笈破霧
ふるさとの神岡町では笈破霧(オイワリギリ)というものがこの時期発生する。
町から見て北西のこの山から山頂を覆い隠す霧が出てくると、気候が悪くなるとむかしから言い伝えられてきた。
この山の奥にあった”笈破”という集落がなくなったのは昭和五十年代であった。
笈破の名前の由来は、ずっと昔のこと弘法大師(高野聖)がこの地に来たとき、仏具を入れる笈が壊れたことから名づけられたと聞いた。
そして、戸籍の上では自分が生まれたのは、この”笈破”だと言うことになっている。
聞くところによると生まれたのは、そこから10kmほど離れた場所であるが、その当時の戸籍はいまより結構いい加減で、生まれた日も誕生日より三日早い日付になっていると母親から聞いた。
話しを元に戻す。笈破霧がなぜ気候を悪化させるかと言うと、北からの寒気が日本海でたっぷりの水気を含み、富山平野から飛騨山脈にぶち当たった際に雨や雪を降らせるのだが、その湿気を吸った雲が笈破やその対岸の大洞山にかかるからである。
そのため、この一帯は日本有数の豪雪地帯であり、早いときには十月十日に初雪を見た年もあり、昭和三十八年には積雪7mを観測した年もあった。
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今月から自分は「後期高齢者」になった。
なんとも嫌なネーミングの付け方をしてくれたもので、人生を季節にたとえれば冬の季節に入ったことを意味し、最後の枯葉が舞い落ちるのを今か今かと待たれているような気がする。
しかし、”憎まれっ子世にはばかる”ではないがせいぜい抵抗して行こうかというのが、今の心境である。
なにせ、戦後早々の教育を受け、深い雪の中で先祖代々の反骨精神を受け継いだ倅なのだから、、、、、
おりしも、昨日今日とふるさとはすべての山々が雲の中に入り、雪に見舞われているとのこと、、、、
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コメント
岡崎在住様
屋根雪を下ろした後、外に出てその高さにあきれている70歳くらいの近所のおばあさん。
むかしは、この年頃になると家の中に閉じこもって、めったに外に出ませんでしたね。
いまの七十歳ならもっと若々しいのだろうけれど、このころは平均年齢が六十代前半でしたから、、、、。
インドはデリーに行っていたんですか、あちらは貧富の差がひどいんでしょうね。
それにしても、冬になるとそんなにに寒くなるんですか。暑い国というイメージが強いのですが、、、
投稿: オラケタル | 2014年12月 7日 (日) 16時18分
屋根の雪おろしと、雪道を掻いて積もり積もった雪の壁の間を歩くおばちゃんやね。ズンベ(藁の長靴)を履いとらんな(笑)頬かむりをみるとインドのチョキダール(門番)を思い出すな。寒い冬(デリーの1月は1℃ぐらいまで冷え込む)でも、朝までずっと外で見張りをするんや。アンマリ寒そうなもんで、冬は電熱ヒータを貸してやっとったな。でも頬かむりは意外と温かいみたいやよ。
投稿: 岡崎在住 | 2014年12月 6日 (土) 21時07分
TOMOKOさま
とりあえずは”おめでとうこざいます”と言っておきます。
あと一年で前期高齢者、健康保険など優遇策がありますよ。生かされていることに、嬉しくもあり、情けなくもあり、、、、、
”これがまぁ 終の棲家か 雪五尺”
歳を取って、自分の背丈より高い雪を見るのは、毎年のこととは言え心細くなる光景です。
雪のない静岡の人は、あんな良いところからなぜ?とき着ますが、雪の恐ろしさを知らないんですね。
投稿: オラケタル | 2014年12月 6日 (土) 17時08分
昨日がお誕生日でしたか。そう云えば昨年だったか、私と近い! ってコメントしたような気がします。私は今日ですが、複雑な気持ちですね。何も言われないのも淋しい!だけど嬉しいとは言えないし・・・私はあと1年で70
今までの無事を感謝し、この先起こって来るであろうことへの覚悟を新たにする日かな?
上の写真、芯から凍えそうな感じですね。
投稿: tomoko | 2014年12月 6日 (土) 08時06分