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2015年8月27日 (木)

飛ばした種は

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ハルノノゲシという名前を持っているが、秋遅くまで次から次へと花を咲かせては綿毛を飛ばしている。

この草も、自分の分身を旅立たせようと風を待っていたが、なかなか上空へ舞い上げてくれる風がなくてじれているかのようだった。

幾百とある綿毛の下の種、これだけ飛ばしていくつが来春芽をふかせる地に舞い降りることが出来るのだろうか。

ノゲシの花言葉に「旅人」「憎まれっ子世にはばかる」「追憶」などがある。

「旅人」と言うのは写真の状況を言っているようだし、「憎まれっ子世にはばかる」なんてのは花言葉としては珍しい言葉だが、世界中に広がるほど、繁殖力が強いことから来ているのだろうか。

しかし、「追憶」なんて優雅な言葉は、この花には似合わないような気がするが、飛んでいった見知らぬ土地で、生まれ故郷を思う心だとすれば、さしづめ、自分や亡くなった娘もそのうちに入りそうである。

30日には、その娘の骨の一部を故郷の土に返して上げることにする。

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2015年8月24日 (月)

金斗雲に似て

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朝焼けの空に一文字の金色に輝く雲がかかっている。

まるで、孫悟空が乗る金斗雲を思わせるように、、、、、

あんな雲に飛び乗れば見知らぬ世界もあっという間にいけるのかも知れない。

しかし、むかし読んだ子供向けの本には、孫悟空が飛びに飛んでここまでくればと岩山に書いた名前は、仏の手の指であった。

つまりどんながんばっても、仏の目の届く限りから飛び出すことが出来ないと言うたとえ話であり、人類がどんなにがんばっても太陽系の中から飛び出すのが出来ないと言うたとえにも似ている、太陽はすなわち、仏様と言おうことか、、、、

この輝く雲のした、東の低い山際から、仏様は静々とのぼり両手で自分を救い上げてくれるくれるのだろうか。

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2015年8月23日 (日)

やるせない思い

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中国や朝鮮の人のように大声で泣けたら、、、、、、

その後はいくらかすっきりすると思うのだが、

なぜか嗚咽だけで終わってしまう。

思い出して泣け、何の衝動も泣けてしまう。

前々から覚悟はしていたのだが、、、

こんなにやるせないもとは思わなかった。

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2015年8月21日 (金)

1,860円の安心は大きい

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白い花ながら派手に見えるのは草全体が大きすぎるからであろうか。

ジンジャーは、その花の中心から大きな蘂(しべ)を突き出して、芳香を漂わせている。

なんだかバタ臭いその花柄は、日本の生姜とは似ても似つかない花である。

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今日ようやくのことで決着がついた。

五月の半ばに受けた胸部レントゲン検診の結果、七月はじめに「精密検診を受けてください」と言う手紙が来た。

早速、電話して聞いてみると、八月二十日に検診結果を説明するので、指定場所の来てくれとのこと、、、、、、、

伝染病の結核なら、こんなに長く放っておくことがないだろうから、いよいよ自分も胸に癌が出来たのか、それとも、心臓肥大にでもなったのかと半ば覚悟をして待っていた。

ただ、背中の脂肪の塊が何かの加減で写っていたのだろうかとも思っていた部分もあり、これは八月六日の手術で摘出し、病理検査の結果、「異常のあるものではない。」という検査結果が出ていたから、ここだと言われれば癌の心配はないのだが、、、。

指定された午後二時、検診場所に行くと20人くらいの人が集まってきて順にレントゲン写真を写し、しばらく待った後診察室に入っていく。

自分の番が来て入ると、ここ三~四年間に写した写真を前に難しい顔をした医者がいた。

「どうも、心臓の後ろに気になる場所があるが、はっきりしないので念のため、明日県立病院でCTを写して貰えないだろうか」とのことであった。

それで今朝早く、県立病院に行きなんだかんだとあちこちへ回され、CTのベットに乗せられて胸部断面を写されてきた。

しばらく待たされ、呼吸器外来の診察室でその結果を見せられた。

「きれいな肺をしています。この歳にしては珍しいくらいです」とのこと、「タバコは二十で止めていますが、粉塵の多い職場で働いてきたので、珪肺のほうはどうでしょう?」と聞くと、「きれいな肺だと言ったでしょう」とのこと、、、

心配した癌の疑いどころか珪肺さえないとなれば、、、、、、また、この先寿命が幾分延びてしまったようで、頬が緩む。

後期高齢者、診察代1,860円で安心を買った。

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2015年8月20日 (木)

タカサゴユリは

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タカサゴユリの花。真っ白でテッポウユリに似ているが、その繁殖力はつよく、いまではテッポウユリを完全に駆逐していると言って過言ではない。

タカサゴユリのふるさとは、海のかなた台湾であり、むかし、台湾を高砂と読んでいたことから付けられたそうだ。

そういえば、台湾に住む原住民の一部を高砂族とよび、勇猛果敢な兵士として日本軍に加わっていたとも聞く。

その伝統でもないが、秋になると種を包んでいる鞘から無数の平べったい種を風に乗せて吹き飛ばし、繁殖範囲を広げている。

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国会議員に限らず、そのときの風に乗って当選する議員に問題児が数多くいる。

とくに、何とかチルドレンと言われる人に多い。

最近問題になっている衆議院議員 武藤貴也もその伝に漏れないだろう。

その発言内容は、36歳と言う世間知らずの若さもあってのことと思っていたら

こんどは、「未公開株の議員割り当てがあるから買わないか」と4100万円の詐欺を働いていると言う。

やっと先日、戦争法案に反対している若者に「ただ、戦争に行きたくないと言う利己主義に基づいている連中」と、言っていたが、自分は詐欺をしてまでも金儲けをしたいと言うろくでなしだったことを棚に上げての発言であり、人を批判できる資格なんてこれっぽちもなかったことが証明された。

ちなみに、「戦争に行きたくないから反対!」と言うのは、”人を殺したくないし殺されたくもない”という意味からも立派な理屈である。

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2015年8月18日 (火)

くるくるくる  と

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水というものは見ているだけで涼しくなる。

たぶん、梅干という言葉を聞くだけで、口の中に唾がたまるのと同じかもしれない、、、、、、、。

近所の農家があつまって、野菜などを売る掘っ立て小屋の屋根に取り付けたスプリンクラー、周囲が葦簾張りなので中が暑くならないように工夫したものであろう。

水の出口が四つあり吐き出し方向が上下にわかれているタイプなので、くるくる回る水の曲線がおもしろい。

まるで、バレーのダンサーが両手を挙げてスピンを飽きもせず繰り返しているかのよう。

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2015年8月17日 (月)

本格的な降り方

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久しぶりに本格的な雨降り日になった。

といっても、テレビに出るほどの豪雨ではなく、梅雨時のようなお湿りであり、理想的な降りかたである。

おかげで気温は、30度になることもなかったようで暑さに慣れた身体はっこちよい涼しさに浸ってしまった。

クーラーはおろか扇風機のお世話になることもなく、庭の草木に溜まった露さえ涼しげに見えてしまう。

お盆開けの今日は、六日に手術した背中の傷から糸を抜く抜糸で病院に行ってきた。

休み明けと言うこともあって、病院は超満員、小さな医院は待合室に座りきれない人もでて「これは時間がかかるぞ」とはじめから覚悟を決めざるを得ない状況であった。

しかし、指定されていたこともあってごぼう抜きの治療を受けることが出来、なんだか儲けたような気分で帰ってきた。

日中は雨もほとんど小止みになり、揚がったのかと思ってしまうほどだったが、、、、、、

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2015年8月15日 (土)

七十年前の今日

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70年前も暑い夏だった


先の大戦が何千万人と言う犠牲と敗戦と言う未曾有の惨事を残し、終わってから今日で七十年となる。

この日を覚えているのは、自分たちより年上の人だけであろう。

自分自身としては、旗を振って出征兵士を送る国防婦人会、真上を飛んで富山へ空襲に行くB-29の編隊、そして、玉音放送くらいしか記憶にないのだが、、、、、

七十年前の今日は、全国的に青空の下暑い一日だったのか、富山県との国ざかいになる谷間の集落で今では小さな貯水池になっているプールで水浴びをしていた。

お昼近くになって、大人がラジオのある家(当時、ラジオのある家は限られていた)に集まって、何かの放送を聴いていたが、電波状況が悪かったのもあって何を言っているのか理解できなかった。

もっとも聞こえたとしても、あの文語文は子供の理解を超えていたと思う、、、、、

とにかく、聴いていおる人の中に知恵者がいたようで、戦争に負けたことを口にした。

今になって考えると、よく聞き分けたもので、これがもし間違っていたら早速警察に連れて行かれ、スパイ扱い、特高警察の拷問などにあってしまうのだから、、、

早速家に走って帰り「母ちゃん戦争が済んだってよ」と言ったところ、暗い納戸で食器を構っていた母親は「そうか」と静かな声で言ったことを覚えている。

しかし、人間の記憶はどこかで間違っているようで、母親が生前自分の娘、つまり孫に語ったところによると、帰ってくるなり「戦争に負けたのでアメリカに殺される」と言ったとか、、、、、

そういえば、戦争中に「鬼畜米英に何されるか分からない」というプロパガンダーがあったが、そのことを真に受けていたのだろうか。

そのことについては、「ぜんぜん記憶にございません」と国会口調で答弁したが、はたしてどうだったのだろうか。

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2015年8月14日 (金)

さぞかし悔しい談話

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いまではすっかり野の花と化しているオシロイバナは、江戸時代になって日本に持ち込まれた花だそうだ。

そのせいか、赤い色を主体にしながらも、白色、黄色、交じり合ったものなどいろいろな花を咲かせている。

名前の由来は、種をつぶすと蕎麦の実のように粉状になってしまうことからきている。

次から次へと咲いて、花の時期は秋になっても咲き続けていく。

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夕方になって、安倍首相は先の大戦に対する七十年談話を発表した。

当初、「村山 河野談話は大きな禍根を残した」などといって右翼的な世界観から侵略と言う言葉やお詫びと言う文句を切り捨てようとしていたのだが、中国や韓国からの牽制、そして、周りから外堀を埋めらたような格好で、ほぼ同じ文章になってしまった。

安倍首相としては、心にもない談話になってしまい、さぞかし悔しい気持ちで会見に臨んでいたことと思う。

そもそも、七十年談話と言うことを言わなければ、こんな不始末にはならなかったのだが、そこが読み違いのもとだろうね。

それにしても、同じ敗戦国のドイツやイタリヤが近隣諸国とうまくやって、ことさら談話など出す必要もないのに、なぜ日本だけがこうも”やいのやいの”と言われるのだろうか。

その原因として、やはり戦争責任をきちんとしてこなかったことがあげられる。

先日も池上彰のテレビ番組で、極東裁判は連合軍がやった戦勝国のいんちき裁判だとも行っていた。

しかし、ああでもしなかったら原発事故やオリンピック競技上問題でも分かるように、誰も責任を取らず、うやむやのうちに葬り去ったのではないだろうか。

中国や韓国人特有の感情問題やその国が抱える内部事情もあって、いつまでもこの問題に国民の目を向けさせておく必要もあるのかもしれないが、日本人の責任と言うものに対してのルーズさが大きな要因であるような気がしている。

ドイツなどは、戦犯の追及をいまだにしているが、日本は靖国神社に合祀して神様にしてしまった。

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安倍首相は後世、この談話にたいしてどのような解釈や回顧録をするのだろうか。

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2015年8月13日 (木)

期待はずれの雨

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昨夜の天気予報では、十三日は朝から台風崩れの低気圧が通るため「大雨に注意してください」とのことであった。

夜中に蒸し暑い空気が吹き渡り、朝になって雨が小降りながら降り続いていたため、いつになったら激しい雨になるのかと、期待半分用心半分で待っていたが、雨はそのまま止んでしまい、その後は傘がいらない程度の小雨に変わった一日だった。

ここしばらく、約半月は雨もなく、雨を溜めていた水槽もかれ、畑の作物も枯れ気味になり水遣りが大変だっただけに期待した雨だったが、また明日からは晴れが続くようで、、、、、、、、

もう少し均等に降らせることが出来ないものかと天を見つめる。

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今日から世間はお盆休みとかで、高速道路は渋滞しているようだ。

こんなときは暇人は家にじっとして、「渋滞緩和に協力しなけりゃね~」なんていいながら、仏壇に花を飾り精霊のお迎え準備をする。

夕方になって、迎え火を焚こうと外に出ると、イチイの木の枝にヒメアカタテハがひらひらと飛んできて枝につかまって動かない。

イチイの木は針葉樹であり、蜜の出る木ではないので羽根休めのためなんだろうが、、、、、

むかしから、亡くなった人の霊は蝶々になってやってくるとか言うが、タイミングがよすぎる。

ひょっとして、この蝶は、、、、なんて思ってしまった。

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2015年8月12日 (水)

猿も滑る?

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006立秋になって三日になるが、どこかに小さい秋がないものかと訪ね歩いて見たが、少し歩けば汗が湧いてきて帰ってくるたびシャワーを浴びている。

そんななか、サルスベリの真っ赤な花が「暑さなんてそ知らぬ」といいたげな顔をして咲いている。

花を見れば、いくつも重なり合っているためまるで一つの花のようにも見えるが、黄色い雌しべでひとつの花が区別できる。

その花一つ一つを見ると、蘂の周りに六枚の花びらが細い針金のような管で離れていることがややこしくしている。

サルスベリは百日紅と書き花の期間が長いことからつけられたのだが、加賀千代女の句にあるように「散れば咲き 散れば咲きして 百日紅」であり、ひとつの花が百日間咲いているわけではない。

また、コルク状の表皮がはがれてつるつるになっているところから、サルも滑って昇れないだろうと思って名づけられたようだがこれも違っていた。

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鹿児島県の川内原子力発電所が今日から発電を開始した。

福島の教訓など、いろいろな疑問を残しながら強行したのだが、なぜ、それほどまでして急ぐ必要があったのだろうか。

電力業界の要望と言うことになっているのだが、かんぐって考えればプルトニュームという、原爆の材料欲しさではないかと言う気がしないでもない。

世界的には、日本にプルトニュームが貯まりすぎていることに、核保有国は懸念を示していると言うが、いまの政府では、、、、、、

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2015年8月10日 (月)

目立たない花

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ショウジョウソウにヤマトシジミが蜜を吸いに来ていた。

葉っぱの一番上の部分が真っ赤に染まり、花びらの役目を果たしているからこそ、ここに花があると分かる程度のお粗末な花に、、、、、

小さな丸い種袋の先に1mmほどの小さな黄色い雌しべが見えるところが花である。

漢字で書くと”猩猩草”となるが、この草の生命力は強く、もともとは島田で道端にあった草の一部を手折ってきて、土に突き刺しておいただけのものが根付いたのである。

翌年から増えすぎて困るので、根ごと抜いて選っているのだが、種がこぼれるらしく予想もしないところから芽をふいてくる。

ちいさな我が家の庭で一番猛威を振るっているのは、猩猩草と三つ葉である。

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2015年8月 9日 (日)

ビーズを撒き散らかして

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朝日を浴びて田んぼの稲の葉にできた水玉がいっせいに輝きだす。

朝日と目の角度によって、水玉の色合いが変わり、ビーズを撒き散らかしたのように色合いが変化する。

稲の葉をわずかにそよがせた風が吹き渡ると、なんだか儲けものをしたような気分になり心豊かな気分になるのが分かる。

この水玉も、最近のように暑さが続くと、まもなく蒸発をして消えうせてしまう。

これも自然の理。天下泰平をひとりじめにする。

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今日は長崎に原爆が落ちて70年目に当たる。その式典で挨拶する長崎市長の物静かながら心打つ挨拶と、なんだか上っ面だけの首相の挨拶は対照的であった。

ただ、朝のワイドショーで、八月九日は何の日ですか?と言う質問に、若い人はもちろん五十代六十代と思われる人でさえ画が「分からない」と答えるのを見てテレビ特有の大げさ、またはやらせかと思っていたが、夕方の放送で長崎市民でさえが、この日を正確に言えない人が六割に及ぶといっていた。

戦後の歴史教育が近代史をろくに教えなかったこともあるが、平和とは積極的に守ろうとしなければ維持できないものであり、人の噂ではないが七十年もたつとこんなふうになってしまうものなんだろうな。

忘却とは忘れ去ることなり 忘れえずして、、、、、   (君の名は)

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2015年8月 8日 (土)

せいの合唱は

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いつ雨が降ったのかも分からないほど日照りが続いている。

それも異常なくらいの高温で、、、、毎年のように異常気象、異常気象が続いていくと、例年通りの気象は無くなっていくのではないだろうか。

テレビは連日のように熱中症に気をつけて、、、外出は控えめに、、などというが、このまま家に閉じこもって、クーラーに浸っていては、身体にも良くないだろうし、、、、、、、

ということで、宮沢賢治の「アメニモマケズ」ではないが、「日照りの夏はおろおろと歩こう」とばかり池ヶ谷の山の畑に行くことにした。

途中、バイパス脇にある緑地の木立から例年なら蝉の合唱で耳を聾すばかりの音が出ている場所があるのだが、今日は何の音も聞こえない。

「おや、今年はどうしたのかな」と木立を覗き込むとあちこちの木に例年どうり蝉がたくさんいる。

中には、アブラゼミとクマゼミが仲良く隣り合っている場所もあり、立ち止まって見ていたが、鳴きもせず動こうともしない。

アブラゼミとクマゼミは同じ蝉でもつがいになることは無いのだから、本来ならこんなに近くにはいないのではないかと思うが、お互い無視しあっているのか、それとも恋人気取りなのか、、、、、、

ともあれ、短い成虫期間に、どの蝉も鳴かずにいるのは何か異変の前兆のようで、不気味な気さえする。

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夕方になって、ぽつぽつと降り出した雨は生暖かく、地面を一撫でしただけで終わってしまった。

多分、1mmにもならない雨で日照りの連続日は更に続くことになりそうだ。

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2015年8月 7日 (金)

今日一日の幸せを

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寝苦しい夜が明け、今日も暑さを予感させる朝焼けの雲が所々にかかっていた。

その朝焼けが日の出を間近に告げているのに、逃げ遅れたかのような半月がまだわずかに西に傾いた程度の角度で引っかかっていた。

ためしに、電柱を固定材料にしてカメラを向けると、月のあばたのようなクレーターが見えるではないか。

と、言うことは、こんなに暑い日が続くのに、上空は湿気もなく澄み切っていることになるのだが、、、(日中の蒸し暑さはどこから来ているのか、、、)

しかし、素人が持つカメラでよくここまで写すことが出来たものだと自分ながら感心する。

そのむかし、飛騨の隣村に京都大学の天体観測所があり、そこを訪ねたとき60センチ望遠鏡で写した写真を見せてもらったが、それに近いのでは、、、なんて思ってしまった。

当時は、こんな写真から月についていろんなことを想像していたのだ。

科学の進歩は凄まじいものがあり、月に着陸したり、周回の衛星で月の裏側まですべてを写すことができるようになった。

その結果、月に夢膨らませる部分が無くなってしまった。

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そんなことを思いながら日の出を待っていると、自分同様にひまわりもいっせいに東の方に花をむけ、今日一日の幸せを待っていた。

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2015年8月 6日 (木)

浜木綿の花

009


浜木綿の白い花が咲いていた。

一つ一つは六枚の細い花弁を持つ花であるが、花茎の頂上に無数の細い花びらを翻しているさまは、大きな白い花といった雰囲気である。

海岸に近い場所でしか咲かないと聞いており、山国の飛騨では見たことがなかった。

その花の白さはかなり印象的だったと見えて、花言葉は「汚れない」というのと、種が軽くて遠いところに流され、漂着したところで花を咲かせるところから「遠くへ行きたい」などがあると言う。

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今日は、広島に原爆が落とされて70年になると言う。

原爆資料館に行ってみたのは、およそ40年前になるが焼けて溶けた数々の遺品を見たときはかなりショックを受けたことを覚えている。

ここ数日は真夏日の連続であるが、ここ二日は空が青く澄み渡り富士山が真っ黒ながら輪郭をはっきり見せている。

1945年8月6日も今日のように暑い朝だったとされている。

青く澄んだ空が、B-29に格好の標的にされてしまい、20数万の人が一瞬に殺されてしまった。

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先年来、背中に脂肪と汚れで背中にできていた塊を外科の手術で取り除いてもらった。

ときおり、小さな出口からとても臭いにおいのするものがでてきて、加齢臭のもとだとも言われてきたが、塗り薬では除去できずにいたものだった。

手術後見せてくれた臭いの原因は小指の頭ほどもあり、これで、完治するならそれに越したことはないのだが、、、、、、、、

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2015年8月 5日 (水)

怪しげな

009

暑い夏になるとカラスウリの花が咲く。

白いレースのテーブル敷きを広げたように、、、、、

しかし、この花は日が沈んでから出ないと開花しないため、この写真を写すのはずいぶんと怪しげな雰囲気になってしまう。

暗い道路わきなどでカメラを構えて、うろうろと歩き回る姿は、、、このご時勢では不審者でしかない。

夜明けとともに花はしぼみ、秋には真っ赤並みを葉の落ちた蔓にぶら下げているところを見ると、この花の花粉を仲介する虫がいるのだが、特に匂いも強くないし、暗い夜中の一夜花なのだから、特殊な色が見える虫なんだろうな。

とにかく、写す人も怪しげながら、写される花も怪しげな存在である。

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2015年8月 3日 (月)

親子の区別もつかない

014

今日も暑い一日であった。

ここ何日雨が降っていないのだろうか、裏の川もかなり水量が減り、日が傾いて西日も家々の影の中に入ったころになって今年生まれたカルガモの親子が歩いて遡ってきた。

生まれて何ヶ月になるのだろうか。

もう親とは同じくらいの大きさになって、どれが親かは注意してみないと分からないくらいになってしまっている。

子鴨たちは、この大きさになっても警戒心は薄いようで、川面を覗く人の前に平気で近寄ってくるのを、警戒の鳴き声で牽制しているのが親らしい。

013空には、今日の勤めを終え、疲れきったような顔をした太陽が雲間に隠れようとしているが、こちらもご相伴で疲れ切ってしまっている。

天気予報の欄では、太陽マークを数珠だまのようにならべて、ここしばらくの出勤を促しているが、早く雨傘のマークで太陽を休ませてあげたいと思っているのだが、、、、、、、、、、

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ウイーキリクスが、日本の電話もアメリカ政府が盗聴していると発表したことに、政府は同盟国にそういう行為をしたことを遺憾と報じていたが、こういう世界情勢と社会にあっては仕方の無いことではないだろうか。

電話の盗聴については、国はもちろん企業や個人でも常にされていると言う前提にたたなければならないと思う。

成人の数より携帯電話を含めて通信機器の数が多い時代、盗聴する市販の器機は簡単に手に入る。

と、言うことは、国家権力をはじめ企業や趣味の世界にまで蔓延している。

つまり、大事な話は面と向かってせよということであり、手抜きをするなということではなかろうか。

もっとも、周りに迷惑になるような声を張り上げてしゃべっている携帯は対象にならないことは当然の理だが、、、、、、、

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2015年8月 2日 (日)

おぼろな月が

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待てど暮らせど 来ぬ人を

宵待ち草の やるせなさ

今宵は 月も出ぬそうな

いまから百年以上も前に竹下夢二が作った歌だそうだ。

当初は、待つ宵草と上の写真の花を書いていたそうだが、しばらくしてから宵待ち草のほうが語呂としてよかったためか、宵待ち草に歌詞を変更した。

日中は気温が高く湿気が強いため散歩どころではないため、早朝散歩をしようと、朝五時に近所を歩きまわっれみたが、やはり下着は汗でぐっしょりになってしまった。

しかし、上空の雲は幾分薄かったようで、十八夜の月はおぼろげながら西の方に出て、一夜花の月見草(待つ宵草)を静かに見ているかのようだった。

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2015年8月 1日 (土)

いや増しに

30度越えの日が連日続き、クマゼミやアブラゼミがわが世の春?とばかりに鳴き叫んでいる。

その声?が、職業性難聴の老人の耳の奥に年中飼っている蝉と相和して夏の暑さをいや増しにましている。

008

アオバハゴロモの成虫。

薄い半透明の羽根をたたんで木の枝に止まっているさまは、見た目からも蝉の仲間と分かるが、決して鳴き声は出さない。

もっとも出しているとしても、5mm程度大きさの虫では声も聞こえない。

じっと動かずにいるその愛らしい姿からは分からないが、日差しが強くなるいまの時期には大量発生をして樹液を吸い、ただでさえ弱っている木にダメージを与えるところから、かなりの害虫といってよい。

あまり動かないので、指でつまもうとすると小枝の反対側に移り、それでもしつっこく追い回すとピョンと飛び去ってしまい、なかなかつまむことだできない。

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