廃墟
鉱山最盛期のころの映画館、これらの人はいまどこに
自分が生まれて39歳まで住んでいた飛騨の神岡町は鉱山が主産業の町であり、最盛期は人口二万五千人ほどの八割くらいが鉱山と何らかの関係があった企業城下町であり、我が家も先祖代々この地に住んでいて、鉱山とは何らかのつながりがあったと思っている。
その鉱山も国際競争力に勝てず、人員整理のなどの合理化とそのあと、採掘を止めてから寂れていった。
そのため、採鉱部門のあった栃洞地区と大津山地区の社宅は無人となり廃墟になった。
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昨夜、NHKテレビで「廃墟」と題した放送があり、それを見ようとチャンネルを合わせたが、ものの10分ほどで見るのを止した。
最近、”廃墟マニア”と言われる人が、人が住まなくなった建物などを傍若無人に入り込み、写真を写して悦に入っているようだが、この番組の冒頭に、そんな人が神戸の元ホテルにはいり、壁の汚れ具合などを見ていたからである。
”廃墟”自分が育ち仕事をした場所は、火事と雪と風化によってほとんどが消えうせた。
しかし、物はなくなっても思い出の中に、それらが生きている。
まさに、夏草やつわものどもが 夢のあと といったところ
そんな場所を、全然関係の無い人に荒らさられ、勝手な批評にさらされるのは我慢が出来ない。何だか自分たちの墓を土足で踏みにじられているような気がしてならないのだ。
都会の廃墟は、更地にされ次の新しい建物に変わっていく。これも思い出は跡形も無く消え去ってしまうので寂しいものだが、廃墟は生き恥を晒しているようで切ないものがある。
一つには、廃墟を作った会社なりが厳重に管理して立ち入らせないようにすれば良いのだが、そんな余裕は無いらしい。
廃墟マニアよ! そこに住んでいた人たちがどんなに嫌な思いをしているのか、知って欲しいものだ。
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