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2015年1月31日 (土)

廃墟

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鉱山最盛期のころの映画館、これらの人はいまどこに

自分が生まれて39歳まで住んでいた飛騨の神岡町は鉱山が主産業の町であり、最盛期は人口二万五千人ほどの八割くらいが鉱山と何らかの関係があった企業城下町であり、我が家も先祖代々この地に住んでいて、鉱山とは何らかのつながりがあったと思っている。

その鉱山も国際競争力に勝てず、人員整理のなどの合理化とそのあと、採掘を止めてから寂れていった。

そのため、採鉱部門のあった栃洞地区と大津山地区の社宅は無人となり廃墟になった。

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2006_0219_135726昨夜、NHKテレビで「廃墟」と題した放送があり、それを見ようとチャンネルを合わせたが、ものの10分ほどで見るのを止した。

最近、”廃墟マニア”と言われる人が、人が住まなくなった建物などを傍若無人に入り込み、写真を写して悦に入っているようだが、この番組の冒頭に、そんな人が神戸の元ホテルにはいり、壁の汚れ具合などを見ていたからである。

”廃墟”自分が育ち仕事をした場所は、火事と雪と風化によってほとんどが消えうせた。

しかし、物はなくなっても思い出の中に、それらが生きている。

まさに、夏草やつわものどもが 夢のあと    といったところ

そんな場所を、全然関係の無い人に荒らさられ、勝手な批評にさらされるのは我慢が出来ない。何だか自分たちの墓を土足で踏みにじられているような気がしてならないのだ。

都会の廃墟は、更地にされ次の新しい建物に変わっていく。これも思い出は跡形も無く消え去ってしまうので寂しいものだが、廃墟は生き恥を晒しているようで切ないものがある。

一つには、廃墟を作った会社なりが厳重に管理して立ち入らせないようにすれば良いのだが、そんな余裕は無いらしい。

廃墟マニアよ! そこに住んでいた人たちがどんなに嫌な思いをしているのか、知って欲しいものだ。

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2015年1月30日 (金)

逆走

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夜明け前から降り出した雨は薄暗くいつまでも明けないような空模様とともに、冷え込んだ朝をさらに寒く感じさせた。

三寒四温の寒の部分に当たるのだろうが、季節に逆行すると寒さをより厳しく感じさせてしまう。

庭のサザンカも、この雨に打たれて花びらを散らし、根元を赤く染めているが、雨に濡れそぼった花びらは、決して華やかな彩りではない。

そんななか、昨日あわただしく来て帰っていった義弟から、「雪の降る前に無事帰りついた」と言う電話が入った。

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昨日の新聞によると、高速道路を逆走した人のうち、認知症だった事件が27件に及ぶとあった。

それでは、統計上どのくらい逆走があったかと言うと全体で224件もあったと言うから、認知症で無い人の逆走が88%だったと言うことになる。

つまり、新聞などで騒がれるほど認知症の逆走が少なかった。と言うことになり、報道と言うか、警察辺りがことさら大げさに発表していたことになるのではないだろうか。

そのほかの200件近くの逆走はどのようにして起きたのか。道路上に逆走をさせる何らかの欠陥があった有ったのではないだろうか。

来月、自動車を新しくすることにした。

今使っている自動車は15年前に購入し、使い勝手がよく故障もなかったのだが、環境に優しい車をと言う名目で、古い自動車には税金を高くするなど自動車会社と政府が結託して新車の買い替え政策に屈した形で交換することになったような気がしてならない。

最近の自動車の進歩には目覚しいものがあり、いまの自動車とはかなり違っており、自分ひとりではどの自動車が良いか決め切れないものがあった。

販売店ではオプションであれもこれもと勧められ、衝突防止装置やカーナビを取り付けることにしたが、「逆走防止装置はないのかね?」と冗談半分で聞いたところ「それはチョット~」との答えであった。

テレビでは、駐車場を認識させると自動的にハンドルをきって駐車する車があると言っていたが、逆走の最大の原因である進入口に何らかの装置を置き、それを車が認識させる技術はそんなに難しくないと思うのだが、、、、、

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2015年1月27日 (火)

のたりのたり

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朝方の激しい雷鳴で目が覚めた。

起きるにはまだ早い時間であったが、その後しばらく床に入っていたものの、眠気がさっぱり来ないので、おきだしてしまった。

その後、天気は急速に回復し、昼には気温が十六度まで上昇し、いつもどおりの服装で買い物のお供で車を運転したが日差しも強く、窓を開けて走らせた。

回りの車も窓を開けており、久しぶりに風を受けての運転は心地よい。

風の無い海は波も無く、のたりのたりと揺れていた。

明日からまた寒気が入ってくると言うので、このまま春になだれ込むと言うわけではないが、”三寒四温”と言う言葉もあるくらいだから、、、、、、

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2015年1月25日 (日)

梅は咲いたか

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#梅は咲いたか 桜はまだかいな、、、、、、

俗謡として、三味線を持ったおばあさん芸者がよく謡った。お座敷歌の出だしで覚えている。

いまでこそ、芸者をあげての宴会など廃れてしまったが、昭和三十年代は新年会や忘年会はもとより、男ばかりの学校だったので同級会にもたびたび来てもらったものだった。

今年は、例年より寒さが厳しいのかいつもの年より梅の開花が遅れているような気がしてならない。

それでも、ここしばらくの間に蕾みも大きくなり、ポツリポツリと花が開きだした。

梅の花は、開ききったときより、いま開かんとばかりに膨れ上がった蕾に、なんとも言えない色気を感じてしまうのは、自分だけだろうか。

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高校一年の夏休み、鉱山からアルバイトを頼まれて選鉱場の廃砕を気の箱に入れて標高で30mくらい上にある軌道に置かれた台車まで担ぎ上げる仕事をした。

真夏の暑い日に晒されながら、箱ともに25kg以上はあった荷を背負って一日何回と無く担ぎ上げたものだった。

アルバイト料は一日240円。その当時失業対策事業の労賃と同じであることが、大人なみに扱われたような気がしてうれしかった。

しかし、当時は1ドル360円のころであり、アメリカで皿洗いをしている人でも、一日5ドルになっていると聞くとなんか不思議な気がしてしようが無かった。

それから60年。山の畑に肥料を届けるため、15kgの袋を肩に担いで登りだしたが、高低差25mほどの階段を登りだしたものの、あと5mほどのところで息切れし、休んで呼吸を整えなければならなかった。

口は達者になったが、歳月は身体から力を奪っていく、、、、、

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2015年1月24日 (土)

蕗の薹

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先年山から採ってきた蕗の一部を捨てておいたところ、どこが気に入ったのか根っこを張って繁殖した。

繁殖したと言っても、70cm×150cmほどの範囲だが、それでも少しづつ範囲を広げている。

さすが野生の蕗、と感心していたら2~3年前から小さな蕗の薹を芽吹かせるようになった。

北国の春。根雪の解けたところから顔を出す蕗の薹は瑞々しく大きなものであるが、家の裏にほったらかしの蕗の薹は、小粒で何だか固そうに見える。

それに、昨年茂っていた蕗が茶黒く変色して蕗の薹にまとわりついているのも、美味しく見えない原因でもあり、スケートなどなら減点対象になりかねない。

しかし、生命力と健気さはひしひしと伝わってきて、とても摘んで食べる気にはなれないでいる。

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2015年1月22日 (木)

黒雨

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昨日午後から降り出すと言われていた雨を朝方まで持ちこたえていた雲も、ついに堰が切れたように降り出した。

厚い雲が一晩中かかっていただけに、寒気が入り込めなかったようで、氷雨と言うような状況ではなかったが、空の黒さが示すように雲が厚いらしく、日中になっても薄暗い感じの一日である。

まさに”黒雨”と言う字がそのまま当てはまる一日である。

庭のサザンカもそろそろ最盛期を過ぎて、根元に花びらを撒き散らし、遅咲きの花びらに露をしたたらせていたが、晴れた日には耀いて見える花びらも、この暗い天気の中では深沈と沈み込んでいる。

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そんななか、メジロがどこへ行っても餌が無かったのか、軒下の金具に刺しておいた干からびた蜜柑をついばみに何度も来ていた。

あまりの哀れさに、同級会の案内状を出しに郵便局へ行った帰り、総菜屋さんで一袋110円の蜜柑を買い、二つに割って金具に刺した。

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十年ほど前、イラクで日本人三人が武装勢力に捕らえられ人質にされたとき、一部で「自己責任」と言う声が上がり、新聞にも載った。

そして、昨日シリアで捕まった二人に二億ドルと言う法外な身代金を出さなければ72時間後に殺害すると言う映像が流れ、テレビは大騒ぎをしている。

しかし、今回は「自己責任」を口にする人はいない。報道によれば、どちらも「行かないほうが良い」と止めらたのを振り切って行ったそうだ。

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最近になって連れ合いが、何十回も登った安倍川周辺の山に行くと言うと「もし、その辺で遭難したら人に迷惑をかけるからよしなさい」という。

「本人は助けが要らないといっても、放っておけないから大勢の人が行かなければならないんだよ」

外国で人質になれば、小さなヨットで荒海に乗り出して遭難したときも、、、、国民の生命を守るのが義務である。

自己責任とは、、、、考えさせられるのだがその境目はどこにあるのだろうか。

          わからない。

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2015年1月20日 (火)

寒もち

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今日は大寒。寒さもここに極まれりと言った日であるはずだが、実際の寒さはこれからが本番になる。

おりしも散歩途中の池には、放射冷却で冷え込んだようで氷が張っていた。

その氷が張る過程で、風が吹いたか凍ったところで水位が下がったかで何度かに分かれて凍ったようで、等高線のような縞模様が出来ていた。

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むかしは本当によく食べた。

正月など雪に閉じ込められてすることも無し、娯楽と言えばスキーをすることくらい、後は百人一首など室内ゲームしかないため、暇があれば何か食べていた。

そのため、暮れに搗いた正月用の餅を食べ終わり、寒餅などと言ってまた搗くのがこの頃であった。

暮れに搗いた餅もいまのように4kg~6kgなどと言ったすこしばかりのものでなく、一斗の白い餅に、栃餅、豆餅、黍餅などがあったから、いま風にいうと15kgの白い餅プラスと言うことになる。

これを七人家族で来る日も来る日も食べて飽きなかった。

#正月ぁ良え あっぽ食って良え、、、    なんて歌もあったくらい。

最高に食べたのは、「歳の数だけ雑煮を食べる」と言うことで、高校一年のとき十六個をいっぺんに食べたことがあり、いま考えれば、これだけのもち米を集める親の苦労も大変だったことだろうが、よくそれほど食べられたものだと言う思いと、それだけ食べても腹を壊さなかったことである。

それから幾十年。最近の子供は食べる量が少ないそうだ。

一人で食べる孤食、単品しか食べない個食、戸外で食べる戸食、のほか、小食、粉食、子食、虚食、等々これ全てコショクというそうで、食事が楽しくないので食べないそうだ。

それなのに、なぜ背丈ばかりが伸びるのか、、、、、、

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2015年1月19日 (月)

シュウショウロウバイ

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雪国で春一番に咲く花はマンサクであるが、暖国静岡では蝋梅ではないかだろうか。

早いものは、暮れからポツリポツリと咲き出し、いまあちこちの庭と言わず畑といわず、黄色い花を咲かせている。

”蝋梅”とは、蝋細工のように透き通った花びらを持ち、梅に似た花を咲かせる。と言うことで名づけられたのだが、もともと咲いていた中国でもおなじ字を書くそうだ。

朝こそ冷え込んだが日中は十二~三度まで気温を上げぽかぽか陽気の陽の光を透き通らせて、耀いている。

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この蝋梅は花全体が黄色いため、素心蝋梅とまるでお坊さんのような名前で呼ばれているが、今朝方のテレビはタレントの三船三佳32歳から三行半を突きつけられて周章狼狽(シュウショウロウバイ)している、おじさんロッカーの高橋ジョージ56歳が映し出されていた。

こういう話しになると、つくづく女は強いもんだと思ってしまう。

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2015年1月17日 (土)

雪はどう?

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上は栃洞銀座と言われた私宅街、下は、大津山小中学校の校舎。一階が雪に覆われてしまい、学校への入り口は下の手すりのところの黒い部分。
Img_0132生まれ故郷に住む従兄弟に電話をしてみた。

「雪の具合はどう?」「うん、降ってはいるがむかしほどでもないし、屋根に融雪装置をつけておるんで屋根に昇らなくてすむからな、、、」とのこと。

テレビではかなりの積雪とは言うが、、、、自分が経験した一番の大雪は昭和三十八年の冬に積もった雪ではなかったと思う。

後に”38豪雪”と名づけられたこの雪は、前の年の暮れから降り積もった以降、毎日のように降り続き最大積雪量は、富山県との県境に位置する大津山というところで7m以上になり、平屋の社宅は完全に雪の下になり、屋根雪下ろしではなく、屋根雪上げの状態になってしまった。

昭和38年と言えば、まだ雪かきの重機も十分でない上、雪を始末する場所が無いので、春遅くまで人々は”雪またじ”追われた。

しかし、先祖代々この地に住んでいた自分たちは、「今年はいつもよりチョット多いなあ」という程度で済んだが、鉱山には本社採用のお偉いさんもまたかなりいて、学校を卒業したてで、学問を鼻にかけた世間知らずもそれなりにいた。

これらの人たちも年頃になると、結婚と言うことになるが、お見合いなどで連れて来られた花嫁さんは”気の毒”の極まりであった。

知った人の居ない土地で、初めて見る大雪が社宅を覆い尽くし家を暗くする。

雪というのは、音を吸収する性質があるため物音一つしない世界でただ一人ダンナさんの帰りを待っている。

「ノイローゼになりそうだった」とい話しを聞いたが、実際になった人もいるだろう。

ここ十八年、雪なんて見たことの無い静岡の人は雪に憧れ、情緒があって良いねぇ~、なんていうが、上の写真を見ればどう思うだろう。

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2015年1月16日 (金)

霞塵をはらって

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十一月三日が晴れの特異日。と言うのを聞いていたが、きょう一月十六日もそうだったとは知らなかった。

しかし。天気のほうはそんな約束事を知っていたかのように、昨日の雨で飛んでいた霞塵を落とし、すっきりと晴れ上がっていた。

テレビでは同じように晴れ上がっているはずの北京の空模様を写していたが、こちらはPM2.5とやらで、計測不能なほど大気が白く霞んでおり、つくづくあんなところに住んでいなくて良かったと思わされられた。

ただ、日本も昭和40年には入ってから、高度成長期にはスモッグで空が灰色になり、川や海が汚染された時期があり、あまり他人事と笑っていられないところがあるし、北京の大気汚染の大きな元凶のひとつが自動車の排気ガスだとすれば、売上高を競っている、日本を始め欧米の自動車メーカーの各社がその一翼をになっていることになる。

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75歳以上の人が、自動車道で逆走する事故が目立って増えていると言う。

そして、違反をした運転手にかなりの割合で痴呆症がいるそうだ。

そのため、免許の更新時に行なう検査をもっと厳しくしようと言う動きがある。と新聞などが書いていた。

昨年八月に自分も受けてきたのだが、鶏並みに「三歩歩けば忘れる」にちかく、「憶えて置いてください」と言われて示された16枚のイラストを、別な問題を解決した後「さあ、先ほどのイラストを書いてください」と言う問題に一番手こずった。

先日も娘から「じいじ、いくつまで運転しますか?」と言われたが、本人は大丈夫なつもりでも、周りから見て危なっかしいのだろうか。

免許証は、今回もゴールドの帯が巻きついているんだが、、、、、

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2015年1月14日 (水)

暖を求めて

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雨が降ったのはいつだったか、忘れてしまうくらい長い間、青い空の天気が続いた。

その青い空が逆に寒気を引き込んだようで、放射冷却で麻機沼の周囲の草も枯れはて、一面枯れ葉色の野ッパラに変えてしまった。

そして、その寒気に耐えかねてか、青サギの一団が風の当たらない陽だまりで、眠れなかった夜を取り返そうとウツラウツラで過ごしているのが、遠目ながらよく分かる。

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今日は神戸と淡路島を中心に直下型地震が起きてから20年だと言う。

”十年ひとむかし”というから、その後に起きた東北の地震の陰に隠れて、思い出すことも僅かになってしまったが、明け方に起きたおきた地震の影響も、テレビなどで詳しく放送しなかったため、現場に入ってから聞いたぐらいである。

もちろん、地震の起きたときには目が覚めていたので知ってはいたが、報道各社の立ち上がりは遅かった。もちろん政府の危機管理もいまほど充実していなかったので、当時の村山内閣の不手際が後になって問題化された。

それから、20年。今年はその年に生まれた子供たちが成人式に出席する年頃になってはきたが、地震をはじめ天災はいまだにどれも予知が出来るような時代にはなっていない。

毎年のように起きる天災は地球温暖化という人災を加えて、ますます激しさをつのらせていく。

今年は、この人災を少しでも減らすためにも、化石燃料の使用を少しでも減らそうと思ってはいるのだが、、、、、よる年波か、静岡の気候になれたためか寒さが身にしみるようになり、少しづつ、灯油の使用量が増えつつあるのが気にかかる。

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2015年1月13日 (火)

クイナ?

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家の裏の川からすこしくだった先で名前の分からないツガイの鳥がきていた。

異様に大きな足の指から見て、クイナの仲間らしいが、バンにしては鼻先に色がすこし物足りないところがある。

#卯の花の 匂う垣根に、、、、に出てくるクイナは夏鳥の象徴だが、あれはヒクイナであり、今の時期に見られるのがクイナである。

この鳥の仲間は水辺の鳥であるが、水かきが無いので泳ぎが下手そうに見えるが、意外と上手なようで土手の上から覗いている自分を見て、恋のささやきを中断し、上流方向にすいすいと行ってしまった。

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2015年1月11日 (日)

さらに赤く燃える

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南天の葉が真っ赤に色づき、午後の太陽光を浴び、その色をさらに燃え上がらせて、光り輝いている。

常緑の南天の葉が色づくのは、野天で冷たい風をもろに受ける場所に植えられているからだそうだ。

「暖かい! 暖かい!」と言ってきた静岡だが、南天にとってはつらい場所だったのだろうか。

以前は、あまり日当たりのよくない場所に植えられていたが、四~五年前に名前にあやかって南側の日当たりのよい場所に移植したのだが、実の成りようは相変わらずよくは無い。

しかし、葉っぱだけがそれを補うかのように燃え盛っている。

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正月早々、円安で輸入価格が跳ね上がり、食料品が値上がりしている。

日銀の黒田総裁が「異次元の金融緩和」とやらで市場にお金をジャブジャブつぎ込んだ結果なのだが、これによって物価を2%上げ景気をインフレに導こうと言う政策の結果であろう。

しかし、年金生活者や給料の上がらない中小の企業労働者をはじめ、弱者には往復ビンタのダメージを受けている。

そして、輸出で大もうけしている大企業でさえ内部留保にまわして社員への還元はほとんど無く、麻生財務大臣をして「守銭奴」呼ばわりをされるくらい溜め込んでいる。

結局、アベノミクスは富める者はさらに裕福にしただけの施策でしかなかった。

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2015年1月10日 (土)

行方も定めぬ

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風も無く穏やかな日和の中、白い綿毛が漂うように空を舞っている。

行方も定まらぬ白い綿毛は、道の脇に生えている蒲の穂から飛び出している。直系3cmほどのフランクフルトソーセージのような実が割れて、空に飛び出す瞬間を狙っているが、なかなか時宜を得た風が吹かず飛び出せない。

014それでも、内側から押し出されるように綿毛が弾ければ、、、、ついに、祭りの屋台で売っている綿飴状にまで膨らんで、夕日を眺めていた。

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「毎日歩いていますか?」と、突然見知らぬ人から声をかけられた。

「ええ、ほぼ毎日この辺を、、、」と答えれば「どこか身体に具合の悪いところがありますか?」と再度の質問。「とくにこれと言ったところは無いんですがね」

「そうですか、そりゃ~えらいですね。この辺を歩いている人は、大抵医者から歩けって言われて、しぶしぶって人が多いんですよ。そういう私もそうなんですがね」

なんだか、太り気味の体形から減量を指示されて歩いていると見られたのだろうか、それとも歩き方がだらしなかったのか。

今日は久しぶりに長い距離を歩いた、行方も定めず行き当たりばったりの散歩は、帰り道が遠かった。

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2015年1月 9日 (金)

いわしの頭も

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北日本が雪で苦労しているのが本当なのかと思わせるような快晴の空。

何だか心苦しく感じながらも、「この時期しかないか」と、箱根へ行って来た。

御殿場から乙女峠を越し千石原に入る。道すがら雪はないか、道路は凍っていないかなどと心配しながら車を進めたが、さえぎるもののない太陽に照らされて、それらの気配はなかった。

道路も正月気分が抜けたようで行きかう車もトラックなど商用車が多いものの、進行を妨げるような混雑はなかった。

箱根駅伝で人山が出来ていたゴール付近も人の気配さえ感じられないくらい閑散とし”世の中は、三日見ぬ間の桜かな”というたとえがあるとおり、初めての人では気がつかずに通り過ぎることだろう。

ただ、立ち寄った箱根神社では、車を駐車したときにはがらがらであったが、一方通行の帰り道は混雑が激しく、この部分では渋滞を余儀なくされた。

箱根神社、どんな神が祭られているか分らない(そのくらいいい加減)が、昔から頼朝、早雲、家康ら武将から尊守され、格式の高い神社であり、正月三ヶ日は大変賑わったらしく境内にはロープが張られるほど賑わった様子だった。

しかし、自分たちがついた時間には、その面影もごく僅かだったのに、、、、

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”いわしの頭も信心から”からと言われ、日本ではいわしの頭を厄除けとして飾る風習がまだ残っている。

それと比較して言うのもなんだが、パリの雑誌社がこれまで幾度となく、イスラム教の創始者、ムハンマドを風刺した漫画を掲載してきた。

その報復であろうが、パリで一昨日雑誌社を襲撃され、12人の人が亡くなった。

フランス政府は、直ちにこれはイスラム原理主義者が行なったテロだと言って、捜査し、アメリカや日本でもこの行動を非難する談話を出した。

たしかに、「問答無用」といって銃撃するのは悪いが、フランス政府が”報道の自由」を盾に放置してきた。

これが、アラブ圏でキリストを風刺する劇画が発表され、その国の政府が「これは報道の自由」だと言ったら西欧諸国のキリスト教強硬派はどう対応するだろうか。

報道の自由とは、何をしても赦されるのだろうか。

自分の信じる神を冒涜し、侮辱され、それを咎めるはずの国の機関が放置したとしたら、、、、、、、、

日本のようにヤオヨロズの神がいて、仏様がいる国でもそうなのに、一神教の国ではなおさらであろう。

それでなくても、火に油を注ぐような風刺をして何の得(徳)があるのか。

欧米諸国の自分勝手な行いが、この混乱の元凶なのだが、、、、、、、

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2015年1月 7日 (水)

チャカポコチャカポコ

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今日一月七日は”人日の節句”である。

何でも古代中国では、元旦を鶏の日 二日を狗の日 三日を猪の日 四日を羊の日 五日を牛の日 六日を馬の日 そして、七日が人の日であるとし、それぞれの日にはこれらの動物を殺してはいけない日と決められていたそうだ。

中国での猪は豚であろうし、人間も動物並みに扱われているところが面白いけれど、もしかして、人間も食べられていた?となると、、、、

ただ、その風習が日本に伝わった結果、仏教が伝わって以来動物の肉を食べない日本では、七日の人の日を七草を食べる日になったようだ。

そして、この日には七草を細かくきざむために、まな板を包丁で叩きながら唱えるおまじないがあった。

チャカポコチャカポコ 七つ七草唐土の鳥が 

日本のお国に 渡らぬ先に チャカポコチャカポコ

と、軽快に両手の包丁を持って動かすものだった、唱える文句は地方によって違うし、七草も雪に埋もれたところなどでは、難しい草もあったので違ってはいるが、、、、。

ただ、この歌がうたわれた当時は、鶏を沢山飼っている農家もなく、ほとんどが庭の周りで放し飼い状態なのではなかっただろうか。

鳥インフルエンザが問題になり始めたのはいつのころからか覚えはないが、ごく最近になってからのことである。

今冬も渡り鳥があちこちで鳥インフルエンザで死んでいるのがみつかり、いくつかの鶏生産地で感染しているニュースを見たが、この歌が出来たころから”唐土の鳥”がインフルエンザを持ってくる前に、七草で胃腸を整え免疫をつくれ、と言う意味だったのかと思わせるものがある。

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今朝方のワイドショーの主題のひとつに、マクドナルドの製品に異物が入っていたことが問題になっていた。

昨年、中国で造られていたマクドナルドの鶏肉が見るに耐えないような杜撰なものだったので、そのことが発覚して以来、製品をタイで作るようになったのだが、製造工程の中でまた異物が混入してしまった。

そして、この問題が表ざたになると、「じつは昨年八月にも、人の歯が混入していたことあった」と、またしても隠していたことが発覚した。

マクドナルドは製造工程をインターネットで公開しているというが、中国での失敗は工場にまかせっきりで、監督体制が出来ていなかったことにあり、今回のビデオでもそのときだけの映像だと言われても仕方ないことである。

そして、何よりも不審だったのは、食品製造に詳しいと言うコメンテーターが、「マクドナルトさんのような優秀な設備の整った企業が、、、」と言っていたが、企業に”さん”付けで呼んだり、”優秀な設備”などとことさらに褒め上げていたことである。

その裏には、テレビや新聞などで多大なコマーシャルを打つ企業に、気を使ったコメントしか出来ない。と言うのが垣間見えた。

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2015年1月 6日 (火)

枇杷の花

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桃栗三年 柿八年 枇杷は早くて十三年。と言われており、柚子とともに実をつけるまで年数のかかる果物だそうだ。

この木の花がいまを盛りと咲いている。と言っても幹によく似た薄茶色のほうに包まれ、開花しても薄淡い白なので目立たないことおびただしい。

虫の少ないこの時期に地味な花を咲かせるということは、虫を当てにしないで自家受粉をしているのだろうか。

いずれにしろ、枇杷の実はどこにでも根を下ろし成長するようで、池ヶ谷の山の斜面に鳥が運んできたらしい種が育って何本もの実をつける木があり、初夏には小粒ながら美味しい実を提供してくれる。

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今日は小寒。一年で一番寒い時期、寒の入りである。

これから立春までの、一ヶ月弱ものみな冷え固まっていく時期になるが、久しぶりの雨は南から暖かい空気を運んできたようで、傘をさして知人の家に行って来たら下着が汗でぐっしょりになってしまった。

八時過ぎから降り出したこの雨も、夕方には晴れ西のほうからまぶしい夕日が差し込み、その光が目に入って運転しにくいほどの斜光になり、傘をさして県立総合病院から知人宅までの往復はなんだったんだろう。と言わせる天気になった。

テレビは明日行こう強烈な寒波が来るといっていたが、静岡は下がっても零下二度くらいまでとのこと、

「そんなの大したことないじゃん」

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2015年1月 5日 (月)

三種混合

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上からオオバン ヒドリガモ オナガガモ

今日は日も高くなってから麻機沼周りへ散歩に行く。

寒さは風も無いため、暖かな日和で、水面にはかもの仲間をはじめ冬鳥で賑やかになっている。

ときどき餌やりにくる人もいると見えて、散歩に来る人を見つけて近寄ってくる鳥もいるが、鵜やサギの仲間は用心深くてすぐさま飛び立って離れる。

もっとも、持ってくる餌がパンくずでは、小魚を餌にしている鳥にとっては食べ物ではないから、、、、、な。

それにしても、これら種類の違う鳥同士は、お互いをどう見ているのだろうか、人間で言えば肌色の違いでなく、ゴリラやチンパンジー以上に属が違うはずなんだろうに、、、

おなじ場所で、同じようなものを食べているのに、縄張りを主張したり、いがみ合ったりしていないのは、、、、、、、、、 

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昨年、暮れの27日n注文を受けていた蓮根を掘っていたとき、右手袋の中指と人差し指の部分を内側から突き破ってしまった。

しかし、替えもなかったので指先が出たまま掘っていたが、冷たいよりも指の先端部の爪とその内側が割れて痛くなったので引き上げてきた。

帰って様子を見ると、傷口に泥が入り込んでいたので、爪切りとカッターナイフで傷の部分まで削り取り、泥を奇麗に落として消毒をした。

粘土など空気の触れることのない場所では、時たま破傷風菌がいて風邪のような症状の後急速に悪化して死ぬことがあり、子供のころ、一級上の子が共同浴場で画鋲を踏んで死んだこともあり、気にはしていた病気である。

幸いと言うか30数年前、海外に行くとき黄熱病などとともに破傷風の予防注射をしていたが、いつまで効力があるか判らない。

そんな話を孫たちが来ていたときに話したら、今の子供は小さいうちに三種混合ワクチンをしており、その中に破傷風があると、娘が言う。

「へぇ~ 知らなんだ」破傷風のワクチンをしたことを得意げに話した腰を折られ、じいじはがっくり、、、、、、

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2015年1月 3日 (土)

フイギュァーをまねて

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ここ二~三日食っちゃ寝~ 食っちゃ寝~の生活で体が重く感じてしまったので麻機沼周りを散歩に出かけた。

沼に着いてみると放射冷却もあってか、かなりの部分が凍っており、さながら、沼を蓋したようになっている。

その上に何か虫でもいるのかハクセキレイが、踊るようにして氷の表面をつつきまわっている。

しかし、見ようによっては、いま流行りのフイギュアースケートを見て、自分も出来そうだと経験のない人がスケート靴で真似をしているかのように危なっかしいしぐさで踊る。

そういえば、子供のころは黄セキレイが多かったのだが、最近は白黒の背黒セキレイや白セキレイばかりになってしまったような気がしてならない。

山国と平地の違いなんだろうか。

それとも、何でもかんでも温暖化のせいなのか、、、、、、

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二日の夜から三日の朝にかけてみる夢を初夢と言うとのこと、、、

一番よい夢は”一富士 二鷹 三なすび”だ、と言うがいろいろ説があって、なぜだか判らないそうだ。

しかし、ほとんどの夢は朝起きると憶えていないものだそうで、自分もその例に漏れなく、どんな夢を見たか記憶にない。

それとは違う夢なのなのだが、歳を取るにしたがって若いときに夢想した将来の夢もなくなり、文字通り「夢も希望もありません!」という情けない最近である。

テレビなどでは、どんなに歳をとっても、、、、というけれど、

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2015年1月 2日 (金)

書初め

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トベラの木に赤い実がついているのを見つけた。この実は手でつぶすとニチャニチャして粘り気のある種になってしまうが、鳥たちに人気が有るのか早くからなくなってしまう。

この木の幹の中には悪臭のする部分があって、この悪臭を魔よけとして、木戸の上などにいわしの頭などと一緒にさすことがあるため、扉に刺す木というのが次第に訛って”トベラ”と呼ばれるようになった。

ただ、この木は海岸に近い場所でしか見られないため、静岡に来て始めてみた木である。

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今日一月二日は子供ころ嫌な日のひとつであった、朝早くから、硯に水を入れて墨をすり、書初めをしなければならなかった。

生来の悪筆から、新学期の初めに廊下に張り出されるときは、何時も赤紙が張られ、金や銀紙が張られたためしがなかったからである。

そのため、墨をすりだすころから気分が後ろ向きになり、新聞紙の上に、清書紙を敷きのべしばらく眺めてから、いやいや書き出していた。

当時学校で教えた字は、きちんと楷書で書くのがよい字であり、字の大きさがばらばらだったり、右肩上がり、左肩上がりやよじれたりした字は、すべて悪評であり、その全てを網羅した自分の書初めはずーっと右のほうに張られていた。

いまのようにやさしい時代ではなかったため、誰もが見ることの出来る廊下に張り出され、下級生からも「これは上手、これを下手」なんて言われ「個性的ですね」なんて言われ方はしなかった。

そのコンプレックスは、今に残り、きちんと書こうとすればするほど、字がよれて行くのは直らない。

先日も大型電気店で「自筆でおねがいます」といわれ、何枚かに住所や署名などをしたが「お上手ですね」と言われても、皮肉にしか聞こえない依怙地じいさんであった。

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2015年1月 1日 (木)

今年も始まった

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例年のように池ヶ谷の丘の上に登って初日の出を待ちながら酒を酌み交わす。

昨日の天気予報では全国的に雨や雪が降り初日の出は難しいと言う情報だったが、丘に登る途中の道には露もなく、自転車を乗り捨ててから10分ほど、階段状の道をのぼって頂きに到着する。

はるか彼方、日本平のその向こうに低い雲がかかっているものの、初日を邪魔するようなものではない。

同年輩のおじいさんばかりの集まりなので、気兼ねをする話題もなく、眼下に見える県立総合病院の窓明かりを見ながら、あそこで正月を迎えることの無いようにと戒めあっていると、一人が東のかたを指差して「あそこにもな!」という。

その指先には、刑務所があり、「もう歳だから、捕まるようなことしないんじゃない」って言うと「最近入所者の高齢化が進んでいて、介護されながら入っている人もいるらしいよ」とのこと、、、、くわばらくわばら

それに引き換えて、今朝の自分はついているような気がする。

「朝、家を出たところで後のほうから頭越しに大きな流れ星が、追い越していった。きっといいことがある前兆のような気がする。また、浅間神社から自転車でここに来る間の信号がすべて青になって、ノンストップだったからね」って言うと

「流れ星に何か頼んだ?」  「そんなこと考える暇がなかったよ」

「ホンじゃ帳消しだね」  ちゃんちゃん 

そんなこんなで今年もはじまった。

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