様になったような気分で、下界の騒音を聞くともなしに、、、、、、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年12月 1日 (月)

白い縁取りの磯菊

018


ツワブキの黄色い花が済んで、今は磯菊の花が黄いろい花の代名詞になっている。

一つ一つはごく細かい花なので花びらがどうなっているか分からないが、いくつもが集まってポンポンのようにひと塊でひとつの花を形成している。

この草の葉は、表の緑に対して裏に白い毛が生えており、その毛の先端がはみ出していることから、まるで、葉が白い縁取りをされたように白く見える。

.

.

明日から、衆議院議員の選挙が始まる。

候補者の数も、野党側の共倒れをふせぐため、若干の調整が行なわれているが、「俺が 俺が」と功名心と自我の強い先生方では難しいらしく、この調子では、自民党の一人勝ちが予想されている。

今回の選挙はアベノミクスの評価だと首相が言うが、そんなことを信じるほどお人よしではない。

多分当選すれば、全てが信任されたとばかり右よりの政策をさらに進め、大企業と金持ち優遇の政策を推し進めるに違いない。

前回の選挙でもそうだが、国民の四割の支持で過半数どころでなく、八割の議席というのは、小選挙区の弊害であろうが、野党同士で票を分散し、国民の声に応えなかったところが多きい。

新聞には正式の公約ではないが耳をくすぐるような公約を述べている。しかし、憲法違反と指摘される議員定数をはじめ、憲法解釈を勝手に変更してきた自民党の勢いを止めるには、議員本人より、党で人を選ぶしかない。

どんなに人柄が良くても、国民のことを第一に政策を立てる人でも、首相に諫言をしたり楯突いた人が一人でもいただろうか、、、、、、、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年11月 | トップページ | 2015年1月 »