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2015年7月 7日 (火)

南平 光円寺

044

赤い屋根を持つ南平 光円寺。

このお寺一帯の下にいくつもの人骨があると言い伝えられている。

江戸時代中ごろ、、、元禄年間というがここを流れる銀山谷の上流の大富というところに鉱山があって、飯場が立ち並んでいた。

飯場といっても当時のことだから、掘っ立て小屋程度のことだったろうが鉱山に出稼ぎに来ていた人たちは、かなりの高給を取っていたそうで贅沢三昧の日々を送っていた。

最も当時の贅沢といっても、娯楽があるわけではなかっただろうし、ただ、酒とご飯位だったと思われるが、、、、、、、、

あるとき、大雨が降り続き飯場一帯が山抜けをおこし、数百人といわれる人を呑み込み泥流になってすべてを押し流して光円寺あたりに堆積した。

そのなかで、一人だけ助かった人がいたが、その人は飯場の炊き(かしき)と言うご飯を炊くおばあさんがいたが、この人はみんなの残りご飯を大切に食べていたので難を逃れたのだ。という話しが残っていた。

実際に、南平の風呂を作る際人骨が出てきて光円寺に納められたという。

050お寺のすぐ下に、高さ5mに満たない松の木があり、根方に地蔵さんを祭っているが、この木はもともとは高い木だったのが土石流に埋もれたこんなに低くなったと言われている。

前平からの下り道、南平の上部全景が見える場所があり写真にしてみたが、写真で写した範囲内だけで、鉱山社宅の長屋が30棟前後が入っていたほか、生活用品を売る購買部、共同浴場、そして、集会場などがあった。

いまでは、その跡形も分からないほどになって、人の世の栄枯盛衰を見る思いであった。

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043振り返ると、後ろの崖に同じように見下ろしているカモシカが佇んでいた。

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コメント

岡崎在住様
徳島さんとはそういうご縁でしたか。
私は、その下に写っている火の見やぐらのそばの二階建て社宅にいました。
前に行ったときには、あばら家でしたが残っていたのですが、今回はきれいさっぱりとなくなっていました。
そしてその跡に直径10センチくらいの木さえ生えており、月日のたつのはあっという間でしかないのを確認させられました。

投稿: オラケタル | 2015年7月 7日 (火) 21時20分

光円寺のお坊さん(徳島さん)は、お経がホントきれいなお坊さんで、またいつもニコニコされとる人やったな。前平の家にも良く来てもらい、婆ちゃんの後ろで座ってお経を聞いたのをよく覚えとるな。お布施は100円ぐらいやったろか?なんと刈谷の家にも来てもらったことがあるんや。

投稿: 岡崎在住 | 2015年7月 7日 (火) 19時36分

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