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2015年2月19日 (木)

うさぎ追いし彼の山

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春は木の根元から雪が融け始める

今日は雨水。空から降る雪が時折雨になり次第にその回数が増えていく時期だという。

つまり、春の兆しが目に見えていく時節である。

太平洋側では、あまり感じられない変化だが生まれ故郷では、木の周りの雪解けと共に雪の上に降る雨は、春の匂いがして、なんとも艶かしく感じてしまう。

しかし、この時期に降る雨は翌日の冷気に伴って、雪の表面を凍らせ普段ならスキーや輪かんじきでないと歩けない雪面を自由に歩きまわれるようになる。

北陸地方をはじめ、飛騨言葉で言う「ごぼらなんようになる」と言う状態である。

こうなると雪山は子供たちの天国であり、童謡にもあった”うさぎ追いし 彼の山、、、”をそのまま実現することになる。

自分たちが子供のころは、まだ戦後の食糧難が続いており年中腹をすかせていた。

そして、米はもとより牛肉や豚肉などの蛋白源はほんの少しであり、子沢山の貧乏家庭には鯨肉が月に一回あれば良いほうであった。

Img_0044兎の足跡点々と


そんななか自前で手に入れられるのは、野兎や狸などであり、この時期になると雪の上に点々と足跡を残していた。

そんなときは、足跡が密集している場所に罠を仕掛け獲るのであったが、敵もさるものそんなに簡単に子供の罠にはかからない。

そのため、一年に二~三羽がせいぜいであったが、それでも捕まえた日には得意満面大威張り、母親に「早く料理してと、、」せがんだものだった。

ちなみに”小鮒釣りし彼の川”でなく”岩魚釣りし 彼の川”であり、当時はどの川にも子供が釣れる岩魚は沢山いた。

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コメント

岡崎在住様
和佐保の川は知りませんが、伊西の砥石谷の上流部、ごく細くなって川幅が50センチくらいのところで、秋になると手づかみでよく獲ったものです。(昭和三十年代)
私が一番獲ったのは大津山の裏にある長棟の川、そして、笈破、スクノベです。昭和26年父親に連れられていった長棟の川での夜付きでは三時間ほどで一斗缶にいっぱい獲ったことがあります。(何匹だったか数えた覚えはありません)
一番大きかったのは一尺二寸でしたから、いまで言う36センチでした。
あのころは、茂住まで鱒が上がってきていました。
そうそう、鮎がおいしかったのは、昨年矢作川の上流の”おど観光やな”で食べたのが久しぶりに美味しいものでした。

投稿: オラケタル | 2015年2月22日 (日) 21時58分

小学校の時やったか、魚は山ノ村や和佐保によう釣りに行ったけど、アナゴばっかりで、岩魚や鮎はおらなんだ気がするな(笑)マチでマス釣り大会があったな。結構、大きなヤツばっかやったで。鑑札が必要やったが、年100円くらいで買った気がするな。魚をオランドコにもって帰っても、母ちゃんがよう焼かんもんで一度も旨いと思ったことないな(笑)でも鮎は下呂の嫁さん実家に行くと、よお食べに行くけど、鮎の塩焼は淡泊でうまいんやぜ。(笑)

投稿: 岡崎在住 | 2015年2月21日 (土) 21時28分

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