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2015年5月19日 (火)

雪ノ下

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ユキノシタの花。見るからに清楚で可憐な花である。

子供のころは火傷の薬になると聞いて、貴重品かと思っていたが、これが結構繁殖力が強い。

すこし、水気があって半日陰のところであれば、どんどんと繁殖する。

そのため、ほかの雑草同様草むしりの対象になってしまったのは、薬としての役目を終えたためであろう。

現在は、天ぷらを揚げる際、やはり牧の原から採って来て移植したものの、これも繁殖力が強すぎる三つ葉と共に薄く衣を着けて食べている野草としての価値にしか見ていない。

しかし、花の時期は別格に昇格し、その可憐さに見とれている。

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久しぶりに長野NHK が長野県のいまを写した投稿写真の画像を見たら、先日投稿した上田市の箱畳公園からの写真が採用されていた。

「撮るしん」と言うコーナーの東信エリアなのだが、ペンネームの後に、自分お所だけ、静岡県とかいてあったが、投稿者は長野の人だったのだろうか。

そうすると余計なでしゃばり?ともあれ、これで、採用されたのは二度目、といって、しょっちゅうしているわけでない(3回)のだが、、、、とにかくうれしいの一言

投稿したのは、五月はじめだったのでずいぶん長い間掲載されなかったので、ボツになっていたと思っていたのだが、、、、、

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2015年5月18日 (月)

年年歳歳人同じからず

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年々歳々花相似たり 歳歳年年人同じからず  とか。

今年も、近所の県立総合病院のユリノキが花をつけている。

しかし、病院の三階を越える高さに育った高木の梢に咲く、淡い黄色がかった花は人目を引くことも無くこの花に気付く人は、ほとんどいないようで誰も足を止めて見上げることが無い。

木にとって見れば、人に見しょうとて咲いているわけでないのだから、人が無関心でいても苦にならないことであろう。

”歳歳年年人同じからず”  以前は、花は進歩すると言うことはないが人は毎年進歩していくものと解釈していたが、最近では、人はいつまでもいまのままでなく、体のあちこちに障害をつくり老いて行くという風に受け取ってしまうようになった。

病院の脇に咲くユリノキも、毎日のように立ち代り訪れる患者を見て、自分は何時間でも変わりないことを誇っているんだろうな。

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今日久し振りに富山に住む、高校の同級生が電話をかけてきた。

何でも、ふるさとの観音山(801m)に登ってみたところ、立ち木の隙間から和佐保谷の上に積み上げたハイサイ(廃滓)が見えたとのことで、この字をどう書くのかと言うことであった。

彼が鉱山から離れたのは自分よりずっと早く、栃洞坑内を一緒に入ったあと、最近では有名になったカミオカンデのある茂住坑に転勤し、その後10年くらいで退職したため鉱山のことにあまり詳しくない様子、、、、、、

広辞苑でハイサイと引いてみたが、溶鉱炉の最終廃物としか書いてない。という。

鉱山などは特殊な言葉が残っており、なかなか辞書に乗るような言葉が無い場合が多いが、滓という字は液体を漉したあとに残ったものと言う意味があり、選鉱で細かく砕いた石を鉱物とそれ以外の廃物のことをいう。

また、溶鉱炉の最終廃棄物は”カラミ”といい、鍰というあまり見かけない字をあてているが、カラミは熔錬に際して有価金属以外の熔けて固まったものを言う。

などと20分近く話してみたが言葉ではなかなか分からなかったことと思う。

おなじ廃棄物でも、坑道を延長する際に出る岩屑は”ズリ”といい、撏とこれまたとても読めない字を当てている。自分なりの解釈では、岩を削ったと言う意味からケズリ滓となり、ズリとなったと思っている。

岩石もいろいろと名前を変えて捨て去られるものである。

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2015年5月16日 (土)

だるくて だるくて

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ここ二~三日続いた真夏日は気温の急上昇もあってか、慣れない身体にダメージを逢わせたようで身体がだるいような感じがする。

昨夜は、あまりの蒸し暑さで寝床の窓を開けて寝たのが良くなかったのか?などと考えてみたが、、、、、、、

とにかく、未明だと思うが雨が降る音を聞きながら、何にもする気がなくそのまま寝入っていたくらいである。

今朝になって、散歩に出かけてみると昨夜の雨でタンポポの綿毛が濡れ、雫をいっぱい付けているところに白い蝶がつかまっていた。

綿毛では蜜があるわけないので、雨粒を吸っていたのか、それとも、寝ぼけていたのか、、、、、、

案外自分と一緒で身体を動かすのが”だるくて だるくて”と言った状況だったのか。

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そのむかし、「衣食足りて礼節を知る」という論語の一説を聞いた覚えがある。

われわれの子供のころ、つまり、戦争が終わって10年間ほどの間は、全く食うや食わずの生活を続け、当時流行った言葉のひとつに”エンゲル係数”というのがあり、一家の稼ぎに閉める食費の割合を示す数字であった。

当時のアメリカでは30%ほどだったたが、我が家辺りでは子供が五人もいた関係で8割くらいになっていたのではなかっただろうか。

それでも、父親の権威はたかく、「世間に後ろ指を指されるようなことはするな」とよく叱られたものだった。

それから、六十年余。”所得倍増論””バブル景気”と世の中次第に裕福になり、ひとっころは「一億総中流」なんていわれるほど裕福に成ったが、世相は乱れ、利己主義の世の中になった。

衣食は足ったが、、、、、、、「礼節」とはこういうことなんだ。

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2015年5月14日 (木)

天は二物を与えず

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台風一過の青空に続いて今日も気温の高い一日であった。

昨日はまだ、風が強くて幾分過ごしやすかったものの、今日はその風もなく一気に真夏日になったため、体がだるく感じる。

そんななか、麻機の山には鶯がまだ恋をしているのか、はたまた、卵を抱いている雌を気遣ってか大きな声を張り上げている。

スズメをすこし細くした程度の大きさなのに、その声の通ること、かなりはなれていてもその存在は目立つ。

たまたま、もっと声を届かせたいと思ったのか、高い木の梢に上がってきた。

花札のように奇麗な緑色と思いきや、地味な灰色と緑の混じったような色合いで、いわゆる鶯色とはほど遠い羽根をしている。

”天は二物を与えず”とか、中には二物も三物も兼ね備えているものもいる中で、原則を守っているのは凄いことなのだろう。と、一物も持っていない自分がいう。

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2015年5月13日 (水)

玉虫色

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麻機の沼の土手で久しぶりに玉虫を見た。

以前はあちこちで見かけたため、珍しいと言ってもそんなに幾日も見ないということはなかったような気がしていたが、今回は何年ぶりになるのか、、、、

昨日大降りに降らせた雨のしずくがあちこちに残る中、この玉虫も葉の裏辺りで耐え忍んでいて疲れ果てたのか動きは活発ではない。

とにかく、見れば見るほど複雑な色合いの羽根を持った甲虫である。

見る角度によって色が変わり、この色合いを持って玉虫色と言うのだが、どちらにでも取れるような始末の付け方を”玉虫色の決着”といい、将来に禍根を残す元になる。

日本人は契約書みたいにきちんとけじめをつけることが不得意なようで、国の大本である憲法さえも、、、、、、、、、

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2015年5月12日 (火)

台風が来るのを知らないで

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午後になって降り出した雨の中、カルガモの親が生まれたばかりの雛を羽根の下に入れて先日刈り捨てていた草の上で休んでいた。

この草のある場所が、裏の三面張りの川の真ん中にあり、いま降り出している雨は台風6号の接近に伴う雨であることを知らないようだ。

見ているギャラリーにとっては気が気ではないのだが、親鴨のほうは悠然と構えている。

夕方から激しくなった雨にさすがにヤバイと思ったのか、子供たちを引き連れて川下に降って行ったが、、、、、、

水位はピーク時に1,5mも増水したが、あの鴨の親子は難を逃れることが出来ただろうか。

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2015年5月 9日 (土)

発想が乏しい

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シャリンバイの花があちこちで見られるようになった。

漢字で書くと車輪梅と書くそうだが、それは、葉が茎に一箇所から四方に突き出しているさまから付けられ、花が五弁の梅に似たところからと言う。

花びらが五弁なら何でも桜や梅と名づけるのは、形か色が鯛に似ていれば種類が違っても”なんとか鯛”と名づけるのと一緒で、発想としてはおそまつである。

ただ、この花は温暖なところを好むようで、飛騨にいたころは見た記憶がないのは、本当になかったのか花に興味がなかったせいかはっきりとしない。

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2015年5月 8日 (金)

茶畑の色は

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日本には色を表す言葉が無数あり、黄緑と大雑把にくくられる色の中にも、若草色、若芽色、萌黄色、苗色のほか10種類くらいはありそうだ。

その中で、いまお茶摘みで賑わっている、茶畑の色はなんと言ったらよいのか。

芽吹きだしたお茶の葉の色は太陽光線を受けて、黄色に近い黄緑をし、夏場に強い光線をさえぎるために植えられている、柿の新芽と同化したようにさえ見られる色合いをしていた。

その美しさは、さながら噂に聞く天国を思い起こさせるものがあり、赤白黄色ととりどりの花をもしのぐ美しさを感じてしまった。

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イギリスの王室と日本の皇室はよく似ているといわれながら、先日のウイリアム王子の妃の出産には驚いた。

たぶん陣痛が始まったのが入院した少し前のことと思うが、その九時間後には生まれた子供を抱きかかえて、王子の運転する車に乗って帰宅したとのことだった。

そのタフさはいまの日本では考えられないことであろう。

自分たちのおばあさんのころの話しとして聞いている話のひとつに、臨月の身で畑に行き、畑で出産した後、ぼろに包んで家に帰った言うのがあり、貧乏ゆえの強さは明治のころまであったようだが、これは、雑草のような庶民のこと、、、、

しかし、もうひとつ驚いたのは、夫である王子が直接車を運転して帰ると言うことにもあった。

日本の皇族と言われる人のどれだけが車を運転できるのだろうか。

イギリスでは、一旦事あれば皇族が武器を取り、真っ先かけて突き進むと言う覚悟を持っているといい、こういう観点から見ると日本はあまりにも過保護ではないかとさえ思ってしまう。

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余談ながら、高崎山で3ヶ月前に生まれた子猿にシャーロットと言う名前を付けていたが、不謹慎だから改名せよという人がいたそうだ。

多分、マスコミの先走った”でっち上げ”だと思うが、、、、、

念のための問い合わせに「どんな名前でもかまいませんよ」と大らかな返事をもらったそうだが、もしこれが逆だったら、日本の取り巻き連中はなんと言っただろうか。

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2015年5月 7日 (木)

蜜柑の花が、、、

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みかんの花が咲いている 思い出の小道 丘の道 

はるかに見える 青い海  お船が遠くかすんでる  

はるかむかし、ラジオから漏れてきた童謡の歌詞である。

いま池ヶ谷の丘の周りには、白い蜜柑の花が咲き乱れ、周り中にそれこそ柑橘系の香りを充満させている。

この丘の頂からは、歌の文句のように駿河湾がボウ~ッと霞んでおり、水平線と天の境目も判然としない春の海が横たわっている。

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パソコンもいよいよ終末期を迎えたようで、立ち上がりがしょっちゅう中断してしまうようになった。

新しいものを買うには、かなり欲しいものをやめるしかないので、どちらが優先するか、、、、、、、、もし完全故障となったらしばらくお休みと言うことにもなりかねない。

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2015年5月 6日 (水)

浜昼顔の花

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Img_0745今日は立夏。暦の上では今日から夏と言うが、昨日までの暑さも一服して過ごしやすい一日であった。

野菜の苗を買いに行ったついでに、すぐ近くにある大浜の海岸まで足を伸ばした。

ここまではゴールデンウイークも近づけなかったと見えて、その辺りを散策している人たちも地元のものばかりといった様子だった。

堤防を降りた先の砂浜に浜昼顔の花が薄いピンクの可愛らしい花を咲かせていた。

浜昼顔の花は、砂浜があれば全国の海岸いたるところにあるそうだが、水はもちろん太陽にさらされた砂浜は熱くなるし、生息環境的にはかなり厳しい場所である砂浜をなぜ選んだのだろうかと、常々疑問に思っていた。

ともあれ、この花を見て映画「君の名は」の主題歌に、#~ 今日砂山に

ひとり来て 浜昼顔に聞いてみる、、、、、なんて歌詞を思い出すのは、かなりの歳である。

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2015年5月 5日 (火)

おのこあり

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ゴールデンウイークも後半に入ったが、人ごみ嫌さに人出のしそうなところへは出かけずにいた。

しかし、連れ合いが「明後日あたりから御茶摘休暇にはいるという有東木の蕎麦が食べたいね」というのででかけてみた。

安倍川沿いの道路の交通量は何時もよりすこし多い目ながらスムーズに”うつろぎ」まで行けたが、入ってみてびっくりあまりの人出で、狭いレジの前に長蛇の列。

それに、すっかり嫌気が差したわがまま老人はユーターンして戻ってきてしまった。

途中見かけた萌黄色の茶畑の上の一軒家。

穏やかな日和の中、幾分だらけ気味ながら「ここにおのこあり!」と宣言している

その後、高みに上がって集落を一望する場所に行って見たが、鯉のぼりをあげている家は、ほかになく鯉のぼりの元気のなさはこんなところにもあるような気がしてしまった。

いま各地で、観光用にと川の上に鯉のぼりを連ねているが、これも子供がいなくて、御用済みになったものを集めていると聞くと、何だか侘しいものがり、素直に喜べない子供の節句である。

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2015年5月 3日 (日)

親亀の背中に子亀を乗せて

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親亀の背中に子亀乗せて、、、親亀こけたら皆こけた。

こんなざれ歌をよく聞いた。麻機の沼に大繁殖している赤耳亀が石の上に上がって日向ぼっこしていた。小さなときはミドリガメなど、といって愛らしい亀だが成長するにしたがって飼えなくなった人が沼に放流したものが増えていき、在来の石亀などを圧迫しているようだ。

安倍総理はアメリカの国会で日本の国会で審議していない軍事協力を約束してしまった。

国会軽視と言うか、つんのめってしまっているというか。とにかく危ういことこの上もない。

多分、中国との摩擦の後ろ盾になってもらいたいの一心かと思うが、アメリカが万全などと思っていると、いつこけるかもしれない危険性が垣間見えている昨今、心配はないのだろうか。

この先アメリカのお先棒を担ぐには、思いやり予算を含めて、軍事予算をもっと獲得しなければならなくなってしまうだろう。

ただ、どんなに予算をとっても最後は人的資源になるだろうから、憲法9条を変えるついでに徴兵制も施行していくようになる。

今日は憲法発布記念日。

自分らみたいに老いさらばえたものは関係ないが、若い諸君は選挙に行かないと、将来鉄砲を担がされ戦場に行くことになるぞ~、、、、、、、

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2015年5月 2日 (土)

綿毛を飛ばし終えて

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今日五月二日は立春から数えて八十八夜であり、静岡の新茶もこれから出回る季節。

ゴールデンウイークとあいまってうきうきする気候でもある。

天気のほうもすこし気温が高いと思われるようだが、乾燥した空気は肌に心地よい。

麻機周りの道端には、この乾燥した空気に誘われでもしたように、タンポポの白い穂が一斉に綿毛を飛ばしている。

綿毛を飛ばした茎は丸坊主の頭を撫でながら、所在なさそうに天を仰いでいる。

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そんな、季節でありながら、周りでは知りあいの人が相次いで亡くなってしまい、連日、お通夜と葬儀に出かけている。

それと連休前ではあったが、長野へ行っていた26日にも亡くなっていたので葬儀には出ることが出来なかった人を含めると、この春の陽気が誘い水だったのかもしれない。

二度あることは三度ある。とむかしから言われているが、まさにその通りと言った感じであり、午後になって帰ってきたが疲れがどっと出てきたようで、何にもする気がしない。

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2015年5月 1日 (金)

目に青葉

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目には青葉 山ほととぎす 初鰹  

この句の通りの季節になった。

麻機沼に柔らかな風が吹き、新緑の青葉を揺らし若葉の匂いを漂わせている。

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今日は五月一日。    メーデーである。

40年ほど前まで毎年のように赤い組合旗を先頭に小さな町の中央通りを歩いた。

#晴れた五月の青空に 歌声高~くひびかせて、、、”と   今日はその歌のように雲のない暖かな日和である。

ゴールデンウイークのさなかながら三千数百人の組合員の半数以上が、約3kmの道筋を行進した。

ほとんどの人の目的は、メーデー行進のあと職場単位で”山行き”と称する飲み会が目当てでもあったろう。

解散地点近くの大津神社の周りに茣蓙を引き、呑み助が多い鉱山労働者がビールを掲げて終わったばかりの春闘でいくら上がったのか職場役員と語り合う場でも有り、今日のように晴れ上がった日は、、、、、、、、。

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それから幾年、労働組合とも縁がなくなり当時の仲間もいまはいくたり残っているのか、、、、、

むかし軍隊いま総評と言われた、当時の労働組合もすっかりと様変わり、最近では賃上げ闘争に保守の政府の後押しがなければ戦うことさえままならない、労働組合に成り下がってしまい、メーデーも四月の休日に行なわなければ鳴らないほど堕落してしまった。

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