ビーズを撒き散らかして
朝日を浴びて田んぼの稲の葉にできた水玉がいっせいに輝きだす。
朝日と目の角度によって、水玉の色合いが変わり、ビーズを撒き散らかしたのように色合いが変化する。
稲の葉をわずかにそよがせた風が吹き渡ると、なんだか儲けものをしたような気分になり心豊かな気分になるのが分かる。
この水玉も、最近のように暑さが続くと、まもなく蒸発をして消えうせてしまう。
これも自然の理。天下泰平をひとりじめにする。
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今日は長崎に原爆が落ちて70年目に当たる。その式典で挨拶する長崎市長の物静かながら心打つ挨拶と、なんだか上っ面だけの首相の挨拶は対照的であった。
ただ、朝のワイドショーで、八月九日は何の日ですか?と言う質問に、若い人はもちろん五十代六十代と思われる人でさえ画が「分からない」と答えるのを見てテレビ特有の大げさ、またはやらせかと思っていたが、夕方の放送で長崎市民でさえが、この日を正確に言えない人が六割に及ぶといっていた。
戦後の歴史教育が近代史をろくに教えなかったこともあるが、平和とは積極的に守ろうとしなければ維持できないものであり、人の噂ではないが七十年もたつとこんなふうになってしまうものなんだろうな。
忘却とは忘れ去ることなり 忘れえずして、、、、、 (君の名は)
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コメント
朝日を浴びた稲田は幻想的ですよ。
この景色も、一時間後にはすっかりと水滴が消えてしまいいつもの田んぼに戻ってしまうはかなさ、、、、、
原爆投下の日を知らない人はもちろん、米、英、中国を相手に戦争したことも知らない人が多くなっているようです。
こんな人たちが、選挙権を持ち、国会議員や地方議員になった暁には日本はどうなるのでしょうか。
投稿: オラケタル | 2015年8月10日 (月) 21時38分
稲に付いた水滴から、ビーズを撒き散らかしたと言える感性に脱帽。素晴らしい感性だと思います。
長崎市長の挨拶は、心にストレートに入ってきましたね。
黙祷をする姿を目にしなくなったのも頷けますね、長崎の人ですら、この日をちゃんと知っている人が4割と聞き、驚きました。
投稿: tomoko | 2015年8月10日 (月) 09時18分