踏まれてこそ雑草
家に閉じこもっていると身体にも気持ちにもカビが生えてきそうな感じがしたので、家の周りをぐるっと一周してきたが、静岡南部に「大雨警報」が出ていると聞くとそんなに遠くまで出かけるわけには行かない。
仕方ないので、玄関周りの雑草を抜いてみた。
梅雨に入ってから、雑草抜きも怠っていたのもあるが、この間の水分を吸ってからか雑草の勢いは日ごとに増して、玄関周りの一坪ほどを掘り出すのが精一杯。
しかし、やっていたわかったことは、「人に踏まれてこそ雑草はたくましくなる」ということである。
カタバミやクローバ、オオバコなど雑草は地表に出た部分を切り取っても、根が残っていればすぐに再生するので、小さなシャベルで根まで掘り起こさないと始末したことにはならない。
また、一般にその生命力の強さが、”草根”などといって、ど根性の強さ、打たれ強さを強調する場合に使われてきた。
しかるに、人や車などの踏まれたことの無い場所に育った雑草は下の土が軟らかいこともあって、いとも簡単に引き抜けるのである。
植物は、自分の育つ場所を選ぶことができない。
種が落ちた地点で、精一杯生きることしかできないのだが、境遇のよすぎる場所で育つことが目的を達成するために幸せなのかどうか考えさせられた。
人間の場合、のびのびとよい環境に育って一生を終えるのに越したことが無いのだろうが、、、、、、あまりにも「おんばひがさ(御乳母 日傘)で育ったお坊ちゃんは人に踏まれたことが無いので、 ねぇ~
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