梅は咲いたか
俗謡として、三味線を持ったおばあさん芸者がよく謡った。お座敷歌の出だしで覚えている。
いまでこそ、芸者をあげての宴会など廃れてしまったが、昭和三十年代は新年会や忘年会はもとより、男ばかりの学校だったので同級会にもたびたび来てもらったものだった。
今年は、例年より寒さが厳しいのかいつもの年より梅の開花が遅れているような気がしてならない。
それでも、ここしばらくの間に蕾みも大きくなり、ポツリポツリと花が開きだした。
梅の花は、開ききったときより、いま開かんとばかりに膨れ上がった蕾に、なんとも言えない色気を感じてしまうのは、自分だけだろうか。
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高校一年の夏休み、鉱山からアルバイトを頼まれて選鉱場の廃砕を気の箱に入れて標高で30mくらい上にある軌道に置かれた台車まで担ぎ上げる仕事をした。
真夏の暑い日に晒されながら、箱ともに25kg以上はあった荷を背負って一日何回と無く担ぎ上げたものだった。
アルバイト料は一日240円。その当時失業対策事業の労賃と同じであることが、大人なみに扱われたような気がしてうれしかった。
しかし、当時は1ドル360円のころであり、アメリカで皿洗いをしている人でも、一日5ドルになっていると聞くとなんか不思議な気がしてしようが無かった。
それから60年。山の畑に肥料を届けるため、15kgの袋を肩に担いで登りだしたが、高低差25mほどの階段を登りだしたものの、あと5mほどのところで息切れし、休んで呼吸を整えなければならなかった。
口は達者になったが、歳月は身体から力を奪っていく、、、、、
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