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2015年4月29日 (水)

花の命は短くて

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遅いことで知られている津金寺のカタクリもさすがに盛りを過ぎてほとんどが花びらをしおらせ散っていた。

花の命は短くて、、、とはよく言ったもので、若いときに見た六十代の年寄りは「随分長生きしているなぁ」と思ったものだが、その歳をとっくに越えてしまった人生を振り返ってみると何だかやっと先年だったような気がしてならない。

もっとも、昭和20年代の平均寿命は戦争で若い人が大量の死んでいたため、六十代にはなっていなかったこともあるのかもしれない。

しかし、いつまでも若いと思っていた自分も、最近では長野に行って帰った後、二日ほどは疲れが出て、何にもする気がしないでいる。車の運転は片道200km程度、時間にして五時間ほどである。

そして、久しぶりの畑仕事で使わない筋肉を使うせいかも知れないが、筋肉疲れというより、気力疲れといった感じのほうがつよい。

人生、花にたとえれば散り際なのだが、、、、、

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2015年4月28日 (火)

今年もじゃがいも植え

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立科町の名刹、津金寺のリュウキンカが今年も奇麗に咲いていた。

水辺の花リュウキンカはキンポウゲ科の草だけあって有毒だそうだが、美しいものには毒があるのたとえのように、見た限りでは毒を感じさせない。

リュウキンカ、漢字で書くと立金花と書くのだが、名前の通り、立ち上がった茎の先に黄金色した花をつけるところから名づけられたとのこと、、、、、

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今年も長野へ行ってジャガイモの種を植え付けてきた。

今年はそんなことをしている年ではないのだが、ここ10年以上毎年のようにやってきていることなので、ほとんど年中行事の一つとして定着している。

幸いというか、先日来の雨も収まり逆に日照りを心配させるほどの暑い天気は、長野でも同様だった。

義弟が畑を耕しておいてくれなければ、強い日差しの中で干からびてしまいそうなほど乾燥しており、今度は逆に種芋の発芽が心配になってしまった。

行った日は、後期統一地方選挙の最終日であり、町長と町会議員候補者が狭い街中を入り乱れており、畑仕事しているわれわれを地元民と間違えて挨拶に来る候補者さえあるくらい過熱していた。

選挙結果は投票率が八割に近い数字が出ていて、現職町長が他所から来て福祉施設に働いていた人に156票差で落選するという結果になった。

現職町長は生粋の地元っ子で建設会社を元経営していた人で、三期目の挑戦だったと聞くと、、、、、、、こんな農村地帯でも人の意識が変わって来ているのを目の当たりにした感じがした。

ただ、投票率がこんなに高いのは、都市部のしらけた市民感情とはずいぶん違い、自分の一票の価値を感じているんだろうなと思う。

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a今日の新聞によると、群馬の小渕優子議員の政治資金問題で特捜部は元秘書ら二人を在宅起訴するだけで幕引きをすることに決めたようだ。

以前なら、田中角栄元総理のときのように特捜部が動けば、どんな大物政治家でも検挙したものだが、最近になって「伝家の宝刀」も錆びついたようで、特捜部が動いても音沙汰なしが多く、一般市民の感情とかけ離れてしまった。

こんなことがさらに政治不信を招く結果になって、各所で最低の投票率を記録している。

せめて、国民の2/3が投票する気になる政治をして欲しいものだ。

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2015年4月24日 (金)

夢を食べて

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ウツギの白い花が密集して咲いている。

ウツギとは漢字で書くと空木とかき、木の中心部にコルク状の白い芯が入っている木を総称しているため、アジサイ科、スイカズラ科、バラ科のほか何種類かに○○ウツギと呼ばれるものがあるが、この花はその代表らしくただ単にウツギと呼ばれている。

ウツギの別称を卯の花と言うが、四月の旧名を卯月と呼ぶところから、つけられたという説もあるが、旧暦の四月にはこの花はないはずなので、何処まで本当のことやら 、、、、、。

なお、豆腐を作るときその残りかすのおからを卯の花と呼ぶこともあるが、これは、花に似た白さから来ていることは間違いないはずである。

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中学のとき、太陽の惑星を覚えるのに「スイキンチカモクドッテンカイメイ」とお経のように憶えたものだが、そのとき不動の太陽を中心に天皇星と冥王星を除いて同心円状に惑星が並んでいてそれぞれの周期で回っているものと思っていた。

ところが先日見た画像では、太陽は一点で静止しているのではなく、銀河系の中心から外れたところにいるため高速で銀河の縁を回っており、惑星はそれに遅れまいと螺旋を画いて追っかけている光景が映し出されていた。

この光景は、現実のものではないがそうなんだということは、最近の天文学から言えば理解できる。しかし、銀河系そのものもビックバン以来膨張をしていると言う話を聞くと、もうひとつ別な動きが加わることになる。

そんな惑星のひとつの地球に乗って、自分はどこかに運ばれていく。

地球の自転さえ感じることのない自分が太陽の周囲を螺旋を画いて回りさらに、、、、、となると、何がかめが回らないのが不思議である。

その昔、大地が平で、星や太陽そして月が空を巡っていると思っていたときには、こんなことは想像だにしなかったし人は気楽であった。

それが、この60年ほどの間にさえ、科学の進歩と言うものはすざましいものがあり、冥王星は準惑星となってアメリカ人をがっかりさせ、太陽系はその外にも広がると言うことをはじめ、月にまで人を運びかぐや姫や兎の餅つきの夢をなくさせてしまった。

このさき、天文学と言うものがどれだけ進むのかわからないが、次から次へと人の夢を食ってしまい、星座占いもいずれ消えてしまうこと間違いない。

とにかく科学と言うものは新しいものを見せるが、夢を食うといわれる”獏”でもある。

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2015年4月23日 (木)

飲める体力に喜び

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Img_0672ここ半月、寒気が入り、突風や雨などが続いてた不順な天気もようやく落ちつきを取り戻し、初らしい陽気になってきた。

昨日今日とそれまでに比べて、気温が二十五度近くになると、上着も一枚脱ぎ、長袖のシャツ一枚で歩き回るようになる。

幾分霞んで輪郭のぼやけている富士山も、急速に雪が消えたようで、白い雪、黒い地肌が半々の状態にまでなってきている。

この暖かい風と太陽光線で、庭の君子欄も一層華やかに燃え上がっている。

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a昨夜は久しぶりに訪ねてきた弟と、夕方5時ころから12時過ぎまで酒酌み交わして語り合った。

弟とは歳が10歳違ううえ、これまで学校のほうが忙しくてくる暇がなかったのだが、今年になって東濃の教育委員会のほうも辞めたため来る機会ができたとのことであった。

いままでは、兄弟会などで会うことはあっても年の差もあり、さしで語ることはなかった。

しかし、昨夜は初めて誰の邪魔も無く話し合える場であった。

考えてみれば、若いときの歳の差は大きいが、65歳と75歳ではその差もなくなっている。

当然長い時間差しつ差されつすれば酒の量も増え、一升瓶はもとより、ビールも何本か空になっており、これも近来にない消費量であった。

とにかく今朝になって、まだこれだけ飲める体力のあったことに喜びを感じてしまったしだいである。

弟は今朝早く、娘の顔を見るため山梨に旅立っていった。

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2015年4月20日 (月)

雨に打たれて

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一昨年だったと思うが、セッコクを貰ってきて、乾燥したミズゴケで包み、鉢に入れたのだがその株は年年大きくなったものの、いまだに花をつけない。

そして、鉢に入れるとき余った部分を縛って、イチイの木にいい加減な格好に縛り付けておいたものが今年はじめて花をつけて咲き出した。

今朝方から降り出した雨に打たれ、うつむき加減の小さな花に涙のような水滴をつけているさまは、可憐としか言いようがない。

今年咲き出している株は分枝したときとほとんど大きさ的には変化がないものの、植物ごとの住みやすい環境だったようだ。

セッコクは、日本古来の蘭であり、その美しさから乱獲され、いまでは自然の環境で見る事ができにくい植物のひとつとされている。

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TPPの交渉でアメリカは日本に対して、米を21万トン輸出できるように「要求」したと新聞に書かれていた。

ただでさえ米あまりの国に米を買えと言う「要求」」はいかにも上から目線という気がするのだが、本当にこんな言い方なんだろうか。

翻訳間違いでなければ、アメリカは今でも日本を属国扱いにしていることになる。

憲法はアメリカから押し付けられたので、自前の憲法を作ろうと頑張り、自衛隊を「我が軍」といい、その周辺の法整備を着々と進めている首相にとって、アメリカとはどんな存在なのであろうか。

沖縄のアメリカ軍基地問題では、率先してアメリカの代弁者となり、思いやり予算を大幅につけてやるのはほかの国にない属国状態のように見える。

何だか矛盾しているとは思わないのだろうか。

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2015年4月19日 (日)

少子化が進めば

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"七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに無きぞかなし 

大田道灌がらみで有名になった歌だが、山吹の実はまれにだが実ることもある。

Img_0616しかし、アヤメ科の植物シャガには実はならない。

なんでも、ソメイヨシノ同様の三倍体だそうで、全国全てのシャガの遺伝子は同じであり、長い間人間の身近にあっても、品種改良などで多彩な花になることが出来なかった。

つまり、ソメイヨシノが台木の上に接木して繁殖しているように、この花も人の手を借りなけければならない。

繁殖には根から掘り出し、次の場所に移植するしかないので、山奥にシャガが咲いていたとすると、その近所にむかし人が住んでいた証となるらしい。

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いま日本の人口は、東京圏を中心に一極集中し、静岡はもちろん各県とも人口が減っており、町村にいたっては将来消滅の危機さえあるという。

一番には、人々のものの考え方、人生観が急速に変わってきて少子化が人口減の元となっているのだが、、、、。

先日も、床屋談義の端くれに自分たちのころは、どの家も兄弟は五人以上いて、自分なんかは従兄弟だけで40人を越えてしまうといったら、もっと多いというものが人もいた。

そして、いま少子化の結果、兄弟二人が主流となり、従兄弟も5~6人がせいぜい、そして、住む場所が遠距離になると、従兄弟の顔さえ知らないという状態になってきた。

このため、両親の葬式などは親族の参加がほとんどなくなり、いきおい家族葬で簡単に済ませるしかなく、葬式仏教として維持してきたお寺にも多大な変革の波が押し寄せてきているそうだ。

まさに、「風が吹けば 桶屋が儲かる」の話とよく似ており、お寺が無くなった先にはどんな展開が待っているのだろうか。

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いやまてよ、ひょっとして人口減を防ぐための処置として、政府が三倍体で人口を増やす政策をとり、国民全てをクローン人間化しそうな気がせんでもないが、、、、、

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2015年4月18日 (土)

熱海のクマガイソウ

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今日は熱海の植物研究園でクマガイソウを見る事ができると言うので行って来た。

クマガイソウとは日本在来の蘭で、源平が戦った平安末期の武士、熊谷直実から取った名前で背中に矢よけの幌に見立てて付けられた名前である。

この熊谷直実に討ち取られた平敦盛にちなんだアツモリソウと言うのもあるが、山野草ブームで採りつくされ、いずれも絶滅危惧種になってしまい、自然で見るのは難しい花である。

この研究園は始めて聞く名前だったので、初めてカーナビに場所を教えてもらうことになったのだが、そのうるさいこと、家を出るところからいちいち指示されてうんざりしてしまうこと多々、、、

しかし、熱海の急坂を下り始めてから、自分が予想していた場所と違っていたので、もし、カーナビがなかったら行き着けなかった場所だったことがわかり、新兵器の前にただ”感謝”といったとこだった。

着いてみると、こんなところにと思う場所であり、研究園と言うより大きな庭といった感じだったので驚いたが、訳を聞くともともとが電器メーカーのリコーの創設者の別荘的な場所の庭だったことが分かった。

Img_0598急な斜面を下る二本の谷が落ち合う場所に作られた庭にはいろいろな植物が植えられていて、最下流の梅は済んでしまったが、もみじの新芽が萌黄色のものと真っ赤なものが微妙に重なり合って散策を心地よくさせてくれている。

その一角に目当てのクマガイソウが群生しており、何処から移植したものだろうが、すっかりこの地になじんでいるかのように見えた。

約一時間半、そう広くもない庭なのに、登ったり降ったりを繰り返して過ごした。

そのあと、姫の沢公園に行ってみたが、桜も済み、つつじは蕾固し、その上荒れた石楠花園を見てがっかりしただけに、研究園がすばらしく感じてしまった一日だった。

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2015年4月17日 (金)

行列の出来るレストラン

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ノイチゴの花が咲いている。

お世辞にも奇麗とはいえないが、その素朴さゆえにか虫たちには好評のようで、ほかのきれいな花には集っていないないのだが、この花などのように複数の虫がいた。

なんだか、行列の出来るレストランといった感じ、、、、あと一ヶ月もすれば真っ赤な実が熟れるに違いない。

このイチゴは草イチゴであり、野いちごの中では粒が大きくて甘いので食べ応えがあるが、なにぶん野生のイチゴ、、、、、

ジャムにしてみたことがあるが、種が固くて、チョットばかりジャリジャリ感が強かった。

以前なら、子供が群がって、なかなかジャムにするほど取れなかったが、、、子供の野外活動がなくなったのと、野生の食べ物を食べなくなったので、、、、、、

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aそういえば、今朝ほどのテレビで言っていたが、アメリカでは子供の兄弟が日中遊園地で遊んでいたら、通報され、警察が児童福祉施設に保護し、行方を捜していた両親に夜の10時になって引き渡されたとか、、、、、

一見、適切な処置かと思っていたら、子供だけで遊ばせているのは「幼児虐待」と取られるそうで、以前にもこんなことがあったので引き渡すのが遅れたそうだとのこと、、、、、

こんなことが日本にも伝わってきたら、なんて思うと、、、、窮屈な世の中になってしまうだろうな。

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2015年4月15日 (水)

落花無惨

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朝見る限り雲もない空で久しぶりの快晴かと思っていたら、その二時間後には、雨が降り出し、そして、再び快晴のあと雷を伴った雨が降ると言う変幻自在な天気に終始した。

その後夕方にかけて青空が出てきたので、いつ降られても良いような仕度をして散歩に出てみたが、結構風が吹いたようで、道端には一番最後に咲く八重桜が、bボタッボタッって感じで落ちていた。

水溜りに落ちた花は、元の枝を見上げて恨めしそうな感じに見えたが、何だか企業の合理化とやらでリストラされた人に見えてしまった。

こうなってしまうと、落ち目を救ってくれる奇特なものはいない。

いずれ、定年になれば、他の花も遅かれ早かれ花びらを散らして同様な境遇になるのだが、一足早く大樹を離れたものには、それ相当の覚悟が必要なのはいうまでもない。

今日は、水溜りに落ちた花を見て、人生に重ね合わせてみてしまった、、、、、、

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2015年4月14日 (火)

冷たい雨は

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よんどころない用事で長野まで行ってきた。

十三日の明け方から降り出した雨は冷たく、軽井沢では雪が舞い、和田峠では横殴りの雪が道路わきを白くするほど降っていたと聞かされた。

その雨から身を守ろうとするかのように、アズマイチゲ(東一花)は、花を閉じたままうなだれており、遅咲きのカタクリは仕方なしといった顔つきで揺れていた。

道脇にはようやく開いた桜が、沿道を華やかに染めているはずであるが、自動車の窓から見る桜は、色を吸収されて灰色がかった帯としか認められない。

静岡から遠い、長野の地にあっては静岡の選挙結果はこれっぽっちも放送されず、、、、、、、、、

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2015年4月11日 (土)

微妙?

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だいこんの花、「美しいか?」って聞かれると「微妙」って答えたくなるほど不思議な花である。

もともとは花を愛でるものでなく、自分の周りで咲くだいこんの花は収穫し忘れたものだから、、、、つまり、目的外と言うことにあるためのようだ。

テレビドラマで「だいこんの花」ってのがあったと思うが、多分その素朴さを愛でての題名ではなかったと思う。

なにしろ、見ていないのでどうともいえないのだが、とにかく微妙、、、、。

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明日は静岡県議会議員の選挙と、市長の選挙がある。

地元に一番直結している選挙のひとつだし、候補者もどんな人か大体分かっているが、是非当選して欲しいと言う人は一人もいない。

しかし、当選して欲しくない、と言う人ならいる。

だから、明日の選挙はして欲しくない人を妨害するため、最後のほうで争っていると思われる人の名を書こうと思う。

これって、どうなんだろう。

こんな方法でしか民意を表明できないのは、やはり、「微妙?」

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2015年4月10日 (金)

忘れな草

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昨年咲いた花から出来た実が飛び散っていたらしく、あちこちに忘れな草の花がコバルトブルーの花を咲かせ始めた。

「わたしを忘れないでください」といって、川を流れていった青年のようにこの花は時期になるとどこからともなく芽吹き花を咲かせる。

この花は、四~五年前由比正雪の菩提寺である沓ヶ谷の菩提寺にいったとき貰ったもので、芥子粒のようなちいさな種だったが、繁殖力が強いようで、ほったらかしにしておいたものの子孫である。

繁殖力が強いといっても、三つ葉や明日葉ように繁茂するというのではなく、毎年、十株ほどつつましく咲くのが奥ゆかしい。

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昨日、最高裁は、校庭から飛び出してきたサッカーボールを避けようとして骨折をし、それが原因で寝たきりになった後、肺炎で亡くなった人の家族が慰謝料を子供の親に請求していた問題で、親の責任はないという判断を下した。

と、なると、ボールを避けようとして怪我をし、その結果亡くなった人はなんだったのだろうか。

いま、家の近所には小学生がいて道路でボール投げやスケボーなどで走り回っている。

自分たちのころは、遊ぶ場所がたくさんあったのだが、いまの子供たちは道路で遊んでは駄目。公園で野球などしてはいけない。知らない人に声をかけられたら無視をして逃げて来い。など外で遊ぶところがない。

可哀想といえばそうなのだが、もしこの行動で、事故を起こした場合、、、、、、、被害者、加害者とも責任は、、、

この問題はいろいろ判断の分かれるところであると思う。

昨年だったと思うが、徘徊老人が起こした列車事故に、その家族が1,000万円だったかの賠償を払うよう判決を下していたのと相反しているのではなかろうか、、

ボケて徘徊する老人を一家族が四六時中の監視しているのは難しいことなのだが、それでも責任はあるという判断であった。

小学生の場合、言って聞かせればまだ分かるのだが、すこし前に食べたご飯さえ忘れるものに言って聞かせるのは、、、、、、、、

判決内容も、曖昧な点があり、親の責任も全てがなくなったわけでないとなると、その線引きが裁判官の心証や弁論の技術に左右されかねないような事態になりそうである。

とにかくややこしい時代になったという気がすると共に、こういう問題に巻き込まれないことばかりを祈るしかない。

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2015年4月 9日 (木)

雨後の竹の子

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久しぶりに晴れ上がった空を見て「池ヶ谷の畑に行って来る」というと、連れ合いは「昨日まで降っていて畑が濡れているから、誰も来てないよ!」っていう。

「そんなこたぁないさ、だってあの衆は畑仕事に来るんじゃなくて、馬鹿話しのついでに作物を作っているんだから、、、、、野菜を作るだけならそんなに毎日行くほどの面積なんてありゃしない」

行ってみると、ご常連が集まっていて、「これから竹の子掘りにいかざぁってはなしていたとこよ」とのこと、「そうかね、そうかね、そしゃついていくよ」衆議一決。

ぞろぞろと山を下り、下に降りてから隣の谷へ自転車で向かった。

行ってみると、ほかの山の竹の子掘りが来ていて自動車が二台駐車していた。

その脇にわれわれ銀輪(?)部隊が自転車を止めて山に登る。

Img_0545「雨後の竹の子」って言うとおり、あちこちに竹の子の柔らかな緑の穂先が見える。

しかし、急増部隊にはツルハシが一丁しかない、残りは見つける係り、、、とはいうものの、探さなくても目に入るので開店休業状態、ツルハシの空くのを待っている。

よく、竹の子通は土から顔を出す前に掘りあげないとエグミが出て美味しくない、というが、山菜はすこしのエグミがないと山菜ではないと思っている自分からすると、土から5センチくらい顔を出している竹の子がもっとも美味い。

土の中にあって、皮付きで10センチや15センチの竹の子なんて、剥いてしまえば一口にしかならないし、灰汁を抜いた形だけの竹の子なんて、目黒の秋刀魚ではないけれど、御大尽の食通は本物の味を知らないんだ。

てなこと話しながら、現場で20分ほどの間にそれぞれが四~五本づつ手にして自転車のところに戻る。

直径15から25センチほどの丸々と太った竹の子を、前籠に二本、うしろの荷台に二本厳重にくくりつけたが、中には乗せきれないものも出てきて大騒ぎ。

年寄りの大騒ぎは、周りに人がいないからいいけんど、、、、、、、、

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2015年4月 8日 (水)

不完全燃焼

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寒の戻りともいうか、久しぶりに冷たい雨が朝から降りついでいる。

そんなに激しい降りではないが、関東地方には雪模様だとかでテレビは騒いでいた。

朝がたのほうが気温が高かったようで、次第に低く感じる気温のため、灯油ストーブに火をつけた。

もう、この冬は使うこともなかろうと思って、しまう仕度をしていたのだが、缶に2~3リッター灯油を継ぎ足して暖をとることにした。

午後になって、ここ二~三日雨に降り込まれて散歩もしていなかったことに気づき、小止みになったのを見計らって出かけてみたが、結構風が強く傘が壊れそうになったので引き返してきたが、途中で見かけたドウダンツツジのおちょぼ口を水滴が集まって蓋をしているようなさまが面白く写真にしてみた。

ただ、傘を肩に担いでカメラを構えているのは、余所目にも不恰好であると気付き、そうそうに家の戻ってきたが、運動不足は、ストーブと違って今日も不完全燃焼だった。

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2015年4月 7日 (火)

ハレの日に

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今日はこの辺りの小学校の入学式と見えて、親を従えたちいさな子供が身体にあまるランドセルを背負って歩いているのが見受けられた。

しかし、外はあいにくの雨、とくに九時前後の降り方は激しく、多分まだ教科書の入っていないランドセルは幾分軽めだろうが、傘が余分なように見えてしまう。

路上にはこの雨に打たれて、惨めに花を散らした桜がハレの入学式には似つかわしくない。

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2015年4月 6日 (月)

チキチーター考

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ヒメリンゴの花。

真っ赤なつぼみから柔らかな色合いの花に変わる。

毎年のように花を咲かせるが、ほとんど実にはならない。

もちろん、小さすぎて食べる気にもならない実なんだけど、、、、

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Img_0523「今日は何の日」と言うのを見ていたら”ABBAの日”だそうだ。

アバといえば四人グループのロック歌手で1970~1980年代に大活躍した歌手であるが、それにわざわざ記念日があるとは知らなかった。

もっとも、レコードが三億七千万も売れたとなると、さすがロックの殿堂入りグループだけあり、「さもありなん」と言う思いはする。

彼らの歌で一番流行したしたのは「チキチーター」ではなかったろうか。

と、いうより、自分はこのグループの歌は聞いているが、覚えたのは曲しか、、、、といっても良いくらいであるから、、、、

チキチーター、と言うのはスペイン語でちっちゃな可愛い女の子と言う意味であり、この曲を始めて聞いたのは、ペルーから持ち帰ったテープに入っていたからである。

歌の題名といい、歌詞がスペイン語バージョンだったので、当初はABBAというグループがスペイン語圏の人だとばかり思っていた。

後になって写真を見てびっくりし、調べてみたら北欧スウェーデンの足の長い奇麗な若者だったことに何だか騙されたような思いをしたものだった。

ともあれ、写真の女の子は1,975年ペルーの山奥で写したチキチーターだが、今頃はみんなセニョーラーになって口やかましく、まくし立てているのだろうな。

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2015年4月 5日 (日)

騒がしいだけ

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三つ葉つつじがその名前の由来となっている、三つ葉の葉っぱを花の脇から見え隠れさせている。

明るい紫の花に対して新緑の若い芽はいかにも初々しいが、部分的には花の数が多すぎて、厚ぼったい感じがしないでもなく、「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」みたいな、、、、、、

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今日も雨がしとしとと降っている。

自分ばかりではないと思うが、頭の上に雨雲がかかり、小粒の雨が降っている、こんなときは日本中雨ではないかと思ってしまう。

昨日もその伝で、雨が時おり降っていたので出かけるのを止めにしていたら、すぐ近くで行われていた静岡祭りの会場一体は雨が降っていなかったように報道されていた。

静岡祭り、今年もいろいろな催しを持ってきていたようだが、静岡に来て感じたのは、古い伝統というものは奇麗さっぱりと捨てきっているため、なんだか騒がしいだけという感じしかしない。

おりから、市長選と県議会議員の選挙運動が始まったうえ、今日は駿府マラソンと町中大賑わいだろうと思ったが、そのどれにも関心はなく家に閉じこもったままで大方済んでしまった。

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2015年4月 4日 (土)

やっぱり○○はね~

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音もなく降る雨に、散らす時期を待っていたかのように花びらを舞わせ始めた。

この花散らしの雨を受けて、木の間から緑の若葉が透けて見え始め、季節はまたひとつ進んでいくのがわかる。

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なにかひとつ不祥事があると、その世界の人が皆悪人に見えるもので、以前は粗野な言葉を大きな声で話す、土方などがそういう印象で見られたものである。

しかし、最近では尊敬されなければならない人に不祥事が多発している。

最近の国会の女性議員に資質を問われかねない不祥事が、連続して発生している。

今年に入ってからでも、中川議員の路上チューをはじめ、片山さつき議員が四回目の不祥事で涙を流して謝罪していたし、昨日辺りから上西小百合議員の予算委員会を欠席して旅行に行っていたなどがあり、「やっぱり女はね~」と言う声が聞こえてくる。

全ての女性議員がそうでないにもかかわらず、これだけでてくると、選ぶほうに問題が出てくるような気がしてならない。

選ぶほうと言うのは選挙民ばかりでなく、政党の審査と言うか教育と言うか。

とにかく、当選第一主義から、地盤を持つ元代議士の関係者であったり、タレントであったり、美人であったりが立候補させる基準になることが問題ではなかろうか。

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2015年4月 2日 (木)

いざや いざや 見に行かん

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日本人の桜好きは、世界でもまれらしい。

Img_0504その一員である、自分も三月三十日の犬山の桜以来、昨日は娘たちと、そして、今日は連れ合いと桜見物に浮かれまわっている。

今日の桜の主目的は、大井川上流部にある徳山の枝垂桜と、そこに毎年のようにやってくるジャンボ串焼きの屋台である。

いってみるとすべて予定通りであったが、枝垂桜のほうは満開をすこし過ぎているのか、早くも落花舞い散ると言う状態になっており、親に連れられてきていた子供たちが、花びらを受け止めようとしたり、地面に落ちた花びらを掬ってはぶっつけあっていた。

今日も気温は高めであり、空一面の花ぐもりは、”桜か雲か匂いぞ出ずる いざや いざや 見に行かん”

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2015年4月 1日 (水)

若く見られたい

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咲いた咲いたチューリップの花が  

ならんだならんだ 赤白黄色.

どの花見ても  きれいだな

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「おばあちゃんは幾つになるの?」って聞かれ、「四十歳っ」って答えたら、娘に「さばを読みすぎ!そんなこと孫が信用したら私と姉妹だと思ってしまう」って叱られたという。

女の人は、ともすると歳を取って美しくなくなることに脅威を感じるようで、テレビのコマーシャルでも、写真を見せて「この人いくつに見えます」っていいながら、「六十四歳です」と言うとみんなが一様に驚くさまを映し出している。

もちろんコマーシャルの中だから、すべて台本に沿っての進行であり、やらせでしかないが、このコマーシャルを見て自分も、と、商品を買う人がいる。

しかし、どうして、外見だけの若さにあこがれるのだろうか。男の人全てがそうだというわけではないが、自分の場合、歳相応に見られたいと若いときから思ってきた。

あまり童顔だと、話し相手になめられはしまいか、と思っていた。

しかし、よわいも七十五歳を数えるようになると、この考えも修正しなければならないようになって来た。

長年の直射日光は、皮膚を傷めたらしく顔のあちこちにしみが出てきたし、ショッピングの付き合いで鏡に映った姿勢を見ると、背中が丸まってきたように見える。

いまさら、年齢を詐称する気はないが、「元気ですね」「若そうに見えますね」と言う言葉に、お世辞とは分かっていても頬が緩んで、低い鼻ながらすこし高くなるのが分かる。

今日は、エイプリールフール。

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