さぞかし悔しい談話
いまではすっかり野の花と化しているオシロイバナは、江戸時代になって日本に持ち込まれた花だそうだ。
そのせいか、赤い色を主体にしながらも、白色、黄色、交じり合ったものなどいろいろな花を咲かせている。
名前の由来は、種をつぶすと蕎麦の実のように粉状になってしまうことからきている。
次から次へと咲いて、花の時期は秋になっても咲き続けていく。
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夕方になって、安倍首相は先の大戦に対する七十年談話を発表した。
当初、「村山 河野談話は大きな禍根を残した」などといって右翼的な世界観から侵略と言う言葉やお詫びと言う文句を切り捨てようとしていたのだが、中国や韓国からの牽制、そして、周りから外堀を埋めらたような格好で、ほぼ同じ文章になってしまった。
安倍首相としては、心にもない談話になってしまい、さぞかし悔しい気持ちで会見に臨んでいたことと思う。
そもそも、七十年談話と言うことを言わなければ、こんな不始末にはならなかったのだが、そこが読み違いのもとだろうね。
それにしても、同じ敗戦国のドイツやイタリヤが近隣諸国とうまくやって、ことさら談話など出す必要もないのに、なぜ日本だけがこうも”やいのやいの”と言われるのだろうか。
その原因として、やはり戦争責任をきちんとしてこなかったことがあげられる。
先日も池上彰のテレビ番組で、極東裁判は連合軍がやった戦勝国のいんちき裁判だとも行っていた。
しかし、ああでもしなかったら原発事故やオリンピック競技上問題でも分かるように、誰も責任を取らず、うやむやのうちに葬り去ったのではないだろうか。
中国や韓国人特有の感情問題やその国が抱える内部事情もあって、いつまでもこの問題に国民の目を向けさせておく必要もあるのかもしれないが、日本人の責任と言うものに対してのルーズさが大きな要因であるような気がしている。
ドイツなどは、戦犯の追及をいまだにしているが、日本は靖国神社に合祀して神様にしてしまった。
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安倍首相は後世、この談話にたいしてどのような解釈や回顧録をするのだろうか。
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