雪はどう?
上は栃洞銀座と言われた私宅街、下は、大津山小中学校の校舎。一階が雪に覆われてしまい、学校への入り口は下の手すりのところの黒い部分。生まれ故郷に住む従兄弟に電話をしてみた。
「雪の具合はどう?」「うん、降ってはいるがむかしほどでもないし、屋根に融雪装置をつけておるんで屋根に昇らなくてすむからな、、、」とのこと。
テレビではかなりの積雪とは言うが、、、、自分が経験した一番の大雪は昭和三十八年の冬に積もった雪ではなかったと思う。
後に”38豪雪”と名づけられたこの雪は、前の年の暮れから降り積もった以降、毎日のように降り続き最大積雪量は、富山県との県境に位置する大津山というところで7m以上になり、平屋の社宅は完全に雪の下になり、屋根雪下ろしではなく、屋根雪上げの状態になってしまった。
昭和38年と言えば、まだ雪かきの重機も十分でない上、雪を始末する場所が無いので、春遅くまで人々は”雪またじ”追われた。
しかし、先祖代々この地に住んでいた自分たちは、「今年はいつもよりチョット多いなあ」という程度で済んだが、鉱山には本社採用のお偉いさんもまたかなりいて、学校を卒業したてで、学問を鼻にかけた世間知らずもそれなりにいた。
これらの人たちも年頃になると、結婚と言うことになるが、お見合いなどで連れて来られた花嫁さんは”気の毒”の極まりであった。
知った人の居ない土地で、初めて見る大雪が社宅を覆い尽くし家を暗くする。
雪というのは、音を吸収する性質があるため物音一つしない世界でただ一人ダンナさんの帰りを待っている。
「ノイローゼになりそうだった」とい話しを聞いたが、実際になった人もいるだろう。
ここ十八年、雪なんて見たことの無い静岡の人は雪に憧れ、情緒があって良いねぇ~、なんていうが、上の写真を見ればどう思うだろう。
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コメント
岡崎在住様
昭和38年頃はいまのようなユンボが無かったため、雪は押すだけのブルドーザーで雪除けをしていました。
前平銀座は、バスを通すため優先的に雪かきをし、番屋坂に捨てました。
柏豆のほうは雪を捨てるところが無くて入りきれなかったようです。
雪崩については、また後ほど書いてみます。
投稿: オラケタル | 2015年1月20日 (火) 21時57分
オランドコは前平銀座の本通りやったもんで(笑)、ブルトーザが毎朝、雪搔きしてするもんで、本通りとの間は雪壁ができとったな。エラ様は柏豆方面に住んでおったが、さすがそのためにブルドーザの雪搔きは無かったな。やもんで、本通りとの段差は1~2mぐらいあったかな(笑)近年は温暖化で北極寒気団がうねっており、また、日本海の海水温上昇からか、ドカ雪発生頻度が高くなって、たちが悪いな。雪崩がホントおすないな。スキー場は注意やぜな。
投稿: 岡崎在住 | 2015年1月19日 (月) 21時54分